上 下
26 / 120

23

しおりを挟む
 馬車がリオーネ家の領城へ入ります。
 ガラッシア家ほどではありませんが、十二貴族の領主ともなると、その領都にお城を構えているのが基本です。
 跳ね橋を渡り、ゆるやかな坂道を登り、主塔の正面広場で馬車は止まりました。
 有事であれば、進軍前の騎士たちが居並び士気を高めるそこは、久しく戦火にないステラフィッサ王国の中、白い敷石の広がる、眩しいほどに調えられた庭園となっておりました。
 結婚式には相応しい様相ですわね。

 馬車の窓から、玄関前でわたくしたちを出迎えるために並んでおられる、レオナルド様とラガロ様、そして慎ましいドレスの女性が寄り添っているのが見えました。

 あの方が、きっとラガロ様のお母さま、レオナルド様のご結婚相手でしょう。

「さあ、ティアちゃん」

 お母さまがわたくしの手をとりました。

「背筋を伸ばして、顔をあげて、そう、ニッコリ。
 大丈夫ですわ、あなたは世界一可愛いわたくしの、ガラッシアの娘です。よくって?」

 言い聞かせるように、おでこをコツンと当てて、お母さまがわたくしを励ましてくださいました。

 今回、結婚式にわたくしを同行させるか、お父さまは大変悩んだそうですが、お母さまがわたくしを出席させるべきだと譲りませんでした。
 お父さまとお母さまはレオナルド様のご結婚の立会人として招待されておりますが、お兄さま、わたくし、ファウストについては、できれば出席してほしい、ということでしたから、わたくしたちは来ないという選択もできたのです。
 けれど、それではダメよ、とめずらしくお母さまが強く仰いました。
 わたくしの初恋を、お母さまはずっと温かく見守っていたように思います。
 その終わりを、うやむやにしてはいけないと、お母さまはお考えのようです。

(結婚式にも出られず、お祝いも申し上げられない可哀想な恋の終わりにしてはいけませんものね)

 わたくしの恋は、貴族中が知っていると言っても過言ではないのです。
 ルクレツィア・ガラッシアとして、失恋に心を痛めて閉じこもるような、惨めな醜態をさらすことはできません。
 堂々と、ご結婚されるお二人の門出を見届けてこその、公爵令嬢、ルクレツィア・ガラッシアなのです。

「ラファエロ、遠いところ、わざわざすまなかったな」

 お父さまが降り立ち、お母さまの手をとって並ぶと、喜色を称えたレオナルド様が早速お父さまと熱い抱擁を交わしました。

「おめでとう、レオナルド。こんな日が来るとは、感慨深いよ」

 お父さまとレオナルド様の友情は幼少の頃から、レオナルド様の辛い時期も側で知っていらっしゃるでしょうから、お父さまの言葉にも重みがございます。

(わたくしのことがなければ、きっともっと大手を振って喜んで差し上げたいのではないかしら。
 それならやはり、お父さまのためにもわたくしがすることはひとつですわね)

「紹介するよ、セレーナだ」

 レオナルド様の言葉に、セレーナ様は半歩前に出て、わたくしたちにお辞儀をいたしました。
 貴族というよりは、使用人の動きが染み付いた所作です。
 それでもわたくしたちが好感を持てたのは、それが、この方が精一杯生きてきた証だと知っているから。
 セレーナ様は、ラガロ様と同じ黒髪の美しい方でしたが、簡素にまとめた髪は自然で、ドレスも品のいいものではありますが派手さはなく、慎ましいという言葉がしっくりときます。
 公爵家を前に緊張をしているのをなんとか見せまい努力しているのが見てとれるのも、素直な心根の方なのだと感じられて、レオナルド様は確かな方を選ばれたのだわと納得もいたしました。

「セレーナさん、そんなに緊張なさらなくてもよろしいのよ。
 旦那様が友人同士なのですもの、どうぞわたくしのこともお友だちと思って、仲良くしてくださいね」

 ステラフィッサの女神は、今日も女神です。

 お母さまに微笑みかけられたセレーナ様は頬を紅潮させて、恐れ多いとも、感極まったともとれるように首を縦に振ったり横に振ったりと忙しくなり、レオナルド様のお顔を見上げて少しだけ涙目になっておりました。

(可愛らしい方……)

 それを愛おしそうに笑って見ているレオナルド様の、なんてお幸せそうなことでしょう。

「お心遣い、感謝申し上げる。
 さあ、長旅でお疲れでしょうから、まずは客間にご案内しましょう。
 ラファエロ、今日はこの後にフリオも着く予定だから、夕食ディナーで会えるだろう」

 レオナルド様がフリオと呼ぶのは、オノフリオ・トーロ様、トーロ伯爵ですわね。

 十二貴族のリオーネ家当主のご結婚式ですから、それは盛大に執り行われるかと思いましたが、招待客は立会人のガラッシア家、騎士団を代表してトーロ家、そのほかはリオーネ家ご一門の主だった家のみで、領城の礼拝堂で式を挙げましたら、招待客のみでのささやかな披露宴パーティーを行うだけで、あまり目立ったことはなさらないそう。

