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(フェリックス視点)

 どうしてこうなったのか。

 ───誰がしたって、姉君が元気になるのなら、ボクはそれでいいと思いますけどね。

 ジョバンニが言った言葉を、繰り返し、何度も何度も思い出している。



 ルクレツィア嬢がはじめて王城に姿を現したお茶会で、エンディミオン殿下が彼女に恋に落ちたことは一目でわかった。
 並び順で言ってもスコルピオーネ家はすぐそばで様子を見ることができたし、会話の内容も、あれはあらかじめ他家にも聞かれやすいように小細工がされていたように思う。

 噂に違わず、妖精のような佇まいのご令嬢はその義弟おとうとと手を繋ぎ、この世のものではないような聖なる可憐さで会場に現れ、そこにいる

 正直、噂など所詮噂で、ホンモノを見たあの衝撃は例える言葉もない。
 オレ自身、アンジェロの妹なのだから相当なものだろうとわかっていたはずなのに、その姿に簡単に目を奪われて、その隣に当たり前のように寄り添っている幼い義弟おとうとに、嫉妬心すら覚えてしまった。

(オレらしくない)

 湧きあがった想いを、オレは慌ててかき消した。


 物心つく前から、スコルピオーネ家の教育は徹底していた。
 外交とは、諜報とは、ヒトの心に入ってその内側を全て詳らかにすることだと繰り返し叩き込まれた。
 国も政治も経済も、ヒトが動かしている以上、誰かしらの思惑が必ずそこにあるから、誰が、どういう動機で、どういう絵図を描いているか、それを予め見通して、ステラフィッサの国益のために対処できるよう、すべての情報を集めるのがスコルピオーネ家の役割だった。
 オレはまずその駒のひとつとして、ヒトの輪に入り、口を軽くし、些細なことからでもその奥の心理まで暴き出せるように、あらゆる手管を教え込まれた。
 ゆくゆくはその情報そのものを父の外務大臣のように上手く利用する立場にならなければならないが、最初は情報の流れやその拾得方法を一から理解しなけらばならない、というのがスコルピオーネ家の教育方針だ。

 オレは顔の作りもあいまって、女性をたらし込む才能があったようで、それを伸ばせとさらなる訓練を積まされたから、女性の気持ちはたいがい、手にとるようにわかるつもりだった。
 相手から情報を聞き出すことが目的な以上、自分が相手の術中にはまることがないよう、心を制御することも呼吸と同じようにできなくてはいけなかったから、自分の心が自分の思うようにならないことなど、あるはずもないと思っていたのに。

 呆気なく、笑顔ひとつでそれは覆されてしまった。

(でも、殿下の婚約者になる令嬢だ)

 自分にも婚約者候補が二人いる。
 はじめは、貿易の要である北東の港を取り仕切っているペイシ伯の令嬢マリレーナの名前があがったが、どうやらオレの顔を気に入ったらしいサジッタリオ家のクラリーチェ嬢の横槍が入り、自身の心に従って生きることを是とするサジッタリオ家と、貴族というよりは商人か投資家に近い強かさを持つペイシ家との間で暗黙の協定が結ばれた。
 要は、オレの心を掴んだほうが婚約者になる、というものらしいが、スコルピオーネ家もそれに乗り、この状況にオレがどうたち振る舞うのか、父親は高みの見物というところだ。
 それも殿下の婚約者が決まるまでだと思って、オレもこの状況を楽しむつもりだった。
 景品に近いオレの意思はどこにもなくて、貴族の結婚なんてどうせそんなものだと、そう思えばこそ、理性で湧き上がる想いをなかったことにできるはずだったのに。

 王妃陛下の思惑は見事に逸れて、エンディミオン殿下の想いは当のルクレツィア嬢には届かず、ガラッシア公爵にうまくかわされてしまった。
 全員のアテが外れたのだ。

 隣りいたシルヴィオだって、分かりやすいほど動揺して、自分の心と戦っているようだった。

 いくら母親に焚きつけられたからと言って、自分が仕えるべき第一王子の婚約者になる令嬢にまさか懸想するはずもない、という思いは裏切られ、一目見て心奪われてしまった可憐な少女の微笑みに、彼の中にあるサジッタリオの血がうるさく騒ぎ、どうしたらいいのか、途方に暮れたような目をはじめて見た。

 王子との形式だけの顔合わせは、殿下もビランチャ家もスコルピオーネ家も心ここにあらずで終わり、第二庭園へ。

 改めて家同士での挨拶を交わしたが、ガラッシアの妖精の心はフワリとつかみどころがない。

 己れの葛藤で精一杯のシルヴィオにはそれなりの笑顔を向け、人好きのするように笑いかけたオレには関心もないようなマナー通りの笑顔を返し、殿下の気持ちに鈍感なほどに見えた少女は、貴族令嬢というよりはその年頃の少女らしく、同性の友だちを持つことのほうに関心があるようだった。

 それが悪いことだとは思わない。

 けれど、公爵もアンジェロも、それを許しているのが解せない。
 貴族として王家に仕え、その臣民として国に仕える以上、いくらか情勢を見て立ち居振る舞いを決めるくらいは当然のことのはずなのに、ガラッシア家は、それをしない。
 確かに、建国王の妹姫から続く筆頭公爵家は、王族から臣民に降り、三代しか続かない他の公爵家とは訳が違う。

 それでも、同じ貴族として、その有り様ははないか。

 自分の奥に根差してしまった想いをごまかすための苛立ちだとわかってはいても、代わりに幼い義弟おとうとに八つ当たりのようなことを言ってしまったのは、アンジェロに諌められてしまった。

(わかっている)

 それが行く当てもない感情に振り回された故の言動だと。

(わかっている、けど)

(せめて、形だけでも殿下のものになってくれていればよかったのに)

 殿下の気持ちが、例え届いていなくても少女に傾けられていったのを見ていれば、この気持ちはあっても邪魔になるだけだ。
 シルヴィオと違って、オレは自分の気持ちをごまかすのは得意だ。
 だから、殿下の想いが叶うように、手を貸すつもりでいたのに。

 少女の心は、子どもに太刀打ちできるはずもない人物へ向かい、なす術もないまま、それから五年。

 燻ったままの感情をそれぞれに持ち続けながら、ルクレツィア嬢の恋が破れてしまった今、オレたちが、オレができることは。

 覚悟もないまま殿下を気遣ってみせるだけのオレに、ジョバンニのなんの遠慮もない言葉が心に深く突き刺さった。

(彼女が幸せであるなら、その相手は誰でも、オレだっていいんじゃないの?)

 殿下のため、という言い訳を捨てて、その目をこちらに向けることができれば。

 そう、思うのに。

 ルクレツィア嬢を前にすると、今まで培ってきたすべての手練手管などまったく意味をなさなかった。
 通用しないんじゃない、何も、出来なかった。
 心のままに、想う相手に振り向いてもらうことの難しさに、オレはこれから、思い悩むことになる───
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