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【閑話】後悔先に立たず─フェリックス
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※今さらながら、閑話には死ネタが溢れておりますのでご注意ください。
───────────────────
その晩、彼女は戻らなかった。
***
スコルピオーネ侯爵家子息フェリックスには、婚約者候補が二人いた。
一人はステラフィッサ王国の北東に領地を持ち、国いちばんの港で貿易の要を担うペイシ伯爵家の令嬢、マリレーナ。
当初は、外交を本分とするスコルピオーネ家として、東の大陸との窓口となるペイシ家との繋がりを強めるために進められていた婚約話だった。
そこへ待ったの声が入ったのは、サジッタリオ侯爵家からだった。
サジッタリオ家は、ステラフィッサ王国の歴史上、戦乱となれば軍神に愛されたかのような戦略を示して時の王を支え、今でも射手の名手を多数輩出している武家の名門である。
長らく平和の続いている現在でも、名誉職の将軍位を授かっておりその存在は無視できない名家であるが、その血筋には貴族らしからぬ厄介な性分があった。
「一目見て、貴方が私の運命だと確信いたしました」
そう言ったルベライトの瞳は、自身のレッドスピネルのような赤より一段甘く明るい色だとフェリックスは思った。
強く射るように、恐れなどないように真正面からフェリックスを見つめている。
サジッタリオ侯爵令嬢クラリーチェにはじめて会ったのはフェリックスが7歳のとき、二つ年上のクラリーチェは自身よりも背が高く、領地では兄の侯爵子息と狩りの腕前を競うほどだという、実にサジッタリオ家らしい少女だった。
サジッタリオ家には、運命の相手と思い込んだ相手を、一途に追いかける習性がある。
曰く、愛は自ら掴み取るもの、と。
自分はその少女に見初められ、狩りの獲物に定められたのだと、フェリックスは理解した。
フェリックス自身は、少女に対して何も感じることはなかった。
物心つく前から人心を掌握するためのスコルピオーネ家の特殊な訓練を受けているためか、自分自身が心を動かされないよう己で制御することをすでに覚えていた。
けれど表面では愛想よく振る舞い、甘い言葉で相手を喜ばせてその懐に入るように訓練されてもきたので、クラリーチェにもそのようにすることにした。
「それは大変光栄なことです。
美しい黒髪の乙女よ」
赤みがかった黒髪を掬いあげて口づけをすれば、クラリーチェは目に見えて頬を染め、フェリックスを見つめる目にはさらなる熱が宿ったのがわかった。
こんなにわざとらしいほどの仕草ひとつで、そんなに簡単に他人に心を預けてしまえるサジッタリオ家の人間を、フェリックスはひどく不思議に思ったことを覚えている。
それからすぐに、三つ年下の、まだ4歳になったばかりのペイシ家のご令嬢との婚約話が持ち上がると、クラリーチェの気持ちを重視したサジッタリオ家から横槍が入れられたのは、フェリックスにも、フェリックスから報告を受けていたスコルピオーネ侯爵にも、そうなると分かりきっていた自然な流れでもあった。
スコルピオーネ家としては、東の窓口をとってもよし、内外に腕のたつものを飼える武家の伝手をとってもよしで、その判断はフェリックスに委ねられることとなった。
サジッタリオ家とペイシ家との間でも、娘たちのどちらか、侯爵子息の愛情を勝ち得たほうが婚約者となることをまるで賭け事のように取り決めたため、フェリックスの婚約者候補は二人となり、一種の遊戯のように、その関係は一時続くことになった。
フェリックス自身は、どちらの令嬢にもさして思い入れがない。
一度だけ、決して自分のものにはならないと分かっているとある公爵令嬢を一目見て、冷めた心がわずかに動いたことがあるのを知っていたから、その鼓動を感じない二人なら、どちらが自分の婚約者になっても変わりはしないだろうと、どちらかが諦めるか、そうでなければ頃合いを見計らって適当に決めてしまえばいいと、フェリックスはそう思っていた。
この歪な関係が、学園に入るまで続くとは、フェリックス自身も思ってはいなかった。
フェリックスが王立の学園に入学する頃、二つ上のクラリーチェは三年次に進級していた。
学園は四年制で、マリレーナが入学する前には卒業してしまうからと、二年間は特にクラリーチェはフェリックスにまとわりついていたように思う。
周りのご令嬢は、皆決められた婚約者がいて、卒業したらすぐに結婚式だという話をよく聞くのだと、クラリーチェは何度かこぼしていた。
