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2章 傭兵騒動編
4-1 “最も困難な環境が、最も戦士を強くする”ってな
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――ジリリリリリリリ――!!
「――……ん、うう……なん、だ、この音……?」
朝の目覚めを意識させたのは、いつもの間延びしたリムの声――ではなく、まったく聞き慣れない無機質なベルの音だった。
いつもより憮然とした表情で顔を上げれば、自室の入り口に見覚えのない時計が全力で騒音を上げている。時刻はリムがいつも起こす時間より、少し遅い程度。もそもそと這うようにしてベッドを抜け出すと、ムジカはリムと違って欠片も容赦なくうるさい時計をうんざりと止めた。
目覚めの気分は最悪だ。起き方が悪かったせいか、頭痛までする。ここまで悪い寝覚めというものそうはない――少なくとも、セイリオスに来てからのワーストはこれで更新だ。
当たり前のことではあるが、この目覚まし時計はムジカのものではなかった。普段リムが使っているものだ。空の旅をして半年くらいだったか、その頃になんとなく買ってやったものだ。
それがこんなところにあるということは、間違いなくリムが仕掛けていったからで――
「……あんにゃろ、怒ってるからってこういうことするか……?」
顔をしかめながら部屋を出る。探したのは当然リムの姿だが、家の中に彼女の気配はなかった。一番いそうなリビングに顔を出しても、姿どころか音一つない。
と、腕時計型携帯端末がメッセージを受信。展開すると、リムからだ。『先行くから。朝食はリビング』とだけ書かれている。普段の彼女ならメッセージでもいつもの手下口調なのだが、今回はそれすらなかった。
だけならまだしも、その作ってあった朝食のエッグトーストには、ちぎったハムで『バカ』と書いており――
「……不機嫌、絶好調だな。あんにゃろう」
かわいいイタズラではある。しかもこれだけしっかり自分は怒ってるんだと主張しておきながら、なんだかんだで朝食をしっかり作ってくれているあたりが苦笑を誘う。
とはいえ、とムジカはそこで小さく嘆息した。
これで、リムの不機嫌が始まってそろそろ五日になる。これまで空で過ごしてきた三年間を思い返しても、これほどの不機嫌は数えるほどしかないはずだった。
(まあ、そんだけ嫌だったってことなんだろうが……)
ラウル傭兵団にとっての禁忌の一つだ――過去を思い返すこと。そして捨てたものにすがること。
故郷を捨てて旅立ったあの日、それは暗黙の了解となった。
あのノブリス――リム曰く“クイックステップ”は、その禁忌を真っ向から犯すものだ。
今から三年前のあの日、クリムヒルトを賭けた決闘に使われた――本来なら“亡霊”の名を冠したノブリス。
彼女が怒るのも無理はない。過去など忘れてしまえと。もう悩まなくていいと願うリムの想いを、完全に無碍にしているのだから。
あるいは単に、リムは不器用なムジカの割り切れなさを憤っているだけなのかもしれないが。
「……今となっちゃあ、どうだっていいことだと思ってるんだがなあ」
もう過ぎ去った過去のことだ。ムジカにこだわりなんてない。ただまた前回のように大規模なメタルの襲撃が起きた時、あったほうがいいから作ろうと思っただけだ。
過去にこだわっているわけではないと、このどうでもよさの伝え方が難しい。気を使ってるとも、我慢しているとも思われたくなかった。だが言葉を尽くせば余計に勘違いさせるだろうし、何も言わなければリムが気負う。
小さくため息をつくと、トーストをかじりながら胸中でうめいた。
(どうやってご機嫌取ったもんかな……あー、最近のリムは全然わからん……こういう時こそ肉親の出番ってもんじゃねえか? 父親なんだから、今こそ親としての威厳かなんかを発揮してもバチは当たらんと思うんだが……)
