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ヴィジネー家の別荘は、木立ちの間を登る坂道の上にあった。
街の入り口で、「ピエタ聖堂」に真っ直ぐに向かう参道から二股に分かれた先、街の全体を見渡せるよう山肌に添って建てられた邸は、白亜の壁に緑の蔦が文様を描く優美な建物だった。
この街が開かれる前、「ピエタ聖堂」が今の姿になった頃に建てられたという。
絢爛さはないものの、千年経ってもなお汚れなく真っさらな威容は、公に語り継がれているエレットラ・ヴィジネーの高潔さを表しているようでもあった。
夏の日差しだけが、「ピエタ聖堂」の街を鮮やかにしていた。
王都から北西にあるヴィジネー領の夏はカラッとして、吹き抜ける風は清涼だ。
何もなければ、過ごしやすく快適な旅空だったのかもしれない。
蒼穹に映える白亜の城は、虫の音ひとつ響かせず、エンディミオンたちを待ち受けていた。
あまりにも静かで、馬車の車輪の音すら空に吸い込まれて消えていくようだった。
萎縮したように馬の足並みはゆるやかになり、やがて馬車は止まった。
「本当に、誰も出てこないな」
窺うように顔を出したシルヴィオを、先導していたラガロが馬上から制止した。
「待て。……誰かいる」
警戒を解かず、馬首をめぐらすと、誰もいないのではと思うほどの静寂を引き千切るように、邸の玄関をゆっくり開く音が響いた。
こちらに気付かれないよう様子だけ見ようとした結果、思いのほか扉が軋んだ音をたてたようで、開いた隙間から慌てふためく人影が覗いていた。
「そこにいるのは何者だ!」
ラガロの鋭い誰何の声に、怯えた様子の人物が扉の隙間から顔を覗かせた。
「…………王太子殿下の、御一行、かしら?」
消え入りそうな声は、今にも泣き出しそうだ。
「ラガロ、待って。顔見知りだ」
その声に覚えがあって、アンジェロが馬車から降りた。
「…………あ、あ、アンジェロ様~~!!」
本当に泣き出した声の持ち主は、よく知る公爵家の美しい嫡男の姿が見えると同時に邸の外にまろび出てきた。
「ルチアーノ、落ち着いて。一体何があったんだい?」
泣き顔のまま抱きつかれそうなのはやんわり押し留め、アンジェロは、自分よりも年上の、ヴィジネー家嫡男の従者・ルチアーノを迎えた。
「ルチアーノ?キクノス家のルチアーノか?」
ただ事ではない様子にエンディミオンも馬車から顔を出すと、ルチアーノはその姿に感極まったように別の意味でまた泣き出した。
「お、お、王太子殿下……っっお待ちしておりました!お待ちしておりましたあああ!!」
滂沱の涙を流すルチアーノに、エンディミオンは少し困惑した。
「本当にルチアーノなのか……?」
エンディミオンの記憶にあるルチアーノ・キクノスは、カプリコノ家とも縁続きのキクノス伯爵家の三男で、幼少期に王城で顔を合わせたそれっきりだが、彼は、いや、彼女は、三女だったのか……?
どこからどう見ても女性と見紛うような面立ちは、涙のせいか目元が黒く滲んでいる。
女性用の化粧をしているのだろうとはわかった。
しかし細身の体を包む白いフリルブラウスにタイトな黒のパンツ、細いヒールのブーツを着こなす立ち姿は、女性騎士のクラリーチェと近しくそれ以上の艶かしさだ。
ゆるく結いあげた金髪と、うなじのあたりで後毛が遊んでいるのも、そんな印象に拍車をかけた。
素直に顔に混乱を浮かべたエンディミオンに、アンジェロはひとまず場所を変えることを提案した。
「ルチアーノ、邸の中は安全なのかい?
