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(ルクレツィアの、ガラッシア家のお顔の威力をなめておりましたわ……)

 まさか笑顔ひとつでヒトが落ちるとは思いもよりませんでした。
 先ほど、お父さまの舌打ちなどと世にも珍しいものといっしょに聞かなかったことにしたうめき声は、攻略対象ではない有象無象モブのものと思って気にも留めておりませんでしたけれど、王子殿下、貴方様はちょっと無視できませんわね。

(いいえ。見なかったことにいたしましょう)

 心で真顔になったわたくしの決断は早いものでした。
 今見たものは、記憶から追い出しましょう。
 そうです。なかったことにするのです。
 王子殿下とは数秒目が合った程度のこと。
 わたくしは何も見なかった。
 わたくしが見なかったことは、起きていないことと同じこと。
 王子殿下が、悪役令嬢などに恋に落ちようはずがございません。
 折よく、お父さまがエンディミオン殿下の視線を妨げるように、わたくしの前に一歩前進して壁となってくださいました。

(今のうちに、体勢を立て直しましょう)

 動揺している場合ではないのです。
 正念場ですのよ。
 殿
 これが破滅回避のための最大のミッションなのですから。

(わたくしは妖精、わたくしは妖精……)

 そう、わたくしは妖精さんなのですもの、人間ヒトとの恋愛ごとなどよくわかりませんわ!
 というていで、何を言われようと「よくわからない」という顔でお父さまに委ねるのです。

(お父さまがいらっしゃれば、絶対にどうにかしてくださいますもの)

 心を強く持ちましょう。

 いよいよ、王妃陛下と王子殿下に一家族ごとにご挨拶をする段に移ります。
 ガラッシア家はもちろん一番手。
 侍従がお父さまとお母さまのお名前を呼びました。

「ラファエル・ガラッシア、エレオノーラ・ガラッシア、王妃陛下のお召しにより参上致しました」

 最敬礼で貴人に向かうお父さまとお母さまに倣い、わたくしたちもあとに続きます。

「ガラッシア公、公爵夫人、よく来てくださりましたわ。子どもたちに会える今日この日を、とても待ち侘びておりましたのよ」
「本日は、王妃陛下、並びに王子殿下に家族共々拝顔の栄に浴し、恭悦至極に存じます。
 これなるは、ガラッシア家が嫡男アンジェロ、長女ルクレツィア、次男ファウストにございます」

 お父さまに名前を呼ばれ、改めましてのカーテシー。

「アンジェロにございます。
 本日は、王妃陛下、並びに王子殿下に拝謁賜り、幸甚の至りに存じます」

 お兄さまが三人を代表してご挨拶をいたします。
 
「ルクレツィアにございます」
「ファウストにございます」

 わたくしとファウストは以下略、という感じで、ここまではお作法どおりでございます。
 これを一家族ずつすべてやり取りしなければならない王族は大変でございますわね。
 ジェメッリ家が特例で省略されるのも頷けますが、本日はガラッシア家と十二貴族、さらに王家に覚えめでたいその他の侯爵家、伯爵家まで招待されておりますから、この後の行列は人気のアトラクション並みですわ。
 わたくしやはり、王族になりたいとは思えません。

「固苦しいのはここまでにいたしましょう」

 続く王妃様のお言葉で、しばしの歓談タイムになるのは段取りの内のひとつなのですが……。

「あぁ、エレオノーラ様、本日もなんてお美しいの……はぁぁ、眩し過ぎて心が洗われます……」

 尊い、尊い……、とまるで推しアイドルか神様にでも会ったかのように王妃様がお母さまを拝みはじめました。

(????)

 王族らしい威厳を保っていたのが嘘のように、王妃様のご様子がおかしくなりました。
 先ほどまでこの場の誰よりも高みにいらしたはずなのに、王妃様はエレオノーラお母さまに跪きそうな勢いです。

 お父さまもお母さまも、そしてお兄さまも何でもないような顔をしており、諌める方もいらっしゃらず、まさかこれは王城での日常風景?
 王子殿下も諌めるどころか、こちらをチラチラと伺って顔を赤らめているばかりです。

「ソフィア様、本日もご機嫌麗しゅう存じます」

 お母さまに縋りつきそうでそうはせず、行き先なくさまよっていた王妃様の手を、当のお母さまが掲げるよう引き寄せて、包み込みました。

「あぁぁっ、なんてもったいない……っ」

 推しに神対応を受けて歓喜に震えるオタクそのものの王妃様と、そんな王妃様を見つめニコニコと微笑んでいらっしゃるお母さま……。

 王妃陛下は温厚なお人柄だと思っておりましたけれど、今後、お母さまの仰る「とても良い方ですのよ」「昔から善くしていただいているの」という言葉は信じないようにいたしましょう。

