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第1章 彼女の言葉はわからない
回顧の暗闇 3
しおりを挟む「なんで、そんな奴、好きだったわけ? 信じられないよ」
その少女の幽霊は、カサンドラという名だった。
適当に受け流しながら聞いていたのだが、いつしか耳を傾けてしまっている。
その世界のことや生い立ち、死に至るまでの経緯など、カサンドラが事細かに話してきたからだ。
まるで、ひとつの物語を聞いているようで、つい引き込まれてしまった。
「ほかに頼れる人もいませんでしたし、優しい時もありましたから」
「でもさぁ、人として最低だと思う。絶対に許せない。私なら、とっとと逃げてただろうなぁ」
カサンドラの言葉を信じようとせず、その「彼」とやらは、お腹に子供がいると知っていながら、斬首刑に処したのだ。
当然、子供も死んでいる。
「仮に、だよ。冤罪だと思ってるけど、仮の話ね。仮に、浮気をしてできた子だとしても子供に罪はないじゃん。そこまでする必要なくない? 子供が産まれるまで待ってさ、そのあとでもよかったんじゃないの? なにそれ、最低だよ、ホント」
カサンドラの話は、聞けば聞くほど、腹が立った。
ディオンヌとかいう意地悪従姉妹も、その従姉妹に肩入れする周囲の者たちも、誰も彼もが最低だと思う。
もちろん、最も最低最悪なのは「彼」だ。
「だいたいさ、ちゃんと調べたのかって感じ。その意地悪従姉妹が出してきた証拠だけで判断したみたいな気がするよ。それで、自分の子を殺したわけだからね」
「彼が私の母に対して偏見を持っていたのはわかっていましたが、あれほどとは思っていませんでした。もっと早く誤解を解いておけば……」
「いいや、いくら偏見を持ってたとしても、許されることじゃない。許しちゃいけないことだよ」
自分の「生」に執着しなかった彼女ではあるが、それは自分の命だからだった。
人の命は尊いだの、平等だのと綺麗事を言う気はない。
だとしても、産まれてもいない子供は話が違う。
本当に、まったく「なんの罪もない」のだ。
「あ、でも、3年前に戻れるんだっけ」
唐突に「設定」を思い出した。
カサンドラに後悔があるのなら、やり直しは可能なはずだ。
3年前に戻り、そんな男は蹴っ飛ばして逃げればいい。
「……戻りたくないのです。たとえ、やり直せたとしても……記憶がなくなるわけではありませんから」
「まぁ、そっか……子供のこともあるもんね……」
「はい……私のせいで、あの子を死なせてしまったと思うと……自分だけ戻る気になれないのです」
記憶もすっぱりなくなるのであれば、受け入れられたかもしれない。
けれど、記憶がなければ、同じことを繰り返すだけかもしれない。
いずれにせよ、戻りたくなくなってもしかたがない気もする。
「もし、やり直した人生で彼が変わったとして……あなたなら、どうしますか?」
「はあ? 私? 私なら、ぜぇっっっったいに許さないね」
「ものすごくいい人に変わっても?」
「絶対に許さない。だって、そういうことをしたって事実は、変わらないじゃん。元々、いろんな選択肢はあったはずだよね? その中から最悪な選択をした奴ってことでしょ。たまたまやり直しができて別の道に進めたとしても、いくらいい人になったとしても関係ない。だったら、最初から、もっとマシな選択しとけって話」
「そうですか……私は許してしまいそうで……それも嫌ですね……」
復讐しろとか、報復に動け、などと言う気はない。
やり直した先に、もっといい人生が待っている可能性もあるからだ。
だが、そこに、その「彼」を入れてはいけないと言いたくはなる。
ましてや、許すなんてとんでもないと、彼女は思うのだけれども。
「でも、戻りたくないって言ったって、ずっとここにいるわけにはいかないんじゃないかなぁ。私も、いつ消えるか、わからないしね」
死んだ者同士ではあるが、いつまでもつきあってはいられない。
どのくらい漂っていなければならないのかにもよるが、幽霊だって疲れるのだ。
彼女が倒れたのは夜で、できれば朝になるまでには消えたいと思っている。
「私が、この世界に来たのは、元の世界でやり直しを拒んだからではないかと思うのです。やり直したくないと強く願っていて、気づけば、この世界におりました。ですが、あなたが仰ったように長く留まることはできないようです。さっきから、引きずられるような感覚がありますので……」
だとすると、どうしようもない。
カサンドラが本当に別の次元から来たのか、ただのファンタジー好きなのかはともかく、長居できないのなら、流れに従うしかないのだ。
消えるにしても、元の世界に戻るにしても。
「まぁ、本当に戻って、やり直せるんならさ。そんな奴のことは無視して、好きに生きればいいんじゃない? 斬首刑になるよりマシな生きかたしなよ」
誰かに言えるような立派な生きたかはしていないが、斬首刑よりマシな人生ではあった。
