いつかの空を見る日まで

たつみ

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第2章 彼女の話は通じない

目まぐるしさに身を任せ 2

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 あれから半月。
 
 準備に思いのほか時間がかかったが、いよいよ出発の日が来た。
 緊張と不安に、胃が、しくしくする。
 落ち着かなくて、繰り返し、準備したものを確認したりしていた。
 
 服は、服作りをしているヨルサムをノノマが手伝って、なんとか「それらしい」感じのものを作ってくれた。
 キャスは、シンプルな柄のないワンピースを身に着けている。
 
 半月での急ごしらえにしては、よくできていると言えた。
 とはいえ、どうしてもデザインや素材に限界があったため、目立たないよう動くに越したことはない。
 
 そして、準備を始めてから、ほかにも問題があったことに気づいたのだ。
 ザイードより、自分のほうが「大変」ではないか、と。
 
 紫紺の髪と紫紅の瞳。
 
 魔力を隠す装置をつけていた頃は気にせずにいたし、そのあとも色を変える薬があったので、気にめていなかった。
 が、魔物の国に、そんな薬はない。
 人の国に入れば、薬を売ってはいる。
 が、薬を買うための金もなければ、今の外見では、そもそも店にも入れない。
 
 それを解決してくれたのは、ナニャとミネリネだ。
 
 イホラのナニャは、髪の色を変える手助けをしてくれた。
 植物を粉にしたものに湯を混ぜ、それを髪につけると色が変わる。
 カサンドラの髪色だった茶色だと見つかる可能性があったし、ジュポナに行くと決めていたので、薄赤い色で調整してもらった。
 
(自宅でできるヘアカラーって感じだったなぁ。何日くらい保つかは、わからないけど、そんなに短期間ではないよね)
 
 薬では、3日しか保たない。
 比べると、こちらのほうが長持ちはしそうだ。
 それに、今回は「偵察」なので、長くいるつもりはなかった。
 髪の色が戻る前には帰っている、と思いたい。
 
 瞳は、ミネリネが魔力で調整してくれている。
 自分ではどうなっているのかわからないが、光の波長を変えているのだとか。
 それによって、相手から見たキャスの瞳は青色に見えるらしい。
 これは、ミネリネが光の波長を戻すまで続くと聞いている。
 
(ザイードの言う通りだよ……1人で飛び出して行っても、どうにもできなかったよね……あの姿じゃ目立ちまくりだっただろうしさ……)
 
 人の国に入れはするが、目立ったあげく、すぐに捕まっていたはずだ。
 カサンドラだとはバレなかったとしても、ティトーヴァやロキティスの前に連れ出されたのでは意味がない。
 
 それに、おそらくティトーヴァは気づく。
 色は変えられても、顔立ちや体つきは変えられないからだ。
 
「キャス」
 
 ザイードの声に振り向いた。
 見慣れない姿に、言葉をなくす。
 
 ちゃんとした姿が見せられるようになるまではと、ザイードは今の今まで人型の姿をキャスに見せずにいた。
 そして、キャスも準備に忙しく、お互い自分のことに専念していたのだ。
 
「これで良いと思うが、どうだ?」
 
 灰色の長袖シャツに、すとんとした黒色のズボン、茶色い靴も履いている。
 キャスも似た靴で、革靴のようなものではなく、足をスポッと入れるタイプ。
 ザイードは、いつも爪のある足先を出していたが、今は靴の中におさまっていて足先は見えない。
 
「ほれ、この通り」
 
 くるっと体を回したのは「尻尾」も隠せていると、確認させたかったのだろう。
 確かに、ほかのガリダの変化へんげした人型とは違い、尾はなかった。
 シュザもノノマも、ほかのガリダだって、尾は隠せていないのだ。
 
 かなり修練を積んだのか、もとより素質があったのか。
 ともかく、ザイードの「変化」は完璧だと言わざるを得ない。
 
 黒に近い濃い灰色の髪に、焦げ茶色をした切れ長の目。
 帝国人たちとは違い、どことなく日本人風な雰囲気がある。
 
「髪と目は、やっぱりナニャとミネリネに?」
「茶が目立たぬという話であったゆえ、そのように頼んだのだがな」
 
 ザイードが、少し困ったような顔をする。
 この2つは、ザイードの思った結果にならなかったらしい。
 キャスとしては、申し分ないと思っているのだが、それはともかく。
 
「余の髪色が濃過ぎて、どうしても茶にはできぬのだそうだ」
「その色でも大丈夫ですよ。グレー……灰色の髪の人はいますから」
「なれば、良い」
「目は、もっと大勢いる色ですけど、なにか問題でも?」
「ちと周りが暗く見えるのだ。瞳孔が細うならぬよう、光の加減を調節しておる」
「夜みたいにってことですか? 見えないってことは?」
「それほど深刻ではないゆえ、心配はいらぬ。まだ慣れておらぬだけだ」
 
