いつかの空を見る日まで

たつみ

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第1章 彼女の言葉はわからない

想定であって想定でなし 3

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 自分は「ティニカ」に背いている。
 
 顔を地面に叩きつけられながら、フィッツは、そう思った。
 後頭部を何度か蹴りつけてきた足は、遠ざかっていない。
 そのまま、ぐりぐりと捻じるようにして踏みつけてくる。
 顔が地面にこすれていた。
 
(姫様は迷っていた。困っていたのだろう)
 
 どちらかを選べと言われて、選べずにいたのだと感じる。
 
 カサンドラをかかえ、この場を離脱するのが最善だった。
 ラーザの民とて、それを願うはずだ。
 カサンドラに「死なないように」と言われていたとしても、いざとなれば自らの命を惜しみはしない。
 
 わかっているのに、フィッツは「最善」とは、ほど遠い行動を取っている。
 カサンドラが、鉱山の者たちを死なせたくないと考えている、その意思に従うことにした。
 自分でも、よくわからない。
 こんな行動は、カサンドラの命を危険にさらすだけなのに。
 
 馬鹿な真似をしている。
 
 本当に、そう思っていた。
 間違っているとも思っている。
 フィッツの使命は「カサンドラを守り、世話をすること」なのだ。
 そういう生きかたしか、フィッツは知らずに生きてきた。
 
「やめてよ! フィッツは大人しくしてるじゃん! そこまですることないっ! 私に怒ってるなら、私を殴れば?!」
 
 カサンドラの感情の乱れが伝わってくる。
 それが、なんだか嬉しかった。
 カサンドラは、喜怒哀楽が少ない。
 フィッツも似たようなものだが、常々、それを不思議には思っていた。

 同じ年頃の女性は、怒ったり喜んだりと忙しい。
 だが、彼女の場合、淡々とした、ほとんど動揺しない感情のようは、フィッツの前でも変わらなかったのだ。
 
 もちろん、カサンドラは、ほかの女性たちとは違う。
 ヴェスキルの継承者だ。
 行動や感情の原理が異なっているのは、むしろ当然かもしれない。
 
 とはいえ、ここ最近のカサンドラは、ヴェスキルの継承者らしくはなかった。
 本人も「別人になった」と言っている。
 
 そのせいだろうか。
 会話がない頃よりも、カサンドラを遠くに感じた。
 臣下だからという以上に、越えられないものがある気がしたのだ。
 
 彼女は「独り」の中に、身を置きたがっている。
 
 最初は、自分が「足手まとい」だからだと思った。
 けれど、隠し通路で初めて手を繋いだ時から、なにかが変化し、次第に認識も変わっていった。
 
 本当には、足手まといでも、不要でも、別のところで、彼女は自分を必要としてくれているのではないか。
 なのに、独りになりたがるのは、彼女自身が、己を「置き去り」にしようとしているからなのではないか。
 
 明確にではないが、漠然と、そんなふうに感じている。
 だから、淡々としている彼女を見ると、不安になった。
 笑っている姿に安心した。
 
 彼女は、自らの命を、どうでもいいように扱うから。
 
 フィッツやアイシャ、ラーザの民たちが、どんなにカサンドラの命を大事にしていても、けして伝わらない。
 重荷になるだけのようだった。
 それでも、フィッツにとって、彼女は「すべて」なのだ。
 
 『ホント、私のこと置いてかないでよ? フィッツがいなきゃ困るんだからさ』
 
 未だに、なぜ自分がいなければ困るのかは、わかっていない。
 ただ、現実に、今、彼女の感情は乱れている。
 なにかしら「困る」理由があるからだ。
 それが、嬉しいのかもしれない、と思う。
 
(そうか。私がいなければ……姫様は、困るのか……では、私はずっと……姫様のそばにいられるのだな)
 
 痛みには慣れていた。
 そういう訓練も受けている。
 もっと酷い苦痛にも耐えることはできた。
 だが、彼女の泣き声にも感じられる叫びには、耐えられない。
 
「やめてってば! フィッツは、なにもしてない!」
「戦車試合で優勝して、アトゥリノに恥をかかせたわ」
「それは、私が命令したからだよ! あんたに虐められてきた仕返しにね!」
 
 嘘までついて、自分を庇ってくれている。
 フィッツは、顔を地面に押し付けられたまま、ほんの少し口元を緩めた。
 
 同時に、自分の状態を確認する。
 両手は後ろで縛られていた。
 囚人を捕らえる時に使う、特殊な鉄の鎖だ。
 
(帝国は技術を無駄にしたな。こんなもので捕らえておけるのは、猪程度だ)
 
 小さく息をつく。
 最善ではないが、最良を選ぶ必要があった。
 自分が鎖を解き、敵の足止めをしてカサンドラを逃がすことはできる。
 当然に、フィッツがカサンドラをかかえて逃げることもできる。
 