そちらの事情を説明してもらうのと、殿下にも休んでいただく必要があるのだけれど……」
「っ、そうね、そうだったわね、……邸の中は、たぶん、安全。明るいうちは、たぶん……」
自信のなさそうな語気で、ソワソワと落ち着かない様子で辺りを伺いながら、ルチアーノはエンディミオンたちを邸の中に招き入れた。
*
邸の中もしんと静まり返り、エンディミオンたちを迎える人の姿はルチアーノ以外にない。
ラガロとジョバンニに馬を任せている間、ルチアーノは王太子一行を邸の応接間に案内した。
ルチアーノはずっとアンジェロの腕に縋ってぐすぐすと鼻を啜っていて、落ち着くまでは、何があったかを聞き取るのは難しそうだ。
「アンジェロ様、私っ、本当に心細かったんですよ!
早く来て下さらないかって、もうっ、本っ当に生きた心地がしなくって!」
さめざめと泣き続けているルチアーノに反対側からベアトリーチェがハンカチを差し出したが、ルチアーノは一瞥もせずにアンジェロにしなだれかかった。
「……クラリーチェさん、あの、コレは、」
まったく事情を知らないセーラは、こっそりとクラリーチェに説明を求めた。
「あぁ……。巫女様ははじめて彼にお会いになるのですね」
そう言うクラリーチェの顔も少し複雑そうだ。
「ルチアーノは、学園では私の級友でもあったのですが、キクノス伯爵家の出身で、今はヴィジネー家に従者として仕えています」
「キクノス家は白鳥公爵の末裔だな」
「白鳥公爵?」
「セーラちゃんは、王城の夏の庭って行ったことある?
そこに銀色に輝く鳥がいたでしょ。
それを見つけ出して王家に献上したのが、白鳥公爵」
シルヴィオとフェリックスも混ざり、ざっと聞かされたキクノス家の由来はこうだ。
白鳥公爵。
時のステラフィッサ王の弟からはじまった公爵家の最後の代にして、キクノス伯爵家の祖になる人物は、異常なほどに鳥を愛していた。
公爵位を継いで早々に王位継承権は放棄し、一生を鳥の研究に捧げた。
中でも、白鳥の研究に命を賭し、それまでは想像上の生き物と思われていた白鳥を発見し、捕まえて飼い慣らすことに成功した。
美しい村娘に悪い領主が懸想して、その魔の手から逃れるうちに銀に輝く鳥に姿を変えた乙女の話だったり、敵同士の領主の下に生まれた子息と令嬢が互いに愛し合うようになり、結局引き離されそうになったのを苦に二人で崖から飛び降りたところ、一羽の白銀の鳥になって飛び立っていった、という話だったり、そんなよくあるご当地の昔話に入れ込んで、絶対に光り輝く白鳥は存在すると信じ続け、実際に見つけ出すという執念が白鳥公爵という異名になった。
その一人娘がカプリコノ家の令息を迎えてキクノス伯爵家を継ぐことになり、公爵の死後、キクノス家は白鳥の管理を一任されている。
ルチアーノはそのキクノス家の末裔、当代の三男に生まれ、伯爵位を継ぐわけではないが、キクノス家は一家総出で白鳥のお世話に従事しなければならない。
生まれた時から決められた役目があったが、
「私、鳥ってキライよ」
学園で出会ったルチアーノは、白鳥公爵のことを聞かれると誰にでもそう言っていた。
「ルチアーノは昔から鳥に好かれないそうで、家の仕事ができない以上、彼はどこかの家に婿に入るか、とにかく身の振り方を考えなければならなかったのですが、昔から、なんと言いますか、その、……風変わりではあったのです」
「それで困ったキクノス家が、縁戚の母上を頼ったんだよ」
言葉を選んでいるクラリーチェの横からエンディミオンも話に加わり、ルチアーノがヴィジネー家に仕えることになった経緯を補足した。
「キクノス家はカプリコノ家の傍系であると同時に王家の血筋も入っているから、稀に光属性の者が生まれるんだ。ルチアーノもそうなものだから、母上がはりきって、まずはガラッシア家の、アンジェロの従者に推薦した」
