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 ファウストが部屋を出て行ってからも、恥ずかし死にしそうな羞恥の波が引いては押し寄せ、結局明け方まで眠りにつくことができませんでした。

 ようやく起き出せたのはお昼過ぎ、ファウストはジョバンニ様とのお約束があるとのことですでに別邸のほうへ帰ってしまっておりました。
 あまりに遅い起床に、お父さまやドンナに元気になったと証明するつもりがまだ不調なのではと心配される羽目になってしまいましたわ。
 ずっと休み過ぎてなかなか寝付けなかっただけと言い訳をして、お庭の散策はどうにか許していただけました。
 ドンナどころか、邸内だというのに護衛騎士を三名もつけられて、たいそう厳重なお散歩になってしまいましたけれど。

 部屋着のようなゆったりとしたワンピースドレスで、リハビリのように白と薄桃色のルナリアの間の小径をゆっくりと一回りして応接間のテラスに戻ると、お茶の準備をしてお兄さまが待っていてくださいました。

「シルヴィオから東国の工芸茶というものを譲ってもらったよ。滋養の漢方効果があるそうだ」

 お湯を入れると、透明なティーポットの中できれいなお花が咲きました。

「きっとアリアンナ様から分けていただいたのですわね」

 お茶好きのアリアンナ様は、世界各国からめずらしいお茶を取り寄せてはお母さまやオルネッラ様とお茶会をしておりますから、その中からわたくしのためにと選んでくださったのでしょう。

「学園でお会いできたら、お礼を申し上げないと。それともお手紙のほうがよろしいでしょうか?」

 貴重なお品でしょうし、目にも楽しく、身体のことも気遣っていただいたのでは、やはりアリアンナ様含めて感謝の気持ちが伝わるように、お手紙に何か添えてお返ししなくては。

「気遣いは無用、だってさ」

 シルヴィオ様を真似たようなあまりに無造作な口振りで、仕草は茶化すようにティースプーンでくるくるとポットの中のお花を玩ぶお兄さまは、お行儀が悪いはずがかえって耽美な絵画のように様になってしまっております。

「それでは失礼になりません?」
「格好付けさせてあげられるのも、淑女に求められる技能スキルのひとつだよ」
「そうでしょうか……」

 お兄さまが仰るのですから、きっと間違いはございませんわね。
 けれど次にお会いした時に、せめてお礼だけは申し上げないと。
 殿下やスカーレット様、お見舞いをくださった方々皆さまにご挨拶をして回りたいくらいですし、そこで一言申し添えるくらいでしたら、お兄さまの仰る「格好付けつけさせる」ことにも妨げにはならないでしょうか。

「来週は、もしかすると殿下も私たちもあまり時間をとれないかもしれないから、顔を出すつもりならあらかじめ予定を伝えておくよ」
「次の新月までにはまだありますのに、お忙しいのですね」
「一週間後には、ビランチャ領へ発つからね」

 学園に戻ってからの段取りをいろいろと考えておりましたら、お兄さまが次の星の探索について教えてくださいました。

「次の新月はリブリの塔だ。
 王都からは五日もかからないけれど、準備することは多いからね」

 リブリの塔とは、ビランチャ領の南、王都との領境に近い「知識の街」と呼ばれるリチェルカーレにある象徴的な施設になります。
 空まで届きそうな塔にこの世のすべての知識が詰まっていると言われ、数多の蔵書が収められ、その塔を中心にステラフィッサ唯一の大学が敷地を広げております。
 その大学に研究室を持つことは国中の学者にとって名誉なことであり、少しでも多くの知識を得ようと、リチェルカーレにはたくさんの研究者やその教えを請う生徒が集まってくるのです。
 見上げても終わりが見えないほど、高い壁いっぱいに本が並んでいるということですから、一度は訪れてみたい場所です。
 けれどわたくしにまだその機会はなく、お話しに聞く情報しかありません。

「リブリの塔に、泉のようなところはありましたかしら?」

 大学の敷地にはそういう場所もあるようですけれど、お兄さまははっきりとリブリの塔が目的地のように仰いましたから、そこに何かしらの所以があるのだとは思いますが、今までのように水に浮かぶ星を掬うことにはならないのではないでしょうか。

「そこなんだ。
 リブリの塔自体、最初のビランチャ領主がアステラ神様の天恵を奉って建てたという明確な由緒があるのだけれど、この千年で塔は増築につぐ増築がされていて、街が大きくなったせいもあって、先代の巫女様の日記の様子とはまるで異なるらしい」
「それで、なるべく早くビランチャ領へいらっしゃるのですね」
「そう。それに、王都で調べられることはすべて調べてしまいたいからね。情報は多いにこしたことはない」

