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2章 傭兵騒動編

4-2 哨戒任務中によそ見とは、感心しないな

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「――あの襲撃以前と比べると、メタルとの遭遇頻度は上がっている。大群との戦闘はまずないだろうが、小粒との戦闘は大いにあり得る――し、先日は空賊が確認された。遭遇の可能性はゼロとは言えない。警戒は怠るな」

 出立直前、便宜上リーダーを務めるガディはそう言った――そしてそれ以外の何も、必要な時以外には喋らなかった。
 お互い基本的には無言のまま、セイリオスを背に広大な空をノブリスで駆ける。巡回目的のため決められたルートをのんびりと飛ぶことになるのだが、これが思ったほど悪くはなかった。
 警戒していた――というより身構えていたのは、傭兵であるムジカに対して傭兵嫌いのガディが噛みついてきたりしないかということだったが。先を行き前方を警戒するガディは、意外なほどムジカに何も言ってこなかった。
 僚機ということもあり無関心というわけではないようだが、指示の際の言葉にも攻撃的なものはさほど感じない。初対面の時の刺々しさは何だったのかと思うほどに普通だった。

 おかげで、というのも変な話だが。ムジカはガディの<ナイト>をほとんど風景のような扱いで、気ままにのんびりと空を飛んでいた。

(……つっても、ただ飛ぶだけが面白いってことももうねえんだけどな……)

 今となっては好きとも思えない。この広大な空を飛ぶたびに、空の広さとその果てのなさに圧倒される。感じるのは、それと比べたらどこまでもちっぽけな己の矮小さだ。
 初めてノブリスで空を飛んだ時に感じた、自由さも爽快感も既に色あせた。慣れて感じるようになったのは、空の押し潰されそうな圧迫感だ。何もない、青い空。見上げればそれが墜ちてきそうな、奇妙な錯覚にいつも支配されそうになる。
 人が魅入られる空だ――あるいは溺れさせる空か。空の青さは時に人の魂を吸い上げる。思考すら奪われて、ただその青さだけが心を支配する……

 バカバカしい物思いを吹っ切ると、ムジカは警戒に意識を割き直した。
 周辺空域の巡回任務。セイリオス周辺の雲海上を飛び回って、敵がいないか捜索する。任務自体は極めて単純なものだ。決められたルートを決められた速度で飛び回り、敵を見つけたら狩る。ただそれだけ。
 この空において、一言で“敵”と呼べるものは大別してしまえば二つしかない。一つはメタル。そしてもう一つは空賊だ。
 メタルは人類の天敵だ。正式名称はメタリアル・ライヴズ。人を殺す、そのためだけに存在し、そのためだけに“学習”を続ける人殺しの獣だ。古代魔術師が生み出した金属粒子体の魔道具であり、かつて地上で繁栄していた人類を空へと追いやった原因でもある。
 空賊はそれとは違う。メタルとは何の関係もない――くせに、悪意ではメタルの上を行く。何故なら空賊は人間だからだ。空に逃げた人類の最後の住処である浮島からも飛び出して、生きていくために人々から奪う道を選んだ。
 その選択を選んだ者を、人々は決して許しはしない。となれば末路は一つしかない……

(もう少し、真っ当な生き方を選べなかったもんかね……)

 胸の内に湧きあがったのは冷笑も含んだ同情だ――が、ふとムジカは苦笑した。
 その思いはどこから出てきたのか。考えてみれば、自分がそうなっていてもおかしくなかったと気づいたからだ。今は学生の身分だが、かつて(というか、今もだが)自分は傭兵だった。
 そしてその前は……

(“貴族殺し”の罪を背負って、故郷を追われたクソガキか)

 痛みと共に、過去を想う。そして思う――自分が空賊になっていたとしても、おかしくなかったのだと。
 そうならなかったのは、その選択を思いつく暇すらなかったからだ。故郷からの追放日が迫ったその日、ラウルとリムがムジカをさらってグレンデルを出奔した。
 ラウルが傭兵になることを決め、リムに寄り添われて。ようやくこの空で自分の在り方が定まった――……

(……そんなことを考えてる暇があるわけじゃないんだけどな)

 また益体もないことを考えている。苦笑し、そして物思いを思考の隅へと追いやった。
 空の青さは思考を惑わせる。だからやはり、空を好きとは思えないのだ。思考が惑う。警戒が必要な時にそれができないなら、簡単に死ぬことになるだろう。それも頭ではわかっていた。
 雲海に潜んでいたメタルか、空賊か。あるいはムジカも思いつかない何かしらに奇襲されて、呆気なく死んでも文句は言えない。ここはそんな空だ。
 集中しなければならないのに、どうにも集中できない――こんな時には、ノブリスなど扱うべきではないのだが。
 だから、というわけでもないだろうが。死ななかったが反応は遅れた。

「……あん?」

 奇襲と言えば奇襲だった。バイザー内のモニターにコール。二秒ほどそれに気づくのが遅れた。ガディからではなく、外部からの通話申請。哨戒任務中なので無視してもよかったのだが。
 発信者の名前を見てきょとんとすると、ムジカは素直に音声通信に応じる。

「アルマ先輩か? なんか用――」
『――私との約束すっぽかすとはいい度胸だな助手よ、ええ!?』
「お、おお……?」

 開幕いきなりの罵声に、つい狼狽えた。
 そしてそのままの勢いで首を傾げた。どうやら相手は怒っているようだが、約束などと言われても心当たりがない。
 音声通信なので相手にこちらの顔は見えないはずだが、声の調子で悟ったのだろう。怒鳴り口調は変わらずだが、アルマは丁寧に説明してくれた。

