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第2章 彼女の話は通じない
混沌の過去 2
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紫紺の長い髪に、紫紅の瞳。
瞳孔は丸く、見た目には「人間」と変わりない。
服装も、人の着るそれに似ていた。
前身ごろの重なり部分を、横2列のボタンで留めるタイプのフロックコート。
騎士服の短く動き易い仕様とは違って丈は長いが、かっちりした雰囲気と真っ白なところが、セウテル率いる親衛隊を思い出させる。
が、その男性が、人間でも魔物でもないと、キャスにはわかっていた。
聖魔。
そして「カサンドラ」の父親だ。
相手の言葉からも、それは分かる。
だが、彼女、キャスからすれば、赤の他人だった。
自己紹介をしている場合でも、親子再会の感慨に浸っている場合でもない。
「今、それどころじゃないから」
カサンドラの体は中間種だが、人に近いのだ。
聖魔の精神干渉を受ける恐れがあった。
そのため、視線をそらし、ザイードの体を自分の背に庇う。
「中にいるのが誰であれ、私は気にしないよ、愛しい子」
言葉に、体がこわばった。
相手は、カサンドラが「カサンドラ」ではないことを知っている。
「聖魔はね、入れ物ではなく中身の色で対象を見分けている。産まれた時の子と、きみは色が違うから、すぐにわかったさ。戻って来たのは、同じ者ではないと」
ふっと、軽く息をついた。
そこまで知っているのなら、怯える必要はない。
逆に、開き直る。
「あなたがカサンドラの父親だっていうのはわかったよ。でも、私には関係ないことだよね? それと、今、それどころじゃないって言ったでしょ」
親子の対面を果たせて相手は嬉しいのだろうが、彼女には無関係だ。
そして、今は、本当にそれどころではない。
ザイードを助けることのほうが重要だった。
のんびり話なんてしている暇はないのだ。
「私は、きみに関心があるのだけれどねぇ」
「私にはない。邪魔しないでくれる?」
「邪魔などしないさ。むしろ、その魔物を助けてもいいと思っているよ」
カサンドラの父とはいえ、聖魔は聖魔だ、と思う。
信じられる相手とは、とても言えない。
けれど、ザイードは深い傷を負っている。
ファニのミネリネでも癒すのは厳しい、と、さっき言われてもいた。
その言葉すら疑わしいが、一刻を争うのは確かなのだ。
「先に助けてくれたら、信じる」
「私と取引をすると約束するかい?」
「取引?」
「簡単な取引だよ。私が、その魔物を助けたら、きみは私と聖魔の国に来る。どうかな? 簡単だろう?」
「本当に、ちゃんと治せるんだよね? 死なない程度じゃ取引には応じられない」
猶予はなくても、取引に飛びついたりしないようにする。
内心、ザイードの命を繋げるのなら、なんでもいいと感じてはいた。
とはいえ、騙されて聖魔の国に連れて行かれたあげく、ザイードも救えなければ意味がない。
「その魔物を、ほとんど元に戻してあげよう」
「ほとんどって、なに? 戻らないところもあるってこと?」
「魔力を戻すことはできないね。私が分け与えたくても、魔物の体が、それを拒絶するのだよ。それ以外は、すべて元通り」
喉が、こくんと上下した。
肩越しに、ザイードを、ちらっと見る。
「……ザイードは、もう魔力を使えないの?」
「いいや、持って生まれた力は、そう簡単になくなりはしないさ。しばらくは安静というのかな、じっとして、魔物の国の食事をしていれば回復するよ」
こうしているうちにも、ザイードの体からは血が流れ続けていた。
あれこれ悩んでいる余裕はない。
どうせ選べる道もないのだ。
キャスは視線を男性に戻し、立ち上がる。
自分にできることは、目の前の相手と「取引」することだけだ。
ザイードを癒す力なんて持ってはいないし、代替案もない。
差し出せるのは、自分の身ひとつ。
「わかった。あなたと取引する」
「いい選択をしてくれて嬉しいね」
瞬間、ぱぁっと光が放たれる。
光は見えているのに、周囲が照らされている感じはしなかった。
自然な光ではなく、魔力で発しているものだからかもしれない。
すぐに光がおさまる。
「さあ、行こうか」
「そ、それだけ……?」
「取引は、公正でなければ意味などないさ」
ザイードの容態を確認しようと、体を返した。
そのキャスの肩が掴まれる。
あ、と思う間もない。
足が地面から離れていた。
「……キャス……?」
