いつかの空を見る日まで

たつみ

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第2章 彼女の話は通じない

幻想にしか生はなし 1

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 ザイードと向き合って座っていた。
 さっきのことを思い出すと戸惑うが、それほど心配してくれていたのだと思う。
 自らの行動を恥じているのか、ばつが悪そうに、ザイードはうつむいていた。
 いつも通りの正座をして、両手を膝に置いている。
 
(やっぱり慣れないなぁ。ザイードは人型じゃないほうがザイードっぽいよね)
 
 出会って以来、キャスにとってのザイードは、ガリダ姿のザイードなのだ。
 ついこの前まで、変化へんげも覚える気はないと言っていたので、必要が生じなければ人型になることなんてなかったに違いない。
 人の国に入るため人型に変化せざるを得なかっただけで、好んで人の姿になっているのとは違う。
 
「えっと、まだ人型の習練を続けてるんですか?」
 
 あんなことがあった以上、2度と人の国に行くことはないだろう。
 なので、人型になる必要はない。
 とはいえ、人との戦いが迫っているのは間違いないのだ。
 
 備えあればうれいなし。
 人型が役に立つ状況を想定し、習練していても不思議ではなかった。
 
「余は……人のことを、もっと知りたいと思うたのだ……」
 
 ぽつりと、ザイードが言葉を落とす。
 人の国に行ったことで、人間が「見知らぬ種」ではなくなったからだろうか。
 魔物にはない価値観が、ザイードの心に影響を与えた可能性はある。
 なんとなく申し訳ないような気分になった。
 
(魔物の国だけで生きてたら、あんな嫌な思いしなくてすんだもんね。悪い意味で人は複雑っていうか……)
 
 キャスの思う「良心的」な者ばかりなら、彼女も胸を張って、人間は良い生き物だと言える。
 けれど、起きた事態を鑑みれば、せいぜい「良い人たちもいる」程度。
 総体として、良い生き物だとは言えなかった。
 
 なにしろ、なにもしていないザイードに、人間側は攻撃をしかけたのだ。
 そのせいで、ザイードは死にかけている。
 結果として生きてはいるが、殺されそうになった事実は消せない。
 
「そなたが……1ヶ月も帰らず、余は悔いたのだ……」
「え……」
 
 キャスが驚いたのは、ザイードが悔いていることにではなかった。
 彼女からすれば、ザイードが悔やむことなんてなにもない。
 なので、もうひとつの言葉のほうに驚いている。
 
「1ヶ月? そんなに経ってたなんて……」
 
 季節は冬。
 だが、体感的に分かるほど大きな差はなかった。
 聖魔の国に長居をしたとは思ってもおらず、キャスにとっては昨日の出来事。
 むしろ、1,2時間前に起きたことだと言われても信じられる。
 
(聖魔の国の時間軸って、どうなってんの? あいつが長生きなのって、そういうことなわけ? でも……時間指定で生き戻せるくらいだから……)
 
 ほか聖魔はともかく、ラフロは時間を操るような能力があると考えられた。
 だとすると。
 
(絶対、嫌がらせじゃん……この大事な時に1ヶ月も無駄にさせて……)
 
 ようやく、さっきのザイードの行動に納得する。
 
 キャスは、意識を取り戻したザイードの姿を確認していた。
 つまり、目の前で連れ去られる姿を、ザイードは目撃したのだ。
 それから1ヶ月も帰って来ないとなれば、それは心配もするだろう。
 
「キャス、もうあのような真似はいたすな」
「あのような真似、とは、なんですか?」
「たとえ、余の命が消えかけておったとしても、取引なぞしてはならぬ」
「それは無理ですね」
 
 すぱっと、彼女は言い切った。
 同じことが起き、同じ状況になったら、同じことをする。
 するなと言われてできるのであれば、あの時だって迷ったはずだ。
 だが、キャスは迷わなかった。
 
 ザイードの命を助けられる。
 
 思ったら、ラフロとの取引を即断していた。
 たとえ時間を巻き戻されても、決断は変わらないと断言できる。
 だから、ザイードの言葉に対しては「否」としか言いようがない。
 
「魔物のことわりでは、死ぬべき時は死ぬ。死なぬ時は死なぬものだ。そなたが聖者と取引をして、余の命を救うことは、自然の摂理に反しておる」
「なら、私も言わせてもらいますけど、ザイードは嘘をついたじゃないですか」
「嘘……なんの話だ?」
「私を守るために同行するんじゃないって言いましたよね? なのに、私を守って死にそうになって……」
「それは余の力不足に過ぎぬ。魔獣を追うた時と同じこと」
 
 心に小さなささくれを感じた。
 助けてもらい、心配をかけておきながら、苛立つなど、どうかしている。
 自分の性根が悪いのは、わかっていた。
 なのに、抑えがきかない。