そんな些細な愚痴に、上辺だけの慰めの言葉をかけながら、フェリックスはこの歪な関係の終わりをぼんやりと意識していた。
二年先んじて卒業してしまうクラリーチェは、フェリックスが卒業する頃には二十歳を超える。
それまで何の確約もないまま待ってしまえば、クラリーチェは完全に行き遅れることになるだろう。
そうなる前に、フェリックスはマリレーナを選び、この曖昧な関係を終わらせてクラリーチェの手を放すのが最善だろうと考えていた。
それが、クラリーチェが望むと望まざるとに関わらず、お互いのためでもある、と。
───そのフェリックスの決断に、クラリーチェが気づいていたための結末だったのか。
***
卒業を前に、クラリーチェはスコルピオーネ家の諜報部に入ることを侯爵に直談判していた。
当のフェリックスには知らせず、何かの形で自分がスコルピオーネ家の役に立つことを証明して見せたい一心だった。
折りしも、ステラフィッサ王国内は少しずつ不穏な空気が漂いはじめており、歯抜けのように欠けていった諜報部の戦闘要員として、クラリーチェはスコルピオーネ侯爵に承認されることになる。
愛に生きる性分は血筋であるから、サジッタリオ家も了承済みの採用だった。
その頃王都では、ヴィジネー家の人間の失踪が相次いでいた。
癒しの特殊能力を持つ一族だが、力の強いものからそうでもないものまで、一人、また一人と消え、そうして誰も帰ってこない。
国内の事情ではあるが、事態を重く見た王家の命により、スコルピオーネ家はその手足として諜報部を騎士団の捜査部隊に合流させた。
この失踪事件の裏に、ステラフィッサ王国の筆頭公爵家が秘密裏に名を連ねていたために、オフィユコ家を抱えた彼の家に対抗するには正攻法だけでは到底太刀打ちできないだろうことは、その事情を知る者にはわかりきったことだった。
騎士団が真っ当な手段で捜査をするなら、スコルピオーネ家には相応のやり方がある。
諜報部の一員として、クラリーチェも調査に参加していた。
雇っている情報屋の話や、裏社会のギリギリ浅瀬を回遊して得た噂話をつなぎ合わせ、細い糸を辿るように事件の黒幕に迫っていた。
…………相手がどれほど強大で、闇深いところからその糸を引いているのか、知る由もなく。
クラリーチェは焦っていたのだ。
一刻も早く、スコルピオーネ家で認められたかった。
フェリックスの心に届いていなくても、マリレーナも自分も、必死で彼に振り向いてもらおうともがき続けてきた。
その終わりがただの打算では、マリレーナも自分も納得ができない。
年が上なのは、生まれついた運命だから仕方がないこと。
だけどそれだけが理由なら、選ばれたほうも選ばれなかったほうも、決して心から相手の幸せを望めない。
それならば、最後まで諦めないのがサジッタリオ家だ。
どんな手段を取ろうとも、フェリックスの心にしがみつきたかった。
あっさりと手を放されたくなかった。
ここに、貴方のそばにいるのだと、少しでも振り向いてほしくて。
機を、見誤った。
入り込み過ぎた。
自分一人では抜け出せないほどの闇にはまり、気がついたら身動きが取れなくなっていた。
◼️◼️◼️に潜入する前、フェリックスに話があると呼び出されていた。
その日は任務があったから、帰ったら話を聞くと伝えて、でも、もう、その話を聞くことはできそうもない──────
***
帰ったら話を聞くから、と思い詰めたような彼女が出かけた先を、フェリックスは知らない。
ただ、その夜彼女は帰らず、そして二度と帰らなかった。
最後に言葉を交わした三日後、王都を流れる運河に、彼女の遺体が浮かんでいた。
報せを受けて遺体の安置場所に向かったが、水を含んで二目と見られない状態だと、亡骸を見ることも叶わなかった。
誰が、なぜ、どうして。
混乱するフェリックスに事実を伝えたのは、クラリーチェの父、サジッタリオ侯爵だった。
クラリーチェのたっての願いで、スコルピオーネ家の諜報部に入ったこと、そしてその任務の途中で、何かがあったのだろうこと。
なぜクラリーチェがスコルピオーネ家の諜報部に入ったのか、わからないほどフェリックスは愚かではなかった。
決して君のせいだと思い詰めないでほしいというサジッタリオ侯爵の言葉は、フェリックスには届かなかった。
…………自分の、せい、で。
出会ってから八年。
情が湧かなかったわけではない。
五歳も年下のマリレーナと張り合って言い合う姿だとか、マリレーナにはできない遠乗りの誘いに嬉しそうに頷いた様子を思い出す。