宙に浮きながらも、ザイードが体を起こすのが見える。
服も元に戻っているようだ。
だが、すでにその姿は小さく、傷が治っているのかまでは目視できない。
それでも、体を起こせたくらいなのだから、きっと大丈夫だ。
心底、安心する。
「少し速度を上げるから、目を閉じておいで」
やわらかく穏やかな声は高過ぎず低過ぎず、耳に心地いい。
目を閉じかけた自分に、キャスは警戒した。
精神に干渉を受けているのかどうか、自分ではわからないからだ。
自分の意思で目を閉じようとしていたのか、操られているのか。
(わからないなら、こいつの言うことに従わないようにするしかないな……)
ザイードよりも、ダイスよりも、速いのは間違いない。
必死で目を開いてはいたが、痛くてたまらなかった。
元の世界で、嫌々ながらに参加した修学旅行を思い出す。
例年、夏の行事とされていたのに、その年は年末近くの冬場に日程変更。
しかも、冬山だ。
(スキーだって、みんな、喜んでたっけ……でも、天候が悪くて吹雪いてて……)
ゴーグルなしでは、目を開けてはいられなかった。
風で目が乾くような、なのに、ぱしぱしと眼球直撃の細かな雪が痛くて。
「きみは我慢強い子だねえ。もう着くよ」
その言葉通り、全身に受けていた風圧がなくなり、体が軽くなる。
改めて、目を、しぱしぱさせた。
痛みは消え、周囲が鮮明に見える。
大きな湖が広がっていた。
湖面は、まるで鏡のように銀色だ。
広くて、果てしがないように見える。
周りは静かで、誰もいない。
国、というには、あまりにも寂しい光景だった。
そこに、2つのイスが浮いていた。
向かい合わせになっている。
皇宮にあるような豪奢さはなく、とてもシンプルなイスだ。
黒い座面と、縦長の背もたれがあるが、装飾は施されていない。
「座って話そうか」
相手が座るのを見て、キャスもイスに腰掛ける。
拒否する理由も、意味もなかったからだ。
湖面に浮いているイスなのに、座っても沈む気配はなかった。
だが、地に足がついている感じもしない。
「私の魂がカサンドラじゃないことはわかってるんだよね?」
「それは、まったく重要ではないな」
「どうして? カサンドラは、あなたの娘なんでしょ?」
「私たちは、魂だの肉体だのには、さしたるこだわりがなくてねえ。魂が違っていようが、その体には、フェリシアの血が流れている。きみは、その体がカサンドラではないと言えるかい?」
ぐっと、言葉に詰まる。
体だけの話なら、この体は、確かに「カサンドラ」だ。
そのせいで、色々と、ややこしいことになってしまった。
なのに、来たくて来たのではない、とは言い返せずにいる。
この世界に来なければ、フィッツとは出会えなかったのだ。
たったひとつ、その点において、彼女は、この世界を否定できなくなっている。
気持ちとしては、カサンドラではいたくない。
それでも、カサンドラの体を必要としている。
この体がなければ、この世界に存在していられないからだ。
「私に関心があるって言ってたけど、なにがしたいわけ?」
「少しお喋りをしたいのだよ、私の愛しい子」
「私はあなたを父親だと思ってないし、思えない。話したいことや訊きたいがあるんなら、お好きにどうぞ。こんなところじゃ、することもなさそうだしさ」
つっけんどんに言ってみても、相手は表情を変えない。
この世界に来て、無表情を保つ相手は見慣れていた。
魔物であるザイードも、どちらかと言えば無表情に近かった。
けれど、カサンドラの父は、無表情ではない。
口元に緩い笑みを浮かべている。
それも、ロキティスの笑みとは異なり、嫌味がなかった。
「それなら、まず自己紹介をしようか。私の話を聞くうちに、きみも私に訊きたいことができると思うし、名無しでは話しにくいだろうからね」
紫紅の瞳に見つめられ、居心地が悪くなる。
親切な人に、八つ当たりでもしているような気分だ。
その「親切」が取引の結果だったとしても、自分が、ひと際、嫌な人間になったように感じる。
(魔力が見えないって、この世界じゃ不便なんだな。これじゃ、なにかされててもわからないもんね。なにもされてなくたって、疑心暗鬼になるし)
人の心の脆弱さに聖魔は入り込むのだと、実感した。
操られていても、いなくても、自分が信じられなくなる。
「私は、ラフロ。聖者と言われている。この世界に生じて、3百年ほどになるかな。あまりに長生きするものだから、あれこれと関心を持ってしまうのだろうねえ」
そう言って、ラフロは楽しげに小さく笑った。
ふんわりとした笑顔に引き込まれそうになるのを、ぐっと堪える。
