いつかの空を見る日まで

たつみ

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第1章 彼女の言葉はわからない

つもりで実現できはせず 4

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 自分で蒔いた種ではあるが、頭がおかしくなりそうだ。
 
 毎日毎日、連日、皇太子が訪ねて来る。
 そして、ああ言えばこう言う。
 不愉快だったし、嫌で嫌でたまらない。
 かと言って、フィッツに力づくで追い出させることもできなかった。
 
 相手は皇太子、なのだ。
 
 近くには、常にベンジャミンも控えている。
 この状況を、ベンジャミンは良く思っていないようだったけれども。
 
 食堂兼調理室は、2人がギリギリといった程度の空間だ。
 そこに大人が4人。
 狭い場所が、よけいに狭くなる。
 
 座っているのは、カサンドラと皇太子だった。
 フィッツとベンジャミンは、それぞれの「主」の後方に立っている。
 
「それから、あっちの箱も持って帰ってよね」
「あれは、お前の物だ」
「服も靴も持ってる物で足りてるんだよ」
「4,5着で着回しているのだろう? あの傷み具合……ぼろきれ同然ではないか」
 
 確かに、カサンドラはメイドたちの私服の「お下がり」を着ている。
 平民暮らしをしていた時のものは、皇宮には持って来られなかったからだ。
 与えられた服が数着しかないのも事実だった。
 
 さりとて。
 
 彼女は、ここに長居をする気はないのだ。
 皇宮から出るまでのことだと、服装を気にしたことはない。
 
 ほんのわずかではあるが、金銭的な蓄えがある。
 逃亡後に新しい服を買う予定にしていた。
 なので、今の時点で新しい服は無用。
 
「ここは、どこも狭いんだから、余分な服を置く場所なんかない。邪魔」
「宮に戻ればいい。あちらは広いぞ」
「戻らない。何回、言わせるつもり? とにかく持って帰って」
「では、毎日、新しい服を持ってこさせるか。前日に着たものは、その日に持って帰れば邪魔にはなるまい」
「そこまでしなくていいよ。洗濯はフィッツがしてくれてるし」
 
 何日も同じ服を着っ放しというのはどうかと思うが、それはないのだ。
 毎日、ちゃんとフィッツが洗濯してくれている。
 ボロくはあっても、清潔でありさえすれば良かった。
 
 そして、間違いなく清潔だと思える。
 なにせフィッツのすることなので。
 
「洗濯……そのようなことまで、そこの従僕がしているのか?」
「そうだよ。フィッツは有能だからね。なんでもできる」
 
 ここぞとばかりに、フィッツを褒め称えた。
 皇太子に「不自由だろう」と言われ、メイドを送り込まれては困るからだ。
 おちおち、フィッツと「逃亡計画」を相談することもできなくなる。
 
 それでなくとも、周囲には千人規模で騎士が、うじゃうじゃいるのだ。
 これ以上、監視と成り得る者を投入されたくない。
 たとえ、それが善意であろうが、迷惑なだけだった。
 本当に「よけいなお世話」だ。
 
「はっきり言うけど、食事もフィッツの作るもののほうがいい」
「これは、皇宮の一流料理人が作ったものだぞ?」
 
 はあ…と、これ見よがしに溜め息をつく。
 当然、美味しくないものより美味しいものがいいとはいえ、彼女は食に対してもこだわりがない。
 一流でも三流でも、その違いに大差はないと思っている。
 一流でなければ喉を通らないというほど、舌が肥えているわけでもないし。
 
「こういうのは、たまに食べるから美味しいんだよね。毎日だと飽きる」
「飽きる? 味にか?」
「フィッツは、本日のメニューが得意でさ。私の体調や機嫌、それに天気とかで、その日の料理を作ってくれる。嫌いなものも、食べ易くしてくれるしね」
「なぜ嫌いなものを食べる必要がある。好きなものを食べればいいだろうに」
「栄養には、バランスってもんがあるからだよ。こんな食事ばっかり続けてたら、体がおかしくなる」
 
 ふむ、と、皇太子が皿を見つめている。
 おそらく「栄養バランス」を考えたことがなかったのだろう。
 
「ベンジー、皇宮での栄養バランスはどうなっている?」
「栄養のバランス、ですか……皇宮では、味や見た目のバランスが重視されております。肉料理のあとは、さっぱりしたデザートを出す、というような」
「栄養のバランスは考えられていない、ということか」
「健康を保つために、食事、睡眠、適度な運動が必要だとはされております」
 
