上 下
70 / 120

60

しおりを挟む
「ルクレツィア嬢!彼はなんだ?ニンジャか?!」

 オリオン殿下が立ち上がれるまでまだしばらく時間が必要そうかと思っておりますと、目をキラキラさせたグラーノ様が、バルコニーのあちこちを駆け回ってイザイアの姿を探しはじめました。

「ニンジャ?」

 聞き慣れない言葉をオリオン殿下が繰り返しましたが、この世界にも「忍者」が存在しているほうにわたくしは驚きました。

「ニンジャとはな、東の大陸のその果てにある国に存在すると言う戦闘民族だというぞ!
 夜闇に潜み城壁を駆け登り、屋根から屋根へ飛んでまわって主君の敵を討つ!と、本に書いてあった」

 オリオン殿下の問いかけるようなお顔に、グラーノ様が賢しらに教えてくださいましたけれど、私の前世の知識と似たような存在なのでしょうか。
 極東の戦闘民族、というあたりにニホンみは感じますけれど、果たして忍者の存在が乙女ゲームの世界観に必要な設定なのか、疑問は大いに残るところです。

「先ほどの彼は、そのニンジャなのですか?」

 グラーノ様のキラキラが移ったようにオリオン殿下まで目を輝かせて、わたくしを見上げてきます。

(そう言われてみれば、結局イザイアの正体はわからずじまいですわね)

 そう思って影の中の気配を窺うと、否定も肯定もなく、ただただ白けている様子なのはなんとなくわかりました。

「その、ニンジャ、というのはわたくしもはじめて聞きましたから、彼がそうなのかは、わたくしにもわかりかねますわ」

 困ったように首を傾げ、子供たちの夢を壊さないようにわたくしは言葉を選びました。

「そうか!ニンジャは敵地に潜入した場合その正体を知られてはいけないと書かれていたからな、我は誰にも口外しないぞ!」

 いつの間にかグラーノ様の中でイザイアは忍者だという認識が出来あがってしまっておりますけれど、その理屈で言うとステラフィッサ王国はイザイアにとっての「敵地」になってしまいますから、筆頭公爵家が身内にそんな存在を囲っているのは大変まずいことのように思います。

 本当のことではないので大した意味もないように思いますが、国外からのお客様に、あたかも本当のことのように信じ込まれていることがとても問題だと思うのです。

 かと言って、子供らしい思い込みを変に正そうとしても余計に忍者疑惑が深まるだけでしょうし……困惑して従者というより保護者の立場になりそうなフォーリア様を頼るように目を向けますと、フォーリア様はおかしそうに笑っているだけです。

 わたくしの視線に気づくと、気にしなくていいという意味か、今は何を言ってもムダだという意味か、どちらともとれる苦笑で小さく首を振られてしまいました。

「……彼がスパイだったら困るなぁ」

 自分を助けたヒーローが実はスパイだったのではないかと、オリオン殿下まで半分本気にして肩を落としていらっしゃるので、第二王子についてはあとでお兄さまのお力を借りて認識を改めてもらう必要がありそうです。

「……フォーリア様、あとできちんとご説明して差し上げてくださいませね」

 興奮で鼻息も荒いグラーノ様に関してはわたくしではやはり手に負えませんので、従者たるフォーリア様に骨を折っていただくことにいたしましょう。

 オリオン殿下をお助けしたことに後悔はありませんが、イザイアが少し特殊な存在感というのは否めませんから、安易に人前に出してしまったことは反省いたします。

 けれどイザイアを人前に出したのも、慣れない木登りでオリオン殿下が下りられなくなったせいですし、グラーノ様に甘くていらっしゃるようなフォーリア様が主人を止めなかったことに少なくない責任があるように思いますから、わたくしは少し咎めるような口ぶりでフォーリア様に釘を刺しておくことにしました。

「承知致しました」

 それにはどこかうれしそうな笑い顔になって、フォーリア様は恭しくお答えになりました。

(雰囲気のせいか、受け応えにどうしても好意を感じてしまいますわ……)

 これはわたくしの期待混じりの思い過ごしなのでしょうか。

(レオナルド様に似た方に好意を寄せられたいなんて……我ながら浅ましい期待ですわね)

 エンディミオン殿下やフェリックス様たちに同じような好意を寄せられてもうまく受け止められないのに、フォーリア様からの好意なら素直に受け止められそうな、むしろ自分から期待してしまうのは、やはりまだ心の奥に残る失恋の痛みのせいなのでしょうか。

 エンディミオン様たちの強引なほどのそれよりも、大人の余裕を感じさせるフォーリア様の押し付けがましくない雰囲気に惹かれる、ということももちろんあるとは思うのですけれど。

(乙女ゲームの攻略対象かもしれないのに)

 聖国側の登場人物としてあり得ない話ではないと頭の片隅では考えているのに、ただの従者だからとか、レオナルド様とキャラクターがかぶってしまうからとか、そうではない可能性を無意識に探ろうとしている自分がおります。

(考えるのはやめましょう!不毛ですわ!)

