いつかの空を見る日まで

たつみ

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第1章 彼女の言葉はわからない

悩みつつ進みつつ 1

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 カサンドラが姿を消してから、7日が経とうとしている。
 その痕跡を、まったく辿れていないわけではない。
 森から砂漠地帯を抜け、ザフイに入ったのはわかっていた。
 当然、ティトーヴァたちも、ザフイ入りをしている。
 
 検問を通らずに帝国との国境を抜けるとなれば、崖を越えるしかない。
 並みの者なら、女連れでの崖越えなど考えないだろうが、カサンドラの従僕は、「並み」ではないのだ。
 だから、崖越えをしてザフイに入ったのは間違いないと判断している。
 
「ここに着いてから、今日で3日目だ」
「こ、皇太子殿下、我々も捜索に全力を尽くしておりますが……」
 
 ティトーヴァの前にいるのは、ザフイの領主、もとい国王だ。
 ザフイは、帝国の征服戦争以前から、リュドサイオの庇護下にある国だった。
 農耕の盛んな土地であり、リュドサイオの兵站のほとんどを担っている。
 だが、それは、領土に対して、人口が少ないことも意味していた。
 
「人の住む場所は限られていて、移動も少ない土地だろう。よそ者が入ってくれば、すぐに誰かが気づく。だが、未だ報告が上がって来ないのは、なぜか」
 
 王族のではあるが、玉座にはティトーヴァが座っている。
 ザフイの王は、床に両膝をつき、ティトーヴァを見上げていた。
 怯えからか、額には汗が浮き、視線をさまよわせている。
 王冠はかぶっておらず、薄くなった茶色の髪が力なく頭にへばりついていた。
 
 国としては分かれているものの、土地が繋がっているため、ザフイのほとんどはリュドサイオ人だ。
 ザフイの王も、その血が流れているのだろう、リュドサイオ人にはめずらしくもない薄緑色の瞳をしている。
 
「匿っている者がいる」
「そ、そのような……っ……私どもは、リュドサイオひいては帝国に忠誠を誓ってまいりました。王族のみならず……」
 
 ティトーヴァは、パッと手を上げ、ザフイの王の言葉を止めた。
 ザフイの忠誠を疑っているのではない。
 とはいえ、人口約5万人全員に忠誠心を求めるのは困難だとも知っている。
 金や情で動く者が、必ずいるからだ。
 
「ベンジー、もう1度、状況を報告しろ」
「かしこまりました」
 
 隣に控えていたベンジャミンが、ザフイ到着から2日半で調査した内容の報告を始める。
 
「ザフイ国内に点在する町に騎士を派遣し、空き家や納屋、地下貯蔵庫など徹底的に調べさせました。加えて監視室の情報と照合もしましたが、持ち主以外の痕跡は発見できませんでした。ザフイ全域に、生体反応検知をかけても登録情報と誤差はありません。ただ監視室の情報を鵜呑みにはできない状況ですので、目視での確認作業をさせております」
 
 ティトーヴァは、報告内容を頭の中で整理することにした。
 人を探す際には、人が隠れそうな場所、隠れられそうな空間を探す。
 それは、基本だ。
 とくに、監視室はともかく、人目にはつかないように注意しただろう。
 
 情報は誤魔化せても、人の目は欺けない。
 
 だから、各町に、あえて騎士を出向かせている。
 にもかかわらず、この2日間、成果なし。
 町の者にも聴取は行っているが、カサンドラを見かけた者はいない。
 
「ザフイは観光の国ではないが、外から来る者はいないのか?」
「あ、いえ……収穫期になりますと大麦や小麦の穂が美しく輝きます。その光景を目にしようと、外からいらゃっしゃるかたもおりますね。それほど大勢ではありませんが、まったくいないわけでもございません」
 
 ザフイの王の言葉に、少しだけ考えた。
 外からの「客」は、検問を通って来る。
 だとしても、中に入れば関係ない。
 皇宮の監視室さえ欺けたのだ。
 警備の緩いザフイの監視室を誤魔化すなど容易かったに違いない。
 
「もう1度、宿を調べろ」
「宿、ですか?」
「宿には人の出入りがある。よそ者がいて当然の場所だ」
 
 宿屋にも騎士を行かせ、聞き取りはしている。
 けれど「聞きかた」に問題があったのかもしれない、と思った。
 
「あの岩場から、最も近い町の宿に行く」
 
 ティトーヴァは立ち上がり、玉座から床へと続く階段を降りる。
 ザフイの王も、あたふたと立ち上がっていた。
 小さな、しかも、属国の王だ。
 リュドサイオの庇護のもと、のんびり暮らして来たのだろう。
 突然のことに、まるきり対処ができていない。
 
(リュドサイオには、属国の管理を、もっと丁寧にするよう、忠告しておく必要があるな。帝国もそうなのだろうが、本国以外は目がとどきにくい)
 
