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※鳥の苦手な方はご注意ください。


 七日前。
 予定通りヴィジネー侯爵家の一団は、国から派遣された騎士団を従えてピエタの町へ入った。
 二日後、これも予定通りに町を封鎖し、二百に満たない住人の避難の準備をはじめた。
 それまでは何事もなく、すべて順調だった。
 ピエタの町は山深く、移動しながらの連絡は難しかったが、町に入れば通信機で王城に報告を行なうことも出来ていた。

 その夜、封鎖した町に一人の男が命からがら助けを求めにやって来た。
 鳥の魔物に追われて、町の封鎖を知らずにここまで逃げて来たという。
 魔物の出現も予め知らされていたことだ。
 男に詳しい話を聞き、騎士団から調査隊を編成して町の周囲を探らせることにした。
 魔物が活動するのは日没から夜明けまで。
 これまでの星の探索で現れた魔物と同様に考えて、調査隊は夜のうちに出発した。
 エンディミオンたちが来るまでに魔物の情報を集め、対策を講じておくために。

 夜が明け、太陽が高い位置に来ても、調査隊は誰一人戻って来なかった。
 不審に思い、調査隊を捜索しに行った部隊も一向に戻らず、侯爵邸には緊張が走った。
 王城に一報を入れたが、エンディミオンたちはすでに王都を発ったあとだ。
 移動中のエンディミオンたちとの通信は王城を経由するか、向こうからの定期連絡を待つしかない。
 翌日には住民たちを移動させなければならないが、一日待ってもエンディミオンたちはおろか、王城からも何の指示は入らなかった。

 一夜明け、いくら待っても騎士たちは行方不明のまま、通信機は繋がらない。住人たちはもう町を出発しなければ明るいうちに避難先に辿りつくことが難しい頃になると、ヴィジネー侯爵が決断した。
 ピエタ聖堂は山間のごく狭い土地の中心にある。
 今回の相手は鳥の魔物のようだから、この狭い町の上空から襲われてはひとたまりもない。
 星の力に惹き寄せられて、その土地の生き物が魔物化するのならば、できるだけ星の探索地からは離れていたほうがいい。
 また、明るいうちならば、魔物も現れることはないはずだ。
 そう結論付けて、住人の避難を開始した。
 魔物の出現に不安がる住人たちには、ヴィジネー家の私兵が護衛に付いた。
 ヴィジネー侯爵家を守る最低限の兵士は残したが、連れてきた三分の二以上が町を出ることになった。
 それでも、国から派遣された騎士団はまだ一小隊残っているし、エンディミオンたちがやって来れば魔物相手に後れをとることもあるまい。
 そう言ったヴィジネー侯爵に反論する声は上がらず、昼前には住人と護衛の兵士たちは町を後にした。

 鳥の魔物と聞いてから、ルチアーノはずっと気が立っていた。
 よりにもよって鳥!
 この辺りには猪も兎もイタチもいるのに、どうして鳥!
 町に逃げ込んできた男は商人で、魔物の詳しい特長はそれほど聞き出せなかったが、とにかく大きくて凶暴だ!という言葉どおりなら考えられるのは鷲だろうか。
 あの何でも獲物にする獰猛さと鋭い目つきを考えるだけでもぞっとする。
 男は大きな影に怯えながら獣道を選んで、木々を盾にしてピエタの町まで逃げ果せたという。
 この男が町に魔物を連れてきたんじゃないの?!という根拠のない不満を胸に抱きながら、男が住人に混じってのうのうと安全と思われる場所へ避難していくのをルチアーノは口惜しげに見送り、私もいっしょに逃げたらダメかしら、と主人であるジャンルカに問うてみた。
 ガラッシア家に嫁いだ妹とは正反対の性格をした気難しげな父の侯爵とは違って、人の好いヴィジネー家の嫡男は気弱なところのある青年だ。
 たいていのワガママは押せばなんとかなるので、いつもルチアーノは主人を振り回している自覚があるが、その時ばかりはさすがに苦笑して首を振られてしまった。
 鳥の魔物が襲ってくるとわかっているのに!
 ひどい!
 と泣きながらいじけて自らの控え部屋に閉じこもったその夜、ルチアーノはもっと恐ろしい思いをすることになる。

 カツン、カツン、と、はじめは窓に何かが当たる音だった。
 ジャンルカがルチアーノのごきげんをとりに来たのなら扉をノックする。
 それでは騎士の誰かがうっかり美貌の従者に心を奪われて、ちょっかいをかけに窓の外から小石でも投げているのかしらとカーテンを少し開いて、ルチアーノは絶叫した。

 無数の鳥と、窓越しに目が合ってしまった。

 甲高いルチアーノの叫び声は邸中にこだまし、ヴィジネー侯爵家の護衛たちが駆けつけた。
 聞いていた大きな鳥の魔物ではなく、小さな椋鳥から鴉や梟、このあたりの山に棲む鳥がすべて集まってきたかのように邸の周りに殺到して、今にも窓硝子を突き破って来そうな勢いだ。
 外を見回っていたはずの国の騎士たちは見当たらず、警告もなければ、何の予兆も感じられなかった。
 この数の鳥に一斉に襲われて食い散らかされたにしても、悲鳴のひとつもなかったのはおかしい。
 いつ鳥たちが邸に入り込んでくるかと狂いだしそうな恐怖に震えながらも、ルチアーノは本来の自分の仕事がなんなのかが頭に過った。
 ヴィジネー侯爵家の嫡男の従者。
 いつも好き勝手に振る舞ってはいるが、ここぞという仕事は外さないのがルチアーノの信条だ。
 ルチアーノの悲鳴にも、鳥の襲撃にも顔を出さないジャンルカと侯爵が気がかりで、廊下の窓の外の鳥の気配に怯えながらも邸の中を走り、二人のいるはずの執務室、寝室、とその姿を探した。
 走り回りながら、すれ違う騎士や兵士にも二人の所在を確認した。
 部屋の外で立ち番をしていた兵士は顔を青くしていた。

