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偏見アンサー

偏見アンサー(完)

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「ルリはこの生活を守りたいから俺に好かれる努力してんのか。それとも、俺に好かれたいから…行動してるのかを5秒以内に答えろ」
「ご、ごびょういない!?」

数ヶ月後。花火大会を終えた久留里が越碁に言われた言葉を一言一句違えず守り、越碁の好みに合わせようと気を使って生活していれば、離れにやってきた彼は久留里に究極の2択を迫ってきた。和装姿で腕を組み柱に背中を預ける越碁は様になりすぎていて、あわあわと慌てながらも久留里はその姿に釘付けだ。

「かっこいい…」
「答えになってねェ。やり直し」
「えええ!?そんなのズルいよ!」
「ズルくねェだろ。ズルいのはどっちだ」
「だ、だって」
「答えたくねェの」
「あのね、考えなくちゃいけないのはわかっているけどーーその、見覚えのない着物が…越碁さんの一部みたいで…かっこよすぎて、答えが思い浮かばないんです…っ!」
「あァ?」

最近わかったことだが、越碁は聞き返す時に「あァ?」と問いかける癖があるようだ。眉をひそめて睨みつけて来る為、初対面の時はガン飛ばされているのかとビビッていたが、確かにこれは付き合いが長くなくてはわからない、越碁の些細な変化なのだろう。


居候とその家主である久留里と越碁の関係は、いつか越碁に好きな人ができたら、簡単に壊れてしまう関係だ。けれど、久留里が一人の人間として、越碁のことが好きだと伝えることができたのなら。越碁が同じ気持ちならばーー越碁と久留里は晴れて恋人同士だ。

その愛が永遠に続く限り。二人の仲を引き裂けるものなど、死神以外はありえない。

「惚れ直したか」
「え、えっと…ね。私、人間を好きって気持ちを抱いたことがなくて…」
「俺のこれがかっこいいんだろ?」
「うん」
「惚れてんじゃねェか」
「そう…なのかな?」
「他の男、かっこいいなんて言うんじゃねェぞ。俺のもんだ。それから、これからはちゃんと聞かれたら「彼氏が居る」って言え。「違います」って否定されんのが一番傷つく」
「で、でも。越碁さんは私のこと…」
「決まってんだろ」
「え、ええと。何も決まってないと…」
「好きでもねェやつの人生に口出しするほど、お人好しじゃねェよ」
「……越碁さんは、私なんかのことが好き、なの?」
「なんか、じゃねェ。久留里だから、好きだ」

越碁は久留里が思い詰めた表情で居酒屋のバイトに勤しんでいるのを見たことがあったらしい。何度か、バックヤードを覗いて久留里の様子を遠くから見ていたようだ。越碁は久留里が忘れ物をした日。至近距離で目を合わせて、久留里の瞳に光が宿っていないことに気づく。自分が見てみぬふりをしていたせいで、状況を悪化させたことを知り、久留里の環境を百八十度変化させるべく行動に移した。つまり、越碁は初対面の時からーー久留里に好意を抱いていた事になる。

久留里は誰にも必要とされていない。陰口を言われる為だけに生きてきた。悪意を持った人々の視界に映り込む亡霊のような女だと自覚していたのにーー久留里が一生懸命働き、生きる姿をその瞳に映し出す人は、こんなにも近くに存在していた。

「ルリは?」
「私、」

ーーこの人を逃したら、私は一生一人。
ーーこの人を亡くしたら、私は生きていけない。
ーー私は、人間から愛を受けるようなできた人間ではない。人間以下の、存在だから。
だけど。この人となら。私を影からそっと見守って、私を守りたいと手を差し伸べてくれた彼ならばーー

「…私…。人間として、氈鹿久留里として、生きていても…いいのかな…?」
「当然。文句なんざ言わせねェ。ルリは最初から人間だ」
「返事は?」
「ーーーーー許されるのなら」

神よ、どうか。人間以下の人間が、異性に愛を抱くことをお許しください。

「越碁さんが、いいです。越碁さんしか、いないから…私には、もう…!私、越碁さんに捨てられたら…何もなくなってしまう…。今度こそ、頑張れないの…。だから、私。越碁さんのことーー」
「好き」

大好きなの。越碁さんのことが。

認めたら離れられなくなるからと誤魔化していた感情を解放した久留里は、泣きじゃくりながら何度も好きだと越碁に向けて呟いた。越碁はそれに答えるように、久留里の前に跪き、手をとって人差し指にキスを送る。

「結婚しよう」

越碁のために久留里ができることは何もない。それは久留里が勝手に思っているだけで、越碁は久留里が苦労することなく穏やかな日常を歩む姿を間近で見ることさえできれば、久留里が越碁の為に特別なことをせずとも構わなかった。

久留里が自分にかけた人間以下であるという暗示から完全に抜け出るまでは、長い時間が掛かる。越碁は久留里の成長を穏やかに、緩やかに見守りながら。時には手助けをして生きていく。

「ーールリ」

死がふたりを分かつまで。偏見に惑わされることなく。2人の本当を見つけていこうーー
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