いつかの空を見る日まで

たつみ

文字の大きさ
上 下
64 / 300
第1章 彼女の言葉はわからない

三角の折目 4

しおりを挟む
 すでに夜中になっていて、周囲は真っ暗になっている。
 地下牢に行く前にさした目薬のおかげで、暗視が効いていたが、そのせいで再び恥ずかしい思いをした。
 
 夕食後、予定通り、洞窟から出て、崖を登った。
 洞窟の時と同じく「籠」を使っている。
 そこまでは、足手まとい感をいだきつつも、恥ずかしさはなかった。
 だが、崖の上から、ここまでの間が問題だったのだ。
 
 帝国側は断崖絶壁だったが、ザフイ側は、なだらかな坂となっていたのに、彼女は、またしてもフィッツに「抱っこ」されている。
 地面に降り立ってからも、その状態は続いた。
 
(私には足跡を残さないように歩くなんて器用な真似できないけどさ……)
 
 帝国側は砂漠だったが、坂を下り終えたところには、草が生い茂っていた。
 ところどころ低木が生えている場所があり、そこから農地に繋がっている。
 育てられているのは、大麦らしい。
 年に2回収穫時期があり、ちょうど2回目の収穫前なのだそうだ。
 
 フィッツは、なんでもよく知っているなと思った。
 が、しかし。
 
(抱っこで、麦の解説するんだもんなぁ)
 
 当然とばかりに抱き上げてくるフィッツに、諦めの心境ではある。
 と、同時に「慣れさせる」を実践しているのかと、疑ってしまう。
 カサンドラの命令に「絶対服従」ではないため、すこぶる怪しい。
 常日頃は気遣いなんてしないのに、おかしなところで気遣われている気がする。
 
(どこまで、私に羞恥心を捨てさせようっていうんだよ)
 
 フィッツ相手に、羞恥心などあってないようなものだ。
 見られていなかったことがない、というくらいに見られてきたし、気にするのも忘れかけていた。
 だからこそ「抱っこ」に対する、ささやかな羞恥心程度は残しておきたい。
 根こそぎ持って行かれたら、女性としてというより人として駄目な気がする。
 
「どういうおつもりですか、ティ……フィッツ様」
「どういうとは、なにがだ」
「いつまで、ここにおられる気かと、お聞きしております」
「いつまでもなにも、ずっとに決まっている」
 
 立場が下であると認識しているアイシャだが、やけに剣呑な目つきでフィッツをにらんでいた。
 フィッツもフィッツで、やけに冷淡な眼差しをアイシャに向けている。
 間に挟まれているというのに、なにがなんだかわからない。
 
 ここは、農地の先にあった町の、小さな宿屋だ。
 町に何軒かある宿のひとつ。
 けれど、ここが選ばれたのには理由がある。
 
(ザフイの人口は5万人くらい。リュドサイオの3つの属国中、規模は最も小さいらしいけど、その中にもラーザの民がいるわけで……)
 
 この宿屋の主が、そうだった。
 深夜に裏口から現れたにも関わらず、アイシャと同じ反応をしたのだ。
 主とその家族を含め、5人が平伏。
 声をかけただけで、体はぷるぷる、滝の涙。
 
 重過ぎるほど重い光景だった。
 
 さらに、主曰く「いつか役に立てるようにと、ラーザの民は、小国を中心にして帝国全土に散らばった」のだそうだ。
 小国を中心としたのも、女王もしくは王女が「落ち延びる」過程で立ち寄りそうだと考えたからだという。
 
 恐ろしさに、身震いを禁じ得ない。
 
 フィッツは、少々、頭のイカレた男だが、気楽に話せる分、まだマシ。
 アイシャにしろ、宿屋の者たちにしろ、仰々しいこと、この上もない。
 その理由が「ヴェスキルの継承者だから」でしかないのだから、いよいよ、頭が痛くなる。
 
「本気で仰っておられるのですか?」
「なぜ、私が冗談を言う必要がある」
 
 宿屋の一室。
 狭いが丁寧に掃除がしてあり、清潔感があった。
 フィッツは、小うるさいメイド長のように、隅々まで点検していたけれども。
 
「正気とは思えないからにございます」
「いいかげんにしろ、アイシャ・エガルベ。なにが言いたい」
 
 だんだんに、フィッツの口調が刺々しくなっていく。
 表情は変わっていないが、内心では、苛立っているようだ。
 とはいえ、アイシャも、ますます眉を寄せ、厳しい表情になっている。
 
「ここは浴室だと、お分かりになっておられるのでしょうか?」
「見ればわかる」
 
 お、と思った。
 
 よもや、まさか。
 
 今までフィッツと2人だったし、彼女はフィッツを説得するのは諦めていたし、説明しても伝わらないと思ってきた。
 それを、アイシャは、今まさに問題としているのではなかろうか。
 
