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1章
1-1 俺には関係ねえことだし
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「――ねえテンマくん。今、時間ある?」
「……?」
どこか甘ったるさを含んだ声に、きょとんとヤナギはそちらを見やった。
授業も終わり、昼休憩を迎えた直後の教室。視線の先では他クラスの女の子が、どこかへ行こうとしていた“学園の王子様”に声をかけていた。
少しウェーブがかった猫っ毛のショートヘアー。綺麗なアーモンド形の瞳にスッとした鼻梁。形のいい小ぶりな唇に、血色のいい綺麗な肌――整った顔立ちに、スラっとスレンダーに伸びる体型。アマツマ テンマの特徴を羅列するとこうなる。つまり、美形だ。
初めてアマツマを見た時――そしてアマツマが“王子様”などと呼ばれていると知った時、なるほどと感心したほどだ。そう呼ばれても名前負けしないほど無駄に顔が整っている。見目麗しいとはこのことかと感心したほどだ。
その王子様だが。
名を呼ばれて一瞬きょとんとした後、声をかけてきた少女に微笑みを返す。
「君は……タカクラさん? 何か用かな?」
「あ、うん。お昼ご飯、一緒にどうかなって思ったんだけど……だめ、かな?」
瞬間。
ピリッと教室が微妙な緊張感を孕んだのを、ヤナギは他人事のように感じていた。
ちらと室内を見やれば、アマツマたちを気にするように見ている影がちらほらとある。友達と話しながら、お弁当を食べながら、あるいは何もせずじっと――と違いはあるが。男子女子の区別なく数人ほどがアマツマを気にしていた。
視線をアマツマのほうに戻すと、アマツマは申し訳なさそうにこう言っていた。
「お昼ご飯か……ごめんね。誘ってくれたのは嬉しいんだけど、この後用事があって」
「用事?」
「うん。ちょっと、外せない用事――だからまた今度、ご一緒させてもらえたら嬉しいな」
そう笑うと、アマツマは撫でるように彼女の頬に触れた。
たったそれだけのことだが、少女が「あっ」と吐息を漏らす。
そんな様子にクスと笑うと、アマツマは彼女の耳元で何事か囁いて、そのまま駆け出していった。用事というのは本当なのだろう。
残された少女は、しばしほぅっと呆けた後、「あー、ダメだったー」と嘆く。教室の外に友人がいたらしい。その子らと談笑しながら去っていく。
それをぼんやり見ていると、どこか羨むような声。
「相変わらず人気だなー、王子様は」
視線を戻せばヤナギの机の上に、悪友タカトが所狭しと弁当箱を並べていた。
勝手に人の机に並べやがって、と思わないでもないが。ヤナギは机の横にかけてあるビニール袋から、おにぎりを取り出しつつ呻いた。
「なんていうか、半年も経つと見慣れたな。というか、毎日飽きないもんかね?」
「飽きないんだろ、昔からあんなんだったし。要はアイドル遊びみたいなもんなんだろ」
「アイドル遊び?」
「きゃーかっこいいテンマくーん! ってさ。はしゃいでる側は楽しいらしいよ。要は疑似恋愛みたいなもんさ」
わかるようなわからないようなことを、タカトは苦笑交じりに言う。彼はアマツマと同じ中学だったそうで、あんな光景は慣れっこなのだろう。
ようやく慣れてきたヤナギとしては、首を傾げるしかない光景なのだが。
首を傾げていると、タカトはこちらの不理解を察して、
「ごっこ遊びだよ、ごっこ遊び。アマツマもノリがいいっていうか、ファンサ精神がご立派というかだからな。甘い言葉を囁きゃ女子も喜ぶってわかってやってんのさ。で、女子も美形に口説かれたら嬉しいだろ? そういう遊びなんだよアレ」
「……ふうん?」
「お前、こういう話は本当に興味ねえな」
興味がないわけではないが、確かにそこまで関心はない。変な遊びをしているなあという以上の感想はなかった。
疑似恋愛。人を好きになるということ。アイドルに憧れるということ。同級生をアイドル視すること。どれをとってもヤナギには理解できそうにない。
だから肩をすくめることを返答とすると、呆れたようにタカトはため息をついてみせた。
そうしてもそもそと茶色い弁当をつつき始めるのを尻目に、ふと教室の入り口を見やる。既にそこには誰もいないが。
(アマツマがアイドル、ね……)
まあ確かに、と思わないでもない。少なくとも、アマツマの周囲はアマツマをそんな風に扱っている節がある。
だが高校に入学してから半年経ったこれまで、ヤナギにとってアマツマは“アイドル”や“王子様”ではなく、“変な同級生”だった。
――なにしろ、アマツマは女子なのだ。
女顔の(女子にふさわしい言葉ではないが)甘い顔立ちに、耳をくすぐるハスキーボイス。そんじょそこらの男顔負けの高身長に、人助けや面倒事を率先して行う優しい性格。ルックスも性格も非の打ちどころのない王子様――ついでに言えば合気道だかの有段者らしく、文武両道。勉強の成績もよく、頭の回転も速い。