最期も苦しまずにすんだし。
「あなたは、やり直したいとは思いませんか?」
「思わない。無理。頑張りたくない」
彼女は、即答する。
それは、よく聞く、定番の質問だ。
もし人生をやり直せるとしたら、どこの時点に戻りたいかとか、戻ってなにをしたいかとか。
たいていは「ここ」という時があるらしい。
中学校からと言う人もいれば、結婚前と言う人もいたりする。
けれど、彼女には、その「ここ」という点がない。
強いて言うなら、産まれる前なのだが、これは母親に悪いと思ってしまうので、口にはできなかった。
「生きるのが、つらかったのですか?」
「いや、全然。つらくもなかったし、悲しくもなかった。楽しいとも思わなかったけどさ。ただ面倒だったって感じかな」
「面倒……生きていることが?」
「生きて行くことが」
自分の命に意味を見つけたいなんてふうには考えていない。
なぜ生きているのか、なんのために生きているのかと、哲学みたいな思考の持ち合わせもなく、淡々と生き続けてきている。
ただ命があるというだけで、日々を過ごさなければならないのが面倒だった。
「生きてたら食事もしなきゃいけないし、そのためには仕事もしないとだしさ。たまに呼吸するのも面倒だと思うんだよね。でも、呼吸しないと苦しいでしょ。どんなに面倒でも、お腹だって空くしなぁ」
たとえば、植物のように光合成ができるのなら、食事なんてせずにすむ。
もちろん、水だって必要だし、季節によっては苦痛があるかもしれないけれど、人間として生きるほどには面倒ではなさそうだ。
「長生きしたいなんて、なんで思えるんだろ。1回も思ったことないよ、私」
「楽しいことや嬉しいことがあれば、1日でも長生きがしたい、と思うのではないでしょうか? 好きなかたと一緒にいたいというのもあるでしょうね」
「そういうのが、私にはないんだよなぁ。恋愛も興味ない」
母親が死んでから、彼女は1人で生きている。
友達と呼べる人はいなかったし、仕事の同僚とも親しくはなかった。
人と関わらずに生きることを選んできたからだ。
それでも、寂しいと思った記憶さえない。
「人は1人では生きていけないらしいけど、生活に困らないなら、1人でいいよ。ひっそり生きて、ひっそり死ぬ……って、そういうふうに死んだわけだけど」
頭の隅に、ちらりと「悪いことをした」との思いがよぎる。
母親と2人で暮らしていたマンションの一室。
自分の死に気づいてもらえるまで、どのくらい時間がかかるか、わからない。
無断欠勤が3日も続けば、異変に気付いてもらえるだろうか。
体が朽ちるまでとなると、マンションの管理人に迷惑がかかる。
さりとて、訪ねて来るような人もいないのだ。
父のことが原因だったのか、そこもよくわからないことだが、母は親戚づきあいというものをしていなかった。
母が死んだ時、彼女はいわゆる「天涯孤独」の身の上になっている。
「死んじゃったものはしかたない。急だったから、許してもらおう」
手を伸ばせば、携帯電話を掴むことはできたはずだ。
しかし、それで救急車も呼ばず、マンションの管理人に電話をかけるのも、おかしな話になる。
勝手な想像で、自殺にされてもかなわない。
だから、しかたがなかったのだと諦めることにした。
「申し訳ございません」
「へ?」
カサンドラが深々と頭を下げている。
なぜ謝られているのか、彼女にはわからない。
「私の事情に巻き込んでしまって……」
「いや、巻き込むってほどじゃないでしょ? 話を聞いてただけだから、謝ることないよ。これから、そっちのほうが大変なんだしさ」
やり直しの人生があるとしたら、3年も巻き戻されてしまうのだ。
しかも、1度目の人生の記憶に悩まされるのは間違いない。
仮に、カサンドラの話が本当だとしたら、だけれども。
「いえ……私は戻るつもりはないのです……本当に、ごめんなさい……」
カサンドラの体が漂いながら、近づいてくる。
きょとんとしている彼女の体が、ふわりと抱きしめられていた。
といっても、なにかやわらかいものに包まれたような感覚しかない。
「え? なに……?」
「魂の交換をすることで、私は、この世界で死ぬことができるのです」
「は? 魂の交換って……え? ちょ……」
ぐいっと、なにかに引っ張られるような感じがする。
ようやく、カサンドラの謝罪の意味を理解した。
「ちょっとっ! 私だって生き返りたくなんて……っ……」
カサンドラの姿が遠くなっていくのが見える。
ぐいぐいと、暗闇に引きずり込まれていた。
別の次元の話は、本当だったようだ。
「だから、私は死んで終わりでよかったんだってば!」
叫んだが無駄だった。
カサンドラの姿が見えなくなる。
しゅうんっと、どこかに吸い込まれる感覚がした。
そして、彼女は、カサンドラとして生き返ってしまったのだ。
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