「陛下、そろそろ気は済みましたか」

 言葉にならない悲鳴をあげ続けている王妃さまに、静かにお父さまが静止の声をあげました。

「公爵、もう少しだけ……」
「ダメですね。減りますから」

 お父さまにすげなく断られ、王妃様はしゅんとなさりました。
 ですが繋いだ手を放すご様子はないので、おそらくこのままお話は続けられるのでしょうか。

「先週も確か王城のお茶会に呼びつけて、同じことをなさっておいでだったと記憶しておりますが」
「一週間も前のことですわ!それから今日までずっとエレオノーラ様にお会いできなくて、ワタクシ呼吸の仕方を忘れそうでしたのよ」

 そう悲壮感を漂わせて訴えながらも、執拗にお母さまの周囲の空気を吸い込んでいらっしゃるのは、本当にこのステラフィッサの国王妃様なのでしょうか。

 どういう表情でこのやり取りを眺めていればよろしいのかがわからなくて、お兄さまの様子をこっそり伺います。

(さすがお兄さま!揺るがない微笑のままですのねっ)

 そこには何の感情もないような気がいたしますが、おそらくそんなことに気付けるのは家族だけですわね。

 ふと、お兄さまの目線がこちらに向きました。
 瞳に苦笑を浮かべ、わたくしとファウストにアイコンタクトを送ってくれました。
 ここは、多少気を抜いてもいいところなのでしょう。
 ファウストはファウストで、例え戸惑っていたとしても普段からあまりお顔に出しませんから、お人形のように涼やかな表情のままですが。

「は、ははうえっ」

 大人たちの他愛ないやりとりに、果敢に割り込んだ方がいらっしゃいました。
 もちろん、王子殿下ですわね。
 上擦った声に、ソワソワと落ち着きなく、王妃様、お父さま、お兄さま、そしてわたくしにと視線が移ろいます。

「わたしにょ、の、ための、交流の機会ではなかったでしょうかっ」

(にょ)

 噛みそうになりながら、必死で取りつくろう王子殿下の様子は、少し可愛らしいと思ってしまいました。

「まあエンディミオン、ごめんなさい、そうでしたわね。
 あなたも嬢ときっとお話しなさりたいと、母もわかっておりましてよ」

(ひえっ、名指しされてしまいました)

 お母さまへの隠さない愛情表現から、わたくしへ標的を変え、王妃陛下の、何かスイッチが入れられたのがわかりました。

(王族って、おそろしいですわ……)

 わたくしの怯えを感じとって、お父さま、お兄さま、ファウストがそろって少しずつ距離を詰め、わたくしの防御陣形に入りました。

「殿下は、ファウストにも会いたがっておいででしたね」

 お兄さまの攻撃。
 まずは話題の矛先をファウストに逸らします。

「ああ、そうだ、次男のファウストが作っているもので、陛下に是非ご覧に入れたいものが」

 と、お父さまが王妃陛下に見せたのは、ファウストが最近試作した、映写機カメラで写したお母さまの写真ブロマイドです。

「これは!」
「あら、わたくしですわ。
 先日、旦那様に撮っていただいたものですかしら」

 ごく自然に振り返ったお母さまのお姿ですが、白黒モノクロにも関わらず、今にも動き出しそうなほどの鮮明さでこちらに微笑みかけております。

 畳みかけるような連携プレー。
 王妃様は奪うような勢いで写真をお父さまの手から受け取りました。

「エレオノーラ様からいただきました品質の格段に上がった石鹸ソープを作ったのもガラッシア家のご次男と聞いておりましたけれど、こんなものまで……」

 そっと写真を侍従に渡すと(自然な流れで王妃様のものになりましたわね)、王妃様はファウストに詰め寄りました。

「絵画とは違いますわね?どのようにしてあれを?」
「光魔法と時間魔法を掛け合わせた魔石を専用の機械に組み込み、実際に起こっているその瞬間を特殊な紙に焼き付けて写しています」

 表情をひとつも変えず、淡々とファウストは説明をしますが、かなり高度な魔法技術が魔石から機械、紙の作成にいたるまで使用されております。
 口頭のこんな簡単な説明だけでは再現が不可能なことが分かっておりますので、公の場でもこれくらいの情報が開示できるのです。

「実際に、起こっていることを……」

 噛み締めるように繰り返した王妃様の目はとても真剣です。

「これに、色は付きますの?」
「はい、陛下。そうなるよう研究を重ねているところです」

 まるで明日にでも完成しそうな平坦な調子で、ファウストは即答しました。

「素晴らしい……とても素晴らしいですわ……。ファウストでしたね。ぜひこれからも研究を続けてください。
 私個人からの援助も申し出たいほどです」
「もったいないお言葉です」

 ガラッシア公爵家三兄妹の商会に、あっさり王妃様というスポンサーが付きそうです。

「ファウスト、わたしにもアレは写せるだろうか?」

 意外にも、王子殿下まで写真に食い付きましたわ。

「はい、王子殿下。
 試作機のためまだ一台しか出来ておりませんが、誰が手にしても使えるよう設計しています」
「今度、アンジェロとともに王城に来てはもらえないだろうか。その、試作機を持って。
 ……それから、ルクレツィア嬢も、どうだろうか。ぜひ貴女を写してみたい」

