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第1章 彼女の言葉はわからない
つもりで実現できはせず 3
しおりを挟む「皇太子殿下は、ずいぶんとお暇みたいですね」
「そんな堅苦しい言葉遣いはやめろ。俺とお前の仲だろう」
「私と殿下は、堅苦しい仲です」
「それは違う。お前は、俺の妻だ」
「なった覚えはありません」
今日も、カサンドラは、そっけない。
だが、それにも、もう慣れた。
小屋に通い始めてから、十日が経っている。
毎日、昼か夕方に訪れていた。
「自粛期間でなければ、すぐにでも式を執り行っていた。つまり、いたしかたなく待機しているだけで、実質、お前は俺の妻と言って差し支えない」
「届出を出していない間は、正式なものとは言えません。実質なんていう言葉に、意味はありませんよ」
訪ねると、最初は必ず「堅苦しい態度」を、カサンドラはとる。
とはいえ、いつも長続きはしない。
1度、破った「殻」だからだろう。
本性を隠して我慢し続ける必要はないと、どこかで判断しているのだ。
だから、ティトーヴァは辛抱強く、カサンドラの「堅苦しさ」につきあう。
そうこうしているうちに、いつしか言葉が乱れるとわかっていた。
この十日ばかりの成果だ。
「では、式は後で執り行うことにして、届出だけでも先に出すか?」
「ちょっと……あんた、皇太子でしょうが。そんな略式ですまそうとしないでよ」
「お前が“正式”にこだわるからだ」
「こだわってないし、正式なものにしろとも言ってない」
カサンドラは、いつも不機嫌な表情で、つっけんどんな返事ばかり。
なのに、不愉快ではなかった。
言葉の応酬が楽しく感じられる。
彼女と話していると、つくづくと思い知らされることが多かった。
皇宮で「皇太子」をやっていると気づけずにいた自分自身の至らなさだ。
見たいものだけを見て、周りもそれに合わせてくるのだから、気づきようがない。
視野が狭いというのは、こういうことを言うのだろう、と思う。
「どの道、あと1年弱で、お前は皇太子妃となる」
「そのことだけど、ディオンヌにすれば? 彼女、アトゥリノの王女だしさ」
カサンドラの言葉には含みがあった。
ティトーヴァの母親もアトゥリノ出身だと示唆している。
母は皇后になれず、この世を去った。
だから、同じアトゥリノ出身のディオンヌを妃に迎えれば、母の名誉を回復することにはなる。
ティトーヴァも考えなかったわけではない。
しかし、叔父の存在が、その考えを捨てさせた。
今となっては、それが正しかったと確信している。
ディオンヌは、ティトーヴァが思っていたような女ではなかったからだ。
「女というのは、誰もが偽りの自分を演じているのだな」
「女だけじゃないと思うけどね」
カサンドラの場合は「偽りの姿」より「本物」のほうが良かった。
対して、ディオンヌの「本物の姿」は醜悪そのものだ。
か弱いそぶりでティトーヴァの庇護欲を刺激しながら、裏ではカサンドラを虐待していた。
その上、カサンドラが悪く思われるように画策もしている。
豪華なドレスも宝飾品も、ディオンヌがカサンドラに身につけさせていたのだ。
使い終わったものは、メイドたちに譲り、点数を稼いでいたらしい。
この小屋を初めて訪ねたあと、実情を知っていたベンジャミンに、なにもかもを報告させて知った。
「いつまでも隠し通せるものではないようだがな」
「2年も気づかずにいた人が、よく言うわ」
「それを否定する気はないが、少しは人を見る目が養えた。お前のおかげだ」
その言葉は、本心だ。
カサンドラと会うようになり、自分の行動を見直している。
皇太子との立場を守るため、謙虚さを失っていた。
真っ向から反論する者もいなかったので、無条件で自分が正しいと結論づけていたのだ。
ティトーヴァは、目を細め、カサンドラを見つめる。
銅色の瞳には暖かみの欠片もない。
相変わらず「無関心」と書いてあった。
けれど、会話は以前より、よほど成立している。
(俺のこれまで取ってきた態度を思えば、時間が必要なのは当然だ)
現時点で、カサンドラのティトーヴァに対する信頼度はゼロ以下だろう。
2年という月日は、短いものではないのだ。
彼女の信頼を得るには、同程度の期間を要するかもしれない。
