いつかの空を見る日まで

たつみ

文字の大きさ
上 下
102 / 300
第2章 彼女の話は通じない

景色が見えない日々ばかり 2

しおりを挟む
 ザイードは長い尾を地面すれすれのところで、くるんと上に巻いて歩いている。
 濃い青色をした袖の広い上着に、折り返しの襟はない。
 裁ち切りで、左右重ねの襟布の内側と外側には、模様入りの鉄板が取りつけられていた。
 
 裾は脛のあたりまでと長かったが、後ろには腰から下に三角を描いた切り込みが入っている。
 尾の邪魔をしない仕様だ。
 腰は軽く赤い手拭い幅の布で、ぎゅっと縛っている。
 余った部分が、歩くたびに揺れていた。
 
 黒い履物からは、ザイードの深緑をした足先が、にょきっと出ている。
 
 台部と甲の部分は、同じ素材で作られていた。
 原材料は、ガリダの湿地帯に生息している短木の樹液だ。
 弾力性があるため、足を乗せる台部にも半円をした甲を覆う部分にも、ぴたりとくっつく。
 軽くて動きやすいし、なにより足の爪で破くといったことがない。
 
 カリダ族のおさ、ザイード。
 
 上背があるのに体つきは、すらりとしている。
 深緑の細かな鱗に全身を覆われていた。
 
 耳の穴を隠す髪は、鱗よりも、さらに濃くて深い緑。
 少し長くて邪魔なので、赤い髪結い紐で括っている。
 その髪も、ザイードが歩くたび、背中で揺れていた。
 
 黒くて丸い瞳に、金色の縦筋。
 
 環境や感情の変化によって、金色の瞳孔は大きさを変える。
 今は、やや細められていた。
 外を歩いているからではない。
 考え事をしているからだ。
 
「ザイード様」
 
 声をかけられ、足を止める。
 薬師くすしのシュザだった。
 ザイードより小柄だが、一般的なカリダの男は、だいたいシュザと同程度。
 ザイードの体格が良過ぎるのだ。
 
 カリダは、ザイード以外、ほとんど似た風貌をしている。
 薄い緑の髪と鱗に、茶色い瞳と黄色い瞳孔。
 色が濃くなるほど、力が強い証とされていた。
 ただし、金色の瞳孔は、ザイードしかいない。
 
「キャス様は、まだ起きられぬのですか?」
「まだ無理であろうな」
 
 キャスという名の、人に似た、だが人だと判断するのも難しい女。
 
 魔獣に襲われているところを見つけ、拾ってきた。
 目が覚めるまでに、丸3日。
 目が覚めてから、7日が経つ。
 
「やはり人の薬は効かぬのでしょうか?」
 
 気を落としているシュザの肩を軽く叩いた。
 キャスが起き上がれないのは怪我のせいではないのだ。
 精神的なものだと、ザイードにはわかっている。
 
「怪我は良うなってきておる。お前の薬が効いておるのだ」
「さようですか。では、気が戻らぬということになりますか」
 
 ザイードは、溜め息をつきながら、うなずいた。
 声もなく涙をこぼすキャスの姿に、胸が痛む。
 言葉を発することもできないほど、打ちのめされているようだ。
 なにがあったのか、とは思うが、訊けるような状態でもない。
 
「人間の奴らに酷い目に合わされたに違いありませぬ。まったく奴らときたら見境いというものがない。奴らほど残酷な生き物はおらぬのです」
「人の仕業かはわからぬが、とてつもなく、つらき思いをしたのであろうな」
「いいえ、ザイード様、奴らの仕業に相違ございませぬ」
 
 シュザは声を荒げたりはしないが、それでも、ぷんぷんしている。
 尾の先が細かく左右に振れているので、丸分かりだ。
 ガリダは瞳孔だけでなく、尾にも感情が現れる。
 抑えこむことができなくはないが、生半なまなかなことではない。
 
「ザイード様も、キャス様が人の国側から来て魔獣に襲われたと考えておられるのでしょう? であれば、人間に追われ、逃げて来たのではありませぬか?」
「かもしれぬな」
 
 シュザは、ザイードの次に、キャスを見ている。
 魔獣に噛まれた怪我を癒すには、シュザの薬師としての腕が必要だったのだ。
 そして、シュザは、キャスを診るなり、いち早く薬の調合に走った。
 以来、キャスの容態を気にかけている。
 
「おそらくキャス様が魔力を持っておるゆえ、殺そうとしたのですよ。あの壁ができるまでは、我らは幾度となく、奴らに蹂躙されてきました。人とは、そういう殺戮を好む生き物にございますれば」
「そうだの」
 
 シュザの言葉にも、うなずけるものはあった。
 まだザイードが産まれる以前、あの「壁」がなかった頃の話だ。
 人は魔物の国に来ることがあった。
 
 女や子供を連れ去り、邪魔をするものは平気で殺す。
 労働力として酷使し、使えなくなれば、それも殺す。
 種族によっては美麗な魔物もおり、そういうものは弄んだ末に殺す。
 
