いつかの空を見る日まで

たつみ

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第1章 彼女の言葉はわからない

事実の是正 3

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 ティトーヴァは、カサンドラを残して来たことを気にしながらも、皇帝の私室に向かっていた。
 疑問は、多々ある。
 
 なぜ、今なのか。
 どういう用件なのか。
 今後の政務はどうするのか。
 なぜ、長く私室に籠っていたのか。
 
 あの日、カサンドラとなにを話したのか。
 
 カサンドラが「本物」になった日。
 皇帝に会う直前から、カサンドラは偽りの姿を捨てていたように思う。
 が、皇帝に会ったあとは、さらに開き直った感じがした。
 ティトーヴァが、いくら聞いても「話したくない」の一点張り。
 どういう会話があったのか、話そうとはしなかったのだ。
 
 どうせ訊いても答えないし、皇命とは関係なく、カサンドラを気に入った。
 だから、あれっきり、その話にはふれずにいる。
 とはいえ、いざ皇帝との謁見が叶うとなれば、気になり始めていた。
 
 セウテルが扉を何度か叩き、黙って、その扉を開く。
 ティトーヴァは、まっすぐ顔を向け、中に入った。
 私室に、皇帝の姿はない。
 
 りん。
 
 小さな鈴の音が聞こえる。
 寝室のほうからだ。
 足早に、寝室へと向かった。
 室内には、誰もいない。
 
 皇帝の私室は、監視室とは別の仕組みにより、完全に制御されている。
 そのため、侵入者がいれば、即座に見つかり、皇帝直属の騎士たちが踏み込んで来るのだ。
 静まり返っていることからすると、本当に誰もいないのだろう。
 
 寝室の扉を開けて、中に入る。
 ぼんやりとした明かりに、ベッドが見えた。
 皇帝は横になっているようだ。
 ひっそりとした空気に、心が勝手に緊張していく。
 
「陛下、ティトーヴァにございます」
 
 声をかけてから、ベッドのほうへと歩み寄った。
 父と息子という関係ではあるが、ある時期から、ティトーヴァは父を父とは呼ばなくなっている。
 自分は皇帝の臣下に過ぎないのだと、父というものに対する期待を諦めるよう、己を戒めてきた。
 
「体調がすぐれないのですか?」
 
 皇帝は目を閉じている。
 ぼんやりとした明かりの中でも、顔色の悪さが見てとれた。
 ティトーヴァの知っている溌剌とした姿は、そこにはない。
 むしろ、ひと目で病だとわかる。
 
「私は、もうじきに死ぬ」
 
 眠っていたかに見えたが、意識はあったようだ。
 だが、声は細く小さい。
 突然のことに、ティトーヴァは言葉を失った。
 どう返答をすればいいのか、頭に浮かばないのだ。
 
 皇帝の言葉を、すでに心が受け入れている。
 口先だけの否定が、なんの意味も持たないと。
 
「おそらく、あと……半年も保たないだろう」
 
 皇帝は皇帝であり、父ではない。
 そう思い、長く自分の心から「父」という存在を締め出してきた。
 なのに、いざ「死」を口にされ、ティトーヴァは明確に動揺している。
 母を亡くし、兄弟姉妹もいない。
 
 肉親は、目の前にいる「皇帝」ひとりなのだ。
 
 それは、皇帝にとっても同じだった。
 けれど、ティトーヴァに語りかける声音には、やわらかみも暖かさもない。
 そのことに、動揺しているティトーヴァは気づかずにいる。
 
「私の死後は、お前が帝国を治めよ。滞りなく……手続きは……手配済みだ」
 
 皇太子である以上、ティトーヴァの即位は必然だ。
 たとえ認めていない者がいたとしても、いったん帝位はティトーヴァが継ぐ。
 その後のことはわからない。
 帝位の簒奪さんだつを企む者が出て来る可能性は否めなかった。
 