正式な皇太子妃となれば、もう少し期間を短縮できるかもしれないけれど。
「そろそろ、夕食時だな。ベンジー」
「ご用意いたします」
「ご用意しなくていいよ、もう……」
小屋にある、食堂らしき場所。
調理も同じ空間でする間取りになっている。
すなわち、狭い。
そこに、夕食が次々と運ばれてきた。
簡素で質素な木のテーブルに、豪華な食事が並べられる。
ぎりぎり落ちない程度ではあるが、ぎっしりと皿が置かれた。
カサンドラは、不機嫌そのものに顔をしかめている。
「昨日も一昨日も……10日前からずっと言ってるけど、ここは狭いんだよ」
「では、宮に戻れ。宮は広いぞ」
「戻らないし、こんな大量の料理もいらない」
「しかし、お前が食べなければ片づけられん。そもそも、これが普通の食事というものだ」
非常に不本意という顔をしつつも、カサンドラがフォークを取った。
なにが起きるかは知っている。
ベンジャミンが渋い顔をするようなことだ。
グサッ。
カサンドラの持ったフォークが、ステーキ肉に突き刺さっている。
ティトーヴァは、それを見て、口元に笑みを浮かべた。
「お前が食べ易いよう、ひと口で食べられる大きさにさせておいたぞ」
「……よけいなお世話だよ」
「丸ごとかぶりつくより食べ易いはずだ」
最初に食事を出した際、カサンドラは、肉をフォークに突き刺し、がぶり。
目を丸くしているティトーヴァの前で、ばくばくと齧るようにして食べたのだ。
皇太子宮に帰ってから、ベンジャミンが激怒していたのは言うまでもない。
下品だの、礼儀知らずだのと、怒り心頭な様子だった。
その後も、彼女の「テーブルマナー」は、常にベンジャミンを憤慨させている。
だが、ティトーヴァには、別の考えがあった。
これは「試験」なのだ。
(俺が、どこまで許容するか見定めているのだろうな)
そして、カサンドラの「無礼」に怒って、ここに来るのをやめればいい。
そう思っている。
実際、以前の自分なら短気を起こしていたはずだ。
皇太子に対する無礼を許せば、周囲から侮られる。
婚約者の「躾」もできないなど論外だと考えたに違いない。
きっとカサンドラを責め、厳しく教育しようとしただろう。
ヴァルキアス帝国皇太子妃に相応しいと、周囲も認める女性になるように。
しかし、果たして周囲に認められる必要があるのか。
ティトーヴァは考えを変えている。
カサンドラが婚約者であるのは揺るがない。
皇太子妃にすると決めてもいる。
(認められる皇太子妃でなくてもいい。認めさせればすむだけだ)
カサンドラがなにをしようと、どう振る舞おうと、文句をつけさせなければいいのだ。
権力者だから、やりたい放題できるとは思っていない。
たとえ皇帝になっても、できることには限りがある。
が、しかし。
(己の妻を守れずして、なにが皇太子か、なにが皇帝か)
それこそ、皇太子にあるまじき姿ではないのか。
周囲が認めていないのは、皇太子としてのティトーヴァ自身。
だから、口実がありさえすれば、ティトーヴァを攻撃してくる。
カサンドラは、かっこうの「口実」とされるだろう。
けれど、それらに反撃し、彼女を守ることもできないのなら、皇太子としての器ではなかったことになる。
「どうだ? 今までより、食生活が豊かになっただろう?」
「頼んでない。私は、こじんまりした食事で満足してた。フィッツ」
カサンドラが、後ろに控えていた従僕に声をかけた。
進み出てきた従僕が、黙って料理を保存食用の容器に詰め始める。
ティトーヴァは、少し胸がざわつくのを感じた。
2人は、わずかな言葉で意思の疎通ができている。
カサンドラは、名を呼んだだけだ。
なのに、従僕は、その意思を的確に把握している。
もちろん従僕とは、そのような存在だと承知していた。
指図を受けなくても主人の意図を察して動くのは、良い臣下だと言える。
けれど、どうしても気に食わない。
自分が、未だ手に入れていない、カサンドラからの「信頼」を得ている者だからかもしれない、と思った。
2人の姿を見ていると、カサンドラが急に遠くなったように感じられるのだ。
なにか、もっと距離を縮めるための手立てはないかと、ティトーヴァは考える。
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