「では、ここに居座るのはおやめください」
 
 ぴくり。
 
 フィッツの眉が吊り上がる。
 おそらく、いや、絶対にアイシャの言わんとしていることを理解していない。
 まるで見当違いなことを言い出すと、わかっていた。
 
「視聴覚情報用の装置をここで使うことはできない。今後のために温存する必要があるからな。近距離であれば、視聴覚情報より目視のほうが確実でもある」
 
 やっぱりね。
 
 フィッツの主張と、アイシャの苦言は、まるで別の方向に描いた矢印だ。
 お互いに、明後日のほうに向かって矢を放っているも同然。
 会話にはなっていても、意思の疎通はできていない。
 
「まさか今まで視聴覚情報装置を使っておられたのですか?!」
「皇宮にいた頃は、常時、使用していた。万全の態勢で姫様をお守りするのが、私の使命だ」
「ティニカが、そういう家門だとは存じておりますが、それはあまりにも……」
 
 アイシャが、ちらっとカサンドラに視線を向けてくる。
 肩をすくめ、首を横に振ってみせた。
 
 フィッツとは、こういう男なのだ。
 
 出会った当初から、少々、頭がイカレていた。
 そのイカレ具合は尋常ではない。
 が、もはや、慣れた。
 そして、諦めている。
 
「……おいたわしいことにございます……そのような……」
 
 悲壮な表情になるアイシャに、苦笑いをもらした。
 ラーザの民として育てられたとしても、アイシャの日常は一般的なものと大きな差はなかったのだろう。
 
「聞き捨てならないな。おいたわしいとは、どういう意味だ」
「これが、おいたわしくなくて、なんと申し上げればよろしいのですか」
 
 確かに、おいたわしいね。
 
 我ながら、そう思う。
 アイシャが言いたくなる気持ちを、彼女は理解できた。
 フィッツには理解しがたくとも。
 
「世間一般の女性ですら、裸身を男性に見せることはございません! ましてや、高貴なる御身の肌をさらすなど……恋仲にある者や夫ならばともかく、女性が男性に裸身を見られるのが、どれほどの恥辱か、ご存知ないのですか、ティニカ公!」
 
 心に刻んだはずのことも、ショックのあまり忘れてしまったらしい。
 アイシャは、フィッツに人差し指を、ビシッと突きつけている。
 対して、フィッツは「え?」という顔をしていた。
 無理もない。
 
(フィッツ、下心ないからなぁ。使命感でしてたことだし、驚くよね)
 
 帝国の小屋では、2人きりで過ごしてきている。
 カサンドラを守れるのは、フィッツだけだったのだ。
 少し目を離した隙に、カサンドラが害されるかもしれない。
 その危険を排除していただけで、他意はなかったと、わかっている。
 
「し、しかし、浴室は警戒しづらく、無防備にもなる場所だ」
 
 アイシャの言葉に、明らかにフィッツは動揺していた。
 フィッツとも思えないくらいの狼狽うろたえぶり。
 
「皇宮では、いたしかたなかったかもしれませんが、今は私がおります。浴室内の警護は私にお任せください。何事かあっても対処いたしますし、必要なれば、お呼びいたします。ですから、破廉恥な真似は、お控えいただきたい!」
 
 フィッツの顔色が変わった。
 初めて見たが「色を失う」との言葉がぴったりの、顔面蒼白状態だ。
 あのフィッツが、アイシャに反論もできずにいる。
 
「姫様……私は、けして……けして……」
「わかってる。フィッツは破廉恥ではないよ」
「ですが……姫様は……」
「まぁ、安全のためとはいえトイレまでっていうのは……」
 
 がたん。
 
 音に驚いて、そっちを見ると、アイシャが、がっくりと片膝を床についていた。
 ティニカ育ちではないアイシャには刺激が強過ぎたのかもしれない。
 
「今後、御身に対する目視での警護は、できる限り、私が担わせていただきます。女性特有のお気遣いが必要な場所は、とくに。よろしいですね………ティニカ公」
 
 低い、地の底から響いてくるような声で、アイシャが言う。
 フィッツは、動揺から抜け切れていないのか、無言。
 そして。
 
 こくり。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る

花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。 その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。 何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。 “傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。 背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。 7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。 長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。 守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。 この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。 ※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。 (C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

麗しの王子殿下は今日も私を睨みつける。

スズキアカネ
恋愛
「王子殿下の運命の相手を占いで決めるそうだから、レオーネ、あなたが選ばれるかもしれないわよ」 伯母の一声で連れて行かれた王宮広場にはたくさんの若い女の子たちで溢れかえっていた。 そしてバルコニーに立つのは麗しい王子様。 ──あの、王子様……何故睨むんですか? 人違いに決まってるからそんなに怒らないでよぉ! ◇◆◇ 無断転載・転用禁止。 Do not repost.

