いつかの空を見る日まで

たつみ

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第2章 彼女の話は通じない

景色が見えない日々ばかり 4

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「あ~ああ~」
 
 キャスを残し、家から出たところに、弟のラシッドが立っている。
 ザイードを見た途端、今の言いざま。
 細っこい腕を組み、ザイードを横目で見ていた。
 黒い瞳は同じだが、瞳孔は、ガリダ族でも少数派の銀色。
 
 ラシッドとは、父親が違うからだろう。
 ザイードの父はガリダ族だったが、ラシッドの父は別の魔物だった。
 
 人から「狼」だの「鼠」だの「鷲」だのと呼ばれていたらしい種族だ。
 魔物の国では、動物を起源とする魔物の一族を、ルーポという。
 ラシッドの父は、ルーポ族なのだ。
 
 種族間での交わりは、とくにめずらしくもない。
 求愛された側に完全に裁量が委ねられており、種族の違いは枷にはならないのだ。
 実際、ザイードの母はガリダだが、2番目の夫としてルーポを迎え入れている。
 だからといって、ルーポ族の夫が差別されるようなこともない。
 
「兄上がキャスを泣かしておる」
「余が泣かせたのではない」
「あーんな厳しい言いかたせずともよいものを」
 
 む、と、ザイードは、口を歪ませる。
 尾が、わずかに垂れ下がった。
 厳しくしたつもりはなかったが、客観的には厳しいと判断されるものだったのかもしれない。
 
 こほん。
 
 咳払いをしてから、ラシッドに向き直る。
 弟はまだ若く、ザイードの真意には気づかずにいるはずだ。
 だが、それを、あえて説明しようとは思わずにいる。
 
(あれくらい言わねば、キャスの生きる意思は戻らぬままであったろう)
 
 思ってもいないことを言ったわけではなかったが、きっぱりと言い切らなければキャスを引き戻せないと感じていた。
 どちらかといえば、キャスは「死にたがって」いたので。
 
「なぜ、さようなことを知っておる。盗み聞きをしておったのか?」
「ノノマが出かけて行ったゆえ、なにかあったかと思うて来たら、たまたま話声が聞こえてきたに過ぎぬ」
「お前という奴は……口から先に産まれたのであろうな」
「ガリダ族は、たいてい口から産まれるものなれば」
 
 やれやれ、といった気分になる。
 だが、こ憎たらしいところはあっても、歳の離れた弟が、ザイードは可愛い。
 屁理屈をこねられても、ついつい許してしまう。
 笑いながら、ラシッドの肩に腕を回した。
 
「これから、ヨルサムのところにゆくのだが、お前も来るか?」
「まいる。キャスの着替えを早う作るよう言うてやらねば」
「さようなことまで知っておるのか、お前」
「この地で起きておることで、私の知らぬことがあるとお思いで?」
 
 本当に、やれやれだ。
 ラシッドは好奇心旺盛。
 なんにでも首を突っ込みたがる。
 けして、ガリダ族の統制のために情報を集めているのではない。
 
 そのせいで、たびたび厄介事を引き起こしていた。
 尻拭いをしているのは、いつもザイードだ。
 とはいえ、ラシッドは理由もなく「厄介事」を引き起こしたりはしない。
 知っているので、尻拭いも後始末も苦に感じたことはなかった。
 
 それに、そういう弟が、やっぱり可愛いので。
 
 叱ることはあれど、甘口なのは間違いない。
 弟が産まれた時の喜びも忘れてはいなかった。
 小さくて、爪もふにゃふにゃで、ちゃんと育つのかと心配したものだ。
 その心配をよそに、ラシッドは、すくすくと育っている。
 
「兄上、キャスは、いくつくらいだ?」
「話しぶりはしっかりしておるのでな。お前より年上であろうよ」
「兄上と近いのか?」
「どうであろう。余のほうが年上とは思うが、見た目で歳はわからぬゆえ」
 
 そもそも人と魔物では寿命に開きが有り過ぎた。
 魔物は3百年近く生きるものが多い。
 ザイードでさえ、その命の、まだ半分も生きていないのだ。
 対して、人は百年も生きられないと聞く。
 
 どういうふうに産まれ育つのかも、知らなかった。
 ザイードが産まれた頃には「壁」があり、人の国とは完全に断絶状態。
 老体からも、人の詳しい生態については語られていない。
 
 一方的に攻め入られていただけだったからだろう。
 語れるほどの情報がないのだ。
 
 代々、引き継がれているのは、魔物にとって人は脅威にしかならない存在だということだけだった。
 近づいたり、興味を持ったりする対象ではない。
 なので、知らないことばかりでも誰も気にせずにいる。
 