 調子が狂ってしまうのは、いつもわたくしの周りにいる皆さまが遠のいてしまっている寂しさからに違いありません!

 どうにか自分の心をそう結論付けて、わたくしはいつものガラッシアの妖精らしく、何も気がつかない鈍感さを全面に押し出そうと、心に引っかかるフォーリア様の存在感を振り切りました。

「オリオン殿下、まだこちらで休まれますか?」

 こういう場面で手を差し出せないのは不便ですが、本当ならオリオン殿下には従者も護衛もついているはずですから、貴族家のご令嬢が王子殿下に手を貸して立ち上がらせるという事態そのものが想定外なのです。

 遠回しに自分で立ち上がれるかを確認すると、もう大丈夫です、とオリオン殿下は頷かれました。

 気を利かせたフォーリア様が、オリオン殿下のお手伝いをされ、ようやく何事も起きなかった体が整ったところで、室内からわたくしを探すベアトリーチェ様とマリレーナ様の声が聞こえてきました。

「こちらにいらっしゃっいましたの?」

 窓越しにわたくしの姿を見つけたらしいマリレーナ様がバルコニーに顔を出すと、一緒にいたオリオン殿下とグラーノ様にもすぐに気がついたようです。

「オリオン様、グラーノ様、当家の催しにはもう飽きてしまわれましたかしら?」

 夜会を主催するペイシ家の令嬢として、主賓ともいうべきお二人が会場を抜け出していることを責めるでもなく、心を痛めたような憂い顔を作り、潤んだ瞳で見つめてパーティー会場に戻るよう促すマリレーナ様の手腕に感心してしまいます。

「マリレーナ嬢!そんなことはありません!」

 先ほどまで力なく座り込んでいたオリオン殿下が、勢いよく答えてすぐにでも会場に戻る素振りを見せたので、マリレーナ様の振る舞い方は流石としか言いようがございませんわね。

「それはようございました!
 それではわたくしが再度お二人をご案内してもよろしいでしょうか?」

 今度はうれしそうに頬を染めてオリオン殿下の調子に合わせているのを見ると、貴族のご令嬢とは本来こうあるべきなのだわと見習いたい思いです。

「ルクレツィア様はいかがいたしますか?」

 言外に、もう少し休んでいてもいいと伝えてくださるマリレーナ様の気遣いに、わたくしは甘えることにいたしました。

(ひと息のはずが、確かに何も休めておりませんわね)

 新たな出会いに乱れた心には、もう少し夜風の冷たさが必要そうです。

 マリレーナ様たちと入れ違いにいらしたベアトリーチェお姉さまに今の気持ちを正直に相談するか、わたくしはバルコニーから瞬く星を見つめて悩むこととなりました。

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢だと気づいたので、破滅エンドの回避に入りたいと思います!

飛鳥井 真理
恋愛
入園式初日に、この世界が乙女ゲームであることに気づいてしまったカーティス公爵家のヴィヴィアン。ヒロインが成り上がる為の踏み台にされる悪役令嬢ポジなんて冗談ではありません。早速、回避させていただきます! ※ストックが無くなりましたので、不定期更新になります。 ※連載中も随時、加筆・修正をしていきますが、よろしくお願い致します。 ※ カクヨム様にも、ほぼ同時掲載しております。

悪役令嬢に転生したら溺愛された。(なぜだろうか)

どくりんご
恋愛
 公爵令嬢ソフィア・スイートには前世の記憶がある。  ある日この世界が乙女ゲームの世界ということに気づく。しかも自分が悪役令嬢!?  悪役令嬢みたいな結末は嫌だ……って、え!?  王子様は何故か溺愛!?なんかのバグ!?恥ずかしい台詞をペラペラと言うのはやめてください!推しにそんなことを言われると照れちゃいます!  でも、シナリオは変えられるみたいだから王子様と幸せになります!  強い悪役令嬢がさらに強い王子様や家族に溺愛されるお話。 HOT1/10 1位ありがとうございます!(*´∇`*) 恋愛24h1/10 4位ありがとうございます!(*´∇`*)

