いつかの空を見る日まで

たつみ

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第1章 彼女の言葉はわからない

事実の是正 2

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 嫌ではあったが、しかたがなかったのだ。
 皇太子とフィッツを、なるべく遠ざけておきたかった。
 あの「光」についての話題を持ち出されるのは困る。
 フィッツに訊いてはいないが、なんとなく、そう感じていた。
 
(2曲も踊っちゃったよ。パーティに出たことなんかないけど、体が覚えてるっていうのは、こういうことなんだなぁ)
 
 かつて、母にダンスを習ったことがある。
 にしても、思っていたよりスムーズに踊れたことに驚いていた。
 下手な振りをして皇太子の足を踏んでやるつもりでいたのだが、それもできないくらいに体が自然に動いたのだ。
 
「喉が渇いただろう」
「ああ、うん」
 
 差し出されたグラスを受け取る。
 ワイングラスより、ほっそりとしたグラスだ。
 薄い黄色をした液体からは、ぽつぽつと泡が上がっている。
 ここに来て以来、酒なんて口にしたことがない。
 そのため、どういう類の酒かもわからなかった。
 
「ん? なんか甘いね。白ワインかと思ったけど、違った?」
「いや、間違ってはいない。白ワインの一種だ。甘いのは蜂蜜入りだからだろう」
 
 口あたりは爽やかで、飲み易い。
 とても甘く、酒独特の苦みは感じられなかった。
 とはいえ、飲み易いのは危険だ。
 いい気になって飲み過ぎては、この後の「目的」に差し支える。
 
「これを飲んだら、ここを離れるぞ」
「離れるって、どこに行く気? 帰っていいの?」
 
 小屋に帰されるのはまずい。
 せっかく堂々と皇宮に入って来られたのに、外に出たら、このまま地下牢に移動するという計画が台無しになってしまう。
 が、しかし。
 
「終宴の仕切りは、誰かが、なんとかするはずだ。俺たち2人がいなくなっても、とがめられる者などいない」
 
 俺たち?
 
 今、皇太子は、確かに、そう言った。
 聞き間違いではない。
 
「一緒に来るつもり?」
「来る? 行くの間違いだろう」
「行くって、どこに?」
 
 てっきり小屋に帰されるものだと思っていた。
 もとより、皇太子はカサンドラを伴ってパーティに出たことはなかったのだ。
 今日は、フィッツが優勝したこともあって、連れて来ないわけにはいかなかったのだろうと考えていたのだけれども。
 
「俺の……私室だ」
「あんたの部屋?」
「そうだ」
「なんで?」
 
 心なし、皇太子の頬が赤い気がする。
 案外、酒に弱いのかもしれない。
 お互いに、まだ1杯も飲み終えていないのだから。
 
「今後のことも含め、きちんと話をしておくべきだと思っている」
「話なら、ここですればいいじゃん」
「2人きりで話したい」
 
 内心「えー」と声を上げる。
 皇太子と2人きりで話すなんて憂鬱だ。
 2人に「今後」などないのに、話しても意味がない。
 
(こいつの部屋ってことは、皇太子宮だよね。地下牢に行くのには遠回りになる)
 
 フィッツが見せてくれた立体的な地図を思い浮かべる。
 地下牢への道筋から大きく外れるということはないが、遠回りにはなりそうだ。
 それに、部屋に入ったら「出る」といった行動が必要になる。
 どういう言い訳や口実を作れば、すんなり退室させてもらえるかがわからない。
 
「それなら、先に着替えを……」
「必要ない。着替えなら……俺の部屋ですればよい」
 
 皇太子の私室であれば、かなりの広さが想定される。
 客室も備わっているだろうし、着替えのための部屋だって複数あるに違いない。
 皇太子は、25歳。
 私室に女性を呼ぶこともあったはずだ。
 
(着替え用のドレスもあるってことか)
 
