いつかの空を見る日まで

たつみ

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第1章 彼女の言葉はわからない

多くを望んだところとて 3

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「きみのところも散々だったということに、慰められるな」
「走行不能判定のほうがマシだぜ」
 
 祝宴が始まるまで、もう少し時間がかかりそうだ。
 ロキティスは、ゆったりとソファに腰かけ、ワインを飲んでいる。
 向かいのソファには、リュドサイオの第1皇子ゼノクルが座っていた。
 足を組み、右腕をソファの背にひっかけ、横柄な態度だ。
 無意味に、ワイングラスを、ゆらゆらと揺らしている。
 
「入賞者が、デルーニャの3人だけだなんてね」
「ま、オレは、たいして期待してなかったからな。セウテルもオレも出ないってんじゃ、入賞なんて無理に決まってる」
 
 今年の戦車試合は、大番狂わせだった。
 おおかたの予想では、アトゥリノが優位とされていたからだ。
 が、ふたを開けてみれば、最下位どころか屈辱の「棄権」判定を受けている。
 そして、リュドサイオもホバーレの「走行不能」により脱落した。
 
 本来、5位入賞者までが祝宴に招かれるのだが、今年はデルーニャの3人のみ。
 直轄国としては、情けない限りだ。
 しかし、ロキティスは、さほど気にしていない。
 いよいよディオンヌの立場が悪くなっただろうことも、ロキティスの関心の外にある。
 
「僕は、あの女が欲しくなったよ」
「カサンドラ王女のことか」
「ほかにいないだろ?」
 
 ゼノクルが、チラっと緑の瞳で、ロキティスを見た。
 すっと視線を外し、ワインを口にする。
 
「あの女は、おそれ多くも皇太子殿下の女だぜ?」
「皇命を受けた婚約者殿だ。知っているさ」
 
 ゼノクルが、わざとらしく灰色の髪をかき上げた。
 2人は2歳違い。
 ゼノクルのほうが、少しだけ年上だ。
 今年30になったはずだが、その言動は、弟のセウテルよりも幼稚だと言える。
 
 たまに、ロキティスは、ゼノクルが、自らを未だ20代の若者だと思っているのではないかと思うのだ。
 年下のロキティスが対等な口をきいても、平気な顔でいる。
 気に障った様子も見られないし、本当になんとも思っていないらしい。
 
「はっきり言ったらどうだ? お前が“惚れた”のは、あっちのほうなんだろ?」
「だって、彼は素晴らしかったじゃないか。きみだって欲しくなったはずだよ」
 
 途端、ゼノクルが嫌そうに、顔をそむけた。
 ふんっと鼻を鳴らし、ワインをあおる。
 高級なワインだというのに、飲みかたが雑だ。
 
「オレは、お前とは違う。女ならともかく、男をはべらす趣味はねぇよ」
「僕は、有能な者が好きってだけさ。有能さに、男だの女だのと線引きするのは、間違った思想だね」
「そう言う割に、お顔立ちの整った奴が多いんじゃねぇか?」
「それも、有能さにおける、僕の基準のひとつだからじゃないかな」
 
 身近に侍らせている者が、見栄えのする男女であるのを否定はしない。
 しかし、見えているものだけが、すべてではないのだ。
 見せていない「影」の部分には、人目を引かないような者たちもいる。
 もっとも、それをゼノクルに話す気はなかったけれど。
 
 アトゥリノとリュドサイオは、けして「仲良し」同盟国ではない。
 むしろ、いつ両国間で諍いが起きてもおかしくはなかった。
 なにが火種となるかわからない危険をはらんでいる。
 
 ロキティスがゼノクルと親交があるのは、第1王子であるにもかかわらず皇太子になれずにいるという、同じ境遇ゆえだ。
 互いに、なにかしらの「利益」があると期待してのつきあいに過ぎない。
 出せる情報を出しながら、腹の探り合いをしている。
 
「あの男は金じゃ動かねぇ。財のアトゥリノも形無しだな」
 
 カサンドラの従僕、名は確か「フィッツ」だ。
 正直、金で動くのなら、いくらでも金を積む。
 それほど、手に入れたいと感じていた。
 だが、ゼノクルの言うように、フィッツは金で動くような男ではない。
 
「リュドサイオの忠義心にも負けていないだろうね」
 
 財のアトゥリノ、忠のリュドサイオ。
 そう言われるほど、リュドサイオの皇帝に対する忠義心は厚い。
 ゼノクルにしても、リュドサイオ本国に対してより皇帝への忠誠心のほうが強いくらいなのだ。
 
 皇帝に「戦場で死んで来い」と言われれば、即座に飛び出して行くに違いない。
 とはいえ、帝国が戦争を仕掛ける国など残っていないのだが、それはともかく。
 
「ああいう手合いには、金で丸め込むより有効な手段があるのさ」
「主の首に鎖をつけろってことだな」
「いたいけな猛獣は、鎖に繋がれた主のそばを離れられないものだからね」
「それで、あの女が欲しくなったわけか」
「彼女を手に入れれば、もれなく彼がついてくる。お得だと思わないか、ゼノ」
 