「私はザイードの命の責任なんて取れません。だから、取引して、貸し借りなしにしただけですよ」 
 
 ザイードが口を噤む。
 視線を、膝に置いている両手に落としていた。
 
 元々、ザイードは感情を読みにくいが、人型だと、なおさら読みにくい。
 尾もなければ、口調も落ち着いているからだ。
 しばし、お互いに黙ったまま、沈黙が流れる。
 
「……そうだの……」
 
 ゆっくりと、ザイードが顔を上げた。
 ほんのわずか、口元を緩めている。
 
 微笑んでいるように見えるが、なんだか胸が、きゅっとなった。
 理由はわからない。
 ただ、自分の言葉がザイードを傷つけたような気がする。
 
(……感謝してほしいってことじゃないって、言いたかったんだけどな……)
 
 ザイードの命を救ったのは事実でも、恩に着せる気はない。
 感謝されたくて選んだことでもなかった。
 あの時は、それしか考えられなかっただけだ。
 そもそも同行を認めた時から、ザイードの帰還を優先すると決めていた。
 
「あの……」
「いや、余が間違うておった。そなたには感謝せねばな」
「いえ、そういうことじゃなくて……」
「貸し借りなし。それでよい」
 
 ザイードの声は静かで、いつも通り落ち着いている。
 けれど、キャスを落ち着かない気持ちにさせた。
 罪悪感じみたものが心に広がっている。
 
「それはそうと、そなたは聖魔の国に連れて行かれたのであろう? 向こうで、どうしておったのだ?」
 
 罪悪感の理由を掴む前に、ザイードが話題を変えてきた。
 表情も戻っており、さっきの「微笑み」は消えている。
 少しホッとしながらも、宙ぶらりんになった小さな罪の意識が心に残っていた。
 だが、キャスは、それを追及するのをやめる。
 
(私は……ずっとここにいる気はないんだし……)
 
 あまり踏み込んではいけない。
 ザイードがなにを考えているのかを「わかろう」とするのは危険だ。
 わかろうとか、わかりたいとかいう想いは、相手との距離を縮める。
 それが誰であれ、キャスは、誰とも深く関わりを持ちたいとは思っていない。
 
 思えずに、いる。
 
「一応……父親っていうのと会って、話してました」
「そなたを連れ去ったあのものは、やはり身内であったか」
「似てますもんね」
 
 ラフロと似た外見というのは気にいらないが、しかたがない。
 それが、本来の「カサンドラ」の姿なのだ。

 そう言えばと、気持ちをラフロから引き剥がす。
 目の色はミネリネに調節してもらっていないので、戻っていないかもしれない。
 紫紅の瞳も嫌だが、このままでは支障をきたす可能性もあるので、近いうちに直してもらうことにした。
 
「あのものどもに同胞意識なぞないゆえ、なにか悪さをされておるのではないかと思うておったのだが」
「そうですね……良い経験とは言えませんでした。少なくとも、聖者は腹の立つ相手だってことはわかりましたけど」
 
 聖者は「関心欲」を満たすために相手を試す。
 ラフロの「関心」は、とくにタチが悪いと言えた。
 理解する気もないのに、ただ知りたいというだけなのだから。
 しかも、ラフロ自身、矛盾だらけ。
 
「そなたが腹を立てるとは、いったい、なにを話したのだ?」
「私が産まれることになった理由とかですよ」
 
 心配されているのはわかっているのだが、聖魔の国でのことは、あまり思い出したくない。
 なんでもいいから、別のことを考えたくなる。
 
「聖魔も変化へんげができるのだな」
「え……? いえ、それは……わかりませんね」
「しかし、変化ができぬでは、人と交われぬのではないか?」
 
 ザイードの言葉に、そうなのか、と思った。
 もちろん聖魔は「普通には」人と交わることはできない。
 それは、聖魔が、人や魔物のような肉体らしい肉体を持っていないからだ。
 おそらく肉体より魂のようなもののほうが、主体なのだろうと推測している。
 
 だが、外見は異なっていても、魔物は人と同じく「肉体」を持つ生き物だ。
 だとしても、ザイードの言葉からすると、変化をしなければ、別の種のものとは交われないことが類推できる。
 もしかすると、種族間でも「そう」なのかもしれない。
 
(……ザイードの言ってた交流って……そういうことだったのか……)
 
 ほかの種族との間に子を持つことがあるのは知っていた。
 実際、ザイードの弟のラシッドも父親はルーポだ。
 なのに、変化における「交流」について、まるで考えもせずにいた。
 
 いわゆる「肉体関係」に興味がなかったため、想像だってしない。
 たとえば、ガリダとルーポが交わる時のこととか。
 
 おそらく、だが、人型であれば、種族や種を越えて体の関係を持てるのだ。
 以前のザイードは変化を覚えていなかったので、可能性はゼロ。
 けれど、今は違う。
 
(いやいや……ザイードに下心なんかあるわけないじゃん……気にすること自体、失礼だよね。私に同行するために、嫌々、覚えてくれただけなのにさ)
 
 これも、フィッツとの日々の副産物と言えるかもしれない。
 誰かとふれあいたい、と思うことがあるのを、キャスは知った。
 だから、それまでなら軽く聞き流していたところに引っ掛かってしまったのだ。
 そして、無意識に「別のこと」を考えようとしている。
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