 本格的にまずい。
 祝宴の最中さいちゅうも、皇太子は彼女にべったり。
 当然だが、飲み物を取りに行くこともなかった。
 指を鳴らすだけで、勝手に運ばれてくる。
 
 ダンスもそうだ。
 1曲目はともかく、2曲目が始まっても離れようとせずにいた。
 そのせいで、立て続けに踊るはめになっている。
 あげく、3曲目に入る前に、ロキティスとかいう、アトゥリノの第1王子が声をかけてきたのだが、そっけない態度で退しりぞけてしまった。
 
 そして、今に至る。
 
 人のざわめく会場から離れ、2人はバルコニー席に移っていた。
 とても飛び降りて逃げられるような高さではない。
 フィッツなら簡単にできるだろうが、彼女には、そうした特殊能力はないのだ。
 
「今後の話って、なに? 2人でなきゃ話せないようなこと?」
 
 ひとまず話を引き延ばしてみる。
 私室に行くのは嫌だと断るのは簡単だった。
 けれど、断れば断ったで、また皇宮に忍び込む計画に戻さなければならない。
 なにより、その言動に不審をいだかれる恐れもある。
 
(落ち着け。大丈夫。フィッツが見てるんだから、なんとかしてくれる)
 
 思った時、どくっと心臓が音を立てた。
 これはこれで、まずい、と思う。
 彼女だけの「計画」からすれば、おおいなる誤算だ。
 
 いつしかフィッツに頼るのを当たり前に感じ始めている。
 
 フィッツは、常にそばにいて、必要なことはなんでもしてくれていた。
 傍にいない時でさえ、見ていてくれていると知っている。
 以前は、自分ひとりで解決しようと思っていたはずなのに。
 
(フィッツ、有能過ぎるんだよ。誰も巻き込まないっていうのは、もう無理そう)
 
 フィッツを連れて行く気はなかった。
 置き去りにするつもりだった。
 けれど、それは、もうできそうにない。
 
 置いて行かないでくれと、フィッツに頼まれたからではなかった。
 彼女自身が、フィッツを必要としている。
 そう気づいた。
 
「カサンドラ、そろそろ行こう。やはり、ここでは話すことはできん」
 
 時間稼ぎには、失敗したようだ。
 むしろ、皇太子を急き立てる結果となっている。
 席を立った皇太子に手を取られ、しかたなく立ち上がった。
 たとえ2人きりになったとしても、大丈夫だと意識を切り替える。
 
 皇太子を昏倒させることくらい、フィッツなら、あっさりやってのけるはずだ。
 人の目のない私室のほうが、都合がいいかもしれない。
 多少の遠回りはやむを得ないだろう。
 
「殿下」
 
 バルコニーのドアが、急に開かれる。
 びっくりして、そっちを見れば、知った顔があった。
 セウテルだ。
 
「声もかけずに入ってくるなど無礼ではないか」
 
 これは「ごもっとも」というほかない。
 バルコニー席は、ある種の私的な場となっている。
 恋人同士ともなれば、人目にさらされると気まずいようなこともしているという。
 もちろん、皇太子とは、そういう関係ではないので、問題はないのだけれども。
 
「失礼は承知しておりますが、急ぎお伝えしなければならないことがございます」
「なんだ? さっさと言え」
 
 皇太子は、すっかり不機嫌になっていた。
 苛々とした様子で、セウテルをにらんでいる。
 
「陛下が、お呼びにございます」
 
 ふっと、皇太子の表情が変わった。
 無意識にか、カサンドラの手を離す。
 
「父上が、俺を呼んでいる?」
「さようにございます、殿下。お急ぎください」
 
 皇太子は、それでも、ちらっとカサンドラに視線を向けた。
 けれど、皇帝の命令は絶対なのだ。
 皇太子も皇帝との謁見を望んでいたと知っている。
 断れはしないだろう。
 
「カサンドラ、話は戻ってからする。俺の私室で待っていてくれ」
 
 言って、皇太子はセウテルを伴い、バルコニーを出て行った。
 彼女は返事をしていない。
 皇太子の私室で待つ気などなかったからだ。
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