いつかの空を見る日まで

たつみ

文字の大きさ
上 下
147 / 300
第2章 彼女の話は通じない

混沌の過去 3

しおりを挟む
 ザイードは、空を見上げている。
 真っ黒な空だ。
 暗いからではなく、なにも見えない。
 
「キャス……」
 
 キャスの姿は、どこにもなかった。
 自分の力がおよばなかったのだ。
 絶対に守ると決めていたのに、守りきれなかった。
 人には警戒していたが、聖魔を見縊みくびり過ぎていたせいだと自覚している。
 
 魔物は、聖魔を脅威ではないと認識している。
 煩わしくはあっても、害があるとまでは言えなかったからだ。
 人のほうが遥かに脅威だったこともある。
 どちらかと言えは、魔力を持つ聖魔は「魔物寄り」だと考えていた。
 
「人にとって聖魔は脅威だとキャスは言うておったに……余が、あやつらを甘う見ておったがゆえ……」
 
 キャスを連れ去られてしまったと、ザイードは肩を落としてうつむく。
 聖魔の国は、どこにあるのかわからないのだ。
 
 魔物や人の国は、特定の「領地」の上にある。
 地面に縛られないファニですら「領域」を必要としていた。
 帰属する場所が必要なのだ。
 
 だが、聖魔の国の場所は明らかになっていない。
 興味もなかったので調べたことがなかった。
 どこからともなくやってきて、自分たちを煩わせる存在。
 それが魔物の、聖魔に対する認識だ。
 
「しかも、あのように大きな魔力を持つものがおったとはな」
 
 魔物は、魔力を「色」や「揺らぎ」、そして「匂い」でとらえる。
 種族や力の大きさによって、色や揺らぎかたが違うのだ。
 
 たいていは種族を象徴するような色で出ることが多い。
 ガリダならば緑、コルコなら赤といった具合になる。
 基本的には、聖魔も同じだった。
 
 魔人は黒、聖者は白。
 
 力が強ければ、黒はいっそう黒くなり、白は限りなく透明に近くなる。
 キャスを連れ去ったのは、聖者だ。
 魔力があるのは感じたものの、まるで魔力を持たないもののように、色も揺らぎも、匂いさえなかった。
 
 ザイードも、日頃は自分の力を抑制している。
 すべての力を解放はしていない。
 だから、わかるのだ。
 抑制もしていないのに、魔力を見せずにいられるほどの力の持ち主だと。
 
 魔物の国に、魔力を振り回しに来る聖者たちとは「格」が違う。
 
 ザイードは体の前で両手を開いてみた。
 腕にも手のひらにも傷はない。
 魔力が、ほとんど残っていないのはともかく、体は「元通り」になっている。
 あの聖者の力によるものだとは、推測しなくてもわかった。
 
 その見返りに、キャスは連れて行かれたのだ。
 
 ザイードの意図したものではなかったとしても、守るべき相手を差し出し、己の命を繋いだのだと思った。
 取り返しに行きたくても、場所もわからないのでは、どうすることもできない。
 自分の無力さに後悔が募る。
 
 わかりたくもなかったが、人の国の「皇帝」の必死さが理解できた。
 
 奪われたと思っているから、取り戻そうとする。
 今のザイードだって、キャスを取り戻したいと思っていた。
 同時に、キャスの無事を願う。
 それしか、できないからだ。
 
「あの皇帝とやらは……余を正面から撃たず、背を狙わせておった」
 
 正面から撃つことで、キャスを傷つけるのを恐れたのだろう。
 魔物に対しては非情でも、キャスへの想いは強いらしい。
 ふと、皇帝は、キャスが中間種であることを知っているのだろうか、と思った。
 
「キャスは……聖者と人との中間種……あの聖者はキャスの身内か……?」
 
 聖魔に「身内」などという意識はないはずだ。
 だとしても、紫紺の髪と紫紅の瞳は、キャスと同じものだった。
 なんらかの繋がりがあるのは間違いない。
 ただ、それを「アテ」にして、キャスの無事を信じることはできずにいる。
 
 聖魔には同胞意識がないからだ。
 もちろん、聖魔がどういうものかを深く知っているわけではないので、絶対にないとは言いきれない。

 だが、少なくとも、魔物の周りでウロチョロしていた聖魔たちは、ほかの聖魔がどうなろうと知らん顔をしていた。
 煩わしさから火をつけても、助けるそぶりがなかったのは確かだ。
 
「ザイード!」
「遅かったではないか」
「これでも、最速で来たんだぞ。予定より早かったし……って、あれ?」
 
 ダイスが、きょろきょろしている。
 ザイードの「連絡」をナニャが受け取り、ダイスに伝えてから、およそ4時間。
 確かに、ダイスは「最速」で来た。
 わかっているのに、苛々を抑えきれずにいる。
 
「キャスは、どこだ?」
「連れ去られた」
「はあ?! そりゃあ、どういうことだ、ザイード!! お前がついていながら、人にかっさらわれたってのか!」
「人ではない。聖者だ」
「はっ? 聖者っ? 聖者が、なんでキャスを攫うんだよ?!」
「余にも、わからぬ」
 
