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第1章 彼女の言葉はわからない
振り返らず振り向かず 2
しおりを挟む「ここかぁ。意外と、あっさり来られたね」
「隠し通路から外までが長いのですよ、姫様」
「皇宮の敷地は広いからなぁ。急がないと」
2人は地下牢の前まで来ている。
ここまでは、順調だ。
あらかじめフィッツが下調べしていた最短距離を進むことができていた。
皇宮内を移動するにあたって、あの「真珠貝」ドレスから、身動きのし易い服に着替えをすませている。
途中、これもフィッツが調べておいた「空き部屋」に、着替えを用意してくれていたおかげだ。
今の彼女は、普段とは違う。
特殊な体質を隠すため、体に着けられていた装置を壊したからだ。
これで、目視以外で、監視に引っ掛かることはない。
(耳の後ろ……まだちょっと痛いけど、しかたないか)
耳の横に手をやり、きゅっと帽子を引き下げた。
カサンドラは、厨房メイドの格好をしているのだ。
円形をした頭にぴったりとはまる白の帽子に、生成りの上着とズボン。
メイドと言っても、格下の雑用係が着る服だった。
フィッツも似たような格好をしている。
2人とも、帽子の中に髪を押し込んでいた。
一応、薬によって目と髪の色は変えている。
だが、服装に見合った格好でなければ、見咎められる恐れがあった。
格下の雑用係は、上の者たちの鬱憤晴らしの格好の的。
少しでも「不備」があれば、呼び留めらて叱責されるのだそうだ。
小言ですめばいいが、殴ったり蹴られたりするのも日常茶飯事。
カサンドラが攻撃されれば、フィッツが黙っていられるとは思えない。
なので、目をつけられないよう、きっちりした服装を心掛けたのだ。
そして、そうした面倒があっても厨房服にしたのには、理由がある。
厨房の裏手にある通路が、地下牢に続く階段に繋がっていた。
地下牢に行くための通路ではなく、地下の貯蔵室に行くのを目的として作られたらしい。
が、かつては、立場の弱い下働きの者たちが逃げないよう、地下牢に閉じ込める風習があったのだという。
「開きました」
フィッツが、簡単に鍵を開けていた。
先に入ったフィッツの後ろについて、隠し通路のある地下牢に入る。
暗くて、じめじめしているが、視界は鮮明だ。
「あの目薬って、目の色を変えるだけじゃなかったんだ」
「暗視の効果もありますよ」
「これも、ラーザのもの?」
「いいえ、あれは日用品に近いもので、どこの国でも売っています」
便利な代物は、すべて「ラーザ品」だと思っていたが、そうでもないらしい。
着替えたあとに使った目薬で、瞳の色が変わっただけでも驚いていたのに、夜目が効くようにもなるという優れもの。
日用品として一般的に売られているとは思わなかった。
「この辺りですね」
ススと、フィッツが壁を撫でる。
その動きに、なにかが反応した。
ツツツという感じに、壁に縦の切れ目が入っていた。
フィッツが押すと、壁が横へと移動していく。
「行きましょう。ここから、外までは徒歩で1時間はかかります」
「い……っ……そっか……そんなに広かったんだね、皇宮の敷地って……」
「私が姫様を背負って行きましょうか?」
「……それはいい。大丈夫。自分で歩くよ」
がっくりとうなだれつつ、通路に入った。
やはり、中は真っ暗だが、問題はない。
「閉めます」
フィッツは、開いていた壁を戻してから、先に立って歩く。
通路は狭く、2人で並んで歩けない。
薄くはないが、空気は冷たく、呼吸すると白い息が見えた。
押し迫ってくるような両側の鉄の壁に、圧迫感を覚える。
狭い場所に閉じ込められているような感覚だ。
(閉所恐怖症でもないし、幽霊が怖いっていうのもないけどさ……すっごく窮屈に感じるよ。箱の中にいるみたいで……なんか焦る……)
怖いというより、焦りのようなものがあった。
早く出なければ窒息しそうな気がする。
空気があるのはわかっているのに、そう感じてしまうのだ。
「姫様、呼吸は、ゆっくりで大丈夫ですよ。あの会場より濃度は濃いので、空気がなくなることはありません」
「わかってるんだけどさぁ……無意識に、なんか、ね……」
意識して、ゆっくり呼吸した。
肺に冷たい空気が入ってくる。
だが、外で深呼吸するような爽快さはなかった。
どうしても、体に漠然とした不安を感じる。
