いつかの空を見る日まで

たつみ

文字の大きさ
上 下
149 / 300
第2章 彼女の話は通じない

いくら望んだところとて 1

しおりを挟む
 聖者は、人が言うところの「善人」ではない。
 ある意味、魔人よりもタチが悪い、と、ゼノクルは思っている。
 
 関心と娯楽であれば、娯楽のほうが「邪気」があるからだ。
 関心には、邪気がない。
 対象を、淡々と、ひも解いていく。
 
 こうしてみたら、どうだろう。
 こうなったら、どうするだろう。
 この状況だと、どちらの選択をするだろう。
 
 およそ、こんなふうに、ひとつずつ魂とか心とかいうものを剥がしていくのだ。
 そして、その結果がどんなものであれ、納得する。
 そう、ただ納得するだけだった。
 
 関心とは、そのようなものに過ぎない。
 
 と、ラフロに言われたことがある。
 予測とか、期待とか、要望などは、ないのだそうだ。
 だから、結果に不満もない。
 
 ああ、そうか、と思うだけ。
 
 思ったら、聖者の関心欲は満たされる。
 魔人が、自分たちの意図しない人の行動を面白がるのと似たようなものだ。
 結果が見られれば、それでいい。
 聖者と違うのは、魔人には「つまらない」があることだった。
 
 あまりにも予測通りだったり、同じことが繰り返されたりすると、飽きる。
 つまらないと感じると、魔人の「娯楽欲」は満たされないのだ。
 
「ラフロはいいよな。満たされねぇってことがねぇんだからよ」
 
 ゼノクルは、小狭く貧相な「庭園」を散策しながら、空を見上げる。
 冬のただなかだからか、最近は晴れた日が少ない。
 それでも、今日は薄い青と白くたなびく雲が「晴れ間」を演出している。
 
 空は遠く、その先は見えなかった。
 晴れ間の向こうには壁があり、灰色に覆われているはずだ。
 壁の中にいる者たちには見えないとしても、確実に、そこにある。
 
 ゼノクル、もといクヴァットとラフロは、3百年前に生じた。
 クヴァットは、人の国で「娯楽」を楽しんでいたが、ラフロは違う。
 王の間である、あの湖で、百年も、なにもせずにいたのだ。
 人の国を見てはいたが、手を出すことはなかった。
 
 ラフロが初めて関心を持ったのが、壁を作ったラーザの女。
 
 とはいえ、壁があったため、聖魔は入ることができなくなっていた。
 その後、2百年。
 ラフロは、その女に関心を持ち続けていたのだ。
 だから、壁を越える方法を考え続けてもいた。
 
 人は違えど、ラフロの関心をひく魂に巡り合ったのは、40年ほど前。
 フェリシア・ヴェスキルが産まれた時だ。
 その頃に、ラフロは壁を越えるための「条件」を探り当てていて、条件を満たす「人間」と出会うだけとなっていた。
 
 人の時間としては長く待ったと言えるだろう。
 だが、聖魔にとっては、さほど長くはない。
 フェリシア・ヴェスキルが18歳で女王となったのち、機会は訪れた。
 
 その「人間」は、壁を越えることができたのだ。
 
 あげく「自らの意思」も持たなかった。
 ラフロは力を使い、その者の体を「借りる」ことに成功している。
 
「でも、ラフロはラフロで、俺を羨ましいって言ってたな。せっかく借りた体が2年ほどしか保たなかったんじゃ、そう言いたくもなるか」
 
 意思がなければ大丈夫、とはならなかったのだ。
 体の持ち主の自我が、ラフロを「異物」だと認識して、弾き出してしまった。
 だとしても、ラフロが怪我をしたり、死んだりすることはない。
 単に、聖魔の国に帰らざるを得なくなっただけの話だ。
 
 けれど、ラフロの行いを、体の持ち主は肯とはしなかったらしい。
 意思はなくとも働く「個」に根づく自我が無意識に罪を悔いて、自死している。
 
 今のところ「ゼノクル」に、その兆候はなかった。
 クヴァットのしていることを認識はしているのだろうが、黙している。
 おそらく「善悪」の判断もつかないほど、ゼノクルの心は幼いままなのだ。
 
「しかし、わからねぇもんだな。人間ってのは、交わって子を成す。そこいら中、あふれかえってるじゃねぇか。罪でも、なんでもねぇだろ」
 
 なにを苦にすることがあったのか。
 クヴァットには、理解できない。
 
「だいたいラフロは強制しちゃいねえ。取引に応じたのは、あの女じゃねぇか」
 
 ラフロは「取引」を持ち掛けた。
 が、取引に応じたのは、フェリシア・ヴェスキルの意思なのだ。
 拒否することもできたし、選択肢も1つだったわけではない。
 ラフロと交わる選択をしたのは、フェリシアだった。
 
「人ってやつぁ、本当に意味わかんねぇ動きするぜ」
 
 ラフロに体を貸した者は、フェリシアの選択を否定したようだ。
 とはいえ、フェリシアが選択をする前には戻れなかった。
 ラフロは、さっさと「取引」を終わらせてしまっていたから。
 
 その結果を、体の持ち主は、どうしても受け入れられなかったのだろう。
 ラフロを追い出したのも、自死をしたのも、それが原因だと推測はしている。
 さりとて、理由は推測できても、理解はしていない。
 魔人であるクヴァットには「わけがわからない」ことでしかなかった。
 
