116 / 120
101
しおりを挟む
*
町の入り口でエンディミオンたちの前に現れたのは、真っ青な顔をした青年だった。
不自由な身体で壁伝いに参道まで這い出てきたような格好で、入り口からいちばん近い商店の影からずるりと現れると、日の光に当たった途端にその場に倒れ込んでしまった。
「ねえ?!大丈夫?!!」
ゾンビが出てくるのではと待ち構えていたセーラは驚いて、すぐにでも駆け寄りたかったが馬の上からは簡単に降りられない。
エンディミオンはまだ慎重な姿勢で、降りたそうにしたセーラを制し、ラガロに目配せすると、みなまで言う必要もなく馬から降りたラガロが青年に近付いた。
「おい」
倒れた青年のそばにしゃがみ、そっと肩に手をかける。
突然飛びかかられても造作もなく抑え込めるだろうという絶対の安心感がラガロにはある。
「……っ」
ラガロの呼びかけに、青年は一度体をピクリと跳ねさせた。だが、それだけ。
肩で息をしているのがわかるので、死んではいない。
ふむ、と青年の様子をしばらく観察した後、ラガロは無造作にその体を転がした。
「ちょっとラガロさん!」
あまりの雑さに思わずセーラは声をあげたが、ラガロは一瞥しただけでまた青年に視線を戻した。
「おい、所属と名前は?」
仰向けになった青年の顔を軽く叩いて、気付けをする。
「どんな様子?」
何度か声をかけたが応答はなく、エンディミオンとセーラ、ベアトリーチェを背後に距離をとって見守っていたアンジェロの問いかけに、ラガロは淡々と答えた。
「ヴィジネー家の紋の付いた騎士服で、年齢はそれほど上には見えないが、体格、毛艶から見ても服装と身分に違和感はない。
脈と呼吸が乱れていて酩酊状態にも見えたが、特にアルコールや薬の匂いはしない。
声かけに僅かに瞼が開いたが、その瞬間に弛緩して気を失った」
「どこか怪我をなさっていたりは?」
「見た目にはどこにも。
着衣に乱れもなく争った形跡なし。
後頭部にも……瘤などはない、な」
ベアトリーチェの心配には、いちばんの懸念となる頭の怪我を触って確かめ首を振った。
「この少しの間で呼吸も落ち着いてきたな」
いつの間にか寝息のようにも聞こえるようになっていて、ラガロは不可解な顔をする。
不穏な登場の仕方とはかけ離れ、まるで安心し切って寝入っているようだ。
危険はないと判断して、アンジェロも馬を降りてそばに座り込んだ。
ラガロより丁寧に首の脈や瞼を押し上げて瞳孔を確認すると、ラガロと同じ顔になった。
「思ったより、普通に寝てるみたいだね」
「叩き起こすか?」
「いや、転がしてもこの状態なんだ。ただ寝ているわけではないと思うけど……。
エンディミオン様、どうされますか?」
「何があったのか話を聞きたいが……。
思うに、ルチアーノのが言っていた一人のような気がするが、どうかな」
「おかしくなって邸を出て行ったという話ですね。
昨晩残っていたのはほとんどがヴィジネー家の私兵だったようですし、その前に居なくなった騎士は町のどこを探しても見つからなかったということですから、その可能性が高いですね」
エンディミオンの考察に、アンジェロも否定する理由が見つからなかった。
何が起こっているかわからない中、当事者らしき人物がもう一人見つかった。
ただ寝ているだけで害意は感じられず、だが、どうしてそうなっているのかは何ひとつわからないままだ。
「ここに寝かせて先に行きますか?」
ラガロはちらりと聖堂の鐘楼を仰ぎ見た。
もう人影はなく、太陽の光をキラキラと撒き散らすだけだ。
あの下に本当の悪意があるのだとして、目前に足止めを食らった。
早く先に進みたいが、この兵士を無視して素通りするにも、エンディミオンの判断が必要だった。
「置いて行っちゃうんですか?」
その選択肢があるとは思わず、セーラは思わず後ろのエンディミオンを振り返った。
「うーん……。
聖堂の様子も気になるし、この者から情報が得られるならそれもしたいな。だが……」
「彼のことは、私がこの辺りの軒先をお借りして介抱いたしますから、その間に先に殿下たちは聖堂に向かわれては……?」
「却下だよ、ベアトリーチェ。
君だけこんな得体の知れない男と残していくわけにはいかない」
ベアトリーチェの提案は、アンジェロに厳しめに取り下げられてしまった。
「かと言って、たとえばアンジェロとベアトリーチェ嬢の二人をここに置いていけば、我々はまた分断されることにならないかな」
最初に二手に分かれたのはエンディミオンの判断だが、ここへ来てまた別行動となるのは、まだ見ぬ誰かの思惑にはまっていくだけの気もする。
「彼を連れて聖堂に向かう、というのも手ですが……」
「いっそ、侯爵さんのおうちに連れて戻っちゃう、とか?」
考え込んだアンジェロに、単純な思いつきを口に乗せたセーラだったが、全員がいっせいにセーラを見た。
「あれ?ダメでしたか?
