いつかの空を見る日まで

たつみ

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第2章 彼女の話は通じない

混沌の過去 1

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 ダンッという音が、室内に響き渡る。
 
 全身から怒りを発している「皇帝」の姿を、ゼノクルは無機質な目で見ていた。
 もっともらしく沈痛な面持ちではいるが、皇帝の心情に興味などない。
 所詮、皇帝への忠誠心はまがい物でしかないのだ。
 ゼノクル、もとい魔人クヴァットにとっては、どうでもいいに決まっている。
 
 とはいえ、面白いことになってきた、と思ってはいた。
 1番の特等席で、あの光景を見ることができたのだ。
 魔物が壁をぶち抜いたのは、心躍る「見世物」だったが、それだけではない。
 
(ありゃあ、魔物の中の魔物だな。俺も長生きしてるが、あんなものは見たことがねえ。あんな奴がいるって話も聞いたことなかったしな)
 
 カサンドラが「ガリダのおさ」とやらと、人の国に向かったのは聞いていた。
 その際、とんでもない奴だと思ってはいたのだが、まさか、あれほど「とんでもない」とは想像もしていなかったのだ。
 そういう「予想外」が、ゼノクルは楽しくてたまらない。
 
(手間ぁかけた甲斐があったぜ。こっから、俺は、しばらく見物するとすっか)
 
 ゼノクルは、カサンドラを魔物の国から引っ張り出したかった。
 そのために、ロキティスをおどすようにして、シャノンを手に入れている。
 シャノンは上手くやった。
 そこでの誤算は、カサンドラが魔物を同行させたことだ。
 
 だから、あえて「皇帝」を巻き込むことにした。
 魔物は「同胞」を見捨てない。
 皇帝から攻撃されれば、自らの命を懸けてでもカサンドラを逃がそうとする。
 
(って、それは間違っちゃいなかったけどよ)
 
 壁をぶち破ることまでは予想していなかった。
 できるとも思っていなかったし。
 
「あと少し……あと少しだったのだ……っ……!」
 
 目の前で惚れた女をさらわれて、皇帝は怒り心頭といった様子だ。
 だが、ゼノクルに言わせれば、あの魔物は「同胞」を守ったに過ぎない。
 
 むしろ、カサンドラは「皇帝」こそを、敵と見なしていた気がする。
 なにしろ、彼女が庇っていたのは魔物のほうだ。
 皇帝に助けを求めているようには見えなかった。
 
(頭が悪いわけじゃねぇが感情に支配され過ぎなんだよ。ま、母親似ってとこか。あの女もそそのかされ易いタチだったしな)
 
 ティトーヴァの母ネルウィスタに、真偽を混ぜつつ「いらない話」を吹き込んだのは、ゼノクルだ。
 事実もあったし、嘘もあった。
 が、ネルウィスタは、すべてを信じ、感情に支配されたのだ。
 
(こんな調子だから、ロッシーに、いいようにされちまうんだぜ?)
 
 皇帝の特別室に、また4人が集まっている。
 指揮を取っていたゼノクルはもとより、ロキティスも呼び出されていた。
 
 セウテルは相変わらずだ。
 時折、気づかわしげな視線をゼノクルに投げてくる。
 無視していたけれど。
 
(あいつ、意外と俺のこと好きなんだよな。なんでかねえ?)
 
 カサンドラを救出できなかったことで、指揮を取っていたゼノクルが責任を負わされるのではないかと、心配でもしているのだろう。
 ならば、とゼノクルは口を開いた。
 
「申し訳ございません、陛下。私の失態にございます」
 
 イスに座ったままではあるが、深々と頭を下げる。
 自分から責任を認めたのだ。
 処罰されても、文句は言えない。
 
(皇帝に、俺の首をねろって言われたら、あいつ、どうすっかな)
 
 セウテルは皇帝直属の親衛隊隊長だ。
 私情に左右されることがあってはならない。
 忠誠心か、兄への愛情か。
 果たして、セウテルは、どちらを選ぶだろう。
 
 ゼノクルは、20年以上、セウテルの「兄」をやっていた。
 が、これといってセウテルに面白味を感じたことは、1度もない。
 もとより、魔人に兄弟など肉親の感覚はなかった。
 
 人や魔物とは違い、基本的には「交わり」から産まれる存在ではないからだ。
 
 純血種の聖魔は、聖魔の国で「勝手に」生じる。
 ある個体が消えるなり、死ぬなりすると、別の個体が現れるだけだった。
 その際、記憶の繋がりもなければ、能力や資質が引き継がれることもない。
 完全に別の「個体」なのだ。
 
 だから、親子だの兄弟姉妹だのというものが、なんなのかも知らずにいる。
 人の国で20年過ごしているゼノクルでさえ、はっきりとは認識していない。
 結果、セウテルに面白味を感じるとするなら「葛藤」くらいのものなのだ。
 
「いや……お前の情報のおかげで、カサンドラが生きていると明確になった。取り逃したのは、こちらの態勢が万全ではなかったせいだ」
 
 ぴくっと、ロキティスの肩が震える。
 屈辱感に耐えているに違いない。
 皇帝の言葉には、明らかな揶揄が混じっていた。
 ロキティスが「壁越え」の装備を完成させていれば追撃できたはずだと、言外に責めている。
 
(ロッシーは1年待ってくれって言ってたんだろ? 4ヶ月ちょいで完成させろってのは、ちょっと酷じゃねぇか?)
 