何がなんでも公爵夫人、エレオノーラとの接点を持とうとする王妃ソフィアの押しの強さを思い出して、エンディミオンはちょっとうんざりした。
「けれど公爵に丁重に断られ、諦めきれなかった母上の働きかけで結局ヴィジネー家に従者として雇われたわけなんだけれど」
「侯爵家の大事な跡取りに、王妃陛下のせいで変わり種の従者が……」
一体ピエタの町で何があったのかと気が急いていたグラーノだが、伊達に歳はとっておらず弁えて自制していたところ、王都では顔を合わせることがなかった曾孫の従者の人柄に衝撃を覚えていた。
グラーノとスピカの正体を知らせるのは最小限、息子と孫の侯爵、そして侯爵家を継ぐ嫡男までとヴィジネー家の直系三代に限ったため、いくら従者でも話し合いの場には同席させられなかったのだ。
エンディミオンも、鳥がキライだと夏の庭でも不機嫌そうにしていた少年が、ヴィジネー家に入ってこうなっているとは思いもよらず、どうして、という困惑に満ちた語尾で話を途切れさせてしまった。
答えをくれたのはフェリックスとクラリーチェだ。
「従者選抜の時にアンジェロに一目惚れしてから、アンジェロの隣りに立つのに相応しくなろうって努力がぜんぶコッチに全振りしたみたいなんだよね」
「その時にはもうアンジェロ様とベアトリーチェ様はご婚約されておりましたから、ルチアーノはベアトリーチェ様のことを憎らしい恋敵だと思っているようです」
学園時代、クラリーチェとルチアーノが四年次の頃、一年次に進級してきたベアトリーチェを目の敵にしていたのを、フェリックスを追いかけていたクラリーチェは懐かしく思い出した。
その頃のルチアーノはすでに誰よりも美に貪欲で、学園のご令嬢たちから美容のカリスマとして崇められていた。
「たしかにアンジェロさんとベアトリーチェさんの間に割り込むには、あれくらいのメンタルじゃないとムリそう……」
いつもベアトリーチェ最優先で、少しの隙も見せずに自分に群がる令嬢たちのことなど穏やかな微笑みひとつで遠ざけていたアンジェロだが、今は感情の読めない薄い笑みを顔に貼り付けたままルチアーノの好きにさせている。
ベアトリーチェは困った顔で、まるで意地悪な小姑にいじめられているような様子だが、不思議で不憫な状況に首を傾げたセーラに、フェリックスは「心配ないよ」と軽く笑った。
「今アンジェロとベアトリーチェ嬢はね、自分たちを犠牲にしていちばん早くルチアーノをなだめる方法をとってるんだよ」
「ベアトリーチェさんは、あえてルチアーノさんにいびられている、と……?」
なるほどよくわからない。
これが異世界のお貴族様の処世術なのだろうか。
それをなんの打ち合わせもなく自然な流れで請け負っているアンジェロとベアトリーチェになんとなく感心しつつ、これがいつまで続くのかとセーラがそわそわし出したところ、応接間にラガロとジョバンニが戻ってきた。
「邸のどこにも、誰一人居なかった」
「見てください!こんなふうに通信機が無惨な姿に……!!ボクとファウスト君で作った大事な我が子が!!!!」
厩舎に行くついでに邸を見回ってきたらしいラガロが、開口いちばんにエンディミオンに告げた。
ついでに通信機の無事が気がかりだったジョバンニが、打ち捨てられていた通信機を探し当てたようだ。
「誰一人……?」
ラガロの言葉に反応したのはグラーノだ。
ここには、孫と曾孫、そして彼等に付き従ったヴィジネー家の私兵、国から騎士団も派遣されて来ていたはず。
それが一人も?
従者一人だけを残して、儂の家族はどこへ行った────?
全員の目線が、事情を知るはずのルチアーノに集まった。
「やめて、そんな目で見ないで!