 人の持つ「武器」に対抗するすべを持たない魔物には、どうにもできなかった。
 そんな暮らしが続いていたが、2百年ほど前、平穏が訪れたのだ。
 
 人の国に「壁」ができた。
 
 その後、人は「壁」に閉じ込められている。
 おかげで、魔物の国が人に脅かされることはなくなった。
 
 けれど、伝え聞くところによると、ほんの少しでも魔力を持つものは壁の内側で皆殺しにされたという。
 魔物との間にできた子もいただろうが、魔力の有る無しで「人」かどうかは判断されるのだ。
 
 魔物、もしくは聖魔は、魔力を持っていた。
 人だけが、魔力を持たない種なのだ。
 そのため判断基準が「魔力の有無」となるのはしかたがない。
 
「それに、キャス様の魔力は不思議なものでしょう? よけいに迫害を受けたのではと……奴らは害がなくとも平気で殺し、なんとも思わぬ者どもですから」
 
 ふんふんふんっと、シュザの尾が揺れている。
 魔物の国では、人に対しての嫌悪感が極めて高かった。
 歴史を振り返れば、当然のことだ。
 虐げた側は忘れても、虐げられた側が忘れることはない。
 
 ザイードは、産まれて146年。
 
 2百年前に「壁」ができる以前のことについての実体験はなかった。
 だが、魔物は長生きなので、人に恨みを残しているガリダの老体はいる。
 それは、ガリダ族に限ったことではない。
 魔物の国の、ほか4種族も、ほとんど同様だ。
 
「キャス様は美しき女でもありますゆえ、手籠めに……」
「これ、シュザ。滅多なことを口にするでない」
「申し訳ありませぬ……つい……」
「人を嫌うのをとがめはせぬが、それとキャスを結びつけてはならぬ。まだ状況も、わかっておらぬのだ」
 
 ぺこっと、申し訳なさそうに、シュザがうつむく。
 尾も、へんなりと垂れ下がっていた。
 深く反省しているようだ。
 
(そうしたことをしでかしそうな奴らではあるが……)
 
 魔獣に噛まれたところ以外、キャスに外傷はなかった。
 シュザの言ったような事態から逃げるために人の国を出たのか。
 ともかく、本人に話を聞くまでは「人の仕業」だとは決めつけられない。
 
(しかし……キャスは人の国には行きとうないと言うた)
 
 人の国に送って行くとザイードが言った時、キャスは首を横に振ったのだ。
 瞳には、憎しみや恐怖や悲しみといった、複雑な色が浮かんでいたように思う。
 つまり、現状、はっきりしているのは、キャスが「人の国」を忌避している、ということ。
 
 実際に、なにか実害があってのものなのか。
 魔物たちのように、過去の記憶からのものなのか。
 
 どちらにせよ、行きたくない場所に行かせることはない。
 ザイードは、そう思っている。
 
「シュザ」
「はい、ザイード様」
「もし、キャスを追うて、人が魔物の国にまで来たら、どういたす?」
「全力で反撃するまでのこと」
「そうよな」
 
 うむ、と、うなずいた。
 人は「壁」を越えて来ない。
 そうは思っているが、来た時のことを考えておくべきかもしれないとも思う。
 キャスの存在は、ガリダ族全体に知れ渡っていた。
 
 そして、ガリダ族は、1度、受け入れたものを見捨てたりはしない。
 
 それが、種族としての、基本的な考えかたなのだ。
 敵が人であるからといって、逃げたり怯んだりすることはなかった。
 たとえ負け戦であろうとも、身内を見捨てるよりはいい。
 多くのガリダの民は、そう考える。
 
「となれば、ほかの種族の長とも話をつけておかねばならぬ」
 
 人が魔物の国に攻めて来るとなれば、ガリダ族だけの話ではとどまらないのだ。
 ほか4種族の長とも話し合っておく必要がある。
 
「ルーポとイホラは同意するでしょうが、コルコとファニはわかりませぬ」
「そうだの」
「使いを出すよう、ノノマに頼みに行ってまいります」
「なるべく早うに、と言うておけ」
 
 すたたたっと、シュザが、その場を後にした。
 ザイードは上着の裾をなびかせながら、歩き出す。
 キャスの涙を思い出すにつけ、自分が守るべき存在だと思えてならない。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

麗しの王子殿下は今日も私を睨みつける。

スズキアカネ
恋愛
「王子殿下の運命の相手を占いで決めるそうだから、レオーネ、あなたが選ばれるかもしれないわよ」 伯母の一声で連れて行かれた王宮広場にはたくさんの若い女の子たちで溢れかえっていた。 そしてバルコニーに立つのは麗しい王子様。 ──あの、王子様……何故睨むんですか? 人違いに決まってるからそんなに怒らないでよぉ! ◇◆◇ 無断転載・転用禁止。 Do not repost.

