いつかの空を見る日まで

たつみ

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第1章 彼女の言葉はわからない

肩の荷は増すばかり 4

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 ひゅっと、風を切る音が、耳に小さく響く。
 フィッツの肩に顔を押しつけているので、周りは見えない。
 しがみつきっ放しで、口を固く閉じている。
 きっと目を開いたら、反射的に声を出してしまう。
 予想はしていたため、彼女は目も閉じたまま。
 
 体に、繰り返しの浮遊感があった。
 
 フィッツが、空を飛べるとは思わない。
 とはいえ「飛んで」いるのは、察している。
 いわゆる「跳躍」を繰り返して、移動しているのだろう。
 
(さっきの音……アイシャだよね、絶対。なにやらかしたんだか……)
 
 アイシャには「死なない」約束をさせていた。
 命を落とすことはないと信じたい。
 が、命があれば、それでいいということでもないのだ。
 それをアイシャが理解しているか不明なので、心配になる。
 
 体のどこかが、なくなっていたり、とか。
 
 アイシャは、薄赤く長い綺麗な髪に、琥珀色の瞳をしていた。
 戦車試合の場では小柄に見えたが、周りが男だらけだったからだろう。
 実際には、カサンドラより背は高い。
 それでも、アイシャは「綺麗な女性」だ。
 
(顔に傷なんてついてなきゃいいけど……自分の身を顧みなさそうだからなぁ)
 
 フィッツに、アイシャの状況が訊きたかった。
 けれど、フィッツから話しかけて来るまでは、口を開くべきではない。
 追われているのは、カサンドラなのだ。
 万が一、声を聞きとがめられれば、フィッツとアイシャの行動が無駄になる。
 
(でも、かなり際どかった。お坊ちゃんだけど、そこは皇太子ってとこか)
 
 17歳で出征したとの話は聞いていた。
 戦争をしかけるくらいなのだから、そっち方面では「馬鹿」ではないらしい。
 相手の作戦を見抜く知識と知恵は備わっている。
 
 アイシャが囮だと、皇太子は見破っていた。
 だから、フィッツのほうを追って来たのだ。
 フィッツがカサンドラから離れ、2手に分かれたことに違和感をいだいたのかもしれない。
 
 フィッツと身を潜めていた場所から、2人の声が聞こえていた。
 皇太子とベンジャミンだ。
 ほかの騎士たちは、連れて来ていないらしかった。
 
(どのくらい連れて来てたのかはわかんないけどさ。一緒に行動してたら、こっちだって気づくもんね、フィッツが)
 
 彼女は、2人が近づいて来ているなんて、ちっとも気づかずにいた。
 元々、彼女の予定に「追いかけられる」事態は入っていなかったのだ。
 適当に姿をくらませばいい程度にしか考えていなかったため、こうした状況への対処方法など知るはずもない。
 フィッツがいなければ、間違いなく、捕まっている。
 
 とん。
 
 自分の足で踏んだわけではないが、地面に立っている感覚がした。
 時間にすると、数分というところだろうか。
 
「もう目を開けても大丈夫ですよ、姫様」
 
 声をかけられ、そろりと目を開く。
 背の高い木々に葉はないが、代わりに背の低い植物が繁っていた。
 ほかの木より背は低いものの、彼女が立てば腰くらいまではあるだろう。
 薄緑色の葉に覆われていて、その葉は少し尖っている。
 
「予定通りです」
「予定通りとは思えなかったけど」
「皇太子は、意外と目端が利きます。こちらを追ってくるのは想定内でした」
 
 話しながら、フィッツは、ひょいひょいと軽く低木を飛び越えていた。
 もちろん、彼女を抱きかかえたままで、だ。
 何気なく、フィッツの肩越しに、地面を見下ろす。
 低木はさっきと変わらずで、誰かが通ったようには見えなかった。
 
「さっきの、どんっていうのも予定通り?」
「はい。アイシャに指示を出しました」
「ん? 2人は離れてても連絡が取れるんだ」
「連絡と言っても、私が渡しておいた爆薬が光る程度のことですよ」
「光った直後に爆発とか、ないよね?」
 
 もし、そうならアイシャに逃げる時間はない。
 が、フィッツは首を横に振る。
 ちょっとだけ安心した。
 
 なにしろ、フィッツは、少々、頭のイカレた男なので。
 
「直後ではなく、5秒後に調整しておきました」
「ご……っ……」
「アイシャはエガルベの騎士です。5秒もあれば十分でしょう」
「アイシャには話してある? 5秒後に爆発するって」
「言わなくとも分かります」
「ああ、うん……エガルベの騎士だからだね……」
 