社交デビューの日にはお互いをパートナーとして腕を組み、ほとんど婚約者として振る舞ってきたのだ。
クラリーチェとマリレーナは、お互いの特別な日だけは茶々を入れず、その隣を譲って控えるという約束事でもしていたのか、折に触れ、それぞれと二人で向き合う機会はたくさんあったはずだ。
その時に、それぞれの相手を役割としてこなすこと以外を考えていなかった自身の浅さを、今になって悔やんでももう遅い。
どうしてもっと、話を聞いてあげなかったのか。
どうしてもっと、見ようとしてこなかったのか。
自分を一心不乱に思う相手に、よくもここまで無関心でいられたものだと我ながら笑えてしまう。
いくら上辺だけ優しく繕っても、愛のあるように振る舞っても、そこに実がないことはクラリーチェもマリレーナもよく心得ていた。
それでも、いつかその手を繋げることを夢見て、そっと腕にかけられていた手を、顧みることのなかった日々をいっそ塗り潰したい。
三人で納得する答えをもっと早く出せていたら、こんなことにはならなかったのではないか。
クラリーチェの葬儀の間中、ずっと後悔ばかりしていた。
葬儀が終わった後、マリレーナと正式に婚約する話がでたが、もうしばらく保留にしてほしいと、フェリックスは拒んだ。
マリレーナも、何も言わなかった。
その後、せめてクラリーチェの仇を取ろうと奔走したが、何もわからないまま時間だけが無為に過ぎ、その苛立ちは、フェリックスの軽薄な言動に如実に表れていった。
マリレーナ以外の令嬢に囲まれて享楽的に過ごす様を、誰がどう咎めたてようと構わなかった。
心のないまま、上辺だけの愛を囁いて、なんの実も結ばない。
その行いがフェリックス自身を苛むことであっても、それ以外で自分を責める術を知らず、クラリーチェに向き合ってこなかった自分自身への罰としては、ちょうどいいとさえ思っていた。
自暴自棄な日々の中、星の災厄の神託と、星の巫女の降臨という事件が起こる。
スコルピオーネ侯爵からは、いい加減クラリーチェの仇を探すのは止め、巫女を籠絡してこの国の役に立つよう仕向けるように命じられた。
その女を落とす才能を遺憾なく発揮しろと、半ば揶揄するように言われ、何かがプツリと切れた気がした。
───こんなオレにしたのは誰なのか。
責任転嫁をして後悔の日々から逃げ出したフェリックスを、異世界からやって来た星の巫女が叱り、支え、立ち直らせるのは、また別の人生の話────
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その晩、彼女は戻らなかった。
***
スコルピオーネ侯爵家子息フェリックスには、婚約者候補が二人いた。
一人はステラフィッサ王国の北東に領地を持ち、国いちばんの港で貿易の要を担うペイシ伯爵家の令嬢、マリレーナ。
当初は、外交を本分とするスコルピオーネ家として、東の大陸との窓口となるペイシ家との繋がりを強めるために進められていた婚約話だった。
そこへ待ったの声が入ったのは、サジッタリオ侯爵家からだった。
サジッタリオ家は、ステラフィッサ王国の歴史上、戦乱となれば軍神に愛されたかのような戦略を示して時の王を支え、今でも射手の名手を多数輩出している武家の名門である。
長らく平和の続いている現在でも、名誉職の将軍位を授かっておりその存在は無視できない名家であるが、その血筋には貴族らしからぬ厄介な性分があった。
「一目見て、貴方が私の運命だと確信いたしました」
そう言ったルベライトの瞳は、自身のレッドスピネルのような赤より一段甘く明るい色だとフェリックスは思った。
強く射るように、恐れなどないように真正面からフェリックスを見つめている。
サジッタリオ侯爵令嬢クラリーチェにはじめて会ったのはフェリックスが7歳のとき、二つ年上のクラリーチェは自身よりも背が高く、領地では兄の侯爵子息と狩りの腕前を競うほどだという、実にサジッタリオ家らしい少女だった。
サジッタリオ家には、運命の相手と思い込んだ相手を、一途に追いかける習性がある。
曰く、愛は自ら掴み取るもの、と。
自分はその少女に見初められ、狩りの獲物に定められたのだと、フェリックスは理解した。
フェリックス自身は、少女に対して何も感じることはなかった。
物心つく前から人心を掌握するためのスコルピオーネ家の特殊な訓練を受けているためか、自分自身が心を動かされないよう己で制御することをすでに覚えていた。
けれど表面では愛想よく振る舞い、甘い言葉で相手を喜ばせてその懐に入るように訓練されてもきたので、クラリーチェにもそのようにすることにした。
「それは大変光栄なことです。