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

人質姫と忘れんぼ王子

雪野 結莉
恋愛
何故か、同じ親から生まれた姉妹のはずなのに、第二王女の私は冷遇され、第一王女のお姉様ばかりが可愛がられる。 やりたいことすらやらせてもらえず、諦めた人生を送っていたが、戦争に負けてお金の為に私は売られることとなった。 お姉様は悠々と今まで通りの生活を送るのに…。 初めて投稿します。 書きたいシーンがあり、そのために書き始めました。 初めての投稿のため、何度も改稿するかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。 小説家になろう様にも掲載しております。 読んでくださった方が、表紙を作ってくださいました。 新○文庫風に作ったそうです。 気に入っています(╹◡╹)

私を虐げた人には絶望を ~貧乏令嬢は悪魔と呼ばれる侯爵様と契約結婚する~

香木あかり
恋愛
 「あなた達の絶望を侯爵様に捧げる契約なの。だから……悪く思わないでね?」   貧乏な子爵家に生まれたカレン・リドリーは、家族から虐げられ、使用人のように働かされていた。   カレンはリドリー家から脱出して平民として生きるため、就職先を探し始めるが、令嬢である彼女の就職活動は難航してしまう。   ある時、不思議な少年ティルからモルザン侯爵家で働くようにスカウトされ、モルザン家に連れていかれるが……  「変わった人間だな。悪魔を前にして驚きもしないとは」   クラウス・モルザンは「悪魔の侯爵」と呼ばれていたが、本当に悪魔だったのだ。   負の感情を糧として生きているクラウスは、社交界での負の感情を摂取するために優秀な侯爵を演じていた。   カレンと契約結婚することになったクラウスは、彼女の家族に目をつける。   そしてクラウスはカレンの家族を絶望させて糧とするため、動き出すのだった。  「お前を虐げていた者たちに絶望を」  ※念のためのR-15です  ※他サイトでも掲載中

かりそめの侯爵夫妻の恋愛事情

きのと
恋愛
自分を捨て、兄の妻になった元婚約者のミーシャを今もなお愛し続けているカルヴィンに舞い込んだ縁談。見合い相手のエリーゼは、既婚者の肩書さえあれば夫の愛など要らないという。 利害が一致した、かりそめの夫婦の結婚生活が始まった。世間体を繕うためだけの婚姻だったはずが、「新妻」との暮らしはことのほか快適で、エリーゼとの生活に居心地の良さを感じるようになっていく。 元婚約者=義姉への思慕を募らせて苦しむカルヴィンに、エリーゼは「私をお義姉様だと思って抱いてください」とミーシャの代わりになると申し出る。何度も肌を合わせるうちに、報われないミーシャへの恋から解放されていった。エリーゼへの愛情を感じ始めたカルヴィン。 しかし、過去の恋を忘れられないのはエリーゼも同じで……? 2024/09/08 一部加筆修正しました

【完結】愛され令嬢は、死に戻りに気付かない

かまり
恋愛
公爵令嬢エレナは、婚約者の王子と聖女に嵌められて処刑され、死に戻るが、 それを夢だと思い込んだエレナは考えなしに2度目を始めてしまう。 しかし、なぜかループ前とは違うことが起きるため、エレナはやはり夢だったと確信していたが、 結局2度目も王子と聖女に嵌められる最後を迎えてしまった。 3度目の死に戻りでエレナは聖女に勝てるのか? 聖女と婚約しようとした王子の目に、涙が見えた気がしたのはなぜなのか? そもそも、なぜ死に戻ることになったのか? そして、エレナを助けたいと思っているのは誰なのか… 色んな謎に包まれながらも、王子と幸せになるために諦めない、 そんなエレナの逆転勝利物語。

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

婚約破棄でみんな幸せ!~嫌われ令嬢の円満婚約解消術~

春野こもも
恋愛
わたくしの名前はエルザ=フォーゲル、16才でございます。 6才の時に初めて顔をあわせた婚約者のレオンハルト殿下に「こんな醜女と結婚するなんて嫌だ! 僕は大きくなったら好きな人と結婚したい!」と言われてしまいました。そんな殿下に憤慨する家族と使用人。 14歳の春、学園に転入してきた男爵令嬢と2人で、人目もはばからず仲良く歩くレオンハルト殿下。再び憤慨するわたくしの愛する家族や使用人の心の安寧のために、エルザは円満な婚約解消を目指します。そのために作成したのは「婚約破棄承諾書」。殿下と男爵令嬢、お二人に愛を育んでいただくためにも、後はレオンハルト殿下の署名さえいただければみんな幸せ婚約破棄が成立します! 前編・後編の全2話です。残酷描写は保険です。 【小説家になろうデイリーランキング1位いただきました――2019/6/17】

処理中です...