「そういえば、監視は、どうやって誤魔化したの? 人を騙すよりも難しいんじゃない? 機械的に処理されてるんだよね?」
「私に言わせれば、帝国の監視技術はザルです」
スパッと切って捨てる言いかたが、フィッツらしくて、少し笑った。
帝国という大国も、フィッツには「恐れるに足らず」なのだ。
「機械的に番号を個人に割り当てていますが、それを操作することは可能なのです」
「どうやって?」
「皇宮の各所には、割り当て用の機材があり、皇宮に入る際に番号が振られます。割り振りは1度だけ。出る際には削除がされる仕組みになっています」
「次に入る時は、新しい番号がつくんだね」
「はい。数字は、ある意味では無限にあるので、同じ番号が使われることはないのです。簡単な話、新しい番号を割り振れば、いくらでも詐称が可能なわけですよ」
簡単だとフィッツは言うが、それほど簡単なことなら、帝国側が対処していないはずがないと思う。
おそらく「できない」という意識があるから対処していないのだ。
戦車試合の時、皇太子が「そもそもできる者がいないから考慮していない」と言っていたのと同じ理屈だろう。
でなければ、帝国の危機管理はザルどころか、無いに等しい。
「でも、それだと人数が合わなくならない?」
「皇宮内の人数を把握しておけば、問題ありません。実際には出ていない者を出たと判断させてしまえば、増減の誤差はなくなります」
「フィッツは、その割り振りの機械を操作してるってこと?」
「いえ、私自身が割り振り用の機械の役割を果たしています。割り込みをかけると監視室に気づかれますからね」
かなり意味がわからなかった。
なんとなくフィッツが、その機械の代替をしていることは理解できるけれど。
「フィッツは、番号を割り振ったり、削除したりできるっていう意味?」
「その通りです。ですが、姫様が思うほど難しいことではありません。姫様とともに皇宮に入った際、あの機械を1つ壊し、入れ替えのため用意された機材に、私と繋がるよう細工しておいただけですから」
「……てことは、それも2年以上前に……」
「なにが起きるかわかりませんので、偵察のための準備が必要だったのです」
それは、そうかもしれないが、起きるはずのないことにまで、フィッツは備えてきたのではないかと思う。
正直、皇宮暮らしをする上で、フィッツの偵察には、なんの意味もない。
以前にも感じたことだ。
けれど、フィッツのしている準備は「開かれるはずのない誕生日会の飾りつけ」以上のものだった。
1年後の天気がわからないからといって、毎日、傘を持ち歩く。
そんなふうだ。
もちろん、役に立つこともあるだろう。
が、1年後の天気なんて今から考えても無意味だ。
そのためだけに、毎日、傘を持ち歩くなんて、どう考えても馬鹿げている。
なのに、フィッツは、その馬鹿げたことを、ずっとやり続けている。
カサンドラのためだけに。
報われたいなどと思っていないのだ、フィッツは。
報われたいという期待があったなら、無駄だとわかっていることを、やり続けることはできない。
報われず、落胆する自分が見えるからだ。
「あのさぁ、フィッツ」
「はい、姫様」
もっと気楽に生きなよ。
言いたくなったが、やめておく。
言っても、フィッツにはわからない。
また「死ね」と言われていると誤解するのがオチだ。
だから、別のことを言った。
「手、繋いで」
「はい、姫様」
フィッツが少しだけ振り向いて、彼女の手を握る。
ちゃんと暖かかった。
フィッツは機械の代わりもできるようだが、機械ではない。
ちゃんと暖かい、ぬくもりを持った人間なのだ。
「フィッツは有能だよ。役に立たなかったことがない。全部、全部、役に立ってるからね。無駄なことなんて、ひとつもなかったよ」
「恐れ入ります」
口調は、いつもと同じだった。
それでも、繋いだ手から、なんとなく伝わってくる。
(フィッツ、私の役に立てて嬉しいんだな……なんか微妙だけど……)
フィッツが喜んでいるのなら、それでいいと思った。
胸に一抹の寂しさを感じはするけれども。
「あーあ、私のほうが置き去りにされちゃいそうだよ」
「それは有り得ません」
即答に、声を上げて笑う。
フィッツの手のぬくもりに、さっきまでの圧迫感がなくなっていた。
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