私の頑張りは、とんだ無駄骨だったようです

風見ゆうみ
恋愛
私、リディア・トゥーラル男爵令嬢にはジッシー・アンダーソンという婚約者がいた。ある日、学園の中庭で彼が女子生徒に告白され、その生徒と抱き合っているシーンを大勢の生徒と一緒に見てしまった上に、その場で婚約破棄を要求されてしまう。 婚約破棄を要求されてすぐに、ミラン・ミーグス公爵令息から求婚され、ひそかに彼に思いを寄せていた私は、彼の申し出を受けるか迷ったけれど、彼の両親から身を引く様にお願いされ、ミランを諦める事に決める。 そんな私は、学園を辞めて遠くの街に引っ越し、平民として新しい生活を始めてみたんだけど、ん? 誰かからストーカーされてる? それだけじゃなく、ミランが私を見つけ出してしまい…!? え、これじゃあ、私、何のために引っ越したの!? ※恋愛メインで書くつもりですが、ざまぁ必要のご意見があれば、微々たるものになりますが、ざまぁを入れるつもりです。 ※ざまぁ希望をいただきましたので、タグを「ざまぁ」に変更いたしました。 ※史実とは関係ない異世界の世界観であり、設定も緩くご都合主義です。魔法も存在します。作者の都合の良い世界観や設定であるとご了承いただいた上でお読み下さいませ。

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

人質姫と忘れんぼ王子

雪野 結莉
恋愛
何故か、同じ親から生まれた姉妹のはずなのに、第二王女の私は冷遇され、第一王女のお姉様ばかりが可愛がられる。 やりたいことすらやらせてもらえず、諦めた人生を送っていたが、戦争に負けてお金の為に私は売られることとなった。 お姉様は悠々と今まで通りの生活を送るのに…。 初めて投稿します。 書きたいシーンがあり、そのために書き始めました。 初めての投稿のため、何度も改稿するかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。 小説家になろう様にも掲載しております。 読んでくださった方が、表紙を作ってくださいました。 新○文庫風に作ったそうです。 気に入っています(╹◡╹)

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

みおな
恋愛
 伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。  そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。  その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。  そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。  ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。  堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

見捨てられた逆行令嬢は幸せを掴みたい

水空 葵
恋愛
 一生大切にすると、次期伯爵のオズワルド様に誓われたはずだった。  それなのに、私が懐妊してからの彼は愛人のリリア様だけを守っている。  リリア様にプレゼントをする余裕はあっても、私は食事さえ満足に食べられない。  そんな状況で弱っていた私は、出産に耐えられなくて死んだ……みたい。  でも、次に目を覚ました時。  どういうわけか結婚する前に巻き戻っていた。    二度目の人生。  今度は苦しんで死にたくないから、オズワルド様との婚約は解消することに決めた。それと、彼には私の苦しみをプレゼントすることにしました。  一度婚約破棄したら良縁なんて望めないから、一人で生きていくことに決めているから、醜聞なんて気にしない。  そう決めて行動したせいで良くない噂が流れたのに、どうして次期侯爵様からの縁談が届いたのでしょうか? ※カクヨム様と小説家になろう様でも連載中・連載予定です。  7/23 女性向けHOTランキング1位になりました。ありがとうございますm(__)m

【完結】記憶が戻ったら〜孤独な妻は英雄夫の変わらぬ溺愛に溶かされる〜

凛蓮月
恋愛
【完全完結しました。ご愛読頂きありがとうございます!】  公爵令嬢カトリーナ・オールディスは、王太子デーヴィドの婚約者であった。  だが、カトリーナを良く思っていなかったデーヴィドは真実の愛を見つけたと言って婚約破棄した上、カトリーナが最も嫌う醜悪伯爵──ディートリヒ・ランゲの元へ嫁げと命令した。  ディートリヒは『救国の英雄』として知られる王国騎士団副団長。だが、顔には数年前の戦で負った大きな傷があった為社交界では『醜悪伯爵』と侮蔑されていた。  嫌がったカトリーナは逃げる途中階段で足を踏み外し転げ落ちる。  ──目覚めたカトリーナは、一切の記憶を失っていた。  王太子命令による望まぬ婚姻ではあったが仲良くするカトリーナとディートリヒ。  カトリーナに想いを寄せていた彼にとってこの婚姻は一生に一度の奇跡だったのだ。 (記憶を取り戻したい) (どうかこのままで……)  だが、それも長くは続かず──。 【HOTランキング1位頂きました。ありがとうございます!】 ※このお話は、以前投稿したものを大幅に加筆修正したものです。 ※中編版、短編版はpixivに移動させています。 ※小説家になろう、ベリーズカフェでも掲載しています。 ※ 魔法等は出てきませんが、作者独自の異世界のお話です。現実世界とは異なります。(異世界語を翻訳しているような感覚です)

処理中です...