美しい黒髪の乙女よ」
赤みがかった黒髪を掬いあげて口づけをすれば、クラリーチェは目に見えて頬を染め、フェリックスを見つめる目にはさらなる熱が宿ったのがわかった。
こんなにわざとらしいほどの仕草ひとつで、そんなに簡単に他人に心を預けてしまえるサジッタリオ家の人間を、フェリックスはひどく不思議に思ったことを覚えている。
それからすぐに、三つ年下の、まだ4歳になったばかりのペイシ家のご令嬢との婚約話が持ち上がると、クラリーチェの気持ちを重視したサジッタリオ家から横槍が入れられたのは、フェリックスにも、フェリックスから報告を受けていたスコルピオーネ侯爵にも、そうなると分かりきっていた自然な流れでもあった。
スコルピオーネ家としては、東の窓口をとってもよし、内外に腕のたつものを飼える武家の伝手をとってもよしで、その判断はフェリックスに委ねられることとなった。
サジッタリオ家とペイシ家との間でも、娘たちのどちらか、侯爵子息の愛情を勝ち得たほうが婚約者となることをまるで賭け事のように取り決めたため、フェリックスの婚約者候補は二人となり、一種の遊戯のように、その関係は一時続くことになった。
フェリックス自身は、どちらの令嬢にもさして思い入れがない。
一度だけ、決して自分のものにはならないと分かっているとある公爵令嬢を一目見て、冷めた心がわずかに動いたことがあるのを知っていたから、その鼓動を感じない二人なら、どちらが自分の婚約者になっても変わりはしないだろうと、どちらかが諦めるか、そうでなければ頃合いを見計らって適当に決めてしまえばいいと、フェリックスはそう思っていた。
この歪な関係が、学園に入るまで続くとは、フェリックス自身も思ってはいなかった。
フェリックスが王立の学園に入学する頃、二つ上のクラリーチェは三年次に進級していた。
学園は四年制で、マリレーナが入学する前には卒業してしまうからと、二年間は特にクラリーチェはフェリックスにまとわりついていたように思う。
周りのご令嬢は、皆決められた婚約者がいて、卒業したらすぐに結婚式だという話をよく聞くのだと、クラリーチェは何度かこぼしていた。
そんな些細な愚痴に、上辺だけの慰めの言葉をかけながら、フェリックスはこの歪な関係の終わりをぼんやりと意識していた。
二年先んじて卒業してしまうクラリーチェは、フェリックスが卒業する頃には二十歳を超える。
それまで何の確約もないまま待ってしまえば、クラリーチェは完全に行き遅れることになるだろう。
そうなる前に、フェリックスはマリレーナを選び、この曖昧な関係を終わらせてクラリーチェの手を放すのが最善だろうと考えていた。
それが、クラリーチェが望むと望まざるとに関わらず、お互いのためでもある、と。
───そのフェリックスの決断に、クラリーチェが気づいていたための結末だったのか。
***
卒業を前に、クラリーチェはスコルピオーネ家の諜報部に入ることを侯爵に直談判していた。
当のフェリックスには知らせず、何かの形で自分がスコルピオーネ家の役に立つことを証明して見せたい一心だった。
折りしも、ステラフィッサ王国内は少しずつ不穏な空気が漂いはじめており、歯抜けのように欠けていった諜報部の戦闘要員として、クラリーチェはスコルピオーネ侯爵に承認されることになる。
愛に生きる性分は血筋であるから、サジッタリオ家も了承済みの採用だった。
その頃王都では、ヴィジネー家の人間の失踪が相次いでいた。
癒しの特殊能力を持つ一族だが、力の強いものからそうでもないものまで、一人、また一人と消え、そうして誰も帰ってこない。
国内の事情ではあるが、事態を重く見た王家の命により、スコルピオーネ家はその手足として諜報部を騎士団の捜査部隊に合流させた。
この失踪事件の裏に、ステラフィッサ王国の筆頭公爵家が秘密裏に名を連ねていたために、オフィユコ家を抱えた彼の家に対抗するには正攻法だけでは到底太刀打ちできないだろうことは、その事情を知る者にはわかりきったことだった。
騎士団が真っ当な手段で捜査をするなら、スコルピオーネ家には相応のやり方がある。
諜報部の一員として、クラリーチェも調査に参加していた。
雇っている情報屋の話や、裏社会のギリギリ浅瀬を回遊して得た噂話をつなぎ合わせ、細い糸を辿るように事件の黒幕に迫っていた。
…………相手がどれほど強大で、闇深いところからその糸を引いているのか、知る由もなく。
クラリーチェは焦っていたのだ。
一刻も早く、スコルピオーネ家で認められたかった。
フェリックスの心に届いていなくても、マリレーナも自分も、必死で彼に振り向いてもらおうともがき続けてきた。