アナタの目って猛禽類みたいでイヤだわ!」
疑うようなラガロの目に睨まれ、ルチアーノは悲鳴を上げた。
「アンジェロ様、それから王太子殿下、説明しますから、その男を私に近づけないでくださいねっ」
鳥そのものだけでなく、鳥を感じさせるものもキライなのか、筋金入りのキクノス家の異端児は、エンディミオンに言われてラガロが部屋の壁際にまで十分下がったのを見届けてから、居住まいを正してこれまでのことを話し出した。
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絢爛さはないものの、千年経ってもなお汚れなく真っさらな威容は、公に語り継がれているエレットラ・ヴィジネーの高潔さを表しているようでもあった。
夏の日差しだけが、「ピエタ聖堂」の街を鮮やかにしていた。
王都から北西にあるヴィジネー領の夏はカラッとして、吹き抜ける風は清涼だ。
何もなければ、過ごしやすく快適な旅空だったのかもしれない。
蒼穹に映える白亜の城は、虫の音ひとつ響かせず、エンディミオンたちを待ち受けていた。
あまりにも静かで、馬車の車輪の音すら空に吸い込まれて消えていくようだった。
萎縮したように馬の足並みはゆるやかになり、やがて馬車は止まった。
「本当に、誰も出てこないな」
窺うように顔を出したシルヴィオを、先導していたラガロが馬上から制止した。
「待て。……誰かいる」
警戒を解かず、馬首をめぐらすと、誰もいないのではと思うほどの静寂を引き千切るように、邸の玄関をゆっくり開く音が響いた。
こちらに気付かれないよう様子だけ見ようとした結果、思いのほか扉が軋んだ音をたてたようで、開いた隙間から慌てふためく人影が覗いていた。
「そこにいるのは何者だ!」
ラガロの鋭い誰何の声に、怯えた様子の人物が扉の隙間から顔を覗かせた。
「…………王太子殿下の、御一行、かしら?」
消え入りそうな声は、今にも泣き出しそうだ。
「ラガロ、待って。顔見知りだ」
その声に覚えがあって、アンジェロが馬車から降りた。
「…………あ、あ、アンジェロ様~~!!」
本当に泣き出した声の持ち主は、よく知る公爵家の美しい嫡男の姿が見えると同時に邸の外にまろび出てきた。
「ルチアーノ、落ち着いて。一体何があったんだい?」
泣き顔のまま抱きつかれそうなのはやんわり押し留め、アンジェロは、自分よりも年上の、ヴィジネー家嫡男の従者・ルチアーノを迎えた。
「ルチアーノ?キクノス家のルチアーノか?」
ただ事ではない様子にエンディミオンも馬車から顔を出すと、ルチアーノはその姿に感極まったように別の意味でまた泣き出した。
「お、お、王太子殿下……っっお待ちしておりました!お待ちしておりましたあああ!!」
滂沱の涙を流すルチアーノに、エンディミオンは少し困惑した。
「本当にルチアーノなのか……?」
エンディミオンの記憶にあるルチアーノ・キクノスは、カプリコノ家とも縁続きのキクノス伯爵家の三男で、幼少期に王城で顔を合わせたそれっきりだが、彼は、いや、彼女は、三女だったのか……?
どこからどう見ても女性と見紛うような面立ちは、涙のせいか目元が黒く滲んでいる。
女性用の化粧をしているのだろうとはわかった。
しかし細身の体を包む白いフリルブラウスにタイトな黒のパンツ、細いヒールのブーツを着こなす立ち姿は、女性騎士のクラリーチェと近しくそれ以上の艶かしさだ。
ゆるく結いあげた金髪と、うなじのあたりで後毛が遊んでいるのも、そんな印象に拍車をかけた。
素直に顔に混乱を浮かべたエンディミオンに、アンジェロはひとまず場所を変えることを提案した。
「ルチアーノ、邸の中は安全なのかい?
そちらの事情を説明してもらうのと、殿下にも休んでいただく必要があるのだけれど……」
「っ、そうね、そうだったわね、……邸の中は、たぶん、安全。明るいうちは、たぶん……」
自信のなさそうな語気で、ソワソワと落ち着かない様子で辺りを伺いながら、ルチアーノはエンディミオンたちを邸の中に招き入れた。
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邸の中もしんと静まり返り、エンディミオンたちを迎える人の姿はルチアーノ以外にない。
ラガロとジョバンニに馬を任せている間、ルチアーノは王太子一行を邸の応接間に案内した。
ルチアーノはずっとアンジェロの腕に縋ってぐすぐすと鼻を啜っていて、落ち着くまでは、何があったかを聞き取るのは難しそうだ。
「アンジェロ様、私っ、本当に心細かったんですよ!