 扉が開かれ、広間を出た。
 ベンジャミンが、わずか後ろを歩いている。
 
「宿の者が嘘をついたのでしょうか?」
「嘘をつく気でなかったことも有り得る」
「該当の相手だと気づかなかったということにございますか?」
「茶色の髪に銅色の目の女は、大勢いるからな。その髪や目の色自体、変えているかもしれん。加えて、よそ者と言っても、宿にはよそ者しか来ない。いちいち気にしておらんだろう」
 
 泊り客の中に、似たような容姿の女が複数いれば、たいして記憶に残らない。
 怪しいそぶりでもあれば覚えていたかもしれないが、追われている者が、あえて「怪しい」そぶりをするはずもなかった。
 
 ザフイの騎士に案内され、町の宿に向かった。
 何軒かあるうち、ティトーヴァは、目立たない小さな宿を指定している。
 外から来た者が好むような宿は、町の中心部にあった。
 どうしても人目につく。
 
 人の目につきたくないからこそ宿を選んでいるのに、わざわざ人目につくような場所を選ぶとは思えなかった。
 無言で考えごとをしているティトーヴァの邪魔を、ベンジャミンはしない。
 だが、ザフイの騎士はティトーヴァが気になるのか、たびたび振り向いていた。
 
「こ、こちらです、皇太子殿下」
「お前たちは、ここで待機だ。ベンジー」
 
 ベンジャミンだけを連れ、宿の中に入る。
 本当に小さな宿だ。
 せいぜい十人ほどしか収容できそうにない。
 中には、ありきたりな平服を着た男女が立っていた。
 不思議そうに、2人を見ている。
 
「ここの主人か?」
「は、はい。そうですが、なにかあったんで?」
 
 男のほうが、ティトーヴァに近づいて来た。
 ざっと見て、武器を持っていないことを確認する。
 当然、ベンジャミンも確認と注意は怠っていないはずだ。
 警戒も解いてはいない。
 
「男女の2人、もしくは男1人に女2人といった客はいたか?」
「それは、ええ……お1人のかたのほうがめずらしいので……」
「女を連れていた男の中で、俺と同じくらいの身長の者は?」
「ええと……そういえば、1人いたかと……騎士のかたならめずらしくないんですがね。貴族のかたでもなさそうで……」
「女は何人いた?」
「1人でしたよ。2人連れの客でした」
 
 ベンジャミンが、少しだけ前に出た。
 宿の主人は威圧されたらしく、顔色を変える。
 
「ほ、本当に、2人連れです! せ、背の高い男は、し、食事の時でさえ、片時も女のそばから離れずにいましたから! 部屋に、ほかの女を連れ込んだりは……」
「わかった、もういい」
 
 ベンジャミンは、黙って引き下がった。
 まともな返事を訊きたかっただけなのだ。
 帝国の領土とはいえ、ザフイはリデュサイオの属国であり、そこの民を殺せば、面倒なことになる。
 殺す理由もないのだし。
 
「その者たちは、どこに行くか話していたか?」
「はっきりとは言っていませんでした。旅の途中で、大麦畑を見に寄ったと言っていましたが……たぶん、ビーンツに向かおうとしていたんじゃないですかね」
「なぜ、そう思う?」
「荷物が少なかったからです。ビーンツなら、なんでも手に入るので、向こうで、調達するつもりだろうと」
 
 主人の言うことにも、一理ある。
 ビーンツは、ザフイに隣接しており、移動もし易い。
 農地を突っ切れば、3日で着けるだろう。
 そして、主の言ったように、ビーンツは、ザフイよりも大きな国だ。
 人口も倍以上で、各地と交易も盛んに行っている。
 
(ビーンツか……そう考えるのは妥当ではあるが……)
 
 気になることがあった。
 ビーンツは、隠れ場所としてはいいかもしれない。
 だが、アトゥリノと近いのだ。
 帝国の直轄国第1位の国に近づくことになる。
 帝国の目のとどきにくい場所ではなく、足元に戻るような真似をするだろうか。
 
「殿下、アトゥリノに手引きする者がいないとは言い切れません」
 
 ベンジャミンが、小声で、そう伝えてきた。
 アトゥリノの国王、ティトーヴァの叔父が絡んで来る可能性を否定できない。
 カサンドラを使って、なにかしようと企てているなら手引きくらいするだろう。
 
(もし、そうなら……叔父上は彼女を利用したあと殺す)
 
 不安が、ティトーヴァの胸をよぎる。
 けれど、カサンドラを信じてもいた。
 
 彼女は、叔父の策略に乗るような愚かな女ではない。
 
 とはいえ、不安の種を残しておくのも本意ではなかった。
 あまり良い手とは思っていないが、しかたなくベンジャミンに指示する。
 
「部隊の半数をビーンツに向かわせろ。俺たちは……」
 
 兵を2手に分ければ、それだけ捜索が遅れることになると、わかっていた。
 どうにも、分の悪い勝負をさせられている気分がする。
 決断に確信を持てないまま、ティトーヴァは言った。
 
「俺たちは、リュドサイオ本国に向かう」
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