 ダイスに、ぎゃんぎゃんと責めたてられ、ますます苛々していた。
 ザイードも、聖者がキャスを連れ去った理由が思いつけずにいる。
 いくら噛みつかれても、わからないものはわからないのだ。
 ザイード自身、どうすることもできなかった自分を責めていた。
 
 言われなくても。
 
「ふざけんじゃねぇぞ! なんのために、お前が一緒に……っ……」
「わかっておるわっ!!」
 
 バーンッと、尾で地面を叩く。
 金色の瞳孔は、これ以上ないほど狭まっていた。
 ダイスにではなく、自分に腹を立てている。
 
「キャスは……余を……余を助けるために、聖者と取引をしたのだ……」
「取引って、あの意味わかんねぇやつか……?」
 
 魔物にとっては意味不明な取引。
 裕福にしてやるとか、好いた相手を振り向かせてやるだとか。
 そういうことばかりを「囁いて」くる。
 だが、魔物は、その一切に応じたことはない。
 
 なぜなら、魔物は自然の摂理の中で生きているからだ。
 
 なるべくして、なる。
 裕福になるのも、好いた相手を振り向かせるのも、自らの行動によって実現するものであり、誰かの介入によって成されるものではない。
 仮に、それが「死」であったとしても、だ。
 
「……キャスは、余の命を助けることと引き換えに、聖者と取引をしたのだ」
「なんだって、そんな……死ぬ時は死ぬ。死なねぇ時は死なねぇってだけだろ」
「我らは、そう考える。だが、キャスは我らとはことわりが違う」
 
 魔物は、それがつがいであれ、子であれ、死を受け入れる。
 ダイスの言う通り、死ぬ時は死ぬのだ。
 まだ「その時ではない」のなら、命を落とすことはない。
 生も死も、訪れるべくして訪れるものに過ぎなかった。
 
 仮に、自分が死んでいたとしても、そこで果てる命だった、とザイードは思う。
 ダイスも、ほかの魔物たちも同じだ。
 悲しみはするし、人を憎むことはあっても、死を否定することはない。
 
「そうか……キャスは長いこと人として生きてきたからな……お前が死ぬのを受け入れられなかったわけか」
「聖魔は人の心につけ込むのだと、キャスは言うておった。人の心は脆弱ゆえ、精神に干渉を受けてしまうそうだ」
 
 ひょこんと、ダイスの耳が尖る。
 尾で、軽く背中を叩かれた。
 
「それなら、大丈夫だ。キャスの心は、そんなに弱かねぇだろ。簡単に操られたりするもんかよ」
「そうだの」
「なぁ、ザイード、オレらは、オレにできることをしようぜ」
「そうよな」
 
 空を見上げ、大きく息を吐き出す。
 ここにいても、キャスは戻らない。
 連れ戻しに行くこともできない。
 
「ガリダに帰り、キャスを待つ。それと、もうひとつ」
 
 ザイードは、ひょいっとダイスの背に飛び乗る。
 途端、ダイスが駆け出した。
 ここに来るのにも「最速」だったのだろうに、ダイスは疲れを見せずにいる。
 風が猛烈な勢いで、ザイードの体を揺さぶっていた。
 
「あのものは、どうしておる?」
「大人しくしてるぜ? ちゃんと飯も食わせてる」
「拘束はしておらぬのだな?」
「見張りはつけてるさ。けど、あいつ、なんもしてねぇぞ? 家ン中で飯食って、ぼーっとしてるだけだ。魔力を使ってる痕跡もねぇしな」
 
 これが、危険なのだ。
 魔物は、なんでも「魔力」で物事を測ろうとする。
 
 その魔力が危険かどうか、自分に敵意のある魔力かどうか。
 そして、その判断によっては、相手を「脅威」だと見なさない。
 いや、壁ができて以降「見なせなくなっている」のだ。
 
「あれは危険なものぞ。魔力で判断してはならぬのだ。そもそもは、我らの魔力が効かぬゆえ、我らは人を脅威としておったのではないか」
「あいつ……魔力じゃねぇもんで、なにかしてたのかよ」
「人の国と連絡をとっておったようだ」
「くそっ! 騙されたぜ! ビクビクしてるだけの奴だと思ってたのに!」
 
 もとより、魔物を攻撃するために送り込まれたのではなかったのだろう。
 シャノンの役目は「繋ぎ」だった。
 魔物たちがなにをしようとしているのかを、伝達する存在。
 目立つ動きはせず、怯えている仕草で、周囲の警戒を解くだけで良かったのだ。
 
「帰り次第、あのものを拘束いたせ。これ以上、野放しにして、我らの情報を垂れ流させるわけにはゆかぬ。場合によっては……」
「わかってるって。キャスが帰って来る場所は死守しねぇとな」
 
 キャスは帰る。
 それを信じ、自分は国を守るのだ。
 魔物の国は、キャスが帰って来る場所なのだから。
しおりを挟む

処理中です...