確かに、人間とも魔物とも、まったく違う「種」だと、キャスは思った。
瞳孔は丸く、見た目には「人間」と変わりない。
服装も、人の着るそれに似ていた。
前身ごろの重なり部分を、横2列のボタンで留めるタイプのフロックコート。
騎士服の短く動き易い仕様とは違って丈は長いが、かっちりした雰囲気と真っ白なところが、セウテル率いる親衛隊を思い出させる。
が、その男性が、人間でも魔物でもないと、キャスにはわかっていた。
聖魔。
そして「カサンドラ」の父親だ。
相手の言葉からも、それは分かる。
だが、彼女、キャスからすれば、赤の他人だった。
自己紹介をしている場合でも、親子再会の感慨に浸っている場合でもない。
「今、それどころじゃないから」
カサンドラの体は中間種だが、人に近いのだ。
聖魔の精神干渉を受ける恐れがあった。
そのため、視線をそらし、ザイードの体を自分の背に庇う。
「中にいるのが誰であれ、私は気にしないよ、愛しい子」
言葉に、体がこわばった。
相手は、カサンドラが「カサンドラ」ではないことを知っている。
「聖魔はね、入れ物ではなく中身の色で対象を見分けている。産まれた時の子と、きみは色が違うから、すぐにわかったさ。戻って来たのは、同じ者ではないと」
ふっと、軽く息をついた。
そこまで知っているのなら、怯える必要はない。
逆に、開き直る。
「あなたがカサンドラの父親だっていうのはわかったよ。でも、私には関係ないことだよね? それと、今、それどころじゃないって言ったでしょ」
親子の対面を果たせて相手は嬉しいのだろうが、彼女には無関係だ。
そして、今は、本当にそれどころではない。
ザイードを助けることのほうが重要だった。
のんびり話なんてしている暇はないのだ。
「私は、きみに関心があるのだけれどねぇ」
「私にはない。邪魔しないでくれる?」
「邪魔などしないさ。むしろ、その魔物を助けてもいいと思っているよ」
カサンドラの父とはいえ、聖魔は聖魔だ、と思う。
信じられる相手とは、とても言えない。
けれど、ザイードは深い傷を負っている。
ファニのミネリネでも癒すのは厳しい、と、さっき言われてもいた。
その言葉すら疑わしいが、一刻を争うのは確かなのだ。
「先に助けてくれたら、信じる」
「私と取引をすると約束するかい?」
「取引?」
「簡単な取引だよ。私が、その魔物を助けたら、きみは私と聖魔の国に来る。どうかな? 簡単だろう?」
「本当に、ちゃんと治せるんだよね? 死なない程度じゃ取引には応じられない」
猶予はなくても、取引に飛びついたりしないようにする。
内心、ザイードの命を繋げるのなら、なんでもいいと感じてはいた。
とはいえ、騙されて聖魔の国に連れて行かれたあげく、ザイードも救えなければ意味がない。
「その魔物を、ほとんど元に戻してあげよう」
「ほとんどって、なに? 戻らないところもあるってこと?」
「魔力を戻すことはできないね。私が分け与えたくても、魔物の体が、それを拒絶するのだよ。それ以外は、すべて元通り」
喉が、こくんと上下した。
肩越しに、ザイードを、ちらっと見る。
「……ザイードは、もう魔力を使えないの?」
「いいや、持って生まれた力は、そう簡単になくなりはしないさ。しばらくは安静というのかな、じっとして、魔物の国の食事をしていれば回復するよ」
こうしているうちにも、ザイードの体からは血が流れ続けていた。
あれこれ悩んでいる余裕はない。
どうせ選べる道もないのだ。
キャスは視線を男性に戻し、立ち上がる。
自分にできることは、目の前の相手と「取引」することだけだ。
ザイードを癒す力なんて持ってはいないし、代替案もない。
差し出せるのは、自分の身ひとつ。
「わかった。あなたと取引する」
「いい選択をしてくれて嬉しいね」
瞬間、ぱぁっと光が放たれる。
光は見えているのに、周囲が照らされている感じはしなかった。
自然な光ではなく、魔力で発しているものだからかもしれない。
すぐに光がおさまる。
「さあ、行こうか」
「そ、それだけ……?」
「取引は、公正でなければ意味などないさ」
ザイードの容態を確認しようと、体を返した。
そのキャスの肩が掴まれる。
あ、と思う間もない。
足が地面から離れていた。
「……キャス……?」
宙に浮きながらも、ザイードが体を起こすのが見える。
服も元に戻っているようだ。
だが、すでにその姿は小さく、傷が治っているのかまでは目視できない。
それでも、体を起こせたくらいなのだから、きっと大丈夫だ。