ここにいない――どころか最近は夕飯時くらいにしか見ていないラウルに八つ当たりしながら、もそもそと朝食を食べる。
と、噂をすれば影とでもいうのか。ちょうどそんな時だった。
「……あん?」
携帯端末が唐突に鳴動。通話要請だ。このタイミングならリムかとも思ったが、違う。
要請を受理して通話を機動すると、前置き抜きに端末の先の大男に告げた。
「ラウルか? どうした、なんか用か?」
『まあな。大したことじゃないんだが……リムは今どうしてる?』
「あいつ? たぶん、俺が寝てる間に学校行ったよ。今頃研究室にでも顔出してんじゃねえかな?」
『なんだ? あいつまだ怒ってるのか? そろそろ飽きたぞ、あいつの不機嫌芸。そのくせ夕飯はお前の好物作ってご機嫌窺ったりしてるし。ケンカしたふりして乳繰り合うのが最近の流行か?』
「違え。違えし乳繰り合ってもいねえよ。あとそれ、本人に言うなよ。デリカシーがどうのって絶対怒られるぞ」
『言うわけないだろ。俺は大人だぞ? 言っていいことと悪いことの区別くらいつく』
本当か? と思わずムジカは端末を睨んだ。ムジカもデリカシーがどうのとリムによく怒られるが、ラウルだって怒鳴られた数では負けていない――まあつまりは、どっちもダメ人間ということなのだろうが。
と、白い目で端末を見つめた先、大男が言ってきたのは、どこかデジャヴを感じさせるこれだった。
『まあいっか。あいついないならまあ都合がいいっちゃいい――ちょっと俺の仕事手伝え。エアフロント集合な……あ。あとリムに連絡、忘れるなよ』
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そんなこんなでさほど間を置かず、やってきた朝のエアフロントにて。
「……うっげえ」
「人の顔見て開口一番がそれというのは、いささか不躾が過ぎるのではないかね」
周辺空域警護隊の詰め所、そのロビーに顔を出したムジカを出迎えてくれたのは、会うのはまだ二度目だというのに苦手意識を感じる男の仏頂面だった。
名前は確か、ガディだったか。警護隊の副隊長だかなんだかで、アルマの<ダンゼル>をかっぱらっていった男でもある。第一印象はうんざりするほどの堅物で、かつ傭兵嫌いのノーブル。そんな程度のものだが。
ひとまずガディから目を離すと、ムジカはその隣に突っ立っていたラウルに目を向けた。ガディがラウルと一緒にいるということは、おそらく呼び出した用件が警護隊絡みということなのだろう。
案の定、ラウルはこう言ってきた。
「悪いな。警護隊の定期巡回、メンバーに欠員が出ちまってな。お前、今日暇だろ? バイト代出してやるからちと手伝え」
そしてそれに相槌でも打つように、ガディが口を開く。
「ノーブルの仕事を傭兵に任せるのは業腹だが、背に腹は代えられん。実力はある程度把握しているし、ラウル講師の推薦とあらば否やもない。受けてくれると助かる」
「……それはまあ、別に構わんけど」
そっぽを向いて視線を合わせず、だが存外素直に言ってくる彼に、ムジカはきょとんとまばたきした。
この前の様子からして、傭兵と関わることなど死ぬほど嫌なのかと思ったのだが。仕事と心情を分ける程度の分別はあるということなのか、はたまた別の何かがあるのか。
まあその辺は別に深入りしたいことでもない。それよりも、とムジカはふと気になったことを聞いた。
「警護隊から欠員って、なんかあったのか?」
「……心的外傷だ」
「心的外傷?」
と、これまた素直にガディが言ってくる。
「先の襲撃事件で戦ったノーブルたち。彼らの中には負傷者も少なくなかった。死にかけた者だっている。メタルに恐れをなして、戦場から逃げ出した者も。そうした者たちの中から、心が折れた者が出た。簡単に言うならトラウマだ。ノブリスに乗れなくなった」
「……ああ、なるほど」
としか言いようがない。言われてまあ、なくもない話かとぼんやり思った。