完全無欠のパーフェクトヒューマン。それが傍から見たアマツマだ。
だからこそ、ヤナギは彼女を変な同級生だなと思って見ている。そこら辺の男子より紳士的で、誰に対しても親身で気さくで、ついでに言うと女の子をよく口説いている。望んでというよりは望まれてやっている様子だが、それが周囲にとっての“王子様”っぽいスキンシップなのだろう。
(本人は楽しんでやってるのかね、アレ)
そんなことがふと気になった。どうでもいい疑問ではあるのだが。
と、お調子者の友人が、ふと思いついたようにこんなことを言ってくる。
「そーいやアマツマ、女の子口説くわりに彼女の噂は聞かないよな」
「内緒にしてるだけじゃねえの?」
高校というお年頃が集まる環境ともなれば、恋愛話は日常の華だ。誰が誰と付き合った、誰々が誰々にこっぴどく振られた、誰かが誰かと二股してる――そんなゴシップがありふれている。
だが確かに、あれだけ派手に遊んで? おきながら、アマツマが誰かと付き合っているという話は一度も聞いたことがなかった。
「まあ、だから“王子様”でいられるのかもしれんけど……にしても恋人、“彼氏”じゃなくて“彼女”でいいのか?」
「いーんだよ、あんだけ女の子に愛想振りまいてんだから。男嫌いってわけじゃないだろうけど、男子への愛想は女子と比べたらそこそこだろ? もしこれで男と付き合ってるなんて言ってみろ、過激派が知ったら刺されるぞ?」
「アマツマが?」
「いや、男が」
「……逆恨みにしても刺され損じゃねーかなー」
「刺されても損じゃない状況があるみたいな言い方だなそれ」
どちらにしても、と、タカトは深々とため息をついた。
「あいつがいる限り、うちの男子は死に体だよ。勉強も運動もなんでもできちまうもんだから、女の子の視線はぜーんぶあいつが持ってっちまうし」
「アマツマに黄色い声が飛ぶたびに男どもがピリッとしてんの、それが原因か。アレに勝てなきゃ恋愛できないってなると、まあ確かに悲惨か」
「……他人事だな?」
「俺には関係ねえことだし」
枯れてるねえ、などとタカトが呟くが、ヤナギは何の反応も返さなかった。
“変な同級生”に対しても、そもそも恋愛そのものに対しても興味はない。アマツマとはクラスメイト以上の接点はないし、だからどうでもいい。
今がそうなのだから、きっとこれからもそのままだろう。
――この時には、確かにそう思っていたのだ。
「……?」
どこか甘ったるさを含んだ声に、きょとんとヤナギはそちらを見やった。
授業も終わり、昼休憩を迎えた直後の教室。視線の先では他クラスの女の子が、どこかへ行こうとしていた“学園の王子様”に声をかけていた。
少しウェーブがかった猫っ毛のショートヘアー。綺麗なアーモンド形の瞳にスッとした鼻梁。形のいい小ぶりな唇に、血色のいい綺麗な肌――整った顔立ちに、スラっとスレンダーに伸びる体型。アマツマ テンマの特徴を羅列するとこうなる。つまり、美形だ。
初めてアマツマを見た時――そしてアマツマが“王子様”などと呼ばれていると知った時、なるほどと感心したほどだ。そう呼ばれても名前負けしないほど無駄に顔が整っている。見目麗しいとはこのことかと感心したほどだ。
その王子様だが。
名を呼ばれて一瞬きょとんとした後、声をかけてきた少女に微笑みを返す。
「君は……タカクラさん? 何か用かな?」
「あ、うん。お昼ご飯、一緒にどうかなって思ったんだけど……だめ、かな?」
瞬間。
ピリッと教室が微妙な緊張感を孕んだのを、ヤナギは他人事のように感じていた。
ちらと室内を見やれば、アマツマたちを気にするように見ている影がちらほらとある。友達と話しながら、お弁当を食べながら、あるいは何もせずじっと――と違いはあるが。男子女子の区別なく数人ほどがアマツマを気にしていた。
視線をアマツマのほうに戻すと、アマツマは申し訳なさそうにこう言っていた。
「お昼ご飯か……ごめんね。誘ってくれたのは嬉しいんだけど、この後用事があって」
「用事?」
「うん。ちょっと、外せない用事――だからまた今度、ご一緒させてもらえたら嬉しいな」
そう笑うと、アマツマは撫でるように彼女の頬に触れた。
たったそれだけのことだが、少女が「あっ」と吐息を漏らす。
そんな様子にクスと笑うと、アマツマは彼女の耳元で何事か囁いて、そのまま駆け出していった。用事というのは本当なのだろう。
残された少女は、しばしほぅっと呆けた後、「あー、ダメだったー」と嘆く。教室の外に友人がいたらしい。その子らと談笑しながら去っていく。
それをぼんやり見ていると、どこか羨むような声。
「相変わらず人気だなー、王子様は」
視線を戻せばヤナギの机の上に、悪友タカトが所狭しと弁当箱を並べていた。