早く来て下さらないかって、もうっ、本っ当に生きた心地がしなくって!」
さめざめと泣き続けているルチアーノに反対側からベアトリーチェがハンカチを差し出したが、ルチアーノは一瞥もせずにアンジェロにしなだれかかった。
「……クラリーチェさん、あの、コレは、」
まったく事情を知らないセーラは、こっそりとクラリーチェに説明を求めた。
「あぁ……。巫女様ははじめて彼にお会いになるのですね」
そう言うクラリーチェの顔も少し複雑そうだ。
「ルチアーノは、学園では私の級友でもあったのですが、キクノス伯爵家の出身で、今はヴィジネー家に従者として仕えています」
「キクノス家は白鳥公爵の末裔だな」
「白鳥公爵?」
「セーラちゃんは、王城の夏の庭って行ったことある?
そこに銀色に輝く鳥がいたでしょ。
それを見つけ出して王家に献上したのが、白鳥公爵」
シルヴィオとフェリックスも混ざり、ざっと聞かされたキクノス家の由来はこうだ。
白鳥公爵。
時のステラフィッサ王の弟からはじまった公爵家の最後の代にして、キクノス伯爵家の祖になる人物は、異常なほどに鳥を愛していた。
公爵位を継いで早々に王位継承権は放棄し、一生を鳥の研究に捧げた。
中でも、白鳥の研究に命を賭し、それまでは想像上の生き物と思われていた白鳥を発見し、捕まえて飼い慣らすことに成功した。
美しい村娘に悪い領主が懸想して、その魔の手から逃れるうちに銀に輝く鳥に姿を変えた乙女の話だったり、敵同士の領主の下に生まれた子息と令嬢が互いに愛し合うようになり、結局引き離されそうになったのを苦に二人で崖から飛び降りたところ、一羽の白銀の鳥になって飛び立っていった、という話だったり、そんなよくあるご当地の昔話に入れ込んで、絶対に光り輝く白鳥は存在すると信じ続け、実際に見つけ出すという執念が白鳥公爵という異名になった。
その一人娘がカプリコノ家の令息を迎えてキクノス伯爵家を継ぐことになり、公爵の死後、キクノス家は白鳥の管理を一任されている。
ルチアーノはそのキクノス家の末裔、当代の三男に生まれ、伯爵位を継ぐわけではないが、キクノス家は一家総出で白鳥のお世話に従事しなければならない。
生まれた時から決められた役目があったが、
「私、鳥ってキライよ」
学園で出会ったルチアーノは、白鳥公爵のことを聞かれると誰にでもそう言っていた。
「ルチアーノは昔から鳥に好かれないそうで、家の仕事ができない以上、彼はどこかの家に婿に入るか、とにかく身の振り方を考えなければならなかったのですが、昔から、なんと言いますか、その、……風変わりではあったのです」
「それで困ったキクノス家が、縁戚の母上を頼ったんだよ」
言葉を選んでいるクラリーチェの横からエンディミオンも話に加わり、ルチアーノがヴィジネー家に仕えることになった経緯を補足した。
「キクノス家はカプリコノ家の傍系であると同時に王家の血筋も入っているから、稀に光属性の者が生まれるんだ。ルチアーノもそうなものだから、母上がはりきって、まずはガラッシア家の、アンジェロの従者に推薦した」
何がなんでも公爵夫人、エレオノーラとの接点を持とうとする王妃ソフィアの押しの強さを思い出して、エンディミオンはちょっとうんざりした。
「けれど公爵に丁重に断られ、諦めきれなかった母上の働きかけで結局ヴィジネー家に従者として雇われたわけなんだけれど」
「侯爵家の大事な跡取りに、王妃陛下のせいで変わり種の従者が……」
一体ピエタの町で何があったのかと気が急いていたグラーノだが、伊達に歳はとっておらず弁えて自制していたところ、王都では顔を合わせることがなかった曾孫の従者の人柄に衝撃を覚えていた。