 こくり。
 
 フィッツは、カサンドラを抱えたままでも、器用にうなずいてみせる。
 そうしながらも、軽い足取りで低木を越え、進んでいた。
 
「道わかってる?」
「隠し通路は、1度、入ったことがありますし、出口の確認もしました。その際、森の出口から帝都を抜けるルートも、いくつか想定していました」
「じゃ、この道は安全ってことか」
「あらかじめ、別の場所の木に折り枝を作っておいたので、98%は安全だと推測できます」
 
 事前に、この低木ルートから注意をそらせるための備えをしていたらしい。
 おそらく、わざと木の枝を、それらしく折っておいたのだ。
 それでも、百%ではないとするのは、フィッツの用心深さからきている。
 彼女的には「無視していい」数値だった。
 
「いつ、そんな準備してたのさ?」
「戦車試合のあと、着替えに手間取っている振りをして、森に行っておりました」
 
 改めて、気づいた。
 フィッツだけなら、いつでも皇宮を抜け出せたのだ。
 フィッツの食材調達用の「狩場」は、この森だったのだろう。
 
「意外と、直前だね」
「木は生き物です。折れた枝が古いと意味がありません」
「見て、わかるもんなの、それ」
「皇太子と、あの側近であればわかるでしょうね」
 
 フィッツが、言うくらいなのだ。
 予想以上に、2人は優秀なのだろう。
 
「あのさ、フィッツは、誰が1番、手強いと思ってる?」
「皇太子です」
 
 即答に、少し驚いた。
 てっきりベンジャミンを、最も警戒していると思っていたからだ。
 戦車試合のことでも、フィッツなりにベンジャミンを褒めていたように思う。
 
「剣の腕……ではないよね」
 
 皇太子は、あのルディカーンを「剣では右に出る者はいない」と評していた。
 自分の腕が確かなら、そういう言いかたはしなかったのではないか。
 面目を気にするきらいはあったが、見栄を張る性格ではなかった気がする。
 
「皇太子の近距離武器は特殊なのです」
「特殊? 銃でもない?」
「はい。帝国最新鋭の武器ですが、皇太子にしか使いこなせていないので、実質、専用武器と言えますね」
「強い武器?」
「厄介な武器なのは確かです」
 
 あの皇太子が、武器を振り回すところを思い浮かべられない。
 戦うのは、ベンジャミンや周りの騎士たちだと思い込んでいた。
 
「薄い円形状の装置を手のひらに装着すると、指先まで細いワイヤーが張りつきます。指の神経と連動して、自在にワイヤーを伸縮させたり、動かしたりできる武器ですね。皇太子は、ファツデと呼んでいましたが、ほかの者が使っているのを見たことはありません」
「それも、やっぱりラーザの技術の模倣?」
「ラーザでは高い場所の果実や動物をとるのに、伸縮性のある糸を使っていたのですが、おそらく、それが元になっているのでしょう。汎用が効かないので、費用対効果の悪い武器だと言えます」
「そんなの、いつ見たの?」
「皇太子は、姫様に執着し始める前は、毎日、訓練場に行っていました」
 
 訊かなければ良かった。
 
(あいつめ……訓練さぼって、小屋に来てたのか。ちゃんとやれ、訓練を)
 
 皇太子は、2年間、小屋どころかカサンドラの部屋とされていた宮にも来たことがなかったのだ。
 忙しいのかと思いきや、時間をとろうとすれば、できたのではないか。
 毎日、訓練をさぼれとは言わないが、この2年間、どれだけカサンドラに無関心だったかはわかる。
 
「それって強い? 全然、イメージできないんだけど」
「かなり強いですよ。ワイヤーは細過ぎるので、銃で撃つのはまず不可能ですし、剣だと絡め取られる恐れがあります。狙うとすれば、手のひらの装置なのですが、面倒なことに、自動で索敵する機能も有しています」
「あいつの後ろに回っても見つかるって感じ?」
「皇太子は手を後ろにしていても、操れるようでしたね。しかも、すべてが自動になっているのではなく、十本の指のうち、何本かだけです。それを、皇太子は指の動きで変更していました。非常に予測がつけにくい仕様です」
 
 皇太子の指先ひとつで、自動索敵する指が変わるらしい。
 たとえば、さっきは右手の中指と左手の薬指だったのが、次には別の指に制御が移されている、ということになる。
 となると、防ぐには、ワイヤーが自分に伸びて来る前に、逃げるとかけるとか掴むとか弾くとか、と考えかけてやめた。
 
「細くても耐久性があって、速いんだろうね」
 
 きっと、さっき考えかけた手段が通じないくらいに、高性能なのだ。
 だから、フィッツは簡単に「強い」と答えた。
 
「およそ0.3ミリで、150キロ程度の荷重には耐えられそうでした。速度は、だいたい秒速500メートルくらいだったでしょうか」
 
 はあ…と、大きく溜め息をつく。
 数字はともかく、弱点がなさそうな武器だということだけは理解したからだ。
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