でも様子のおかしい人を放ってはおけないし、どうせ聖堂には明日行くんだし、誰かがわたしたちを呼び寄せようとしてるんだとして、用があるなら向こうから来ればいいんじゃないかな……なんて」
エンディミオンたちの様子から、なんとなく悪意のある人が待ち構えているのだろうとは感じていたが、セーラは陰謀渦巻く政治や権謀術数に縁がないので、それほど深刻な悪意がそこにあるとは考え至っていなかった。
もちろんルクレツィアを救うには何がなんでも星の力が必要だし、誰かに邪魔されては困るのだが、エンディミオンはこの国の王子様だし、用があるのならそちらから来ればいいのでは?という安易な思いつきだった。
「────ハハっ、なるほど。それはいい」
セーラの言葉に、エンディミオンは目から鱗が落ちるような気がした。
誰もいなくなった町に鳴るはずのない鐘の音が響き渡り、自分たちをおびき寄せるかのようなソレに、その正体を暴きにどうしても聖堂に行かなければならないような気になっていた。
何らかの企てがそこにあって、自分たちの邪魔をしようとしている誰かが待ち受けているのなら返り討ちにするまでだという勇ましいほどの心持ちにもなっていたが、そもそもその企てにわざわざ乗り込まなくてもいいのか、という新しい発見だ。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、という言葉もある通り、物事を前に進めるのなら自らが動いていかなくてはならない場面もあるが、誰かの思惑を感じて、その状況を打破するべくその企てに自ら飛び込んでいくのは、自殺行為と表裏一体だ。
あえてのることが有効な時もあるが、今は気が急いていて何の準備も整っていない。
このまま策も何もない状態で聖堂へ向かうのは、次から次に起こることに流され、手をこまねいている誰かが描いたシナリオどおりに動かされているだけの気がする。
そのことに気がついて、エンディミオンは決断した。
「ここは巫女の言うとおりにしよう。
呼ばれている気はしたが、用があるのならばそちらから赴いてくるのが道理だ」
一国の王太子らしい顔で、もう一度聖堂を仰ぎ見た。
改めて考えても、聖堂を訪うのは今でなくてもいい。
「引き返すのはいいとして、隠し通路から向かったシルヴィオたちはどうする」
あまりに思い切った方針転換に、早いところ魔物を打ち倒してしまいたいラガロは聖堂に向かうのを諦めきれないが、
「邸に無事戻れたら、君が一走りすれば追いつくだろう?」
エンディミオンと同じ結論に至ったアンジェロに、にこやかに言い切られた。
「急いては事を仕損じるとも言うからね。
このまま誰かの思う壺にはまるくらいなら、私は殿下と巫女様に賛成ですよ。
これ以上の別行動にはならないように、というのは大前提だけれど、殿下と巫女様の護衛の君がこのまま一人で聖堂に行くというのはあってはならないし、とりあえず邸の中なら、君が戻ってくるまでの少しの間くらい、私も君の代わりにはなれるだろう?」
整然と説き伏せられ、ベアトリーチェの意見を聞くまでもなく、ラガロ以外の満場一致で方針が翻った。
「私も守られてばかりではないくらいに鍛えているつもりだよ」
すまなさそうに苦笑したエンディミオンに、ラガロが反論することはない。
お互い恋敵同士ではあるが、ルクレツィアによってラガロの内面に変化があった時から、二人は真っ当に主従関係を築けていた。
「殿下がそう仰るなら」
不承不承、というあからさまな態度だが、ラガロの同意を得てエンディミオンたちは進路を百八十度転回した。