 ティトーヴァは、自分に父ほどの力がないのを知っている。
 
 ベッドに横たわっている弱々しい姿の父を、じっと見つめた。
 今でさえ、父は皇帝としての力を発揮しているのだ。
 皇帝の存在が、帝国の平和を維持している。
 
 ティトーヴァを認めていない者たちも、皇帝に歯向かおうとはしていない。
 どれほど謁見を拒まれ、政務をおろそかにしていようと、誰もが大人しく皇帝の意思に従っている。
 
 無条件で、人を惹きつけ、従わせる力。
 
 それを、父は持っていた。
 いや、死を迎える、その時まで持ち続けるのだろう。
 
「あの娘と……親しくしているそうだな……」
 
 感傷から、不意に現実に引き戻される。
 偉大な皇帝であり父の死という認めがたい事実から、ほんの少しだけ意識がずれたのだ。
 
「陛下より……ご皇命を賜っておりますので……」
 
 しかし、まだ動揺から抜け出せてはいない。
 心にもないことを口にしている。
 未だ幼い心を捨て切れていない自分がいとわしかった。
 
 皇命とは関係なく、カサンドラに恋をしている。
 
 その言葉ひとつ言えず、父の機嫌を取ろうとしているのだ。
 認められたい、褒められたいと、小さなティトーヴァが足掻いている。
 
 ひどく惨めだった。
 
「そうか……あの娘……やはり……話さなかったのだな……」
 
 言って、皇帝が嗤う。
 ぞっとするような冷たさが、ティトーヴァの胸に突き刺さった。
 死を語りながらも、父は父であろうとはしていない。
 痛烈に、それが伝わってくる。
 
 死を迎える前であれば、なにかが変わるのかもしれない。
 
 ささやかなティトーヴァの希望は打ち砕かれていた。
 感情が、絶望にのまれかけている。
 父が父でないのなら、自分も息子ではないのだ。
 息子であったこともあっただろうが、もはや、父に息子はいない。
 
「お前に……話しておくことがある……」
 
 命を削るようにして、皇帝が話し始めた。
 絶望の淵に立っているティトーヴァの背中を押すためだったと、話を聞きながら悟っていく。
 ティトーヴァの知らなかった事実が明らかにされたのだ。
 
 ラーザ侵攻の折、皇帝とラーザの女王が出会い、恋に落ちたこと。
 それにより、穏やかな和平が結ばれようとしていたこと。
 それが、叶わなくなった理由。
 フェリシア・ヴェスキルは被害者で、加害者はネルウィスタ・アトゥリノ。
 
 ティトーヴァの母だった。
 
 その上、加害者であるネルウィスタの息子が、ラーザを滅ぼしたのだ。
 地図から、ラーザの名までもを奪った。
 
「お前は、私に黙って……自軍を動かした……ラーザを消せば……私の心が変わるとでも……思ったか……ラーザはもぬけの殻だったろう……? 勝利と呼べない勝利で……満足できたか……?」
 
 瞬間、ティトーヴァは理解する。
 
 皇帝の許可が得られないとわかっていたティトーヴァは、黙って出征した。
 勝利して帰れば認めてもらえると、そう信じていた。
 けれど、認めてもらえるはずがなかった。
 ラーザがもぬけの殻だったのは、皇帝が、なにか手を回したからなのだ。
 
「あの娘は……なにもかもを……知っていた……私が話すまでもなく……」
 
 ティトーヴァが、今、初めて知ったことを、カサンドラは知っていた。
 告げられ、大きな衝撃を受ける。
 
「私とフェリスを引き裂いた者たちの……娘と息子……お前たちは……そういう関係だ……お前の母は……あの娘の母を傷つけ……お前はあの娘から……故郷を奪った……訊いてみるが、いい……」
 
 薄暗がりの中、皇帝が嗤う。
 ティトーヴァを嘲笑いながら、言う。
 
「お前の母を……お前自身を……どう思っているか……とな……」
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