めんどくさいが口ぐせになった令嬢らしからぬわたくしを、いいかげん婚約破棄してくださいませ。

hoo
恋愛
 ほぅ……(溜息)  前世で夢中になってプレイしておりました乙ゲーの中で、わたくしは男爵の娘に婚約者である皇太子さまを奪われそうになって、あらゆる手を使って彼女を虐め抜く悪役令嬢でございました。     ですのに、どういうことでございましょう。  現実の世…と申していいのかわかりませぬが、この世におきましては、皇太子さまにそのような恋人は未だに全く存在していないのでございます。    皇太子さまも乙ゲーの彼と違って、わたくしに大変にお優しいですし、第一わたくし、皇太子さまに恋人ができましても、その方を虐め抜いたりするような下品な品性など持ち合わせてはおりませんの。潔く身を引かせていただくだけでございますわ。    ですけど、もし本当にあの乙ゲーのようなエンディングがあるのでしたら、わたくしそれを切に望んでしまうのです。婚約破棄されてしまえば、わたくしは晴れて自由の身なのですもの。もうこれまで辿ってきた帝王教育三昧の辛いイバラの道ともおさらばになるのですわ。ああなんて素晴らしき第二の人生となりますことでしょう。    ですから、わたくし決めました。あの乙ゲーをこの世界で実現すると。    そうです。いまヒロインが不在なら、わたくしが用意してしまえばよろしいのですわ。そして皇太子さまと恋仲になっていただいて、わたくしは彼女にお茶などをちょっとひっかけて差し上げたりすればいいのですよね。    さあ始めますわよ。    婚約破棄をめざして、人生最後のイバラの道行きを。       ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆     ヒロインサイドストーリー始めました  『めんどくさいが口ぐせになった公爵令嬢とお友達になりたいんですが。』  ↑ 統合しました

私はモブのはず

シュミー
恋愛
 私はよくある乙女ゲーのモブに転生をした。   けど  モブなのに公爵家。そしてチート。さらには家族は美丈夫で、自慢じゃないけど、私もその内に入る。  モブじゃなかったっけ?しかも私のいる公爵家はちょっと特殊ときている。もう一度言おう。  私はモブじゃなかったっけ?  R-15は保険です。  ちょっと逆ハー気味かもしれない?の、かな?見る人によっては変わると思う。 注意:作者も注意しておりますが、誤字脱字が限りなく多い作品となっております。

モブに転生したので前世の好みで選んだモブに求婚しても良いよね?

狗沙萌稚
恋愛
乙女ゲーム大好き!漫画大好き!な普通の平凡の女子大生、水野幸子はなんと大好きだった乙女ゲームの世界に転生?! 悪役令嬢だったらどうしよう〜!! ……あっ、ただのモブですか。 いや、良いんですけどね…婚約破棄とか断罪されたりとか嫌だから……。 じゃあヒロインでも悪役令嬢でもないなら 乙女ゲームのキャラとは関係無いモブ君にアタックしても良いですよね?

深窓の悪役令嬢~死にたくないので仮病を使って逃げ切ります~

白金ひよこ
恋愛
 熱で魘された私が夢で見たのは前世の記憶。そこで思い出した。私がトワール侯爵家の令嬢として生まれる前は平凡なOLだったことを。そして気づいた。この世界が乙女ゲームの世界で、私がそのゲームの悪役令嬢であることを!  しかもシンディ・トワールはどのルートであっても死ぬ運命! そんなのあんまりだ! もうこうなったらこのまま病弱になって学校も行けないような深窓の令嬢になるしかない!  物語の全てを放棄し逃げ切ることだけに全力を注いだ、悪役令嬢の全力逃走ストーリー! え? シナリオ? そんなの知ったこっちゃありませんけど?

家庭の事情で歪んだ悪役令嬢に転生しましたが、溺愛されすぎて歪むはずがありません。

木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるエルミナ・サディードは、両親や兄弟から虐げられて育ってきた。 その結果、彼女の性格は最悪なものとなり、主人公であるメリーナを虐め抜くような悪役令嬢となったのである。 そんなエルミナに生まれ変わった私は困惑していた。 なぜなら、ゲームの中で明かされた彼女の過去とは異なり、両親も兄弟も私のことを溺愛していたからである。 私は、確かに彼女と同じ姿をしていた。 しかも、人生の中で出会う人々もゲームの中と同じだ。 それなのに、私の扱いだけはまったく違う。 どうやら、私が転生したこの世界は、ゲームと少しだけずれているようだ。 当然のことながら、そんな環境で歪むはずはなく、私はただの公爵令嬢として育つのだった。

魔性の悪役令嬢らしいですが、男性が苦手なのでご期待にそえません!

蒼乃ロゼ
恋愛
「リュミネーヴァ様は、いろんな殿方とご経験のある、魔性の女でいらっしゃいますから!」 「「……は?」」 どうやら原作では魔性の女だったらしい、リュミネーヴァ。 しかし彼女の中身は、前世でストーカーに命を絶たれ、乙女ゲーム『光が世界を満たすまで』通称ヒカミタの世界に転生してきた人物。 前世での最期の記憶から、男性が苦手。 初めは男性を目にするだけでも体が震えるありさま。 リュミネーヴァが具体的にどんな悪行をするのか分からず、ただ自分として、在るがままを生きてきた。 当然、物語が原作どおりにいくはずもなく。 おまけに実は、本編前にあたる時期からフラグを折っていて……? 攻略キャラを全力回避していたら、魔性違いで謎のキャラから溺愛モードが始まるお話。 ファンタジー要素も多めです。 ※なろう様にも掲載中 ※短編【転生先は『乙女ゲーでしょ』~】の元ネタです。どちらを先に読んでもお話は分かりますので、ご安心ください。

処理中です...