いつかの空を見る日まで

たつみ

文字の大きさ
上 下
85 / 300
第1章 彼女の言葉はわからない

乖離の成果 1

しおりを挟む
 ロキティスは、通信が入ってきたことに気づいて、口元を緩める。
 皇太子との通信を終えた直後だ。
 誰なのかは、予想している。
 
「サレス卿、どうしました?」
「少し確認をさせていただきたく、ご連絡いたしました。よろしいでしょうか?」
「ああ……妹のことですね」
「はい。その死を、なぜロキティス殿下がご存知なのかと」
 
 これは皇太子の指示ではない。
 ベンジャミン・サレスの独断だ。
 その理由を、ロキティスは知っている。
 
「サレス卿が、妹を見逃してくださったことには感謝しています」
 
 皇宮や帝都の出入りに関する監視室からの情報は、ベンジャミンに集まってくるのだ。
 ディオンヌが帝都を出たのを、ベンジャミンは知っていただろう。
 が、さっきの反応からすれば皇太子は「知らなかった」とわかる。
 つまり、ベンジャミンは報告をしていないか、報告が遅れるよう手を回していたことになる。
 
「あの状態で、帝都にいるのは辛いだろうと思ったまでです」
「ええ、まさしく、その通りです。ですが、アトゥリノに帰ることも、妹にはできませんでした。不甲斐ないもので、私では、父の心は動かせず……」
「それで、リュドサイオに向かわれたのですね」
「私とゼノクル殿下は境遇が似ているので、存外、懇意にしているのです。そのことを妹も知っていましたからね。入国を拒否されることはないと思ったのでしょう」
 
 実際に、ディオンヌだけは検問を通ってリュドサイオ入りをしている。
 アトゥリノ人を警戒していても、ディオンヌは王族関係者だ。
 おそらくゼノクルに連絡が入り、「純朴な」ゼノクルは、入国を許可したに違いない。
 ディオンヌへの同情かはともかく。
 
「私も兄として、できる限りのことはしようと、護衛をつけていました」
「そうでしたか。あの坑道での出来事は……お気の毒にございました」
「どうにもね。半死半生で戻った護衛から聞くに、妹は、やはり彼に会うために、あの坑道に行ったようなのです」
「フィッツ殿に、ですか? さきほども皇太子殿下に、そのような、お話をされておられましたが、私には……信じられないのです」
 
 戦車試合の祝宴の時、ベンジャミンがフィッツと話していた姿を、ロキティスは目にしている。
 なにか思い入れのようなものがあるのだろうと、察した。
 
「しかし、サレス卿。護衛が言うには、彼は妹を攻撃したそうですよ」
「え……」
「おそらく、妹は身の置き所がなく、彼に助けを求めたのでしょう。ですが、遅かれ早かれ、妹のしたことは露見します。その際、毒の出どころが判明して困るのは、彼だけだと思いませんか?」
 
 ベンジャミンが黙り込む気配がする。
 
 ロキティスは、ゼノクルの話した「噂」から、2人が東に抜けたと推測した。
 東には鉱山の国ネセリックがある。
 となれば、坑道を使わないはずはない。
 
 そこで、ディオンヌを脅し、配下とともに「叛逆者」の元に差し向けたのだ。
 どの道、ディオンヌには「父親殺し」の汚名を着せて始末する予定だったので。
 
 だが、そのことをベンジャミンは知らない。
 口封じのため、フィッツに呼び出されたと考えるのが自然だ。
 でなければ、ディオンヌが坑道にいたこと自体に説明がつかない。
 
「ロキティス殿下は、本当に彼がラーザの再興を企てていると考えておられるのですか? 私には、そのような野心のある男には感じられませんでした」
 
 だが、今のベンジャミンは「彼」に一抹の猜疑心をいだいている。
 ロキティスに意見を求めているのは、確信がほしいからに違いない。
 ロキティスだって、本当はフィッツを殺すのは惜しいのだ。
 