 もちろんロキティスを庇う気はない。
 とはいえ、これからの「娯楽」のため、もう少しロキティスには頑張ってもらわなければならないのだ。
 庇う気はないが、さりげなく擁護はしておく。
 
「陛下。こうなった以上、ロキティスの開発を待つべきです。それこそ万全を期さなければ、あの魔物に対抗することはできません」
 
 ロキティスの視線を感じたが、それも無視した。
 ゼノクルは、ロキティスのためだけに動くような性格ではない。
 と、ロキティスは判断しているだろうし、そう判断するように、ゼノクルが思い込ませてきた。
 
「……確かにな。いずれにせよ、壁が越えられなければ追うこともできんのだ」
 
 皇帝が、ロキティスに冷たい視線を向ける。
 ロキティスに対する信頼度が、がくんと落ちているのは間違いない。
 ロキティス本人も、それは感じているはずだ。
 
「ロキティス、あと半年やる。それまでに、壁を越えられるようにしろ。できないというのなら、ほかの者にやらせるまでだ」
「いいえ、陛下! 必ずや、僕が完成させます! 目途は立って……」
「半年だ、ロキティス」
 
 どうやって完成させる気かは知らないが、そこにゼノクルの興味はない。
 自分のことを皇帝が簡単に許してしまったので、面白くなかった。
 セウテルの「葛藤」が、どちらに傾くのか確認できなかったからだ。
 
「ゼノクル、お前は、このままセウテルと近衛隊の指揮権を共有しておけ。なにかあれば、すぐに動けるようにな」
「かしこまりました、陛下」
 
 カサンドラを見つけた功績が大き過ぎたらしい。
 望んでもいないのに、皇帝からの信用を得てしまった。
 
 ちらりと視線をセウテルに向ける。
 ホッとしているのと同時に、なにやら誇らしげにゼノクルを見つめていた。
 嬉しそうでもあって、なんだか気持ちが悪い。
 
 こういうところが、聖魔には理解できないのだ。
 生きる上での「摂理」が、決定的に異なっている。
 
 ゼノクルは、セウテルがどうなろうが、どうでもいい。
 楽しみである「娯楽」の最中さいちゅうに、セウテルが死ぬことになっても、だ。
 その死がつまらないものなのか、そうでないか、くらいにしか考えない。
 できれば、自分の「娯楽」を面白くする死であってほしいと思う程度だった。
 
「それでは、私はリュドサイオに戻り、捜索に係る準備に入ります。新たな武器も調達する必要がありますので」
「帝都の開発部より、そちらにも提供するよう指示しておこう」
「感謝いたします。効果的な捕縛、もしくは殺傷方法を考えておきます」
 
 一礼して、席を立つ。
 扉の前にいたセウテルに軽くうなずいてから、ぽんっと肩を叩いた。
 いかにも「兄らしい」仕草だ。
 セウテルは黙っていたが、ゼノクルにうなずき返し、扉を開く。
 
 室内を出てから、ゼノクルは口元を片手で押さえ、廊下を歩いた。
 周りから見れば、考え事をしているように見えるはずだ。
 けれど、本当は、口元が緩んでいるので、隠しているに過ぎない。
 胸に、大きな喜びが広がっている。
 
(そんなに嬉しいのかよ、ラフロ。やっと会えたみてぇだな)
 
 魔人の王クヴァットと、聖者の王ラフロ。
 
 彼らは、感情を共有していた。
 ラフロの喜びは、クヴァットの喜びでもある。
 もちろんクヴァットが楽しい時は、ラフロも楽しいと感じているのだ。
 そのため、駄々をこねても、ラフロは嫌な顔もせず、頼みをきいてくれる。
 
(あの魔物がどうなったのかは知らねぇが、あの女にラフロが近づける状態だったのは間違いねぇな)
 
 とんでもない魔物ではあったが、あれだけの攻撃を受けては、さすがに無事ではいられなかったのだろう。
 身動きが取れずにいるのか、死んでいるのか。
 どちらにしても、ラフロが「カサンドラ」と会う障害には成り得なかったのだ。
 
 魔物に、聖魔の力は通じない。
 害があると判断されれば、攻撃される。
 そうなったら、お手上げだ。
 殺される前に、逃げるしかない。
 
 けれど、ゼノクルが感じている喜びは、ラフロのものだった。
 それは、無事「カサンドラ」と会えたことを意味している。
 
(ラフロのことだ。この先は、うまくやるだろうよ)
 
 思った時、ふっと思い出した。
 あの魔物は死んでいないかもしれない。
 だとすれば、遅かれ早かれ、魔物の国に帰って。
 
(シャノン、俺だ。今すぐ逃げろ。逃げて、すぐに帰って来い)
 
 鍵を使い、すぐに連絡を取った。
 人の国とシャノンが連絡を取ったことは、おそらくバレている。
 誤魔化せはしないだろうから、厳しく問い詰められるに違いない。
 場合によっては殺される。
 
(す、すぐ……か、帰ります……ご主人様……)
 
 ぽそぽそっとしたシャノンの声に、少しだけ気分が滅入った。
 ゼノクルは、シャノンという新しい「玩具」を、格別に気に入っているのだ。
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