(アイシャ)
 
 だが、そのどちらも選ばない。
 フィッツは、時間を測っていたのだ。
 平たく言えば、時間稼ぎをしていた。
 カサンドラの望む結果の中にある「最良」を掴むために。
 
(そろそろ、いいか?)
(はい。なんとか説き伏せました。それから、ティトーヴァ・ヴァルキアたちが、そちらに近づいております)
(阻止する必要はない。では、やってくれ)
(ご武運を)
 
 この坑道は、ラーザの民が造った。
 帝国の技術では探知できない通信網が敷かれている。
 アイシャとの別行動は、そもそも、こういう時のためだ。
 万が一、敵が前方から現れた場合に備え、アイシャを後ろに残した。
 
 ドォォオオンッ!!
 
 グラグラッと、地面が揺れる。
 瞬間、フィッツは、鉄の鎖を解いた。
 一瞬で、両脇にいた男2人を振りはらって、起き上がる。
 と、同時に、後ろによろけたディオンヌの横腹を腕ごと蹴り飛ばした。
 
 ディオンヌは壁にぶち当たっていたが、確認もしない。
 すぐさま、カサンドラの元へと走る。
 天井から石や砂が降る中、立ち尽くしている彼女をかかえた。
 
「走りますので、しっかり掴まっていてください」
「フィ……フィッツ……」
 
 後ろで、大きな音がしている。
 坑道が崩れ始めているのだ。
 全力で駆けながら、フィッツは、カサンドラの口にできなかったであろう問いに答える。
 
「鉱山の者は、先に逃がしています」
 
 アイシャは後ろから様子を窺い、追っ手が現れたらフィッツに指示を仰ぐ。
 前方から敵が現れたら、フィッツがアイシャに即指示を出す。
 打ち合わせたものでなくとも、その程度は「当たり前」だった。
 フィッツはカサンドラを背に庇いながら、アイシャに連絡を取っていたのだ。
 
 だが、あらかじめ指示しておいたこともある。
 坑道の爆破についてだ。
 いち早く鉱山に戻り、全員を非難させること。
 避難後に、坑道を爆破。
 
 前方からの敵にフィッツが気づき、アイシャに連絡をし、アイシャが避難を完了させるまでには時間が必要だった。
 そのため、フィッツは、あえて「やられっ放し」になっていたのだ。
 課された「役割」を、アイシャは正しくこなしている。
 そのおかげと言うべきか、深手を負う前に片をつけられた。
 
 もっとも、坑道を崩す必要がなければ良かったのだが、結果は、これだ。
 
(確実性がないことはすべきではなかったのだがな)
 
 ディオンヌなど無視し、カサンドラを連れて逃げるべきだったと、今でも、そう判断している。
 坑道の崩壊に、自分たちが巻き込まれる可能性があるからだ。
 現に、フィッツの目の前には、割れた石が次々と降って来ている。
 
「姫様、砂が入るといけませんので、目を閉じていてください」
 
 ぎゅっと、カサンドラがフィッツの肩に顔をくっつけてきた。
 両手で、しっかりとしがみついている。
 自分よりも、小さな手だ。
 そして、フィッツにとって、なによりも大事な手だった。
 
 フィッツの頭の横を、大きな岩がかすめる。
 体にあるラーザの技術を最大限に駆使し、落ちてくる岩をけながら走った。
 額からは、血が落ちている。
 ディオンヌに踏みつけられた際にできた傷だ。
 フィッツが駆ける速度に合わせ、額から、こめかみへと向かって流れていた。
 
 光が見える。
 
 出口は、すぐそこだ。
 後ろでは、音が迫ってきている。
 おそらく、崩壊により出口までをも塞がれてしまうだろう。
 が、フィッツは足を止めた。
 
「しばらくの辛抱ですよ、姫様」
 
 ぎゅっと、カサンドラの体を抱きしめ、横へと飛ぶ。
 坑道を造りかけてやめた、というような横穴だ。
 きっとディオンヌと一緒に来た者たちも、見過ごしているだろう。
 
 2人が横穴に飛び込むや、石が崩れ落ちてくる。
 光が失われ、真っ暗闇になった。
 暗視が効くので問題はない。
 抱きかかえているカサンドラの表情も鮮明に見える。
 
「……フィッツ……血が出てる……」
「問題ありません」
「ごめん、今、動けないから、血も拭いてあげられないよ」
「平気ですよ、この程度。目に入ったとしても、視界が奪われることは……」
「いや、そうじゃなくてさぁ」
 
 こてん…と、カサンドラがフィッツの胸に顔を乗せてきた。
 狭い横穴の中、彼女を抱きかかえているフィッツも、崩落がおさまるまで身動きが取れない。
 ただただ、彼女の顔を覗き込む。
 
「フィッツが痛くなくても、視界がどうでも……私は心配するんだよ、フィッツが怪我してるって」
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