気を失っている青年をラガロの馬に荷物のように乗せ、空々しいほど夏空に映える白い参道と、その先に聳える鮮やかな聖堂を背にする。
「出直そう」
エンディミオンの一言を合図に、馬たちが歩き出す。
「ほんとうに戻っちゃってよかったのかな……」
実際に自分の言い出した言葉どおりになってしまうと、セーラは少しだけ不安になった。
背後を振り返って、そこで本当は起こるはずだったことがなんなのか、その片鱗でも見つけられないかと目を凝らしてしまう。
「巫女、危ないから前を向いていて」
決めたのはエンディミオンだけれど、思いつきだけで余計なことを言って、ルクレツィアが助かる未来がなくっては困る。
そんな思いで背中を支えてくれるエンディミオンの顔を見たけれど、
「そんなに心配そうな顔をしないでも平気だよ」
優しい夕焼け色の瞳は、ずいぶん落ち着きを取り戻していた。
「少し焦っていた自覚もあるから、頭を冷やさせてくれて助かったよ」
昨晩の魔物の襲撃からここまで、息を吐く暇もなく追い立てられるように聖堂まで向かおうとしていた。
それに気がつくと、そんなつもりではなくとも、ずいぶん切羽詰まっていて、正常な判断力に欠けていたとわかる。
現状、情報不足は否めないし、勇足だったと言えばそうだ。
聖堂に背を向けた今は、むしろ取り返しがつかなくなる前に引き返せているのではないかという気さえしている。
「足止めしてくれた彼にも感謝かな」
ラガロの馬にくくりつけて運ばれている青年は健やかに眠っているような顔だが、その実どんな状態なのかはまだはっきりとしない。
都合のいい解釈かもしれないが、それでもこれまで起こっていることの何かのヒントのような気がして、できれば目を覚ましてもらいたい。
「巫女、少し馬には慣れたかな?帰りは少し速度をあげてもかまわない?」
「うん、ダイジョーブ」
地下から聖堂に向かったシルヴィオたちに追いつくにも、できるだけ早く戻らなければならない。
今回は青年と出会ったことで方針を変えることができたが、次もそうとは限らない。
もう少し冷静に判断しなければなと、エンディミオンは反省しながら、ヴィジネー家の邸までの山道を戻って行った。
町の入り口でエンディミオンたちの前に現れたのは、真っ青な顔をした青年だった。
不自由な身体で壁伝いに参道まで這い出てきたような格好で、入り口からいちばん近い商店の影からずるりと現れると、日の光に当たった途端にその場に倒れ込んでしまった。
「ねえ?!大丈夫?!!」
ゾンビが出てくるのではと待ち構えていたセーラは驚いて、すぐにでも駆け寄りたかったが馬の上からは簡単に降りられない。
エンディミオンはまだ慎重な姿勢で、降りたそうにしたセーラを制し、ラガロに目配せすると、みなまで言う必要もなく馬から降りたラガロが青年に近付いた。
「おい」
倒れた青年のそばにしゃがみ、そっと肩に手をかける。
突然飛びかかられても造作もなく抑え込めるだろうという絶対の安心感がラガロにはある。
「……っ」
ラガロの呼びかけに、青年は一度体をピクリと跳ねさせた。だが、それだけ。
肩で息をしているのがわかるので、死んではいない。
ふむ、と青年の様子をしばらく観察した後、ラガロは無造作にその体を転がした。
「ちょっとラガロさん!」
あまりの雑さに思わずセーラは声をあげたが、ラガロは一瞥しただけでまた青年に視線を戻した。
「おい、所属と名前は?」
仰向けになった青年の顔を軽く叩いて、気付けをする。