「兄上はキャスとつがうのだろ?」
「なぜ、そうなる」
「キャスは、もうガリダの民。あんな綺麗な女は見たことがない。歳も近くば、兄上と番うのに最適と思うて」
「ラシッド。余は、さようなつもりで、キャスの世話をしておるのではない。見も知らぬ地で不安もあろう。つまらぬ話をして、おどかすようなことをしてはならぬぞ、よいな?」
 
 キャスは心に大きな傷を負っているのだ。
 大切な者を喪って生きる気力もなくしている。
 
 キャスが自らの命を無造作に扱おうとすることに胸が痛んだ。
 涙する姿に、心を痛めてもいる。
 今は、なにより元気になってほしかった。
 
「お似合いだと思うたに。だが、兄上が、そう言うなら、言わぬようにする」
「そういたせ」
「ところで、なにゆえ兄上は変化へんげせぬ?」
「変化? なぜ、さようなことをせねばならぬのだ」
「キャスは兄上を怖がっておらぬのか?」
「いや……さようなことはないと思うが……」
 
 キャスは魔力を持っているので、人とは言えない。
 が、見た目には、人だ。
 さっきの話からすると、人の国で暮らして来たとの想像はつく。
 おそらく魔物を見るのは初めてだったはずだ。
 
「兄上も変化を学ぶべきだ」
「余は、この姿に、なにも不服はない」
「不服の有る無しは、この際どうでも良い。キャスを脅かすなと言うたのは、兄上であろう?」
「む……それはそうだが、しかし……」
 
 魔物は、変化を学ぶことで、中間種の形態をとれる。
 それは、比較的、人に似た姿だった。
 もちろん人の真似をしたくて、変化を学ぶのではない。
 他の種族との関係上、学ぶのだ。
 
「変化ができぬと、ほかの種族と交わることもできなかろ。さようなことだから、女に相手にされぬのだ」
 
 ということなのである。
 ガリダ以外にも、魔物は4種族が存在していた。
 ほかの種族と交わる場合、互いが干渉し合わないよう、中間種に変化する必要があるのだ。
 
「まだ3桁にもならぬ歳の小僧に言われとうない」
「もう3桁を越えておるのに、女を知らぬ兄上が不憫で」
「余は番う相手とのみ交わると決めておる」
「肝心の相手がおらぬではないか」
「いずれ見つけるゆえ、余計な世話を焼かずともよい」
「兄上、そういう堅物なところも女に好まれぬ理由ぞ」
 
 自分でも、わかっていないわけではない。
 ザイードは、ガリダ族としては「美形」だとされている。
 が、ちっとも女が寄り付かないのだ。
 むしろ、けられている。
 
 変化もできないので、ほかの種族の女も、ザイードには見向きもしない。
 ザイードはおさではあるが、男としては扱われていないらしかった。
 色恋じみたことなど、この146年、1度もないほどだ。
 そういう面では、弟のほうが、よほど進んでいる。
 
「ラシッド」
 
 弟が、たびたび女と夜を過ごしていると知っていた。
 ガリダでは、80歳を越えれば、立派な大人なのだ。
 ラシッドは、今年で87になる。
 
「子ができたら、余に報告いたせ」
 
 弟の子なら、さぞ可愛いだろうと、思った。
 子ができるのは喜ばしいことなのだ。
 一般的に魔物は相手にも種族にもこだわりがない。
 子も含め、養っていけるかどうかにかかっている。
 
 家長となるのは、男でも女でもかまわない。
 ザイードの母は、ガリダの長の娘であったが、それ以上に腕のいい狩人だった。
 そのため、複数の夫を持てたのだ。
 
「私は、まだ子を持てるほど稼いでおらぬので、注意しておる」
 
 あっけらかんと言う弟に、ザイードは呆れる。
 それは言い訳で、まだ「遊びたい」だけなのだろう。
 
 家長になれば、否応なく稼ぎが必要となるため、働かざるを得ない。
 ラシッドも働いていないわけではないが、それなりだ。
 家族を養うために働くのとは違い、必死さが足りていなかった。
 
「歳が3桁に乗る頃には、もう少し、しっかりいたせよ?」
「歳が3桁になっておるのに、番うてもおらぬ兄上に言われとうない」
 
 ちょっとだけ、胸にグサッと来る。
 ザイードとて、好きで独り身を通しているのではない。
 単に、女が寄って来ないだけだった。
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