 レオナルド様たってのご希望だそうですけれど、セレーナ様を守るためでもあるのではないかしら。

 大勢を呼んでしまえば、ラザーレ家も呼ばなくてはならないですし、お話しだけ聞いても胸くその悪い、あら、言葉遣いが三十路に引きずられましたわ、ええと、クソ男?ああ、あんな最低な男のことをわざわざお上品に言い繕う語彙がありませんわ、クソヤローのラザーレ子爵なんて、顔も見たくありませんもの、おめでたい席ならなおさら、いらっしゃらなくて結構だわ。

 それにセレーナ様の生い立ちについても口さがない方はいらっしゃるでしょうし、例え「ラガロの星」をお生みになられたからといって、一度ついた泥を蔑む方がいないわけでもないのです。

(この泥はあくまでも貴族として没落してしまった、ということであって、クソヤローにされたことは一切なんの落ち度でもありませんのよ!)

 誰にするでもない言い訳を心でしてから、気が付きました。

(わたくし、すでにセレーナ様にかなり肩入れしていますわね)

 初恋の想い人を射止めた女性だからといって、敵視する気持ちは湧きませんでした。

 彼女の歩んできた道を知ってしまっているからかもしれませんが、それよりも、こんな、前世の三十路女の記憶があるなんてわけのわからない状態で、必死で公爵令嬢のフリをしている滑稽なわたくしには、きっとできない方法でレオナルド様をお幸せにできる方なのだと、完敗した気持ちがあるからかもしれません。

 それでしたなら、セレーナ様にはぜひとも、生涯かけて、これでもかとレオナルド様とお幸せになっていただかないと。

「レオナルド様」

 そこでようやくわたくしはレオナルド様のお名前を呼ぶことができました。
 震える吐息も、張り裂けそうな心も、公爵令嬢ルクレツィア・ガラッシアは、ひとつもオモテには出しませんわ。

「ティアちゃん」

 わたくしに向き直ってくださったレオナルド様は、いつものお優しい眼差しのようにも見えましたし、そこに少しの緊張が混じっているようにも見えたのは、わたくしの願望ですかしら?

「この度はご結婚、心よりお祝い申し上げます。末永いお二人のお幸せを、切に願っておりますわ」

 湧きあがる些細な幻想を捨て、わたくしは一世一代のカーテシーと笑顔を見せました。

 お母さまゆずりの、わたくしの身に宿るすべての美しさを総動員して、朝焼けの水平線に太陽の道ができるように、輝かしいその道を二人が歩けるように、渾身の言祝ことほぎですわ。

 レオナルド様は一瞬目を見張り、それから破顔して、最大限の紳士の礼で返してくださいました。

 そこに多少の安堵が混ざっていたこと、その様子をラガロ様が金の眼でじっと見つめていらしたこと、そのどれも、必死なわたくしには気付きもしませんでしたわ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢だと気づいたので、破滅エンドの回避に入りたいと思います!

飛鳥井 真理
恋愛
入園式初日に、この世界が乙女ゲームであることに気づいてしまったカーティス公爵家のヴィヴィアン。ヒロインが成り上がる為の踏み台にされる悪役令嬢ポジなんて冗談ではありません。早速、回避させていただきます! ※ストックが無くなりましたので、不定期更新になります。 ※連載中も随時、加筆・修正をしていきますが、よろしくお願い致します。 ※ カクヨム様にも、ほぼ同時掲載しております。

悪役令嬢に転生したら溺愛された。(なぜだろうか)

どくりんご
恋愛
 公爵令嬢ソフィア・スイートには前世の記憶がある。  ある日この世界が乙女ゲームの世界ということに気づく。しかも自分が悪役令嬢!?  悪役令嬢みたいな結末は嫌だ……って、え!?  王子様は何故か溺愛!?なんかのバグ!?恥ずかしい台詞をペラペラと言うのはやめてください!推しにそんなことを言われると照れちゃいます!  でも、シナリオは変えられるみたいだから王子様と幸せになります!  強い悪役令嬢がさらに強い王子様や家族に溺愛されるお話。 HOT1/10 1位ありがとうございます!(*´∇`*) 恋愛24h1/10 4位ありがとうございます!(*´∇`*)

モブに転生したので前世の好みで選んだモブに求婚しても良いよね?

狗沙萌稚
恋愛
乙女ゲーム大好き!漫画大好き!な普通の平凡の女子大生、水野幸子はなんと大好きだった乙女ゲームの世界に転生?! 悪役令嬢だったらどうしよう〜!! ……あっ、ただのモブですか。 いや、良いんですけどね…婚約破棄とか断罪されたりとか嫌だから……。 じゃあヒロインでも悪役令嬢でもないなら 乙女ゲームのキャラとは関係無いモブ君にアタックしても良いですよね?