そもそもこの問題は、ノーブルにはついて回る話ではあった。負傷や仲間の死がトラウマになって、ノブリスに乗れなくなった――戦場に出られなくなった者はザラにいる。死の恐怖は生半なものではないのだ。
刻まれた恐怖は、かつての戦士をたやすく腑抜けへと変える。だからこそ、戦場に在ることを責務とするノーブルは“貴族”として尊ばれてもいるのだが。
どちらかと言えば、それを思ったからだろう。ガディが仏頂面にわずかな険を込めて囁く。
「惰弱だ。ノーブルに敗北など許されん。ましてや、精神的な敗北など……真に負け死ぬよりも悪い」
「……それについちゃ、別に俺は何も言わんが……」
と、不意に話が繋がったのを感じて、思わず呟いた。
「一年坊を警護隊に参加させるのって、もしかしてそれが理由か?」
「……どこでその話を聞いた?」
「戦闘科一年の、セシリア・フラウ・マグノリアから。お前も誘われてるかって訊かれたから否定したら、ならチーム組めって誘われてる」
「…………」
その時のガディの顔は、なんと形容すべきかよくわからない表情を浮かべていた。
眉間にしわを寄せ、頭痛を堪えるように額に人差し指を当て、深々と息を吐く。と言ってため息のように短くではなく、それこそ急な頭痛でも堪えるように長く息をついた。
そしてぽつりと、言ってくる。
「ことごとく、うまくいかんな……」
いや、独り言だったらしい。ただその内容からすると、ムジカが警護隊に参加するのは都合が悪いと言っているようだが。
それを説明する気はないらしい。ガディはゆるゆると首を振ると、すぐに話を戻した――警護隊の参加うんぬんよりもさらに前へ。
「お前には今日、私とペアを組んで周辺空域の巡回を行ってもらう。シフトは1シフトだけでいい。だいたい三時間ほどだ。決められたルートに従って空を哨戒し、メタルや空賊を発見した場合、可能なら撃破。不可能ならば増援を要請して待機、合流後に撃滅を行う。要点はそれだけだ……何か質問は?」
「内容は単純だから特にないけど……あんたとペア?」
言いながら、ムジカはラウルを見やった。
今の言い方だと、巡回に出るのはガディとムジカの二人だけだ。ではこの大男は何のためにここにいるのか――と怪しむ目を向けると、ラウルは大げさに肩をすくめてみせる。
「言ったろ、欠員出てるって。隊員のシフト組み替えて対応するつもりだが、急だったもんで今日だけは人手不足でな。俺は他のガキどものフォローしながら、別エリアの巡回しなきゃならん。手薄なところは信頼できるやつに任せようと思ってな」
「だからって、たった二人で巡回してこいって? ホントにメタルの大群にぶち当たったらどうすんだ?」
「大丈夫だろ、たぶん。学園都市ならメタルとの遭遇なんて早々ないし。何より、俺の勘が問題ないって言ってる」
「……ホントに大丈夫なのか? それ」
「大丈夫だって。安心しろ――俺は生まれてこの方、二回しか勘を外したことはない」
「……カケラも大丈夫な気がしないんだけど?」
つまり、二回は外してるわけだ。母数がいくらなのかは知らないが。
「それにな、ムジカ。こうも言うだろう――“最も困難な環境が、最も戦士を強くする”ってな」
「それを今言うのは不吉が過ぎるだろ。困難に遭遇しろって言ってるようなもんだろ? というか、どこの格言だそれ。聞いたことねえぞ」
にやにや笑う大男を半眼で睨むが、大男はいつものように取り合わない。にやりと笑ってこちらの苛立ちをいなすだけだ。
と。
「……スバルトアルヴの言葉だ」
「…………」
まさかの発言に、思わずムジカはガディを白い目で見やった。
さすがに思うところがあったのだろう。仏頂面の鉄面皮をさっと逸らして、彼は気まずそうに言う。
「……確か、若い格言だ。意味もそのままで、含蓄もない。若造に苦労を強いるために使われる程度の、大した意味のない言葉だったはずだ」
「だってぞおっさん」
「はっはっは。我おっさんなり。年寄りをもっと崇めて素直に言うことを聞け若造」
「…………」
完全に開き直ったおっさん相手に、ムジカは全力で冷ややかな視線を送るが。案の定というべきか、ラウルは大笑するだけでろくに取り合わなかった。
一通り笑い終えると、笑みを穏やかなものに変えて、
「ま、今回は大丈夫だ。ガディ君もいるのだし。大抵の荒事ならどうとでもなるだろうさ」
「……意外に信頼厚いな?」
これはラウルにではなく、ガディに言った。ラウルがこう言ったからには、ノブリス乗りとしてのガディはそこそこやるのだろうが。
流石に呆れるものを感じて、ムジカはガディに訊いた。
「あんたはいいのかよ。運が悪けりゃ援護もない中、二人でメタルの大群相手にすることになるぞ?」
確かにセイリオスは学園都市ということもあり、メタルの襲撃頻度は極端に低いようだが。それは必ずしもゼロであることを意味しないし、直近で大規模な襲撃を受けた実績もある。あんなことが二度あるとはさすがに思わないが、多少は尻込みしてもいい状況だ。
が、ガディはにべもない。相変わらずの無表情で、だが力強く言い切るだけだ。
「望むところだ。それこそが平時の我々の任務であり、そして我々は――私は、ノーブルだ。責務を前に逃げたりはしない」
「……そーかい」
としか言いようがない。ムジカは小さくため息をついた。今回の相方は、どうやら極端なまでに生真面目らしい。ここまでの難物だともはや何も言う気にならない。
結局それから二、三ほどラウルに文句を言い置いて。
ムジカは警護隊から予備機の<ナイト>を借り受けると、セイリオスの空に飛び立った。
「――……ん、うう……なん、だ、この音……?」
朝の目覚めを意識させたのは、いつもの間延びしたリムの声――ではなく、まったく聞き慣れない無機質なベルの音だった。
いつもより憮然とした表情で顔を上げれば、自室の入り口に見覚えのない時計が全力で騒音を上げている。時刻はリムがいつも起こす時間より、少し遅い程度。もそもそと這うようにしてベッドを抜け出すと、ムジカはリムと違って欠片も容赦なくうるさい時計をうんざりと止めた。
目覚めの気分は最悪だ。起き方が悪かったせいか、頭痛までする。ここまで悪い寝覚めというものそうはない――少なくとも、セイリオスに来てからのワーストはこれで更新だ。
当たり前のことではあるが、この目覚まし時計はムジカのものではなかった。普段リムが使っているものだ。空の旅をして半年くらいだったか、その頃になんとなく買ってやったものだ。
それがこんなところにあるということは、間違いなくリムが仕掛けていったからで――
「……あんにゃろ、怒ってるからってこういうことするか……?」
顔をしかめながら部屋を出る。探したのは当然リムの姿だが、家の中に彼女の気配はなかった。一番いそうなリビングに顔を出しても、姿どころか音一つない。
と、腕時計型携帯端末がメッセージを受信。展開すると、リムからだ。『先行くから。朝食はリビング』とだけ書かれている。普段の彼女ならメッセージでもいつもの手下口調なのだが、今回はそれすらなかった。
だけならまだしも、その作ってあった朝食のエッグトーストには、ちぎったハムで『バカ』と書いており――
「……不機嫌、絶好調だな。あんにゃろう」
かわいいイタズラではある。しかもこれだけしっかり自分は怒ってるんだと主張しておきながら、なんだかんだで朝食をしっかり作ってくれているあたりが苦笑を誘う。
とはいえ、とムジカはそこで小さく嘆息した。
これで、リムの不機嫌が始まってそろそろ五日になる。これまで空で過ごしてきた三年間を思い返しても、これほどの不機嫌は数えるほどしかないはずだった。
(まあ、そんだけ嫌だったってことなんだろうが……)
ラウル傭兵団にとっての禁忌の一つだ――過去を思い返すこと。そして捨てたものにすがること。
故郷を捨てて旅立ったあの日、それは暗黙の了解となった。
あのノブリス――リム曰く“クイックステップ”は、その禁忌を真っ向から犯すものだ。
今から三年前のあの日、クリムヒルトを賭けた決闘に使われた――本来なら“亡霊”の名を冠したノブリス。
彼女が怒るのも無理はない。過去など忘れてしまえと。もう悩まなくていいと願うリムの想いを、完全に無碍にしているのだから。
あるいは単に、リムは不器用なムジカの割り切れなさを憤っているだけなのかもしれないが。
「……今となっちゃあ、どうだっていいことだと思ってるんだがなあ」
もう過ぎ去った過去のことだ。ムジカにこだわりなんてない。ただまた前回のように大規模なメタルの襲撃が起きた時、あったほうがいいから作ろうと思っただけだ。
過去にこだわっているわけではないと、このどうでもよさの伝え方が難しい。気を使ってるとも、我慢しているとも思われたくなかった。だが言葉を尽くせば余計に勘違いさせるだろうし、何も言わなければリムが気負う。
小さくため息をつくと、トーストをかじりながら胸中でうめいた。
(どうやってご機嫌取ったもんかな……あー、最近のリムは全然わからん……こういう時こそ肉親の出番ってもんじゃねえか? 父親なんだから、今こそ親としての威厳かなんかを発揮してもバチは当たらんと思うんだが……)
ここにいない――どころか最近は夕飯時くらいにしか見ていないラウルに八つ当たりしながら、もそもそと朝食を食べる。
と、噂をすれば影とでもいうのか。ちょうどそんな時だった。
「……あん?」
携帯端末が唐突に鳴動。通話要請だ。このタイミングならリムかとも思ったが、違う。
要請を受理して通話を機動すると、前置き抜きに端末の先の大男に告げた。
「ラウルか? どうした、なんか用か?」
『まあな。大したことじゃないんだが……リムは今どうしてる?』
「あいつ? たぶん、俺が寝てる間に学校行ったよ。今頃研究室にでも顔出してんじゃねえかな?」
『なんだ? あいつまだ怒ってるのか? そろそろ飽きたぞ、あいつの不機嫌芸。そのくせ夕飯はお前の好物作ってご機嫌窺ったりしてるし。ケンカしたふりして乳繰り合うのが最近の流行か?』
「違え。違えし乳繰り合ってもいねえよ。あとそれ、本人に言うなよ。デリカシーがどうのって絶対怒られるぞ」
『言うわけないだろ。俺は大人だぞ? 言っていいことと悪いことの区別くらいつく』
本当か? と思わずムジカは端末を睨んだ。ムジカもデリカシーがどうのとリムによく怒られるが、ラウルだって怒鳴られた数では負けていない――まあつまりは、どっちもダメ人間ということなのだろうが。
と、白い目で端末を見つめた先、大男が言ってきたのは、どこかデジャヴを感じさせるこれだった。
『まあいっか。あいついないならまあ都合がいいっちゃいい――ちょっと俺の仕事手伝え。エアフロント集合な……あ。あとリムに連絡、忘れるなよ』
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そんなこんなでさほど間を置かず、やってきた朝のエアフロントにて。
「……うっげえ」
「人の顔見て開口一番がそれというのは、いささか不躾が過ぎるのではないかね」
周辺空域警護隊の詰め所、そのロビーに顔を出したムジカを出迎えてくれたのは、会うのはまだ二度目だというのに苦手意識を感じる男の仏頂面だった。
名前は確か、ガディだったか。警護隊の副隊長だかなんだかで、アルマの<ダンゼル>をかっぱらっていった男でもある。第一印象はうんざりするほどの堅物で、かつ傭兵嫌いのノーブル。そんな程度のものだが。
ひとまずガディから目を離すと、ムジカはその隣に突っ立っていたラウルに目を向けた。ガディがラウルと一緒にいるということは、おそらく呼び出した用件が警護隊絡みということなのだろう。
案の定、ラウルはこう言ってきた。
「悪いな。警護隊の定期巡回、メンバーに欠員が出ちまってな。お前、今日暇だろ? バイト代出してやるからちと手伝え」
そしてそれに相槌でも打つように、ガディが口を開く。
「ノーブルの仕事を傭兵に任せるのは業腹だが、背に腹は代えられん。実力はある程度把握しているし、ラウル講師の推薦とあらば否やもない。受けてくれると助かる」
「……それはまあ、別に構わんけど」
そっぽを向いて視線を合わせず、だが存外素直に言ってくる彼に、ムジカはきょとんとまばたきした。
この前の様子からして、傭兵と関わることなど死ぬほど嫌なのかと思ったのだが。仕事と心情を分ける程度の分別はあるということなのか、はたまた別の何かがあるのか。
まあその辺は別に深入りしたいことでもない。それよりも、とムジカはふと気になったことを聞いた。
「警護隊から欠員って、なんかあったのか?」
「……心的外傷だ」
「心的外傷?」
と、これまた素直にガディが言ってくる。
「先の襲撃事件で戦ったノーブルたち。彼らの中には負傷者も少なくなかった。死にかけた者だっている。メタルに恐れをなして、戦場から逃げ出した者も。そうした者たちの中から、心が折れた者が出た。簡単に言うならトラウマだ。ノブリスに乗れなくなった」
「……ああ、なるほど」
としか言いようがない。言われてまあ、なくもない話かとぼんやり思った。
そもそもこの問題は、ノーブルにはついて回る話ではあった。負傷や仲間の死がトラウマになって、ノブリスに乗れなくなった――戦場に出られなくなった者はザラにいる。死の恐怖は生半なものではないのだ。
刻まれた恐怖は、かつての戦士をたやすく腑抜けへと変える。だからこそ、戦場に在ることを責務とするノーブルは“貴族”として尊ばれてもいるのだが。
どちらかと言えば、それを思ったからだろう。ガディが仏頂面にわずかな険を込めて囁く。
「惰弱だ。ノーブルに敗北など許されん。ましてや、精神的な敗北など……真に負け死ぬよりも悪い」
「……それについちゃ、別に俺は何も言わんが……」
と、不意に話が繋がったのを感じて、思わず呟いた。
「一年坊を警護隊に参加させるのって、もしかしてそれが理由か?」
「……どこでその話を聞いた?」
「戦闘科一年の、セシリア・フラウ・マグノリアから。お前も誘われてるかって訊かれたから否定したら、ならチーム組めって誘われてる」
「…………」
その時のガディの顔は、なんと形容すべきかよくわからない表情を浮かべていた。
眉間にしわを寄せ、頭痛を堪えるように額に人差し指を当て、深々と息を吐く。と言ってため息のように短くではなく、それこそ急な頭痛でも堪えるように長く息をついた。
そしてぽつりと、言ってくる。
「ことごとく、うまくいかんな……」
いや、独り言だったらしい。ただその内容からすると、ムジカが警護隊に参加するのは都合が悪いと言っているようだが。
それを説明する気はないらしい。ガディはゆるゆると首を振ると、すぐに話を戻した――警護隊の参加うんぬんよりもさらに前へ。
「お前には今日、私とペアを組んで周辺空域の巡回を行ってもらう。シフトは1シフトだけでいい。だいたい三時間ほどだ。決められたルートに従って空を哨戒し、メタルや空賊を発見した場合、可能なら撃破。不可能ならば増援を要請して待機、合流後に撃滅を行う。要点はそれだけだ……何か質問は?」
「内容は単純だから特にないけど……あんたとペア?」
言いながら、ムジカはラウルを見やった。
今の言い方だと、巡回に出るのはガディとムジカの二人だけだ。ではこの大男は何のためにここにいるのか――と怪しむ目を向けると、ラウルは大げさに肩をすくめてみせる。
「言ったろ、欠員出てるって。隊員のシフト組み替えて対応するつもりだが、急だったもんで今日だけは人手不足でな。俺は他のガキどものフォローしながら、別エリアの巡回しなきゃならん。手薄なところは信頼できるやつに任せようと思ってな」
「だからって、たった二人で巡回してこいって? ホントにメタルの大群にぶち当たったらどうすんだ?」
「大丈夫だろ、たぶん。学園都市ならメタルとの遭遇なんて早々ないし。何より、俺の勘が問題ないって言ってる」
「……ホントに大丈夫なのか? それ」
「大丈夫だって。安心しろ――俺は生まれてこの方、二回しか勘を外したことはない」
「……カケラも大丈夫な気がしないんだけど?」
つまり、二回は外してるわけだ。母数がいくらなのかは知らないが。
「それにな、ムジカ。こうも言うだろう――“最も困難な環境が、最も戦士を強くする”ってな」
「それを今言うのは不吉が過ぎるだろ。困難に遭遇しろって言ってるようなもんだろ? というか、どこの格言だそれ。聞いたことねえぞ」
にやにや笑う大男を半眼で睨むが、大男はいつものように取り合わない。にやりと笑ってこちらの苛立ちをいなすだけだ。
と。
「……スバルトアルヴの言葉だ」
「…………」
まさかの発言に、思わずムジカはガディを白い目で見やった。
さすがに思うところがあったのだろう。仏頂面の鉄面皮をさっと逸らして、彼は気まずそうに言う。
「……確か、若い格言だ。意味もそのままで、含蓄もない。若造に苦労を強いるために使われる程度の、大した意味のない言葉だったはずだ」
「だってぞおっさん」
「はっはっは。我おっさんなり。年寄りをもっと崇めて素直に言うことを聞け若造」
「…………」
完全に開き直ったおっさん相手に、ムジカは全力で冷ややかな視線を送るが。案の定というべきか、ラウルは大笑するだけでろくに取り合わなかった。
一通り笑い終えると、笑みを穏やかなものに変えて、
「ま、今回は大丈夫だ。ガディ君もいるのだし。大抵の荒事ならどうとでもなるだろうさ」
「……意外に信頼厚いな?」
これはラウルにではなく、ガディに言った。ラウルがこう言ったからには、ノブリス乗りとしてのガディはそこそこやるのだろうが。
流石に呆れるものを感じて、ムジカはガディに訊いた。
「あんたはいいのかよ。運が悪けりゃ援護もない中、二人でメタルの大群相手にすることになるぞ?」
確かにセイリオスは学園都市ということもあり、メタルの襲撃頻度は極端に低いようだが。それは必ずしもゼロであることを意味しないし、直近で大規模な襲撃を受けた実績もある。あんなことが二度あるとはさすがに思わないが、多少は尻込みしてもいい状況だ。
が、ガディはにべもない。相変わらずの無表情で、だが力強く言い切るだけだ。
「望むところだ。それこそが平時の我々の任務であり、そして我々は――私は、ノーブルだ。責務を前に逃げたりはしない」
「……そーかい」
としか言いようがない。ムジカは小さくため息をついた。今回の相方は、どうやら極端なまでに生真面目らしい。ここまでの難物だともはや何も言う気にならない。
結局それから二、三ほどラウルに文句を言い置いて。
ムジカは警護隊から予備機の<ナイト>を借り受けると、セイリオスの空に飛び立った。
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なんでよりによってこんな悪役に転生してしまったんだ。最初はそう落ち込んだが、よく考えれば若いチートボディを手に入れて学生時代をやり直せる。
身体の持ち主が悪人なら意識を乗っ取ったことに心を痛める必要はない。俺がヒロインを寝取りさえしなければ、主人公は精神崩壊することなくハッピーエンドを迎えるだろう。
一時の快楽に身を委ねて他人の人生を狂わせるだなんて、そんな責任を負いたくはない。ここが現実である以上、NTRする気にはなれなかった。メインヒロインとは適切な距離を保っていこう。俺自身がお天道様の下で青春を送るために、そう固く決意した。
……なのになぜ、俺はヒロインに誘惑されているんだ?
※他サイトでも掲載しています。
※表紙や作中イラストは、AIイラストレーターのおしつじさん(https://twitter.com/your_shitsuji)に外注契約を通して作成していただきました。おしつじさんのAIイラストはすべて商用利用が認められたものを使用しており、また「小説活動に関する利用許諾」を許可していただいています。
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