『キミのノブリス、作ってやるから代わりにデータ取らせろって話だっただろう!? 今日やってもらうつもりだったのに、すっぽかしていったいどこほっつき歩いてるのかね!?』
「約束ってそれか。いや待て、今日やるなんて話してたっけか?」

 問うと、アルマはしれっと、

『いや、さっき決めた。ちょうど手隙になったのでな。どうせならと思ったんだが』
「……それを約束とは言わんだろ」

 深々とため息をつく。非がこちらにあるなら謝ったほうがいいと思ったのだが、これはさすがにこちらのせいではない。
 ついでに言えばほっつき歩いているというのも間違いなので、一応ムジカは訂正した。

「悪いが、今日は無理だ。今空の上でな。警護隊の仕事手伝ってんだ。また今度にしてくれ」
『……はあん? 警護隊?』

 途端。露骨にアルマのテンションが下がった。
 何か思うところがあったのか、少し沈黙した後……どこか険を含んだ声音で、ぽつりと訊いてくる。

『……まさか、ガディ・ファルケン?』
「依頼主自体は違うけど、まあそんなとこ。警護隊が人手不足だからってことで、今一緒に空飛んで巡回中――」
『私の敵ー!!』
「うぉっ!?」

 いきなりの絶叫に思わずたじろぐ。
 だがそんなこちらの驚愕などお構いなしに、アルマの罵倒は理不尽に続いた。

『私の<ダンゼル>かっぱらってった大悪党じゃないかー!? なんでそんなのと一緒に仲良く仕事なんかしてるのかね!? あれか、私に対する反逆かね!?』
「いや、そんなつもりはないけど……それにほら、俺、傭兵だし……」
『だから仕事なら誰からでも請け負うと!? そういうのはなんというか、節操がないと思うぞ!? 私そういうのを尻軽って言うんだって知ってるぞ!? 確かに尻が軽いとフットワークも軽そうだもんな! 軽量化は結構なことだがこんなときくらい節度を守ってもいいと思う!!』
「……ひとまず尻軽は意味違うから、こういう時に使うのはやめとけな?」

 メチャクチャ言ってくるアルマにどうにかそれだけ言い返して、ひっそりとムジカはため息をついた。
 まあ、アルマの気持ちもわからないではない。前回口論になりかけた挙句、問答無用で<ダンゼル>を接収されたのだから、敵視するのは自然の流れではある。
 ただ、ムジカにとっては――

(敵って言うほどのもんを感じないんだよな、こいつからは。なんでか不思議と)

 傭兵は嫌いなようだが、それだけだ。信頼しているわけではないのだが、警戒する必要もないと割り切れてしまっている。
 あのダンデスと同じスバルトアルヴの出身ということで、アレみたいな腐ったノーブルの卵なのかとも思っていたが、そういうのも今のところ見かけていない。
 傭兵を“背教者”呼ばわりなど、初対面はとことん最悪だったが。付き合いやすい人間かはまた別問題として、そこまでムジカは悪感情を抱いてはいなかった。
 まあ、これまで会ってきた連中がガディ以上にアレだったからそう思ってしまうのかもしれないが。

「まあわかった。<ダンゼル>返してもらえるか、タイミング見て訊いとくよ。それでいいだろ?」
『……返さないって言われたら私は問答無用で不倶戴天の敵認定するからな』
「へいへい」

 恨み節には適当にそう返して。
 ふと、訊かなければならないことを思い出してアルマに訊いた。

「そういや、そっちにリム行ってるか? アイツ、朝一人で出てっちまってさ。どこ行くかも訊いてなかったから、一応の確認なんだが」
『リムくん? 彼女なら今、キミの<ナイト>のカスタム進めてるよ?』
「……リムが?」

 返答が信じられず、思わず訊き返した。
 これは予想していなかったし、シンプルに意外だ。あの機体は彼女の不機嫌の根源だし、あの機体には絶対に関わりたくないものだと思っていた。なんなら今からでも作るのをやめろと言い出しかねないとすら思っていたのだが。

『存外、張り切っているよ。まあキミの“クイックステップ”はそこまで特殊なことはしていないようだし、彼女の勉強にもなるからね。やりたいと言うから任せてみることにしたよ』
「……大丈夫そうか?」
『今のところ、問題は出てないよ。彼女だってずぶの素人というわけでもあるまい? 傭兵だった頃は、彼女が整備担当だったという話は聞いているしね。設計・開発と修理ではノウハウが違うから困るところもあるだろうが、その辺は私がフォローするさ』
「……そうか」

 どうにかそれだけを喉から絞り出す。
 そうして小さく嘆息すると、ムジカは見えない相手に頭を下げた。

「すまんが、任せる。リムのフォロー、よろしく頼む」
『うむ、請け負おう。まあ私にとっても可愛い後輩なのでね。悪いようにはせんさ』

 ではな、と言い置いて、アルマは通信を切断した。
 通話を終えれば、途端に空は静まり返る。あるのは風の吹き荒ぶ音と、<ナイト>の駆動音だけだ。だが環境音など馴染んでしまえば無音に等しい。何もない空には、やはり何もない――
 いや。視界の端に動く影が二つ。
 それに気づいたのとほぼ同じタイミングで、ガディが忠告を飛ばしてきた。

『哨戒任務中によそ見とは、感心しないな』
「警戒はしてたよ。現に、気づいてるだろ」
『ならばいい』

 会話は短い。だがその間に危機感を共有した。
 そして周辺空域警護隊の一員として、ガディが宣言した。

『前方――北北東、下方の方角。雲海上に小型メタル二体。撃破に向かう――いいな』
「オーライ」
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