私はモブのはず

シュミー
恋愛
 私はよくある乙女ゲーのモブに転生をした。   けど  モブなのに公爵家。そしてチート。さらには家族は美丈夫で、自慢じゃないけど、私もその内に入る。  モブじゃなかったっけ?しかも私のいる公爵家はちょっと特殊ときている。もう一度言おう。  私はモブじゃなかったっけ?  R-15は保険です。  ちょっと逆ハー気味かもしれない?の、かな?見る人によっては変わると思う。 注意:作者も注意しておりますが、誤字脱字が限りなく多い作品となっております。

めんどくさいが口ぐせになった令嬢らしからぬわたくしを、いいかげん婚約破棄してくださいませ。

hoo
恋愛
 ほぅ……(溜息)  前世で夢中になってプレイしておりました乙ゲーの中で、わたくしは男爵の娘に婚約者である皇太子さまを奪われそうになって、あらゆる手を使って彼女を虐め抜く悪役令嬢でございました。     ですのに、どういうことでございましょう。  現実の世…と申していいのかわかりませぬが、この世におきましては、皇太子さまにそのような恋人は未だに全く存在していないのでございます。    皇太子さまも乙ゲーの彼と違って、わたくしに大変にお優しいですし、第一わたくし、皇太子さまに恋人ができましても、その方を虐め抜いたりするような下品な品性など持ち合わせてはおりませんの。潔く身を引かせていただくだけでございますわ。    ですけど、もし本当にあの乙ゲーのようなエンディングがあるのでしたら、わたくしそれを切に望んでしまうのです。婚約破棄されてしまえば、わたくしは晴れて自由の身なのですもの。もうこれまで辿ってきた帝王教育三昧の辛いイバラの道ともおさらばになるのですわ。ああなんて素晴らしき第二の人生となりますことでしょう。    ですから、わたくし決めました。あの乙ゲーをこの世界で実現すると。    そうです。いまヒロインが不在なら、わたくしが用意してしまえばよろしいのですわ。そして皇太子さまと恋仲になっていただいて、わたくしは彼女にお茶などをちょっとひっかけて差し上げたりすればいいのですよね。    さあ始めますわよ。    婚約破棄をめざして、人生最後のイバラの道行きを。       ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆     ヒロインサイドストーリー始めました  『めんどくさいが口ぐせになった公爵令嬢とお友達になりたいんですが。』  ↑ 統合しました

深窓の悪役令嬢~死にたくないので仮病を使って逃げ切ります~

白金ひよこ
恋愛
 熱で魘された私が夢で見たのは前世の記憶。そこで思い出した。私がトワール侯爵家の令嬢として生まれる前は平凡なOLだったことを。そして気づいた。この世界が乙女ゲームの世界で、私がそのゲームの悪役令嬢であることを!  しかもシンディ・トワールはどのルートであっても死ぬ運命! そんなのあんまりだ! もうこうなったらこのまま病弱になって学校も行けないような深窓の令嬢になるしかない!  物語の全てを放棄し逃げ切ることだけに全力を注いだ、悪役令嬢の全力逃走ストーリー! え? シナリオ? そんなの知ったこっちゃありませんけど?

家庭の事情で歪んだ悪役令嬢に転生しましたが、溺愛されすぎて歪むはずがありません。

木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるエルミナ・サディードは、両親や兄弟から虐げられて育ってきた。 その結果、彼女の性格は最悪なものとなり、主人公であるメリーナを虐め抜くような悪役令嬢となったのである。 そんなエルミナに生まれ変わった私は困惑していた。 なぜなら、ゲームの中で明かされた彼女の過去とは異なり、両親も兄弟も私のことを溺愛していたからである。 私は、確かに彼女と同じ姿をしていた。 しかも、人生の中で出会う人々もゲームの中と同じだ。 それなのに、私の扱いだけはまったく違う。 どうやら、私が転生したこの世界は、ゲームと少しだけずれているようだ。 当然のことながら、そんな環境で歪むはずはなく、私はただの公爵令嬢として育つのだった。

魔性の悪役令嬢らしいですが、男性が苦手なのでご期待にそえません!

蒼乃ロゼ
恋愛
「リュミネーヴァ様は、いろんな殿方とご経験のある、魔性の女でいらっしゃいますから!」 「「……は?」」 どうやら原作では魔性の女だったらしい、リュミネーヴァ。 しかし彼女の中身は、前世でストーカーに命を絶たれ、乙女ゲーム『光が世界を満たすまで』通称ヒカミタの世界に転生してきた人物。 前世での最期の記憶から、男性が苦手。 初めは男性を目にするだけでも体が震えるありさま。 リュミネーヴァが具体的にどんな悪行をするのか分からず、ただ自分として、在るがままを生きてきた。 当然、物語が原作どおりにいくはずもなく。 おまけに実は、本編前にあたる時期からフラグを折っていて……? 攻略キャラを全力回避していたら、魔性違いで謎のキャラから溺愛モードが始まるお話。 ファンタジー要素も多めです。 ※なろう様にも掲載中 ※短編【転生先は『乙女ゲーでしょ』~】の元ネタです。どちらを先に読んでもお話は分かりますので、ご安心ください。

処理中です...