「どんな様子?」
何度か声をかけたが応答はなく、エンディミオンとセーラ、ベアトリーチェを背後に距離をとって見守っていたアンジェロの問いかけに、ラガロは淡々と答えた。
「ヴィジネー家の紋の付いた騎士服で、年齢はそれほど上には見えないが、体格、毛艶から見ても服装と身分に違和感はない。
脈と呼吸が乱れていて酩酊状態にも見えたが、特にアルコールや薬の匂いはしない。
声かけに僅かに瞼が開いたが、その瞬間に弛緩して気を失った」
「どこか怪我をなさっていたりは?」
「見た目にはどこにも。
着衣に乱れもなく争った形跡なし。
後頭部にも……瘤などはない、な」
ベアトリーチェの心配には、いちばんの懸念となる頭の怪我を触って確かめ首を振った。
「この少しの間で呼吸も落ち着いてきたな」
いつの間にか寝息のようにも聞こえるようになっていて、ラガロは不可解な顔をする。
不穏な登場の仕方とはかけ離れ、まるで安心し切って寝入っているようだ。
危険はないと判断して、アンジェロも馬を降りてそばに座り込んだ。
ラガロより丁寧に首の脈や瞼を押し上げて瞳孔を確認すると、ラガロと同じ顔になった。
「思ったより、普通に寝てるみたいだね」
「叩き起こすか?」
「いや、転がしてもこの状態なんだ。ただ寝ているわけではないと思うけど……。
エンディミオン様、どうされますか?」
「何があったのか話を聞きたいが……。
思うに、ルチアーノのが言っていた一人のような気がするが、どうかな」
「おかしくなって邸を出て行ったという話ですね。
昨晩残っていたのはほとんどがヴィジネー家の私兵だったようですし、その前に居なくなった騎士は町のどこを探しても見つからなかったということですから、その可能性が高いですね」
エンディミオンの考察に、アンジェロも否定する理由が見つからなかった。
何が起こっているかわからない中、当事者らしき人物がもう一人見つかった。
ただ寝ているだけで害意は感じられず、だが、どうしてそうなっているのかは何ひとつわからないままだ。
「ここに寝かせて先に行きますか?」
ラガロはちらりと聖堂の鐘楼を仰ぎ見た。
もう人影はなく、太陽の光をキラキラと撒き散らすだけだ。
あの下に本当の悪意があるのだとして、目前に足止めを食らった。
早く先に進みたいが、この兵士を無視して素通りするにも、エンディミオンの判断が必要だった。
「置いて行っちゃうんですか?」
その選択肢があるとは思わず、セーラは思わず後ろのエンディミオンを振り返った。
「うーん……。
聖堂の様子も気になるし、この者から情報が得られるならそれもしたいな。だが……」
「彼のことは、私がこの辺りの軒先をお借りして介抱いたしますから、その間に先に殿下たちは聖堂に向かわれては……?」
「却下だよ、ベアトリーチェ。
君だけこんな得体の知れない男と残していくわけにはいかない」
ベアトリーチェの提案は、アンジェロに厳しめに取り下げられてしまった。
「かと言って、たとえばアンジェロとベアトリーチェ嬢の二人をここに置いていけば、我々はまた分断されることにならないかな」
最初に二手に分かれたのはエンディミオンの判断だが、ここへ来てまた別行動となるのは、まだ見ぬ誰かの思惑にはまっていくだけの気もする。
「彼を連れて聖堂に向かう、というのも手ですが……」
「いっそ、侯爵さんのおうちに連れて戻っちゃう、とか?」
考え込んだアンジェロに、単純な思いつきを口に乗せたセーラだったが、全員がいっせいにセーラを見た。
「あれ?ダメでしたか?