勝手に人の机に並べやがって、と思わないでもないが。ヤナギは机の横にかけてあるビニール袋から、おにぎりを取り出しつつ呻いた。
「なんていうか、半年も経つと見慣れたな。というか、毎日飽きないもんかね?」
「飽きないんだろ、昔からあんなんだったし。要はアイドル遊びみたいなもんなんだろ」
「アイドル遊び?」
「きゃーかっこいいテンマくーん! ってさ。はしゃいでる側は楽しいらしいよ。要は疑似恋愛みたいなもんさ」
わかるようなわからないようなことを、タカトは苦笑交じりに言う。彼はアマツマと同じ中学だったそうで、あんな光景は慣れっこなのだろう。
ようやく慣れてきたヤナギとしては、首を傾げるしかない光景なのだが。
首を傾げていると、タカトはこちらの不理解を察して、
「ごっこ遊びだよ、ごっこ遊び。アマツマもノリがいいっていうか、ファンサ精神がご立派というかだからな。甘い言葉を囁きゃ女子も喜ぶってわかってやってんのさ。で、女子も美形に口説かれたら嬉しいだろ? そういう遊びなんだよアレ」
「……ふうん?」
「お前、こういう話は本当に興味ねえな」
興味がないわけではないが、確かにそこまで関心はない。変な遊びをしているなあという以上の感想はなかった。
疑似恋愛。人を好きになるということ。アイドルに憧れるということ。同級生をアイドル視すること。どれをとってもヤナギには理解できそうにない。
だから肩をすくめることを返答とすると、呆れたようにタカトはため息をついてみせた。
そうしてもそもそと茶色い弁当をつつき始めるのを尻目に、ふと教室の入り口を見やる。既にそこには誰もいないが。
(アマツマがアイドル、ね……)
まあ確かに、と思わないでもない。少なくとも、アマツマの周囲はアマツマをそんな風に扱っている節がある。
だが高校に入学してから半年経ったこれまで、ヤナギにとってアマツマは“アイドル”や“王子様”ではなく、“変な同級生”だった。
――なにしろ、アマツマは女子なのだ。
女顔の(女子にふさわしい言葉ではないが)甘い顔立ちに、耳をくすぐるハスキーボイス。そんじょそこらの男顔負けの高身長に、人助けや面倒事を率先して行う優しい性格。ルックスも性格も非の打ちどころのない王子様――ついでに言えば合気道だかの有段者らしく、文武両道。勉強の成績もよく、頭の回転も速い。
完全無欠のパーフェクトヒューマン。それが傍から見たアマツマだ。
だからこそ、ヤナギは彼女を変な同級生だなと思って見ている。そこら辺の男子より紳士的で、誰に対しても親身で気さくで、ついでに言うと女の子をよく口説いている。望んでというよりは望まれてやっている様子だが、それが周囲にとっての“王子様”っぽいスキンシップなのだろう。
(本人は楽しんでやってるのかね、アレ)
そんなことがふと気になった。どうでもいい疑問ではあるのだが。
と、お調子者の友人が、ふと思いついたようにこんなことを言ってくる。
「そーいやアマツマ、女の子口説くわりに彼女の噂は聞かないよな」
「内緒にしてるだけじゃねえの?」
高校というお年頃が集まる環境ともなれば、恋愛話は日常の華だ。誰が誰と付き合った、誰々が誰々にこっぴどく振られた、誰かが誰かと二股してる――そんなゴシップがありふれている。
だが確かに、あれだけ派手に遊んで? おきながら、アマツマが誰かと付き合っているという話は一度も聞いたことがなかった。
「まあ、だから“王子様”でいられるのかもしれんけど……にしても恋人、“彼氏”じゃなくて“彼女”でいいのか?」
「いーんだよ、あんだけ女の子に愛想振りまいてんだから。男嫌いってわけじゃないだろうけど、男子への愛想は女子と比べたらそこそこだろ? もしこれで男と付き合ってるなんて言ってみろ、過激派が知ったら刺されるぞ?」
「アマツマが?」
「いや、男が」
「……逆恨みにしても刺され損じゃねーかなー」
「刺されても損じゃない状況があるみたいな言い方だなそれ」
どちらにしても、と、タカトは深々とため息をついた。
「あいつがいる限り、うちの男子は死に体だよ。勉強も運動もなんでもできちまうもんだから、女の子の視線はぜーんぶあいつが持ってっちまうし」
「アマツマに黄色い声が飛ぶたびに男どもがピリッとしてんの、それが原因か。アレに勝てなきゃ恋愛できないってなると、まあ確かに悲惨か」
「……他人事だな?」
「俺には関係ねえことだし」
枯れてるねえ、などとタカトが呟くが、ヤナギは何の反応も返さなかった。
“変な同級生”に対しても、そもそも恋愛そのものに対しても興味はない。アマツマとはクラスメイト以上の接点はないし、だからどうでもいい。
今がそうなのだから、きっとこれからもそのままだろう。
――この時には、確かにそう思っていたのだ。
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