 あら、あらあら、うまく王妃様をかわせたはずでしたのに、王子殿下がストレートに反撃なさってきましたわ。
 大きな瞳が、必死にこちらに訴えかけるように見てくるものですから、うっかり情が湧きそうです。
 何かに似ています。
 やはりあれですかしら。

(王子殿下の犬みがすごいですわ)

 ワンコ属性の王子が、この乙女ゲームのメイン攻略キャラクターなのでしょうか。
 お兄さまが正統派の貴公子然としておりますから、ここはあえての親しみやすい王子殿下のキャラ設定、という考え方もできますわね。

「エンディミオン、なんて良い提案ですかしら!
 アンジェロなら王城にも慣れておりますから、今度来る時は是非二人を連れていらっしゃい。
 ルクレツィアさん、これからエンディミオンと仲良くしていただけるかしら?」

(あぁっ、余計なことを考えていたら、王妃陛下も盛り返してきてしまいましたわ!)

 王城を訪ねる習慣を作り、婚約までの道筋を築かれたような気がします。
 どのようにお応えすればよろしいのか、王子殿下の期待の眼差しに肯定も否定もできず、わたくしはお父さまを見上げます。

 お父さまは、わたくしを安心させるような鷹揚な笑みを湛えてから、王妃陛下に向き直りました。

「それは願ってもないことです。娘は少し内向的なところがありますから、殿下のような方に是非になっていただけたら」

 すごいですわ、お父さま。
 こんなに含みも何もない、真っさらなの仰りようがありまして?
 それ以上に決して成りようのない、力強い響きがございました。
 文面だけで見れば、貴族らしい言い回しによる婚約の打診に、それに応じたような文脈にすら感じられるのに、それらをすべて撥ねつけてしまっているのです。

「どうだいルクレツィア?
 王子殿下のご友人など、とても光栄なことだよ」

 お父さまが畳みかけます。
 それでしたらわたくしも、全力で肯定するだけですわ。

「まぁ、わたくしが殿下のお友だちですか?
 とてもうれしく存じます」

 それこそ、お父さまとは違った方向で、純粋無垢な、自然そのままのです。
 ふわふわの空気感はそのままに、踏み込ませない神聖さで完全ガードに成功です。

「そうですわ、お父さま。
 ベアトリーチェ様もご一緒ではいけませんか?」
「アクアーリオ侯爵令嬢かい?」
「はい。わたくし一人だけでは、お城でのマナーなどまだまだ心細く存じますから、ベアトリーチェ様もご一緒に殿下のになってくださいますと、うれしいのですけれど……」

 女性のマナーのことですから、お兄さまやファウストでは筋が違います。
 それに異性の頭数が増えれば、わたくしが王子殿下の下に赴く特別感が減らせましょう。
 わたくしはらしく恥ずかしそうな表情を浮かべ、王妃様と王子殿下を窺いました。
 多少、王子殿下には毒かもしれませんが、少しの犠牲で最大の効果があるのなら、出し惜しみはいたしません。

「如何ですか、陛下」
「侯爵令嬢もですか……」
「ソフィア様、オルネッラの娘ですから、とても良い子ですのよ」
「エレオノーラ様がそう言うのでしたら、後ほどアクアーリオ侯爵にもお話をしておきましょう」

 お母さまの援護に、王妃陛下の答えははっきりしておりました。
 エレオノーラお母さまのすごいところは、これがわたくしの婚約回避のための計算ではなく、天然の立ち回りというところです。

「アクアーリオ侯爵令嬢は、アンジェロの自慢の婚約者だったね。もちろん仲良くしたいが、わたしは婚約者のいない身だから、アンジェロに遠慮をしなくてはいけないだろうか」

 王子殿下の発言に含まれる色を消しにかかったお父さまとわたくしに、王子殿下は新たな仕掛けをしてきました。

(案外めげませんのね、王子殿下)

 ベアトリーチェお姉さまのお名前を出したわたくしの落ち度かもしれませんが、「婚約」という話題に舵を切られてしまいました。
 ワンコだなんて思っておりましたけれど、本来、かなり明晰な方なのかもしれませんわ。

「遠慮など、わたしとともに、婚約者とも仲良くしていただきたく存じます」

 お兄さまがどうにかそれ以上の流れを作らないようにガードしますが……。

「エンディミオン、貴方も早く婚約者を持てればよろしいのですわ。
 どなたか素敵なご令嬢がいらっしゃれば、貴方から声をかけて差し上げてもよいのですよ?」

 ねえ、ルクレツィアさん、と王妃様が獲物を定める目でわたくしを見てきました。

(王妃様の会心の一撃ですわ!)

 茶化しておりますが、わたくしの背中には冷たい汗が伝っておりました。
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