グラーノとスピカの正体を知らせるのは最小限、息子と孫の侯爵、そして侯爵家を継ぐ嫡男までとヴィジネー家の直系三代に限ったため、いくら従者でも話し合いの場には同席させられなかったのだ。
エンディミオンも、鳥がキライだと夏の庭でも不機嫌そうにしていた少年が、ヴィジネー家に入ってこうなっているとは思いもよらず、どうして、という困惑に満ちた語尾で話を途切れさせてしまった。
答えをくれたのはフェリックスとクラリーチェだ。
「従者選抜の時にアンジェロに一目惚れしてから、アンジェロの隣りに立つのに相応しくなろうって努力がぜんぶコッチに全振りしたみたいなんだよね」
「その時にはもうアンジェロ様とベアトリーチェ様はご婚約されておりましたから、ルチアーノはベアトリーチェ様のことを憎らしい恋敵だと思っているようです」
学園時代、クラリーチェとルチアーノが四年次の頃、一年次に進級してきたベアトリーチェを目の敵にしていたのを、フェリックスを追いかけていたクラリーチェは懐かしく思い出した。
その頃のルチアーノはすでに誰よりも美に貪欲で、学園のご令嬢たちから美容のカリスマとして崇められていた。
「たしかにアンジェロさんとベアトリーチェさんの間に割り込むには、あれくらいのメンタルじゃないとムリそう……」
いつもベアトリーチェ最優先で、少しの隙も見せずに自分に群がる令嬢たちのことなど穏やかな微笑みひとつで遠ざけていたアンジェロだが、今は感情の読めない薄い笑みを顔に貼り付けたままルチアーノの好きにさせている。
ベアトリーチェは困った顔で、まるで意地悪な小姑にいじめられているような様子だが、不思議で不憫な状況に首を傾げたセーラに、フェリックスは「心配ないよ」と軽く笑った。
「今アンジェロとベアトリーチェ嬢はね、自分たちを犠牲にしていちばん早くルチアーノをなだめる方法をとってるんだよ」
「ベアトリーチェさんは、あえてルチアーノさんにいびられている、と……?」
なるほどよくわからない。
これが異世界のお貴族様の処世術なのだろうか。
それをなんの打ち合わせもなく自然な流れで請け負っているアンジェロとベアトリーチェになんとなく感心しつつ、これがいつまで続くのかとセーラがそわそわし出したところ、応接間にラガロとジョバンニが戻ってきた。
「邸のどこにも、誰一人居なかった」
「見てください!こんなふうに通信機が無惨な姿に……!!ボクとファウスト君で作った大事な我が子が!!!!」
厩舎に行くついでに邸を見回ってきたらしいラガロが、開口いちばんにエンディミオンに告げた。
ついでに通信機の無事が気がかりだったジョバンニが、打ち捨てられていた通信機を探し当てたようだ。
「誰一人……?」
ラガロの言葉に反応したのはグラーノだ。
ここには、孫と曾孫、そして彼等に付き従ったヴィジネー家の私兵、国から騎士団も派遣されて来ていたはず。
それが一人も?
従者一人だけを残して、儂の家族はどこへ行った────?
全員の目線が、事情を知るはずのルチアーノに集まった。
「やめて、そんな目で見ないで!
アナタの目って猛禽類みたいでイヤだわ!」
疑うようなラガロの目に睨まれ、ルチアーノは悲鳴を上げた。
「アンジェロ様、それから王太子殿下、説明しますから、その男を私に近づけないでくださいねっ」
鳥そのものだけでなく、鳥を感じさせるものもキライなのか、筋金入りのキクノス家の異端児は、エンディミオンに言われてラガロが部屋の壁際にまで十分下がったのを見届けてから、居住まいを正してこれまでのことを話し出した。
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