果てに

倉賀大介

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本編

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「私、綾人くんが好き」

 僕たちは、会社の近くのバルのカウンターで酒を飲み交わしていた。僕と神崎伊織は、同じ会社の総務部で勤めている。総務部ではあるが、会社の入退者の手続等の人事労務に係る仕事も行っているため、3月から4月の繁忙期は多忙だった。そんなこともあり、残業が常態化していたこともあったのでリフレッシュも兼ねて、2人で酒を飲んでいるわけだがいったいどうしてこうなった。

「え、何か言った?」

 僕がそう惚けると、グラスの赤ワインを一気に飲み干し僕をじーっと見ながら彼女が話しだした。

「綾人くんが好きだって言ってんの。何かね、もう私、君になら抱かれたっていいと思ってる」

 彼女は酔いが回りすぎているのかも知れない。正直、全く好かれるイメージが湧かない。回答に困り、モスコミュールの入ったグラスを眺めていると、「無視すんなー」と僕の肩を揺らしてきた。

「君から好かれる要素がないと思うけど。僕、なんか君にした?」

「そう言う澄ましてるとこも好き。好かれる要素しかないよ、君はずっと残ってる私を助けてくれたじゃんか」

「近くでしんどそうにしている人を見るのが嫌なんだよ。ってかそろそろ終電大丈夫?」

 時計を見ると短針は24時を指していた。

「大丈夫、大丈夫。しゅーでんは24時半だからまだ大丈ブイ」

 完全に酔っちまっているようだ。笑いながら右手でピースをしている彼女をみると溜息が出てきそうだった。

「何が大丈夫だよ。そろそろ行くぞ。すみません、お会計で」

 PayPayで会計を済まし、彼女を引っ張りながら駅に向かうと電光掲示板に「××線 19時に行った人身事故の影響により当面運休」とアナウンスがされていた。

「こりゃあもうイくしかないね」

「お前絶対、片仮名の"イ"だよな、それ」

 正直泥酔している彼女をこれ以上連れ回すのも厳しそうだし、タクシーに乗せたとて無事自宅に帰れるようなビジョンが全く見えなかったため、僕らは近くのビジネスホテルに向かうことにした。

「わーい、ベッドだー」

 部屋に入ると直ぐに神崎がダブルベッドにダイブした。彼女がベッドで転げ回っている姿はまるで公園ではしゃぐ子犬のように見えた。

「綾人くんもお布団に来なよ。きもちいーよ」

「いや流石にスーツのままでベッド汚したくはないからシャワー浴びてくる」

「つまんなーい」と後ろからブツブツいう声が聞こえてきたが無視をしてシャワー室へと向かった。

 シャワーを浴び終わると洗面所には鏡があったのでそれをじっと見つめる。僕は至って正常で無表情の筈だが、鏡の中にいる僕は何処か分かっているように見えた。

 部屋に戻ると灯りは既に消えており、彼女は眠っているようだった。

 半分しかかかっていなかった布団を彼女にかけ、僕は部屋にあるソファで眠ることにした。

「どうした?」

 暫くするとソファで横向きになり目を閉じている僕に彼女が覆い被さってきた。

「起きてんじゃーん」

 彼女が目をキラキラ光らせながら言った。そしてそのあと手真似をして僕をベッドへと誘導した。

 渋々ベッドに向かい、片手でスマホをタップしていると彼女が僕の頬を触ってきた。

「綾人くんも酔っ払ってるみたいだね」

「さぁどうだろうな。ただ君ほど狂ってはいないよ」

「狂ってるだなんて酷い言い方だなぁ。じゃあ本当に狂っちゃおうよ」

 そう言うと彼女が唇を重ねてきた。僕は絶対に口を開けまいと抵抗するが、執拗に舌を絡ませようとしてくる彼女に根負けし、口を開け絡ませることにした。アルコールの味が口全体に広がり、少し頭がクラっとする。

「しちゃったね、キス」

 彼女の身体を引き離すと荒い呼吸をしながら彼女が言った。

「神崎がしてきたんだろ」

「だってしたくなっちゃったんだもん。綾人くんは嫌だった?」

 瑠璃色の瞳が潤んでいるのが暗闇の中でもよく分かった。彼女は本当に僕に嫌われたくないのかもしれないと今感じた。

「嫌じゃない。僕も君とこうしたかった」

 左手で黒髪を撫でながら言うと、彼女は小さく笑った。

「私、綾人くんが好き。ずっとこんな風になりたかった」

「ああ、僕も同じ気持ちだ」



「綾人、おはよーさんっ」

 オフィスのドリンクコーナーでコーヒーを入れているとお尻あたりを摩りながら新子が挨拶をしてきた。

 新子達央、僕の勤める会社の違う部署の同僚だ。社内研修を通じて、お互いに親睦を深め合い、今はそれなりに仲の良い関係にはなっているがたまにセクハラ紛いのことをする厄介な奴だ。