 この先、急いで逃げなければならない状況になる可能性もある。
 いざとなったら、自分が手を引いて走ろう、と思った。
 ほんの少し、肩の力が抜ける。
 自分も手を貸すことができるかもしれない、と思えたのだ。
 
 足手まといにはなりたくない。
 できれば、貸し借り無しにできるほうがいい。
 
「なぁ、そろそろ行こうぜ」
 
 ダイスが、ひょこっと顔を出した。
 変化はせずにいる。
 これから、壁の近くまでダイスが「送って」くれるのだ。
 
 ジュポナは、ラーザより北西に位置していた。
 そのため、ラーザからガリダまでより、少し長めの距離となる。
 魔物の国自体が、ラーザより北東にあるからだ。
 壁までは5,6百キロあるが、ダイスなら5時間前後でつけるだろう。
 
(時速120キロ……高速道路でも、あんまり許可されてない速度だよね……)
 
 オープンカーでも、ドアや座席といった「型」がある。
 シートベルトだってあるし、掴まる場所だってある。
 だが、ダイスにシートベルトは装備されていない。
 掴まるというより、ダイスにしがみつくしかないのだ。
 
「あまり速う走るでないぞ。キャスを振り落とさぬようにな」
「わかってるって。今日は、ゆっくり走ってやるよ」
 
 どうにも信憑性に欠ける。
 ダイスに乗せられ、へろへろになっていたザイードの姿を覚えていた。
 自分たちの「ゆっくり」とは感覚が違うのではなかろうか。
 
「夜に着きたいので、あんまり速いと、逆に困るんです」
 
 元々、出発時間自体、遅めにしている。
 キャスの時間感覚からすると、だいたい午後2時。
 すでに冬に入っているので、午後7時を過ぎれば暗くなるのだ。
 それでも、もう少し遅くてもいいかなと思っていた。
 
「いいから、心配せずに乗れって」
「速う走り過ぎるようなら、毛をむしる。良いな」
「本当にガリダは心配性だぜ」
「お前の言うことがアテにならぬゆえ、心配しておるのだ」
 
 言いながら、ザイードがキャスの腰を掴む。
 あっと思う間もなく、ダイスの背に、ひょいと乗せられた。
 すぐに後ろにザイードが乗って来る。
 キャスを抱え込むような形で、ザイードはダイスの毛を掴んだ。
 
「そなたも、しっかりダイスに掴まっておれよ?」
「は、はい……っ……」
 
 ぎゅっとダイスにしがみつく。
 これから、時速120キロに近い速度で駈け出すのだと思うと、さすがに恐怖を感じた。
 ひとまず、今は死ぬわけにはいかない。
 たとえ「不可抗力」でも。
 
「いいねえ。なんか楽しくなってきた」
「よさぬか! お前が浮わつくと、ろくなことがない」
「んじゃ、出立!」
 
 ザイードの苦言を無視して、ダイスが走り出す。
 ぶわっと風を体に受けた。
 上半身を倒し、しっかりとしがみついているのに、後ろへとのけぞりそうだ。
 後ろにザイードがいなければ、吹き飛ばされていたに違いない。
 
(息が苦し……っ……台風のレポーターって……こんな感じ、かも……っ……)
 
 元の世界にいた頃、画面越しに見ていた映像を思い出す。
 ダイスの走る速度から考えれば、風速30メートル以上の風を受けるのだ。
 並みの台風以上の威力がある。
 木が倒れるレベルだ。
 
「ダイス! これ! ダイス!」
「いててっ! なにすんだよ、ザイード!」
「速う走るなと言うたであろうが!」
「はあ? そんなに速く走ってねぇだろ!」
「キャスが苦しがっておる!」
「え……あぁ~……そうか、悪い……」
 
 少し風が緩くなった。
 ようやく息がつける。
 
「こんくらいなら平気か、キャス?」
「はい、大丈夫です」
「そっかぁ、こんくらいかぁ」
 
 ダイスが残念そうな声を出した。
 ダイスからすると、かなり「遅い」のだろう。
 
(さっきまでが、ダダダダッて感じなら、今は、すたっすたって感じだもんね)
 
 だが、あの調子で走られると、体がもたない。
 ダイスには悪いが「すたっすたっ」と走ってもらうことにする。
 
 おかげで、周りの景色も見えるようになった。
 ラーザから壁を越えた際に見えたのとは違い、薄茶色の草に覆われている。
 冬場でなければ、緑が広がっていたかもしれない。
 
(この辺りに魔獣はいないんだっけ……最初の人の襲来も、アトゥリノ方面からだったって言ってたよね……なんで人は魔獣をけたんだろう……)
 
 魔物は平気で襲ったのに、魔獣を避けた理由がわからなかった。
 もしかすると、フィッツなら知っていたかもしれない。
 フィッツは、なんでもよく知っていたので。
 
(もっと……いろいろ、この世界のこと、訊いとけば、良かったな……)
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