 つまり、栄養バランスは考えられていないのだ。
 食事は、単に豪華で美味しくて見た目に華やかなものが好まれているのだろう。
 実を言うと、彼女自身も「栄養バランス」に、大層なこだわりはなかった。
 こだわっているのは、フィッツだ。
 
 しかし、それこそが気遣いではなかろうか。
 
 一流だかなんだか知らないが、見も知らない料理人が作った料理より、フィッツが丹精込めて、カサンドラのために作った料理のほうが、ずっと美味しく感じる。
 なにより、飽きがこない。
 嫌いな食材にも、文句を言わず食べているのは「カサンドラのため」を遂行しているフィッツを思ってのことだった。
 
「今後は、皇宮でも栄養バランスを考えた料理を作らせろ。医療管理部と連携させれば、数値化できるはずだ」
「かしこまりました。早急に改善いたします」
 
 皇太子の言葉に、ベンジャミンが深々と頭を下げる。
 これから、皇宮の料理人たちは、大忙しになるだろう。
 
「お前の発想は新鮮で、帝国のためにもなる。皇太子妃に相応しい資質だ」
「私が考えたんじゃなくて、フィッツが……」
「ずいぶん、あの従僕を気に入っているようだな」
「そりゃあ……」
 
 言いかけて、やめた。
 皇太子の表情に、ぞわっとする。
 
(まさか……嫉妬……じゃないよね? 違うよね?)
 
 誰か違うと言ってくれ。
 
 好感度を上げたくもない、いや、むしろ下げたいくらいなのに、日々、上昇している気がした。
 ともあれ、フィッツを褒めるのは、ここまでにする。
 フィッツが有能なのは事実であっても、危険を避けるに越したことはない。
 
「6年も仕えてくれてるからね。そっちだって、ベンジーに不満はないでしょ?」
「ベンジーだと?」
「ベンジーだよね? いつも、そう呼んでない?」
「それは愛称だぞ。俺のことは、あんたと呼ぶくせに、どういう了見だ」
「あんただって、私のこと、お前って呼ぶようになったじゃない」
「俺は、時々、名を呼んでいる」
 
 面倒な男だ。
 おそらく、名で呼べと言いたいのだろうが、知らん顔をする。
 
「だったら、今後は、あんたはやめて、殿下って呼ぶことにするよ」
「おい。なぜ、そうなる」
「だって、殿下でしょ。そうだよね、ベンジー?」
 
 ベンジーがベンジャミンだとは知っていた。
 だが、長いし、ベンジーのほうが呼び易い。
 皇太子にしても、ティトーヴァと呼ぶより、殿下のほうが短くてすむ。
 
「それは……」
 
 ベンジャミンが、皇太子の顔色を窺い、言葉を濁していた。
 困り顔のベンジャミンに、いい気味だ、と思う。
 自分が意地悪だと知っていた。
 
 皇太子への無礼が原因なのだろうが、いつも不躾ににらんでくるベンジャミンには、良い印象はない。
 今の状況は、彼女が望んだのではなかった。
 
 できるなら、ベンジャミンには「カサンドラと関わるな」と、皇太子を説得してほしいくらいだ。
 けれど、皇太子の意思を無視することなど、ベンジャミンにはできない。
 だから「いい気味」なのだ。
 
「先に言っておくけど、殿下の名は長いので、呼びたくない」
「愛称はどうだ?」
「そんなに親しくないからなぁ」
「ならば、ベンジーはどうなのだ? 親しくないはずだが」
「それは、殿下の真似。殿下を愛称で呼ぶ人はいる?」
 
 その言葉に、皇太子の表情が固まる。
 理由は不明だが「なにか」あったらしい。
 悲しみともとれるような感情が、銀色の瞳をよぎっていた。
 が、すぐに、その色は消え、表情が崩れる。
 
 皇太子は、以前より表情がずっと豊かになっていた。
 わざとらしく顔をしかめたり、声をあげて笑ったりもする。
 
「いや、お前の好きに呼ぶがいい。あんた、でもかまわん」
「私は、いつも好きにしてる」
 
 皇太子が席を立った。
 やっと帰ると思ったのだが、こっちを、じっと見つめてくる。
 それから、小さく笑って言った。
 
「今日は、お前に言い負かされてしまったな。だが、また明日がある」
 
 言い返そうとした言葉が止まる。
 なんだか、言葉をかけると、また好感度が上昇しそうな気がしたからだ。
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