心底、安心する。
「少し速度を上げるから、目を閉じておいで」
やわらかく穏やかな声は高過ぎず低過ぎず、耳に心地いい。
目を閉じかけた自分に、キャスは警戒した。
精神に干渉を受けているのかどうか、自分ではわからないからだ。
自分の意思で目を閉じようとしていたのか、操られているのか。
(わからないなら、こいつの言うことに従わないようにするしかないな……)
ザイードよりも、ダイスよりも、速いのは間違いない。
必死で目を開いてはいたが、痛くてたまらなかった。
元の世界で、嫌々ながらに参加した修学旅行を思い出す。
例年、夏の行事とされていたのに、その年は年末近くの冬場に日程変更。
しかも、冬山だ。
(スキーだって、みんな、喜んでたっけ……でも、天候が悪くて吹雪いてて……)
ゴーグルなしでは、目を開けてはいられなかった。
風で目が乾くような、なのに、ぱしぱしと眼球直撃の細かな雪が痛くて。
「きみは我慢強い子だねえ。もう着くよ」
その言葉通り、全身に受けていた風圧がなくなり、体が軽くなる。
改めて、目を、しぱしぱさせた。
痛みは消え、周囲が鮮明に見える。
大きな湖が広がっていた。
湖面は、まるで鏡のように銀色だ。
広くて、果てしがないように見える。
周りは静かで、誰もいない。
国、というには、あまりにも寂しい光景だった。
そこに、2つのイスが浮いていた。
向かい合わせになっている。
皇宮にあるような豪奢さはなく、とてもシンプルなイスだ。
黒い座面と、縦長の背もたれがあるが、装飾は施されていない。
「座って話そうか」
相手が座るのを見て、キャスもイスに腰掛ける。
拒否する理由も、意味もなかったからだ。
湖面に浮いているイスなのに、座っても沈む気配はなかった。
だが、地に足がついている感じもしない。
「私の魂がカサンドラじゃないことはわかってるんだよね?」
「それは、まったく重要ではないな」
「どうして? カサンドラは、あなたの娘なんでしょ?」
「私たちは、魂だの肉体だのには、さしたるこだわりがなくてねえ。魂が違っていようが、その体には、フェリシアの血が流れている。きみは、その体がカサンドラではないと言えるかい?」
ぐっと、言葉に詰まる。
体だけの話なら、この体は、確かに「カサンドラ」だ。
そのせいで、色々と、ややこしいことになってしまった。
なのに、来たくて来たのではない、とは言い返せずにいる。
この世界に来なければ、フィッツとは出会えなかったのだ。
たったひとつ、その点において、彼女は、この世界を否定できなくなっている。
気持ちとしては、カサンドラではいたくない。
それでも、カサンドラの体を必要としている。
この体がなければ、この世界に存在していられないからだ。
「私に関心があるって言ってたけど、なにがしたいわけ?」
「少しお喋りをしたいのだよ、私の愛しい子」
「私はあなたを父親だと思ってないし、思えない。話したいことや訊きたいがあるんなら、お好きにどうぞ。こんなところじゃ、することもなさそうだしさ」
つっけんどんに言ってみても、相手は表情を変えない。
この世界に来て、無表情を保つ相手は見慣れていた。
魔物であるザイードも、どちらかと言えば無表情に近かった。
けれど、カサンドラの父は、無表情ではない。
口元に緩い笑みを浮かべている。
それも、ロキティスの笑みとは異なり、嫌味がなかった。
「それなら、まず自己紹介をしようか。私の話を聞くうちに、きみも私に訊きたいことができると思うし、名無しでは話しにくいだろうからね」
紫紅の瞳に見つめられ、居心地が悪くなる。
親切な人に、八つ当たりでもしているような気分だ。
その「親切」が取引の結果だったとしても、自分が、ひと際、嫌な人間になったように感じる。
(魔力が見えないって、この世界じゃ不便なんだな。これじゃ、なにかされててもわからないもんね。なにもされてなくたって、疑心暗鬼になるし)
人の心の脆弱さに聖魔は入り込むのだと、実感した。
操られていても、いなくても、自分が信じられなくなる。
「私は、ラフロ。聖者と言われている。この世界に生じて、3百年ほどになるかな。あまりに長生きするものだから、あれこれと関心を持ってしまうのだろうねえ」
そう言って、ラフロは楽しげに小さく笑った。
ふんわりとした笑顔に引き込まれそうになるのを、ぐっと堪える。
確かに、人間とも魔物とも、まったく違う「種」だと、キャスは思った。
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