「達央か、おはよう。あといい加減に俺の尻撫でるのやめような」

「綾人の尻は引き締まっててつい触りたくなるんだよなぁ」

「今のご時世、そういうのはアウトだから気をつけたほうがいいぞ。それにあっちのデスク見てみろ、姫がやきもち焼いてる」

 神崎は立ち上がると僕らがいるところに向かって歩いてきた。

「もうっ、達央くん何やってるの。セクハラはダメだよ。それに君には私っていうパートナーがいるでしょ」

「まあ何ていうか、それとこれは別っていうか。あと神崎、職場で達央呼びは無しだ。俺は意外と公私は分けたいタイプなんだ」

「分けたい人が、城里くんにセクハラなんてしないでしょ」

「うっ...まあまあ神崎もコーヒーでも一杯飲んで落ち着けよ。今から綾人が入れてくれるからさ」

「わーい、じゃあ私カフェラテね」

「僕がやるのかよ」

 僕ら同期三人はこうして仲良く日常を過ごしていた。小さな会社で今年の新入社員は僕らだけだったみたいだけれど、今はこうやって楽しく働けている。特に新子と神崎は交際を始めてからより幸せそうに見えた。

 ある日、屋上で煙草を吸っていると新子がやってきて深妙な表情で話し出した。

「なあ綾人。お前は本当に大切なもののために命を投げ出せるか」

「いったいなんの話だよ。ただ僕なら迷わず投げ出せると思うかな」

 この思いが彼に伝わればと思った。

「そうか、ありがとな」

 そう一言だけ告げると達央は身体を反転させ、その場から去っていった。いったい彼は何を告げたかったのだろうか。僕はその時は何も分からなかった。


 その数日後、会社の朝礼で新子達央が自殺したことが知らされた。僕は突然の出来事に頭が真っ白になった。また神崎も同じだったのか、顔面蒼白で虚ろな目をしていたのを覚えている。

 葬式に参列をした。会場には沢山の彼の友人と思わしき人らがいて、多くの人に好かれていたのだと改めて思った。せめて葬式の日が、晴天ならまだ気持ちよく彼との別れに踏ん切りをつけれたのかもしれないが生憎その日は土砂降りだった。

 葬式が終わり、帰路に向かおうとすると彼の母親らしき人物が僕に声をかけてきた。

「これ、達央からあなたに渡すようにって言われていたの」

「達央から?ありがとうございます」

 自宅に帰宅し手紙を広げると、そこには切実な達央の思いが記されていた。

『ベタだけど言わせてくれよ。お前がこの手紙を読んでいる頃にはきっと俺はこの世にはいない。きっと綾人から見たら急に死んだみたいに思っちまうんだろうな。まあ俺って辛いとかしんどいとかいうタイプじゃねーもんな。そんな俺が死ぬなんて本当に何でやねんって話よな。俺はさ、守りたかったんだよな、大切なものを。前に俺がお前に言ったこと、覚えているか。大切なもののために命を投げ出せるかどうかって奴。その時にお前は投げ出せると即答したよな。それを聞いて俺は安心したんだよ。お前も俺と同じなんだと思ってさ。本当にお前に聞いてよかった。今までありがとう』

 達央、僕は悲しいよ。君がいなくなってしまったことが。達央、本当に僕、君が大好きだったんだ。気付けばずっと君を目で追っていた。君はコミュニケーションで僕に触れていたのかもしれないけれども、僕はそこに確かな愛を感じていた。本当は神崎とじゃなく僕と人生を歩んで欲しかった。なあ達央、君が本当に命を絶ってまで大切にしたかったものはいったいなんだい。

 そんなもの決まっている、神崎だ。彼は神崎のために命を絶ったのだ。神崎のため?どうして彼が神崎のために死ぬ必要がある。誰かに脅されてお前が死ななきゃ神崎を殺すと言われていた?そんなわけがない。神崎はずっと出勤していたし、見たところ外傷もなく誰かに痛ぶられていた様子もない。なら大切なもののためとはどういうことだ。自分が死ななきゃならない状況を生み出したのが赤の他人でないならきっと___



「私、今日綾人と交わることができてよかった」

 真っ裸の彼女が上から下にいる僕をみながら呟いた。

「達央がいなくなった日からずっと私の人生には霧がかかってたような気がするの。何でもないように振る舞っていても、どこかであの日を引き摺っていたんだと思う。忘れられなかったけれども、彼がいなくなってからも代わりに綾人はずっと私の側にいてくれた。そしていつからか、そんなあなたを本当に好きになっていた」

 瑠璃色の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。止めどなく流れるその欠片はまるで星のようにも思えた。