でも様子のおかしい人を放ってはおけないし、どうせ聖堂には明日行くんだし、誰かがわたしたちを呼び寄せようとしてるんだとして、用があるなら向こうから来ればいいんじゃないかな……なんて」
エンディミオンたちの様子から、なんとなく悪意のある人が待ち構えているのだろうとは感じていたが、セーラは陰謀渦巻く政治や権謀術数に縁がないので、それほど深刻な悪意がそこにあるとは考え至っていなかった。
もちろんルクレツィアを救うには何がなんでも星の力が必要だし、誰かに邪魔されては困るのだが、エンディミオンはこの国の王子様だし、用があるのならそちらから来ればいいのでは?という安易な思いつきだった。
「────ハハっ、なるほど。それはいい」
セーラの言葉に、エンディミオンは目から鱗が落ちるような気がした。
誰もいなくなった町に鳴るはずのない鐘の音が響き渡り、自分たちをおびき寄せるかのようなソレに、その正体を暴きにどうしても聖堂に行かなければならないような気になっていた。
何らかの企てがそこにあって、自分たちの邪魔をしようとしている誰かが待ち受けているのなら返り討ちにするまでだという勇ましいほどの心持ちにもなっていたが、そもそもその企てにわざわざ乗り込まなくてもいいのか、という新しい発見だ。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、という言葉もある通り、物事を前に進めるのなら自らが動いていかなくてはならない場面もあるが、誰かの思惑を感じて、その状況を打破するべくその企てに自ら飛び込んでいくのは、自殺行為と表裏一体だ。
あえてのることが有効な時もあるが、今は気が急いていて何の準備も整っていない。
このまま策も何もない状態で聖堂へ向かうのは、次から次に起こることに流され、手をこまねいている誰かが描いたシナリオどおりに動かされているだけの気がする。
そのことに気がついて、エンディミオンは決断した。
「ここは巫女の言うとおりにしよう。
呼ばれている気はしたが、用があるのならばそちらから赴いてくるのが道理だ」
一国の王太子らしい顔で、もう一度聖堂を仰ぎ見た。
改めて考えても、聖堂を訪うのは今でなくてもいい。
「引き返すのはいいとして、隠し通路から向かったシルヴィオたちはどうする」
あまりに思い切った方針転換に、早いところ魔物を打ち倒してしまいたいラガロは聖堂に向かうのを諦めきれないが、
「邸に無事戻れたら、君が一走りすれば追いつくだろう?」
エンディミオンと同じ結論に至ったアンジェロに、にこやかに言い切られた。
「急いては事を仕損じるとも言うからね。
このまま誰かの思う壺にはまるくらいなら、私は殿下と巫女様に賛成ですよ。
これ以上の別行動にはならないように、というのは大前提だけれど、殿下と巫女様の護衛の君がこのまま一人で聖堂に行くというのはあってはならないし、とりあえず邸の中なら、君が戻ってくるまでの少しの間くらい、私も君の代わりにはなれるだろう?」
整然と説き伏せられ、ベアトリーチェの意見を聞くまでもなく、ラガロ以外の満場一致で方針が翻った。
「私も守られてばかりではないくらいに鍛えているつもりだよ」
すまなさそうに苦笑したエンディミオンに、ラガロが反論することはない。
お互い恋敵同士ではあるが、ルクレツィアによってラガロの内面に変化があった時から、二人は真っ当に主従関係を築けていた。
「殿下がそう仰るなら」
不承不承、というあからさまな態度だが、ラガロの同意を得てエンディミオンたちは進路を百八十度転回した。
気を失っている青年をラガロの馬に荷物のように乗せ、空々しいほど夏空に映える白い参道と、その先に聳える鮮やかな聖堂を背にする。
「出直そう」
エンディミオンの一言を合図に、馬たちが歩き出す。
「ほんとうに戻っちゃってよかったのかな……」
実際に自分の言い出した言葉どおりになってしまうと、セーラは少しだけ不安になった。
背後を振り返って、そこで本当は起こるはずだったことがなんなのか、その片鱗でも見つけられないかと目を凝らしてしまう。
「巫女、危ないから前を向いていて」
決めたのはエンディミオンだけれど、思いつきだけで余計なことを言って、ルクレツィアが助かる未来がなくっては困る。
そんな思いで背中を支えてくれるエンディミオンの顔を見たけれど、
「そんなに心配そうな顔をしないでも平気だよ」
優しい夕焼け色の瞳は、ずいぶん落ち着きを取り戻していた。
「少し焦っていた自覚もあるから、頭を冷やさせてくれて助かったよ」
昨晩の魔物の襲撃からここまで、息を吐く暇もなく追い立てられるように聖堂まで向かおうとしていた。