「皇太子殿下との婚姻が間近になったことが原因かもしれないと思っています」
「というと?」
「カサンドラ王女様が妃殿下となられれば、ラーザ再興、いえ、ヴェスキル復権は望めなくなります。完全に、ヴェスキルの名が消えるのは、ラーザの民にとっては許しがたいこと」
 
 そして、相手は、ラーザを地図から抹消した皇太子。
 ラーザの民は閉鎖的で、女王の名の元でしか動かない。
 ベンジャミンも知っている「歴史」だ。
 
「ですが、サレス卿。僕は、あのカサンドラ王女様が叛逆を首謀するとは、とても思えないのですよ。実は……これは内密にお願いしたいのですが、あの祝宴の日に僕は、王女様と話がしたいとバルコニーで申し出をしたのです」
「殿下がいらっしゃらない間にですか?」
「ですから、ご内密にと頼んでいるのですよ」
 
 少し剣のある言葉を、軽く牽制しておく。
 ベンジャミンはリュドサイオ出身ではないが、それ以上に忠誠心に厚い。
 そこが狙い目なのだ。
 
「それに、王女様には、こっぴどく叱られてしまいましたから、ご安心ください。その時、こう言われたのです」
 
 カサンドラから言われた言葉を、ロキティスは引用する。
 皇太子から私室で待つように言われているので長話はできない、ということ。
 次に会う時には「3人で」と言われたこと。
 
「王女様が、皇太子殿下を待たれるつもりだったのは間違いありません」
「それで拉致されたと?」
「そうです。であれば、理由はなにか。皇太子殿下との婚姻を阻むためとしか考えようがありませんよ」
 
 一介の従僕が、なぜ婚姻を阻む必要があったのか。
 そこで、ヴェスキル復権の話が繋がってくる。
 
「ただ……私は心配しているのです」
「なにをでしょう?」
「叛逆にも大儀は必要ですよね」
 
 ベンジャミンからの返事はない。
 戦闘においては優秀だが、それだけだ。
 頭も悪くはないが、悪くはない、というだけだ。
 アトゥリノにいても、簡単に手のひらで転がせる。
 
「世の中には替えの効く者と、そうでない者がいます。皇太子殿下は、帝国の皇帝となられる唯一の存在。皇太子殿下の代わりなど、誰にもできません」
 
 叛逆にも大儀は必要。
 
 その言葉の裏には「カサンドラがいる限り、叛逆の芽は残る」との意味がある。
 皇太子妃も皇后も「代替」の効く存在ではないかと、ロキティスは言ったのだ。
 皇太子への忠誠心が厚いベンジャミンなら、それを理解するだろう。
 
「ですが……彼を捕らえるにしても、居場所がわからないのでは、手の打ちようがありません」
 
 言葉でこそ「彼を捕らえる」と言っているが、内心は別の思いをいだいている。
 だからこそ、具体的な手段を考え始めた。
 捕らえるのではなく、カサンドラを殺すことを。
 
「サレス卿、ラーザは豊かな土地でしたが、その根本的な要因はなんだったと思われます?」
「……そういうことですか」
 
 ロキティスは、それ以上は言わない。
 言わなくても、ベンジャミンから話を振ってくると、わかっていたからだ。
 少し狂ってしまったが、おおむね予定通りに事は進んでいる。
 
(彼は生け捕りにしたかったのだけれどね。まぁ、いいさ、僕は、手に入らないものに執着する性分じゃない。惜しいとはいえ、好機を手放すほどではないな)
 
 2人を生け捕りにできていれば「毒殺」という回りくどい真似をせずにすんでいただろう。
 以前から開発を進めていたラーザの毒が間に合ったからいいようなものの、そうでなければ好機を逃していたかもしれない。
 
 結局のところ「また」ディオンヌが台無しにしてしまったのだ。
 護衛から「時間をかけ過ぎた」と聞いている。
 その護衛のことは、腹立ちのあまり殺してしまったが、それはともかく。
 
