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紙の上
しおりを挟む一枚の絵を見れば客の顔が思い浮かぶ。
―ああ、画商になった
と改めて思う。
客の顔は、個人とは限らない。
百貨店だったり、病院だったり。
「浜本さんこれ、どこにかけますか?」
百貨店の一画。
週代わりの展示を行うスペース。
明日からの一週間のために次々と絵を配置していく。
「ああ、それはストックにしたいので、こちらにお願いします。」
企画を立てたり、顧客の家を回ったり、買い付けしたり。
細々したことが意外に楽しく、自分に向いていることは、この世界に入って気がついた。
「これで、大丈夫ですか?」
一通りの配置を終わって見回す。
手伝ってくれた百貨店の社員の方たちが、せっせと絵を入れていた箱を業務用のワゴンにまとめている。
「大丈夫でしょう。」
浜本がうなずく。
「あさってから三日間先生ご来場で間違いないですか。」
木村という店員が予定を確認してきた。
「間違いないです。」
と言ってお互いに顔をしかめた。
先生は、扱いにくい。
明日からの三日間は、気を使うに違いない。
「おう、浜本くん、食事に行こうじゃないか。
今日はどこへ行くかな?」
接客していたお客が、びっくりしてササッと逃げてしまった。
「先生、お客様の前ですよ。」
「どうせ、買う気はなかっただろうが。」
―確かに、買う気も買う経済力もなさそうなお客だった。
百貨店の展示は、無料で開放し、気軽に入れるように通路から画廊の中に仕切りがないため、こういったお客がよく来る。
「買う気がなくてもお客様です。」
「そんな理屈など知るか。
行くぞ。」
浜本が横を向きため息をつくと、木村と目が合った。
お互いに、しょうがないなあ、と目と目で言い合う。
先生の尻拭いをしながら、本当に人付き合いができない人というのは、こういう人種をいうのだ、と思い知った。
いいものを描く人ほどどっかが破綻している。
人間関係が苦手だと思っていた自分は、人間関係の作り方を知らなかっただけだと知った。
絵だけで生きていくには、浜本はとても器用すぎたのかもしれない。
画商として、安定した売上を上げ続け、世間では、そこそこの成功者として評価されるまでになれた。
器用だったことを感謝する一方で、絵を目指していた若い自分が恨めしそうな目で私を見ている。
魂を抜かれたように客が立ち止まる。
「いいでしょう。」
頃合を見て声を掛けるとご年配の婦人は、ちらりと浜本を見てまた絵に目線を戻した。
「いいわねぇ、これ。金額もすごいけど。」
「まあ、金額は、おいおい…。
この色使いは、先生しか出せない色ですから…。
お部屋の玄関や、居間に…」
夫人の姿から、大体の年収とお屋敷を想定する。
夫人は、大きな買い物に慣れている風だった。
百貨店の外商付きに違いない。
つらつらと商売文句が口をつく。
絵は、完全に商売道具となり、その利用価値を言いつらねる。
絵画としてのすばらしさ
インテリアとしてのすばらしさ
資産としてのすばらしさ
夫人の顔で反応を見ながら、いろいろなカードを切っていく。
「じゃあ、頂こうかしら。」
かなりスムーズに決まり、浜本は、商談のクローズに入るため、百貨店の店員を呼んだ。
携帯の画像を開いて、絵筆を持った。
ビジネスホテルの机の上は、画材道具が広がる。
スケッチブックを開き、携帯の写真を白い中から起こしていく。
若いころの夢は、趣味となって、出張の夜を楽しませる。
昼にちょっとした風景を携帯におさめて早く帰れたときに絵に起こす。
気に入ったモチーフは、休日に本格的な絵に書き直す。
夢との折り合いは、こういう形で決着した。
夢中になって一通り仕上げ…引き裂いてしまいたくなった。
画商としての自分が、売れない絵と判断を下す。
もう、ずいぶん前に折り合いをつけたと思っていたのに、気を緩めると絵を“評価”してしまう。
いつも、自分の後ろに若いときの自分がいる。
―絵を描きたい
―絵で生きたい
と喚きちらし“才能”という現実が打ちのめす。
嫌な気分を切り替えたくて風呂を浴びた。
風呂から出ると少し落ち着いた。
頭をタオルで拭きながら手帳を開く。
「岩佐個展の計画」
とメモ書きが目に入る。
―美里ちゃん大丈夫かな?