 クヴァットも「ゼノクル」をやりはじめてから、約20年。
 人の女と交わったことがなくはない。
 子を成す気はないので予防措置は講じているが、複数の女と関係を持ってきた。
 それは「ゼノクル」をするのに必要な行為であり、娯楽のための努力でもある。
 
「ラフロだって、あの女と交わりたかったわけではないんだよな」
 
 あれは、取引の結果だ。
 ラフロは、フェリシアが「どういう選択をするのか」に関心があった。
 それに伴う思考や感情が知りたかったのだ。
 きっと「関心欲」は満たされたに違いない。
 
「直後、弾き出されちまって、外から見てるしかなくなったのは残念だったけど、そんでも満足できてたんだろうぜ。あの娘が現れるまでは」
 
 カサンドラ・ヴェスキル。
 
 ラフロとフェリシアの娘について、ラフロは、ずっと前から見守り続けている。
 もちろん、クヴァットも、その存在を知っていた。
 
 ただ、体を「借りて」いる間は、相当の無理をしなければ魔力は使えない。
 おまけに長く体を離れると戻れなくなるため、そうたびたび聖魔の国に帰ることもできなかった。
 そのため、カサンドラの状況を把握できずにいたのだ。
 
「ラフロ、嬉しそうだな。あの娘は前の魂とは違う。関心も高まるってもんだ」
 
 クヴァットは、カサンドラが産まれた時に1度だけ魂の色を見ている。
 そして、この間、20年ぶりに聖魔の国に帰った時に、カサンドラの魂の色を見た。
 その際、産まれた時とは「色」が違うと気づいている。
 戦車試合の日にカサンドラとは会っていたが、魔人でない状態だったため気づけなかったのだ。
 
「今度は、どんな取引をするか、楽しみだぜ、ラフロ」
 
 聖魔には親子や兄弟姉妹という関係性がない。
 カサンドラがラフロの娘なのは間違いないのだが、人が持つ「肉親」への情や感覚など、聖魔は持ち合わせていなかった。
 ラフロは「関心」を持っているだけだし、クヴァットは「娯楽」として楽しめると感じているだけだ。
 
「ちぇっ。俺も国に帰れりゃいいのに。人の体ってのは、融通が利かねえ」
 
 魔力が使えないので、ラフロがどんな「取引」を吹っかけるかもわからない。
 共有しているラフロの感情からすると、相当に楽しそうなのだ。
 魔人特有の「娯楽」の性質が、うずうずしている。
 とはいえ、もう少しこの体を使いたいので、我慢するよりしかたない。
 
「……ん?」
 
 不意に、首から下げていた鍵が点滅していることに気づく。
 シャノンからの連絡だ。
 魔物の国を無事に逃げ出したという連絡だろうか。
 
 あらかじめ逃げる時には、リュドサイオに最も近い壁を目指すように言ってある。
 近くまで来ているのなら迎えに行こうか、と思った。
 
「おう、今どこだ? リュドサイオの近くまで帰ってんなら……」
(逃げ、られなく、なりました……)
「は? なんだと?」
(み、見張りが増えて……今は……鎖で……繋がれて、います……連絡も……)
 
 シャノンの声は、ものすごく小さい。
 かなり危険を冒して連絡を取っているようだ。
 
 ちきっと、苛立ちが走る。
 シャノンが人の国と連絡を取ったことがバレるのはわかっていた。
 拷問はもとより、殺される恐れもあるため、逃げるように指示をしたのだ。
 
 クヴァットの計画では、壁の外に出るのはカサンドラだけのはずたった。
 そこで、ラフロがカサンドラを手に入れる。
 魔物は、皇帝を含む「人間」たちが始末すれば、後腐れもない。
 
 魔物の国のものたちが、カサンドラが裏切ったと思うかは別にして、シャノンが情報を流したとは言いきれない状況になることを想定していた。
 
 人の持つ武器は、魔物に有効だとの思い込みがあったせいだろう。
 あの魔物を生きて、外に出してしまったのが悔やまれる。
 元々「とんでもない奴」だと思っていたにもかかわらず、それでもまだ見縊みくびっていたのだ。
 行き当たりばったりは好きだが、こういう「予定外」は面白くない。
 
「とにかく生き残ることだけ考えろ。いいか、俺の言う通りにすんだぞ」
(は、はい……ご主人様の…い、言う通りに、します……)
 
 クヴァットは、シャノンという新しい「玩具」を気に入っている。
 自分のものを取り上げられるのも、気に食わない。
 だが、魔物相手では、たとえ魔人に戻っても分が悪いのだ。
 ゼノクルの側で、やれることをするしかなかった。
 
 シャノンに、すべきことを伝えてから、大きくを息を吸い込む。
 ゆっくり吐き出すうちに、少し苛立ちがおさまってきた。
 自分のものは、自分で取り戻す。
 都合良く動かせる「駒」もあるのだ。
 
「お前は俺のものだ。絶対に帰れ」
(……か、帰りたい、です……ご主人様の……ところに……)
「俺が道を作ってやる。いいな、シャノン。帰って来い、俺のところに」
 
 返事はなく、ぷつんと連絡が途絶える。
 手土産なしに聖魔の国に帰る気はない。
 ちきちきとした苛立ちを感じつつも、クヴァットは、ゼノクルを最大限に使い倒すことにした。
しおりを挟む

処理中です...