「ロキティス殿下、お願いしてもよろしいでしょうか。現在、合同訓練のため、アトゥリノ兵がリュドサイオに駐留していますよね」
「ゼノクル殿下も私も、お互い戦車試合では大恥をかきましたから、自国での訓練だけでは足りないと判断したのです。それが、なにか?」
 
 これは、ゼノクルから与えられた「口実」だ。
 理由もなく、アトゥリノの兵がリュドサイオに入れば紛争になりかねない。
 カサンドラが「皇命」に逆らったと聞いたゼノクルは激高していた。
 だから、アトゥリノの兵を自国に入れる「口実」を作ってくれたのだ。
 
「殿下には内密に、そのアトゥリノ兵を動かしてもらえませんでしょうか?」
「人手が足りないのですね」
「はい。帝国の兵を動かせば、大事おおごとになります。直轄国だけではなく、属国までも騒ぐでしょう。それにより、民心が揺らぎかねません」
「リュドサイオは、皇帝陛下の勅命がなければ動けませんし、代理を務めておられる殿下に内密となると……」
「今、近隣にいて動けるのはアトゥリノの兵だけなのです」
 
 思った通り、ベンジャミンが、わざわざ話を振ってくれる。
 ロキティスから申し出たわけではない、というのが重要だった。
 
 ロキティスは、危険を冒す気はない。
 だが、カサンドラに生きていてもらっては困る。
 アトゥリノ王毒殺の「首謀者」が明るみに出てしまうからだ。
 
 ロキティスがついた、たったひとつの嘘。
 
 面識があった程度で、ディオンヌとあの従僕は、まったくの無関係。
 親しかったことなど、1度もない。
 
 そのことが、カサンドラから皇太子に伝わるのだけは、阻止する必要があった。
 あれほど入れ込んでいるカサンドラの言葉を、皇太子が信じないわけがない。
 なので、カサンドラにも、いずれ死んでもらうつもりでいたのだが、安全な手段を取れるのであれば、そのほうがよかった。
 
 思いながら、悩み深いといった調子で、ロキティスは返事をする。
 
「わかりました。ゼノクル殿下には、うまく話しておきます」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

理不尽陛下と、跳ね返り令嬢

たつみ
恋愛
貴族令嬢ティファナは冴えない外見と「変わり者」扱いで周囲から孤立していた。 そんな彼女に、たった1人、優しくしてくれている幼馴染みとも言える公爵子息。 その彼に、突然、罵倒され、顔を引っ叩かれるはめに! 落胆しながら、その場を去る彼女は、さらなる悲劇に見舞われる。 練習用魔術の失敗に巻き込まれ、見知らぬ土地に飛ばされてしまったのだ! そして、明らかに他国民だとわかる風貌と言葉遣いの男性から言われる。 「貴様のごとき不器量な女子、そうはおらぬ。憐れに思うて、俺が拾うてやる」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_3 他サイトでも掲載しています。

世話焼き宰相と、わがまま令嬢

たつみ
恋愛
公爵令嬢ルーナティアーナは、幼い頃から世話をしてくれた宰相に恋をしている。 16歳の誕生日、意気揚々と求婚するも、宰相は、まったく相手にしてくれない。 いつも、どんな我儘でもきいてくれる激甘宰相が、恋に関してだけは完全拒否。 どうにか気を引こうと、宰相の制止を振り切って、舞踏会へ行くことにする。 が、会場には、彼女に悪意をいだく貴族子息がいて、襲われるはめに! ルーナティアーナの、宰相に助けを求める声、そして恋心は、とどくのか?     ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_2 他サイトでも掲載しています。

【完結】あなたに従う必要がないのに、命令なんて聞くわけないでしょう。当然でしょう?

