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第1章 彼女の言葉はわからない
禍事の予兆 1
しおりを挟む「殿下、事前連絡のない訪問は礼儀に反しますよ」
「冗談を言うにしても、もっと気の利いたことを言え」
ベンジャミンの言葉を、ティトーヴァは鼻で笑い飛ばす。
この皇宮内で、彼が事前連絡を必要とするのは皇帝だけだ。
それくらいわかっているはずなので、ベンジャミンらしくもなく、やけに面白くない冗談を言うと思って笑った。
「いや、むしろ、連絡はするな。逃げられたら、お前が追うはめになるからな」
からかいながら、廊下をスタスタと歩く。
自分でも足早になっているのが、わかった。
それほどカサンドラに会いたいのだろうか。
どうにも、そんな気がしてならない。
偏見を取りはらうと、まるで見えかたが違ってくる。
カサンドラは、ティトーヴァに気を遣わなかった。
心の裡を見透かしたうえで、痛いところを突くように「親子関係」を皮肉ってきたのだ。
カサンドラとなら本音で話せる。
その思いが、ティトーヴァを少し浮かれさせていた。
政敵も多い中、本音で話すことなど、ほとんどない。
ベンジャミンとは気楽な会話ができるが、気を遣われているのもわかる。
皇太子との立場上、しかたないと思っていても、互いに気遣いなく本音で語れる相手がほしかった。
ティトーヴァには、口喧嘩すら、してくれる者はいなかったのだ。
無関心に冷たくあしらわれても、かまいはしない。
今までは、こちらが無関心だったのだから、カサンドラに同じ態度を取られてもしかたがないと思っている。
繰り返し会い、話をしているうちに、少しは打ち解けられるだろう。
食い下がり、こちらも本音で語ると決めていた。
そう決めると、今度は驚くほどに聞きたいことが頭に浮かんでくる。
カサンドラについて、なにひとつ知らないので、知りたいことばかりだ。
どういう人物なのかを見極めるには、多くの会話が必要となるだろう。
思うと、なにやら気分がいい。
(皇命もあることだ。現状、彼女が皇太子妃となる可能性は低くない。その上、彼女は聡いからな。きっと別の角度から、俺に意見してくれるだろう。本来、皇太子妃というのは、そうした存在であるべきだ)
ティトーヴァの周りには、意見をする者もいる。
ベンジャミンも、その1人だ。
だとしても、ティトーヴァの意見を尊重しつつ、との態度は崩さない。
カサンドラなら、その垣根も取っ払ってくれそうに思えた。
「殿下、まずは、私が先にご挨拶を……」
「なにを言う。挨拶など不要だ」
カサンドラの部屋の扉は目の前だ。
まるで立ちふさがるように前に出たベンジャミンを押しのける。
なぜかはわからないが、今日のベンジャミンはおかしい、と感じた。
カサンドラに会わせたくないような態度を取っている。
「これ以上の邪魔は許さんぞ」
「……かしこまりました」
ちらっとベンジャミンを目で制してから、扉に手をかけた。
カサンドラは驚くだろうか。
嫌な顔をするかもしれない。
だが、どちらでもいいような気分だ。
ガチャと扉を開け、室内に足を踏み入れる。
が、そこで足が止まった。
室内の時間も止まっているみたいに、誰もが動かない。
「……これは……いったい……」
室内を見回しても、カサンドラの姿はなかった。
逆に、いるはずのない者の姿がある。
ディオンヌだ。
ティトーヴァには、なぜここにディオンヌがいるのか、理由がわからない。
ここはカサンドラに与えた宮であり、カサンドラの部屋だった。
にもかかわらず、カサンドラの姿はなく、代わりにディオンヌがいる。
まるで、この部屋の主であるかのように、優雅にソファに座っていた。
「どういうことだ」
知らず、低い声が出る。
場の空気が凍り付いていた。
ディオンヌは顔を引き攣らせ、周りにいた3人のメイドが、サッとうつむく。
それで、漠然と理解した。
(彼女は……ここで暮らしていない……)
混乱しつつも、結論は出している。
そのティトーヴァの前で、ディオンヌが遅ればせながら正気に戻ったらしい。
パッと立ち上がり、駆け寄ってきた。
「あのお兄様、これには事情があるのです」
「どういう事情だ。彼女は、どこにいる」
「い、今は散歩に出ておられます。私は留守を任されただけで……」
ディオンヌの嘘を、一瞬で見抜く。
言葉の端々まで「嘘」にまみれていたからだ。
ティトーヴァは、常に政敵と駆け引きをしている。
相手の嘘が見抜けないほど愚かではない。
無言で、ディオンヌの横を通り抜けた。
制止も振り切り、奥の部屋に入る。
バッと、クローゼットのドアを開いた。
多くのドレスが掛けられていたが、どれも見たことのあるものだ。
すべてディオンヌが着ていたと記憶している。
そこに、カサンドラのドレスは1着もなかった。
つまり、ここで生活をしているのは、ディオンヌなのだ。
報告書にあった贅沢三昧な数字は、カサンドラが積み上げたものではない。
「彼女は、どこだ」
母の姪との意識から、ディオンヌに甘かったのは自覚している。
なるべく望みは叶えてきたし、たいていは、ほかの者より優先させてきた。
だからといって、こんな「権限」まで与えた覚えはない。
ディオンヌは体をすくめつつも、媚びた笑みを浮かべている。
ティトーヴァは初めて、従姉妹に対し、不快感にゾッとした。
このような女だったか、と自分の目を疑う。
「お兄様、たいしたことではないのよ……あの人……カサンドラ王女が、ここでは居心地が悪いと仰って、私に譲ってくださ……」
「俺に、なんの報告もなくか? ここは、俺の婚約者専用の宮だぞ。譲れるようなものでも、受け取れるようなものでもない」
ディオンヌの視線が、ティトーヴァからベンジャミンに向いた。
救いを求めるような表情に、ハッとなる。
後ろにいたベンジャミンのほうへと振り向いた。
「知っていたのか?」
「知っておりました」
だから、止めようとしたのかと、あのおかしな行動の意味を悟る。
頭に、カッと血がのぼった。
常には理性的であろうとしているが、抑制が効かなかったのだ。
「揃いも揃って、俺を虚仮にしていたのだな」
「そうではありません」
「では、なんだ! 俺を騙し、口裏を合わせていたのだろうが!」
ベンジャミンの冷静な視線にも腹が立つ。
裏切られたとの思いに駆られていた。
「殿下が、お聞きになられなかったからです」
「なんだと?」
「カサンドラ王女が……」
「王女様と呼べ!!」
「カサンドラ王女様のことを、殿下は、1度もお聞きになりませんでした」
ベンジャミンの言うことは正しい。
カサンドラに無関心だったのは否定できなかった。
それでも、周囲の者には「報告の義務」があったはずだ。
「だから、黙っていたというのは言い訳にならない」
「あえて、ご報告するまでもないと判断しておりました」
「なぜだ? ゆくゆくは皇太子妃となる女性についての報告が無用だと?」
「それは、殿下が王女様を良く思っていらっしゃらなかったからにございます」
言われれば、その通りだった。
カサンドラに「無関心」を叩きつけられるまで、ティトーヴァは、自分の行いを振り返ったことがない。
カサンドラへの態度を、正当だと思っていた。
ベンジャミンの言うことは、正しい。
間違っていたのは、自分のほうだ。
裏切られたと感じたが、ベンジャミンは裏切っていない。
ただティトーヴァの心情に寄り添っていただけだった。
確かに、訊いてもいないのにカサンドラの報告をされても、不快になっていたに違いないのだから。
「わかった。報告の件は、もういい。だが、ここで暮らしていいのは彼女だけだ。今後は改めさせる。いいな」
「かしこまりました」
再び、ベンジャミンからディオンヌへと体を向ける。
出て行けと怒鳴りたくなるのを我慢して、口を開いた。
「彼女は、どこにいる」
ベンジャミンはともかく、ディオンヌの言葉は、到底、信じられない。
きっと、カサンドラは、ディオンヌに追い出されたのだ。
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