岩佐は、最近交通事故で死んだ古いつきあいの画家である。
忘れ形見の娘―美里は、持っている絵を全部売りたいというので、個展を開かねばならない。
岩佐の一周忌に合わせて大々的にやろう。
―美里ちゃんの気持ちは、それまでに変わるだろうか?
同じ男として、岩佐の生き様は興味深かった。
傍から見れば、奥さんに愛され、画家としても生きているうちに成功した幸せそのものの人生を送った男。
しかし、彼は、裏を返せば、知的障害者として誰にも理解されない一生を送った男。
一番愛していたはずの奥さんでさえ、あの男を本当に一人の男として見ていたかは分からない。
奥さんは、必要とされることに飢えている女だった。
浜本は、岩佐夫婦をみるたびに、需要と供給という言葉が思い出されてしょうがなかった。
成功しながら、娘を抱き上げることさえ許されずに孤独に死んでいった男。
―愛されてたよ、って何で言ってあげられなかったんだろう。
美里は、父親に愛されていなかったと思っていたと浜本に告げた。
若い自分が―嫉妬が「愛されてたよ」と言わせようとしなかった。
神の杯を受けた才能と持ち、愛したものに囲まれた人生など、認めたくなかった。
自分に、岩佐の成功はまぶしかった。
成功を理解できないものに、成功を与える神がにくかった。
「君の絵だ。」
百貨店に来場した先生は、手土産として絵を一枚持ってきていた。
浜本は、驚きながら、その絵を広げる。
先生は、気に入った人間に絵を送ることがあると聞いていたが、実際もらったのは初めてだった。
―売りにくい絵だな。
というのが第一印象だった。
金粉の混じる紫の海
そこから天へと伸びるたくさんの触手
空には、救いのようなやわらかい光が広がる。
全体的に少しねちっこい感じがする。
売りに行きたい顧客の顔が思い浮かばなかった。
「その紫を出すのに苦労した。
きみが時々にじませる色だ。
私にこれ以上この色を追求するのは無理だ。これは、君が出すべき色だ。
君がやりたまえ。」
「君の絵」とは「私にくれる絵」ではなく「私を描いた絵」だったのか。
浜本は、目を見開いて先生を見た。
「君は、時々そんな色をして私を見るだろう。
いつか描いてやろうと狙ってたんだがな。
やっと仕上がった。」
「これが、私…」
「君は、もっと魂と会話すべきだ。
周りを見すぎだ。」
浜本は、いつものやつがまたはじまった、と思いながら、いつものように聞き流すことができない。
今日の高説は、浜本に向けられている。
「君も絵をやるのだろう?」
恥ずかしさに歯を食いしばる。
「絵というほどのものでは…」
卑屈になっていく自分が分かった。
成功した人間に、見下されるのは、耐えられない。
絵をやってるなんて一言も言わなかったのに。
「君は、自分のことを普通の人間だと思っているんだろうが、それは違うぞ。
君も、私と同類だ。
エデンのりんごの味を知っている人種だ。
話せばすぐに分かる。」
エデンのりんご―無垢な女イブに蛇が食べさせた快楽の知恵の実
先生は、浜本を無視して続ける。
先生は、あまり会話のキャッチボールが得意でない。
いつも一人でしゃべるタイプであるため、相槌さえ打っていれば、会話はすすむ。
「君も私も芸術のしもべだ。
魂を表現することにとりつかれた変質者だ。
君は、もっと夢中になるべきだ。」
「私の絵は、趣味ですから…」
「絵を描くことに趣味も何も関係ない。
描くことにどれだけ真剣に向き合えるかだろう。
自分の作品に愛がない者ほど、人をうらやまむものだ。」
才能がある人間の言い草だ―と思いながら、
どれぐらい自分が真剣に向き合ってきたか、思いをめぐらす。
一つの作品を駄作にしてたのは、私自身かもしれない。
―上手なものが描きたいんじゃない。
描きたいから、描く。
そんなことができていない自分が恥ずかしい。
「君も贅沢な男だな。
それだけの成功を手にしながら、欲求不満な顔をしてうろつくんだから、罪なやつだ。」
余計なお世話だ、と思ったが
「先生ほどではございませんよ」
と言うと、先生は、がははと豪快に笑った。
「君のことは、気に入っている。
これからもワシの絵をよろしく頼むよ。
なんせ、明日おまんまが喰えるかどうかは、君次第だからな。」
と言って、さらに豪快に笑った。
浜本は、
―気に入ってるなら、もう少し言うこと聞いておとなしくしてくれ。
と心の中で叫んで、再び絵に目を落とした。
紫の中に若い自分の恨めしげな目が浮かんで消えていった。
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