それに気がつくと、そんなつもりではなくとも、ずいぶん切羽詰まっていて、正常な判断力に欠けていたとわかる。
現状、情報不足は否めないし、勇足だったと言えばそうだ。
聖堂に背を向けた今は、むしろ取り返しがつかなくなる前に引き返せているのではないかという気さえしている。
「足止めしてくれた彼にも感謝かな」
ラガロの馬にくくりつけて運ばれている青年は健やかに眠っているような顔だが、その実どんな状態なのかはまだはっきりとしない。
都合のいい解釈かもしれないが、それでもこれまで起こっていることの何かのヒントのような気がして、できれば目を覚ましてもらいたい。
「巫女、少し馬には慣れたかな?帰りは少し速度をあげてもかまわない?」
「うん、ダイジョーブ」
地下から聖堂に向かったシルヴィオたちに追いつくにも、できるだけ早く戻らなければならない。
今回は青年と出会ったことで方針を変えることができたが、次もそうとは限らない。
もう少し冷静に判断しなければなと、エンディミオンは反省しながら、ヴィジネー家の邸までの山道を戻って行った。
6
お気に入りに追加
1,860
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢だと気づいたので、破滅エンドの回避に入りたいと思います!
飛鳥井 真理
恋愛
入園式初日に、この世界が乙女ゲームであることに気づいてしまったカーティス公爵家のヴィヴィアン。ヒロインが成り上がる為の踏み台にされる悪役令嬢ポジなんて冗談ではありません。早速、回避させていただきます!
※ストックが無くなりましたので、不定期更新になります。
※連載中も随時、加筆・修正をしていきますが、よろしくお願い致します。
※ カクヨム様にも、ほぼ同時掲載しております。
悪役令嬢に転生したら溺愛された。(なぜだろうか)
どくりんご
恋愛
公爵令嬢ソフィア・スイートには前世の記憶がある。
ある日この世界が乙女ゲームの世界ということに気づく。しかも自分が悪役令嬢!?
悪役令嬢みたいな結末は嫌だ……って、え!?
王子様は何故か溺愛!?なんかのバグ!?恥ずかしい台詞をペラペラと言うのはやめてください!推しにそんなことを言われると照れちゃいます!
でも、シナリオは変えられるみたいだから王子様と幸せになります!
強い悪役令嬢がさらに強い王子様や家族に溺愛されるお話。
HOT1/10 1位ありがとうございます!(*´∇`*)
恋愛24h1/10 4位ありがとうございます!(*´∇`*)
めんどくさいが口ぐせになった令嬢らしからぬわたくしを、いいかげん婚約破棄してくださいませ。
hoo
恋愛
ほぅ……(溜息)
前世で夢中になってプレイしておりました乙ゲーの中で、わたくしは男爵の娘に婚約者である皇太子さまを奪われそうになって、あらゆる手を使って彼女を虐め抜く悪役令嬢でございました。
ですのに、どういうことでございましょう。
現実の世…と申していいのかわかりませぬが、この世におきましては、皇太子さまにそのような恋人は未だに全く存在していないのでございます。
皇太子さまも乙ゲーの彼と違って、わたくしに大変にお優しいですし、第一わたくし、皇太子さまに恋人ができましても、その方を虐め抜いたりするような下品な品性など持ち合わせてはおりませんの。潔く身を引かせていただくだけでございますわ。
ですけど、もし本当にあの乙ゲーのようなエンディングがあるのでしたら、わたくしそれを切に望んでしまうのです。婚約破棄されてしまえば、わたくしは晴れて自由の身なのですもの。もうこれまで辿ってきた帝王教育三昧の辛いイバラの道ともおさらばになるのですわ。ああなんて素晴らしき第二の人生となりますことでしょう。
ですから、わたくし決めました。あの乙ゲーをこの世界で実現すると。
そうです。いまヒロインが不在なら、わたくしが用意してしまえばよろしいのですわ。そして皇太子さまと恋仲になっていただいて、わたくしは彼女にお茶などをちょっとひっかけて差し上げたりすればいいのですよね。
さあ始めますわよ。
婚約破棄をめざして、人生最後のイバラの道行きを。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ヒロインサイドストーリー始めました
『めんどくさいが口ぐせになった公爵令嬢とお友達になりたいんですが。』
↑ 統合しました
私はモブのはず
シュミー
恋愛
私はよくある乙女ゲーのモブに転生をした。
けど
モブなのに公爵家。そしてチート。さらには家族は美丈夫で、自慢じゃないけど、私もその内に入る。
モブじゃなかったっけ?しかも私のいる公爵家はちょっと特殊ときている。もう一度言おう。
私はモブじゃなかったっけ?