その終わりがただの打算では、マリレーナも自分も納得ができない。
年が上なのは、生まれついた運命だから仕方がないこと。
だけどそれだけが理由なら、選ばれたほうも選ばれなかったほうも、決して心から相手の幸せを望めない。
それならば、最後まで諦めないのがサジッタリオ家だ。
どんな手段を取ろうとも、フェリックスの心にしがみつきたかった。
あっさりと手を放されたくなかった。
ここに、貴方のそばにいるのだと、少しでも振り向いてほしくて。
機を、見誤った。
入り込み過ぎた。
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◼️◼️◼️に潜入する前、フェリックスに話があると呼び出されていた。
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ただ、その夜彼女は帰らず、そして二度と帰らなかった。
最後に言葉を交わした三日後、王都を流れる運河に、彼女の遺体が浮かんでいた。
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誰が、なぜ、どうして。
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クラリーチェのたっての願いで、スコルピオーネ家の諜報部に入ったこと、そしてその任務の途中で、何かがあったのだろうこと。
なぜクラリーチェがスコルピオーネ家の諜報部に入ったのか、わからないほどフェリックスは愚かではなかった。
決して君のせいだと思い詰めないでほしいというサジッタリオ侯爵の言葉は、フェリックスには届かなかった。
…………自分の、せい、で。
出会ってから八年。
情が湧かなかったわけではない。
五歳も年下のマリレーナと張り合って言い合う姿だとか、マリレーナにはできない遠乗りの誘いに嬉しそうに頷いた様子を思い出す。
社交デビューの日にはお互いをパートナーとして腕を組み、ほとんど婚約者として振る舞ってきたのだ。
クラリーチェとマリレーナは、お互いの特別な日だけは茶々を入れず、その隣を譲って控えるという約束事でもしていたのか、折に触れ、それぞれと二人で向き合う機会はたくさんあったはずだ。
その時に、それぞれの相手を役割としてこなすこと以外を考えていなかった自身の浅さを、今になって悔やんでももう遅い。
どうしてもっと、話を聞いてあげなかったのか。
どうしてもっと、見ようとしてこなかったのか。
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いくら上辺だけ優しく繕っても、愛のあるように振る舞っても、そこに実がないことはクラリーチェもマリレーナもよく心得ていた。
それでも、いつかその手を繋げることを夢見て、そっと腕にかけられていた手を、顧みることのなかった日々をいっそ塗り潰したい。
三人で納得する答えをもっと早く出せていたら、こんなことにはならなかったのではないか。
クラリーチェの葬儀の間中、ずっと後悔ばかりしていた。
葬儀が終わった後、マリレーナと正式に婚約する話がでたが、もうしばらく保留にしてほしいと、フェリックスは拒んだ。
マリレーナも、何も言わなかった。
その後、せめてクラリーチェの仇を取ろうと奔走したが、何もわからないまま時間だけが無為に過ぎ、その苛立ちは、フェリックスの軽薄な言動に如実に表れていった。
マリレーナ以外の令嬢に囲まれて享楽的に過ごす様を、誰がどう咎めたてようと構わなかった。
心のないまま、上辺だけの愛を囁いて、なんの実も結ばない。
その行いがフェリックス自身を苛むことであっても、それ以外で自分を責める術を知らず、クラリーチェに向き合ってこなかった自分自身への罰としては、ちょうどいいとさえ思っていた。
自暴自棄な日々の中、星の災厄の神託と、星の巫女の降臨という事件が起こる。
スコルピオーネ侯爵からは、いい加減クラリーチェの仇を探すのは止め、巫女を籠絡してこの国の役に立つよう仕向けるように命じられた。
その女を落とす才能を遺憾なく発揮しろと、半ば揶揄するように言われ、何かがプツリと切れた気がした。
───こんなオレにしたのは誰なのか。
責任転嫁をして後悔の日々から逃げ出したフェリックスを、異世界からやって来た星の巫女が叱り、支え、立ち直らせるのは、また別の人生の話────
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