 星も三つ目となり、謎解き要素も加わってくる乙女ゲームなのでしょうか。
 お兄さまたちがお忙しくしている理由がよくわかりました。

「それで、今回は頭脳ブレインはいくらいても足りないくらいだから、ジョバンニと、ファウストも参加できることになったよ」
「!」

 少し油断していたところ、不意に義弟おとうとの名前を出されて心臓がビックリしてしまいました。

「そ、れは良かったですわ!」

 そこをどうにか、サジッタリオ領のことでメンバーから外されてしまったところを復帰できたことに喜んでいるふうに置き換えて、お兄さまには怪しまれないことに成功です。成功ですわよね?
 おそらくお兄さまも、わたくしがそのことを気に病んでいるのを知っていて教えてくださったのでしょうから、この反応は正解のはず、です。

「昨夜、ファウストに聞かなかった?」
「…………昨夜?」

(お、おにいさまったら何を言いはじめますの)

 昨夜という言葉に、起こったことを思い出して激しく動揺してしまいました。
 何をどこまでお兄さまは知っていらっしゃるというのか、普段と変わりない兄の顔に、わたくしは喉が乾くのを止められません。
 ひきつって言葉が出てこず、ごまかすようにお茶を一口、二口、三口……と味も感じられないまま飲み進めて口内を潤していると、何でもないことのようにお兄さまは続けました。

「昨夜、ファウストがティアの部屋から出てきたから、何か話をしたんじゃないかと思ったんだけれど」

(…………部屋から、出てきたところを、見ただけですわね?)

 何をそんなに疑うことがあるのか、やましい気持ちでもあるかのように素直に言葉を受け取れません。

「…………わたくしが机でうたた寝してしまっていたのを、運んでくれただけですの。
 体調を気遣って、すぐに出ていきましたわ」

(ウソは申しておりません!)

 わたくし、なぜこんなに焦っているのでしょう。
 言い訳じみた物言いになっておりませんでしょうか。
 こっそりとお兄さまを窺い見ると、すんなりと納得してくれたようで頷いておりました。

「そうだったんだね。
 病み上がりなのだから、机でなんて寝なくて本当に良かった。
 でも、そうか……、ティアからはまだ話していないんだね?」

(話すって、何を……!?)

 お兄さまが何を仰りたいのか、わたくし本当に気が気でありません。
 またみぞおちのあたりがキリキリしてきます。
 お母さまに痛み止めをお願いしなくては。

(わたくしがファウストに、とりわけしたいお話などありませんわ!そう、ありませんのよ……話したいきもちなんて、なく、も、なくないよう、な……)

 痛みを鎮めるように細く長く息を吐き出していると、お兄さまが少し心配そうにわたくしの顔を覗き込みました。

「あぁ、顔色がよくない。外気に当たり過ぎたかな」

 自分の着ていた上衣を脱ぐと、わたくしの肩にそっとかけてくださいました。
 お兄さまの優しい香りがいたします。
 お父さまと似ていて甘く、もう少しだけ爽やかなような。

「すまない。
 病み上がりなのにそんなに込み入った話をするわけがなかったね。
 ファウストの婚約について、ティアから話してくれるのがいちばんだと思ってしまったから」

( ────! )

 わたくし、少しだけ忘れておりましたわ。
 ファウストに、サジッタリオ家のご令嬢との婚約話が出ていたことを。
 昨夜のことを思い出しては浮ついていた心が、急激に沈んでいきます。

「…………お兄さまからお話になるのがよろしいのでは?」
「私だと、やっぱり次期公爵の立場からになってしまうから、ティアが相談にのってあげてくれるほうがファウストも本音を話しやすいんじゃないかな」
「……そうでしょうか」
「荷が重いかい?」

 どんどんと暗くなってしまう声に、お兄さまは気遣うように手を握ってくださいました。

「冷たくなっているね。部屋に戻ろう。
 この話はリチェルカーレから戻ってきてからでもいいだろう。
 それまで、ティアは一日でも早く元気になっておくれ」

 お兄さまに支えられながら部屋に戻る間、わたくしは胸が塞がるような苦しさに耐えるのに精いっぱい。

(お父さまにも、お兄さまにも、わたくしが姉としてファウストに話をすることが望まれているのですわね)

 思い出してしまった姉弟という絆は、例え義理であろうとそう簡単に乗り越えてしまっていい壁ではないということを、そんな当たり前のことをどうして忘れてしまっていたのか、わたくしの心臓には氷の棘が刺さったように、血の一滴から冷えていくような感覚が、わたくしの足取りを心許なくさせていきました。












 





 




 





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