チカフジ ユキ
恋愛
伯爵令嬢のアメルは、公爵令嬢である従姉のリディアに使用人のように扱われていた。 そんなアメルは、様々な理由から十五の頃に海を挟んだ大国アーバント帝国へ留学する。 約一年後、リディアから離れ友人にも恵まれ日々を暮らしていたそこに、従姉が留学してくると知る。 しかし、アメルは以前とは違いリディアに対して毅然と立ち向かう。 もう、リディアに従う必要がどこにもなかったから。 リディアは知らなかった。 自分の立場が自国でどうなっているのかを。

口下手公爵と、ひたむき令嬢

たつみ
恋愛
「放蕩公爵と、いたいけ令嬢」続編となります。 この話のみでも、お読み頂けるようになっております。 公爵令嬢のシェルニティは、18年間、周囲から見向きもされずに生きてきた。 が、偶然に出会った公爵家当主と愛し愛される仲となり、平和な日を送っている。 そんな中、彼と前妻との間に起きた過去を、知ってしまうことに! 動揺しながらも、彼を思いやる気持ちから、ほしかった子供を諦める決意をする。 それを伝えたあと、彼との仲が、どこか、ぎこちなくなってしまって。 さらに、不安と戸惑いを感じている彼女に、王太子が、こう言った。 「最初に手を差し伸べたのが彼でなくても、あなたは彼を愛していましたか?」   ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_9 他サイトでも掲載しています。

ウソつき殿下と、ふつつか令嬢

たつみ
恋愛
伯爵家の1人娘セラフィーナは、17歳になるまで自由気ままに生きていた。 だが、突然、父から「公爵家の正妻選び」に申し込んだと告げられる。 正妻の座を射止めるために雇われた教育係は魔術師で、とんでもなく意地悪。 正妻になれなければ勘当される窮状にあるため、追い出すこともできない。 負けず嫌いな彼女は反発しつつも、なぜだか彼のことが気になり始めて。 そんな中、正妻候補の1人が、彼女を貶める計画を用意していた。     ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_10 他サイトでも掲載しています。

不機嫌領主と、嫌われ令嬢

たつみ
恋愛
公爵令嬢ドリエルダは、10日から20日後に起きる出来事の夢を見る。 悪夢が現実にならないようにしてきたが、出自のこともあって周囲の嫌われ者に。 そして、ある日、婚約者から「この婚約を考え直す」と言われる夢を見てしまう。 最悪の結果を回避するため策を考え、彼女は1人で街に出る。 そこで出会った男性に協力してもらおうとするのだが、彼から言われた言葉は。 「いっそ、お前から婚約を解消すればよいではないか」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_7 他サイトでも掲載しています。

若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ
恋愛
子爵令嬢アシュリリスは、次期当主の従兄弟の傍若無人ぶりに振り回されていた。 そんなある日、突然「公爵」が現れ、婚約者として公爵家の屋敷で暮らすことに! 屋敷での暮らしに慣れ始めた頃、別の女性が「離れ」に迎え入れられる。 そして、婚約者と「特別な客人(愛妾)」を伴い、夜会に出席すると言われた。 だが、屋敷の執事を意識している彼女は、少しも気に留めていない。 それよりも、執事の彼の言葉に、胸を高鳴らせていた。 「私でよろしければ、1曲お願いできますでしょうか」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_4 他サイトでも掲載しています。

生真面目君主と、わけあり令嬢

たつみ
恋愛
公爵令嬢のジョゼフィーネは、生まれながらに「ざっくり」前世の記憶がある。 日本という国で「引きこもり」&「ハイパーネガティブ」な生き方をしていたのだ。 そんな彼女も、今世では、幼馴染みの王太子と、密かに婚姻を誓い合っている。 が、ある日、彼が、彼女を妃ではなく愛妾にしようと考えていると知ってしまう。 ハイパーネガティブに拍車がかかる中、彼女は、政略的な婚姻をすることに。 相手は、幼い頃から恐ろしい国だと聞かされていた隣国の次期国王! ひと回り以上も年上の次期国王は、彼女を見て、こう言った。 「今日から、お前は、俺の嫁だ」     ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_6 他サイトでも掲載しています。

処理中です...