 ゼノクルとのつきあいは、18年になる。
 ロキティスが十歳で、初めて帝国の公式行事に参加したのが、きっかけだ。
 以来、通信でのやりとりをしたり、国境付近の街で会ったりしている。
 皇宮務めをしているゼノクルの弟のセウテルよりも、よほど顔を合わせている仲だった。
 
「奴は、飼いならされちゃいない。軽く考えてると、頭から食われちまうぞ」
「彼は猛獣だからこそ、美しく、素晴らしいのさ」
 
 ケッと、ゼノクルが呆れたような声を上げる。
 もちろん、ロキティスとて軽く考えてはいない。
 ただ「カサンドラの首」は、フィッツにとって大きな意味を持つ。
 彼女の首さえ絞めておけば、言うことを聞かざるを得ないはずだ。
 
「僕は、あの女を丁重に扱うよ。死なない程度にはね」
「それより、まず皇太子だろ」
「彼が、こだわっているのは皇命だけさ。でなければ、2年も婚姻せずに放置しておくなんて有り得ない。王族の婚約なんて、あってないようなものなのにね」
 
 皇太子は、カサンドラに好意を持っていないと、ロキティスは判断している。
 むしろ、嫌っているのではないかと推測していた。
 皇太子の母親は、カサンドラの母親のせいで死んだと言っても過言ではない。
 それを考えれば、母親の自死の引き金を引いた者の娘を、喜んで皇太子妃にしたがるとは思えなかったのだ。
 
 カサンドラのほうも、平然と皇太子に嫌味を言っていた。
 2人の仲は、冷え切っているに違いない。
 
「けど、今年は連れて来たじゃねぇか。今まで、1度も公の場に、あの女を連れて来たことはなかったってのによ」
「取り急ぎ、そうしなければならない理由があったのだろうね」
 
 言いながら、ゼノクルの表情を盗み見る。
 微かな動揺が見てとれた。
 それにより、確信する。
 
 もうずっと皇帝は、誰の謁見にも応じていない。
 
 ひと月ほどなら、皇后の喪に服しているとも取れた。
 しかし、すでに5ヶ月目に入ろうとしている。
 政務は、ほとんど皇太子が担っていた。
 そこで、ひとつの可能性が浮上してくる。
 
(皇帝陛下は病に伏している。もう長くはなさそうだ)
 
 今朝、試合前に、ゼノクルがセウテルと会っていたのは知っていた。
 セウテルが皇帝について漏らすことはないだろうが、2人は兄弟だ。
 仲の良さに関わらず、伝わるものはあったに違いない。
 
「とにかく、あの女は、まだ皇太子妃じゃないからね」
 
 なにか言いかけたゼノクルに、持っていたワイングラスを軽く上げ、その言葉を制する。
 
「皇帝陛下のご命令は、あくまでも婚約だけだ。なにも、絶対に皇太子妃にせよとは、仰ってはおられない。違うかな?」
 
 ふう…と、ゼノクルが溜め息をついた。
 ロキティスと視線を交えることなく、ワイングラスにワインを注いでいる。
 
 皇帝の死が迫っているとしても、口に出すことはできない。
 ゼノクルは忠義心からだろうが、ロキティスは自分の身を守るために、だ。
 皇帝の死を口にするだけで、叛逆罪に問われる。
 
「皇太子殿下も、あの女がいなくなったほうが、内心では清々するさ」
「それで? 殿下には、お前の妹を娶らせるのか」
「いや、あれはもう使えない。あれのせいで、色々と混乱をきたしているのでね」
 
 ディオンヌが予定通りに、カサンドラを蹴落として、皇太子妃になっていれば、アトゥリノとしては問題は起きなかっただろう。
 とはいえ、ディオンヌは「しくじった」のだ。
 
 ロキティスとしては、そのほうが都合がいいと思っている。
 ひとつだけ気になっているとすれば、皇太子が足繫くカサンドラを訪ねるようになったという報告だった。
 
(おそらく、ディオンヌの件で2人は揉めている。皇太子は、皇命のこともあって機嫌を取らざるを得なくなっているのだろう)
 
 カサンドラは、皇命を受けた婚約者なのだから、拘禁することはできない。
 仮に、揉めた末に「皇宮を出る」などと言い出されたら、分が悪いのは皇太子の側なのだ。
 嫌でも、機嫌を取るしかない。
 
 ディオンヌは愚かな妹で、アトゥリノという国からすれば迷惑な存在だろうが、ロキティスは、逆に褒めてやりたいくらいだった。
 これで、カサンドラがいなくなっても、誰も気にしないはずだ。
 皇太子も、無駄に機嫌を取る必要がなくなって胸をなでおろすだろう。
 
「おい、ロッシー」
 
 呼ばれて、顔を上げた。
 ゼノクルが皮肉じみた笑みを浮かべ、ロキティスを見ている。
 
「お前、今、ものすごく悪い顔してるぜ」
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