「お二人は寝室に下がられてから、どちらにも行かれておりません」

 ヴィジネー侯爵家の家長と嫡男は、鳥の襲撃の最中さなかに、忽然とその姿を消してしまったのだ。

 これが、エンディミオンたちがピエタに来る二日前の夜のこと。
 鳥たちは邸の中には侵入してこず、ずっと窓や壁を突き回し、気が狂いそうな羽ばたきの音だけを残し、空が明るみ出した頃にだんだんといなくなっていった。

 すっかり夜が明け、一羽もいなくなった外を確認すると、騎士の武器や防具が散乱しているだけで、不思議なほど羽根の一枚も落ちてはいなかった。
 全員で同じ悪夢を見ていたのか、けれど耳の奥には一晩中聞き続けた羽の擦れる音や嘴が窓を叩く音、そして爪が壁を引っ掻く音がこびりついている。
 騎士の数もいつの間にか半数以下に減っていて、侯爵とジャンルカも姿を消したまま。
 目を瞑ると、ルチアーノの目の裏には無数の鳥の目が刻みついている。
 一睡もできず、憔悴したままのルチアーノはなんとか現状を伝えようと通信機を手にしたが、まるで壊れているように何の反応も見せず、思わず窓から放り投げてしまった。

「この子をこんな目に合わせたのはルチアーノ殿だったのだね?!」

 大事そうに壊れた通信機を抱えたジョバンニが非難の声をあげたが、

「だって大事な時に役に立たないんだもの!!
 今度はもっと使えるもの作りなさいよ!!!!」

 三倍の勢いで言い返されてジョバンニはしょんぼりした。

「それが一昨日の夜ということだから、それまではまだルチアーノの他にも残っていたんだろう?
 それが、どうして今は君一人なんだ?」

 エンディミオンに先を促されて、ルチアーノは意を決するように細い息を吐き出した。

「…………本当の悪夢は、昨晩に起こりました」

 思い返すと同時に心の底から身震いして、ルチアーノは一段と顔を青褪めさせ、この一晩に起こったことをぽつりぽつりと言葉にしだした。

「残った私たちは、昼の間は町のどこかに侯爵様やジャンルカ様がいらっしゃるのではないかと探し回りました。
 山の中に踏み入れば、もしかするとまた帰って来ないか、消えてしまうのではないかと注意しながら、できる範囲でくまなく。
 けれど侯爵様たちも騎士たちもどこにもおらず、あっという間に日が暮れて……また鳥の群れがやって来るのではないかと待ち構えることになりました。
 昨日は入り込んで来なかった鳥たちが今度こそ邸の中に入ってくるかもしれないと、邸のいちばん奥に立て篭もるようにして、夜を待ったのです」

 時を同じくして、峠のひとつ向こうで野営をしていたエンディミオンたちのところに、無数の鳥が集まっていた。
 ルチアーノたちがそれを知る術はなかったが、ピエタの町に、鳥は一羽もやって来なかった。
 安堵の空気と、何が起こっているのかひとつもわからない不気味さに戸惑う妙な雰囲気の中、誰かが窓を明けて夜空を窺ったようだった。
 ルチアーノは護衛たちの中心で蹲って、鳥の羽ばたきも聞こえないようにしていたから、がどこからはじまったのかはわからない。
 どこからか、「おいっ!どうした!?」と切羽詰まった声が聞こえ、それは波紋が広がるように全体に広がっていった。

 周囲の様子がおかしいのが気になってルチアーノが伏せていた顔をあげると、隣にいた兵士に「しっかりしろ!」と声をかけられていた別の兵士のところをちょうど目撃してしまった。
 頭を抱えて苦悶していた表情から、一瞬ですべての感情が削ぎ落とされたように目の色が消えた。
 光のない真っ暗な穴のような目が見開かれ、に取り憑かれたような奇妙な呻きと奇怪な動作になっていく。
 それが一人、また一人と伝染していくように増えていく。
 その様子を、声をなくしたままルチアーノは見ていた。
 何かがおかしいと気がついて逃げ出そうとした兵士も、途中で何かに捕まったように動きを止めて、同じような状態になってしまった。
 自分もそうなるのかと、動くこともできないでルチアーノは目を瞑った。
 周りでは、死霊のような顔をした兵士たちがお互いに襲いかかるでもなく、統制のない奇妙な生き物になって徘徊をはじめた。
 開け放たれた窓からざわりとする夜気が入り込み、ルチアーノの肌を撫でて粟立たせていく。
 息も止めて、次に何が起こるか気を失いそうになっていると、徘徊していた兵士の一人が何かに意識を向けたのと同時に、全員が同じ方向を向いた。
 呼ばれるように、窓から外へ、一律に出て行こうとする。
 意思のない奇妙な生き物になったまま、押し合いながら外へ向かっていった兵士たちは、ルチアーノ一人を残して全員がいなくなってしまった。
 声をあげないまま、ほとんど半狂乱でそれを見送ったルチアーノは、そこでパタリと意識を失った────


「そうして、気が付いたら朝になっていて、鳥は怖いし一人も怖いし、どうしようかと思っていたら、馬車の音がして……」
「我々が到着したわけか」

 シルヴィオの言葉に、ルチアーノは頷き返した。


 
 
 




 
 







 


 
 
 

 

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