R-15は保険です。
ちょっと逆ハー気味かもしれない?の、かな?見る人によっては変わると思う。
注意:作者も注意しておりますが、誤字脱字が限りなく多い作品となっております。
モブに転生したので前世の好みで選んだモブに求婚しても良いよね?
狗沙萌稚
恋愛
乙女ゲーム大好き!漫画大好き!な普通の平凡の女子大生、水野幸子はなんと大好きだった乙女ゲームの世界に転生?!
悪役令嬢だったらどうしよう〜!!
……あっ、ただのモブですか。
いや、良いんですけどね…婚約破棄とか断罪されたりとか嫌だから……。
じゃあヒロインでも悪役令嬢でもないなら
乙女ゲームのキャラとは関係無いモブ君にアタックしても良いですよね?
深窓の悪役令嬢~死にたくないので仮病を使って逃げ切ります~
白金ひよこ
恋愛
熱で魘された私が夢で見たのは前世の記憶。そこで思い出した。私がトワール侯爵家の令嬢として生まれる前は平凡なOLだったことを。そして気づいた。この世界が乙女ゲームの世界で、私がそのゲームの悪役令嬢であることを!
しかもシンディ・トワールはどのルートであっても死ぬ運命! そんなのあんまりだ! もうこうなったらこのまま病弱になって学校も行けないような深窓の令嬢になるしかない!
物語の全てを放棄し逃げ切ることだけに全力を注いだ、悪役令嬢の全力逃走ストーリー! え? シナリオ? そんなの知ったこっちゃありませんけど?
家庭の事情で歪んだ悪役令嬢に転生しましたが、溺愛されすぎて歪むはずがありません。
木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるエルミナ・サディードは、両親や兄弟から虐げられて育ってきた。
その結果、彼女の性格は最悪なものとなり、主人公であるメリーナを虐め抜くような悪役令嬢となったのである。
そんなエルミナに生まれ変わった私は困惑していた。
なぜなら、ゲームの中で明かされた彼女の過去とは異なり、両親も兄弟も私のことを溺愛していたからである。
私は、確かに彼女と同じ姿をしていた。
しかも、人生の中で出会う人々もゲームの中と同じだ。
それなのに、私の扱いだけはまったく違う。
どうやら、私が転生したこの世界は、ゲームと少しだけずれているようだ。
当然のことながら、そんな環境で歪むはずはなく、私はただの公爵令嬢として育つのだった。
魔性の悪役令嬢らしいですが、男性が苦手なのでご期待にそえません!
蒼乃ロゼ
恋愛
「リュミネーヴァ様は、いろんな殿方とご経験のある、魔性の女でいらっしゃいますから!」
「「……は?」」
どうやら原作では魔性の女だったらしい、リュミネーヴァ。
しかし彼女の中身は、前世でストーカーに命を絶たれ、乙女ゲーム『光が世界を満たすまで』通称ヒカミタの世界に転生してきた人物。
前世での最期の記憶から、男性が苦手。
初めは男性を目にするだけでも体が震えるありさま。
リュミネーヴァが具体的にどんな悪行をするのか分からず、ただ自分として、在るがままを生きてきた。
当然、物語が原作どおりにいくはずもなく。
おまけに実は、本編前にあたる時期からフラグを折っていて……?
攻略キャラを全力回避していたら、魔性違いで謎のキャラから溺愛モードが始まるお話。
ファンタジー要素も多めです。
※なろう様にも掲載中
※短編【転生先は『乙女ゲーでしょ』~】の元ネタです。どちらを先に読んでもお話は分かりますので、ご安心ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる