上 下
5 / 27
1章

1-4 人をこんな目に合わせておいて

しおりを挟む
 休み明け、月曜日の朝。
 いつもの時間、いつものアラームに起こされて、ヤナギはもそもそとベッドから這い出た。時刻は八時二十分。半年間の通学で見切った、ホームルームに間に合うギリギリの時間である。
 朝食は時間がもったいないからほとんど取らない。パンにバター塗ってかじる暇があるなら寝てたほうがマシというのがヤナギの考えだ。冷蔵庫にゼリー飲料があれば、それが朝食になる時もある。
 だが今日、冷蔵庫の中身はすっからかんだった。

(不健康な生活してんなあ……)

 とは自覚するものの、直そうという気にはどうもなれない。眠気と気だるさを堪えて、ヤナギは準備を済ませると外に出た。
 生憎と天気は曇天――それも、雲の色は真っ黒。まだ雨は降っていないが雲は厚く、もはや秒読みといった様相。
 雨に濡れての登校など面白いものではなく、カッパを着るのも煩わしい。だからヤナギは急いで――
 と、駐輪場の前ではたと気づいた。

「……そうだった。自転車ねえんだった」

 休み前に、怪我したアマツマに貸したままだ。アマツマが今日の通学に使って、放課後回収する予定だったことを完全に忘れていた。
 時刻を確かめる。自転車なら間に合うが、歩きでは絶対に間に合わない。
 面倒なのは、担任の先生が生徒の遅刻をカウントしていることだ。遅刻した生徒は罰として、カウントの分だけ学期末清掃に付き合わされる。既に一学期で体験した苦行だ。
 それだけに絶対に遅刻は避けたいが……走っても間に合う時間ではない。
 ので、早々に割り切った。

「……どーせなら休んじまうか」

 とっとと諦めると、ヤナギはSNSアプリを起動した。担任に『風邪引いたから休みます』と一報を入れる。もちろん嘘だ。単なるズル休みだが、テストが近いせいで今日の授業は半分近くが自習になっていたはずだ。休んだところで影響は少ない。
 気になるのは、アマツマに貸した自転車のことだが。

(……まあ、明日回収すりゃいいか。学校に置いといてくれるだろ)

 もしかしたら帰りにアパートまで持ってくるかもしれない――とも思ったが。まあそこまでする義理はアマツマにはないだろう。
 その程度に考えて、ヤナギは自分の部屋に戻った。
 担任の返事は『あいよー』だった。



 そのすぐ後に、雨は予想通りに降り出した。雨足は強く、ざあざあと降る雨の音が部屋の中に届いている。
 学校をズル休みしたヤナギが何をしていたかというと、マヌケなことに答えは勉強だった。
 休みなんだからわざわざ勉強しなくても……と自分自身思うのだが、どうもズル休みの罪悪感に負けた。同級生は今頃勉強してるんだよなあと思うと、負い目のようなものを感じて素直に遊べなかったのだ。
 だから授業の時間に合わせるように自習していたのだが。

(そろそろ……飽きてきたな)

 昼前ともなると、流石に集中力が切れてきた。教科書を睨む目よりも、遠くの雨音を聞く耳のほうに意識が行ってしまい、頭に何も入ってこない。
 諦めてシャーペンをノートの上に放り投げて、椅子の背もたれを軋ませた。
 と、放置していたスマホにタカトからのメッセージ。『ズル休みか?』という質問に、ヤナギは『正解』とだけ返した。

「飯でも作るか……」

 時計を見やれば11時。少々早いが、勉強に戻る気にもなれない。眉間を揉みながら立ち上がると、重たい足取りで部屋を出た。
 ヤナギの借りているアパートは2LDK。本当なら1K程度で十分だったのだが、親に勝手に決められた。あまり物欲があるわけでもなければ、友人が多いわけでもないヤナギにとって、この広さは正直余分だ。広いだけあって、掃除が面倒なのだ。
 だから広い部屋は嫌だった。
 だが今こうして一人でリビングに立っていると、別な理由で広い部屋を嫌いになる。
 感じるのは静かな虚無感だ。“ここにいるのは自分だけ”。それを痛感する。
 それは寂しさとは違う。ただ独りでいるという現実を突きつけられているだけだ。それは寂しさとは違う……

 思考を振り払うようにため息をつくと、ヤナギは冷蔵庫を開いた。朝確認したが、中身はほとんど空っぽだ。ゼリー飲料はもとより、ろくに食材が入っていない。
 元々この冷蔵庫に食材をぎっちり詰めることもないのだが。ヤナギなりに培った独り暮らしのコツだ――食材を買い過ぎるな。ろくなことにならない。

(帰りにスーパーに寄る予定だったんだっけか、そういえば)

 だが今日はズル休みだ。加えて言えば自転車もないし、この悪天候である。諦めると、ヤナギは冷凍庫を開いて冷凍うどんを取り出した。これもヤナギなりのコツだ――冷凍食品はストックしておくべし。空腹で泣きたくないのなら。
 レンチンした後水で締めて、かけうどんにしてリビングに持っていく。テレビをつけてチャンネルを回したが、面白い番組はやっていない。結局つまらないニュースを見ながらうどんをすすった。

(なんつーか……ひっでえ生活だよなあ……)

 学校をずるけて雑に作ったうどんをすすりながら、一人ぼっちで、つまらないテレビを退屈しながら見ている。遠くから聞こえる雨音とテレビの雑音が、殊更に自分が今独りであることを訴えてくる。
 普段は考えないようにしていたことが、一人の時だと頭によぎる。考えたのは将来の自分だ。中年になった時、自分はどんな生活をしているのか。
 仕事はしているだろう。だがそれ以外は? どんな仕事をしているかなんてどうでもいい。生きていくために働かなければならないのだから、何かをしているのだろう。それはいい。
 気になったのはそんなことではなく……例えば、そう、今日のように。仕事が休みになった時、自分はどんな生活をしているかだ。
 想像は簡単に出来た。つまり、今と変わらない、だ。
 一人で時間を潰している。退屈そうにしながら、その退屈を空気のように受け入れて。十年後、二十年後、三十年後。きっと変わらない。そこにいるのは自分だけなのだから。
 きっと、今日と変わらない。ずっと一人で、ぼんやりと――……

(哲学者ごっこのつもりか? バカバカしい……気分が滅入ってる? 雨のせいか?)

 自嘲すると、テーブルの上に空っぽのどんぶりを放った。暗くよどんだ思考にうんざりとするが、それが自分だ。どんぶりのようには手放せない。
 ならばせめて、意識だけでも捨ててしまうか――そんな益体のないことを考えながら、ヤナギはソファに寝転んだ。そこまで強い眠気を感じていたわけでもないが、不思議と疲れてはいた。テレビを消すのも億劫だった。
 一時間ほどの仮眠のつもりで目を閉じて。そのまま意識を手放した。

 それからどれほどの時間が経ったのか。
 暗闇から浮上するように、意識が目覚めた。夢は見なかった、と、思う。だから自分がどれだけ寝ていたのかもわからない。
 ただ覚醒を意識させたのはそれらではなく。
 ――頬をひたと、何かが触れた。
 ひんやりと冷たく、しめった――だけど、柔らかい何か。小さくはない。頬を包み込むように触れている――得体のしれない何か。

(……なんだ、これ?)

 本気でわからず、その冷たさに起こされるようにヤナギは目を開いた――

「……はっ?」

 そしてそのまま、絶句した。

「――人をこんな目に合わせておいて、随分と快適そうじゃないか……ねえ、バンビーノ?」

 水に濡れた美しい“王子様”が、覗き込むようにしてこちらを見ていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

おっぱい揉む?と聞かれたので揉んでみたらよくわからない関係になりました

星宮 嶺
青春
週間、24hジャンル別ランキング最高1位! ボカロカップ9位ありがとうございました! 高校2年生の太郎の青春が、突然加速する! 片想いの美咲、仲の良い女友達の花子、そして謎めいた生徒会長・東雲。 3人の魅力的な女の子たちに囲まれ、太郎の心は翻弄される! 「おっぱい揉む?」という衝撃的な誘いから始まる、 ドキドキの学園生活。 果たして太郎は、運命の相手を見つけ出せるのか? 笑いあり?涙あり?胸キュン必至?の青春ラブコメ、開幕!

彼女に振られた俺の転生先が高校生だった。それはいいけどなんで元カノ達まで居るんだろう。

遊。
青春
主人公、三澄悠太35才。 彼女にフラれ、現実にうんざりしていた彼は、事故にあって転生。 ……した先はまるで俺がこうだったら良かったと思っていた世界を絵に書いたような学生時代。 でも何故か俺をフッた筈の元カノ達も居て!? もう恋愛したくないリベンジ主人公❌そんな主人公がどこか気になる元カノ、他多数のドタバタラブコメディー! ちょっとずつちょっとずつの更新になります!(主に土日。) 略称はフラれろう(色とりどりのラブコメに精一杯の呪いを添えて、、笑)

異世界に転移した僕、外れスキルだと思っていた【互換】と【HP100】の組み合わせで最強になる

名無し
ファンタジー
突如、異世界へと召喚された来栖海翔。自分以外にも転移してきた者たちが数百人おり、神父と召喚士から並ぶように指示されてスキルを付与されるが、それはいずれもパッとしなさそうな【互換】と【HP100】という二つのスキルだった。召喚士から外れ認定され、当たりスキル持ちの右列ではなく、外れスキル持ちの左列のほうに並ばされる来栖。だが、それらは組み合わせることによって最強のスキルとなるものであり、来栖は何もない状態から見る見る成り上がっていくことになる。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

S級クラフトスキルを盗られた上にパーティから追放されたけど、実はスキルがなくても生産力最強なので追放仲間の美少女たちと工房やります

内田ヨシキ
ファンタジー
[第5回ドラゴンノベルス小説コンテスト 最終選考作品] 冒険者シオンは、なんでも作れる【クラフト】スキルを奪われた上に、S級パーティから追放された。しかしシオンには【クラフト】のために培った知識や技術がまだ残されていた! 物作りを通して、新たな仲間を得た彼は、世界初の技術の開発へ着手していく。 職人ギルドから追放された美少女ソフィア。 逃亡中の魔法使いノエル。 騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。 彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。 カクヨムにて完結済み。 ( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )

恐喝されている女の子を助けたら学校で有名な学園三大姫の一人でした

恋狸
青春
 特殊な家系にある俺、こと狭山渚《さやまなぎさ》はある日、黒服の男に恐喝されていた白海花《しらみはな》を助ける。 しかし、白海は学園三大姫と呼ばれる有名美少女だった!?  さらには他の学園三大姫とも仲良くなり……?  主人公とヒロイン達が織り成すラブコメディ!  小説家になろう、カクヨムでも投稿しています。  カクヨムにて、月間3位

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について

おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。 なんと、彼女は学園のマドンナだった……! こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。 彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。 そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。 そして助けられた少女もまた……。 二人の青春、そして成長物語をご覧ください。 ※中盤から甘々にご注意を。 ※性描写ありは保険です。 他サイトにも掲載しております。

処理中です...