「本当待っていた気がする、好きな人に愛されるこのときを」

「僕も待っていた。好きな人に殺された好きな人を殺すこのときを」

 迷わず、僕は彼女の首元に手をかけた。

「どうしたの...綾人くん」

「お前だろ、達央を殺したの」

 徐々に締める力を強めてゆく、いや強めざるを得なかった。だって彼女は俺の最愛の人を殺した人物だから。

「達央の手紙が無かったら気づかなかったかも知れない。それに達央だって別に俺に殺した犯人を見つけて欲しかったわけじゃない。純粋に達央は君を好きだったし、死ぬことに後悔もなかったと思う。けどそれが君に誘導されてそこに至ったというのなら話は違う」

「何を...言ってるの...」

「お前、SNSで何人の人を殺した?」

「死にたいと言って、人を振り回して、一緒に死のうと何遍言ってきた?得意の話術でどれだけの男を依存させてきた?そして何回死んでほしいと言ってきた?」

 僕は達央が死んだ理由の根幹にあるものは神崎であると断定した。もちろん手紙がその結論を結びつけたわけではあるが、元々怪しかったことがある。上司に叱られたり、仕事が上手くいかない時、彼女はよく涙を流していた。逆に仕事が上手くいった時も同じように涙を流した。そんな彼女なのに、達央の自殺が告げられたとき、彼女は涙を流さなかった、それに葬式の時も。思えばその状況が普通では無かった。

 僕はそれから彼女を徹底的に調べることにした。もし僕は考えることが間違っていれば?そんなことを思いもしたが、邪魔する思考は振り払った。

 調べる中で気づいたことがある。休み時間は常に連絡を多数の人間と取り合っているようだった、それも親密なやりとりを。それとなく神崎に「彼氏とか好きな人とか出来たのか」と尋ねても、「そんな人できるはずがないよ」と言った。

 それは嘘だ。

 彼女が席を外した際に、すかさずデスクに置きっぱなしになっているスマホを手に取り、ポケットに入れる。そしてトイレに移動し、暗証番号を入力し彼女が頻繁に使っているSNSにアクセスをする。ダイレクトメッセージを見ると、相手に対して「一生一緒にいたい」「もう生きているのが苦しい」「二人で×のうよ」そんなことを送っている記録が出てきた。過去のメッセージを手繰ってゆくと、「君が×ぬくらいなら僕が×ぬ」「これで安心して×ねるよ」といった複数人からのメッセージで会話が打ち切られたトークもあった。

 間違いない。彼女は人を死へと誘導している、それも言葉巧みに。

 達央と付き合う前から行っている事実からも確信犯だろう。アイツは達央を殺すために付き合ったのだ。

 許さない。ならどうすればアイツを最も苦しめることが出来るのか。僕が彼女に近づいて、親しくなったと思ったところで、一気に叩き落す。すなわちそれは、今神崎を殺すことだ。

「僕とも親密な関係になったら、達央のようにその先で殺すつもりだったんだろ」

「ち......がう...。綾人くん......」

 僕は出せる限りの最大限の力を手に込めた。もうこれ以上彼女の声を聞きたく無かったから。そして全てを今日終わらせたかったから。



 私がSNSに自撮りを投稿すると、沢山のいいねがきた。学校の男の子から容姿を褒められるより、見えない多数の人たちから評価されるほうが気持ちよかった。

 いいねだけじゃなくリツイートをしてくれたり、リプライをしてくれる人も沢山できた。現実では満たされない欲求がインターネットを通すことで満たされてゆく実感があった。

 ちょうどスマートフォンを階段から落とし、画面にヒビ割れてしまったときがあった。

 そのときに頻繁に私にダイレクトメッセージを送ってきていた男の子に「私のスマホ壊れかけてるの。君とやりとりが出来なくなるかもしれないんだよね」と送ると「俺が買ってあげるよ」と彼は言った。

 後日私の手元には新しいスマートフォンが届いた。インターネットの世界では、承認欲求が満たされるだけでなく自分の好きなものまで無償で手に入ることができるのだと思った。

 ただ褒めてもらうだけ、買ってもらうだけの生活では次第に満足がいかないようになった。もう欲しいものは一通り手に入れていたし、欲求もそれなりに満たせていた。

 私は次に人の心が欲しいと思った。皆が私が好きなことは分かった。けれども私以外にも好きな人や好きなこともあるでしょ。それじゃあ駄目、もっと私だけを皆に見て欲しい。私がいないと生きていけない程の愛を見たいと思った。

 私は自分からファンだった子に「君ともっと仲良くなりたいな」と送った。すると直ぐに返信があり、ひたすらに喜んでいるような文章が返ってきた。徐々に距離を近づけていき、「愛してる」というボイスメッセージや裸で土下座をしている状態の写メを送信させたりもした。もう何だってしてくれるじゃんと思った。

 純粋に私には人を依存させる才能が備わっていたのかも知れない。

 冗談のつもりで「もうこんな人生なら終わりにしたほうが良くない」と通話で話してみた。するとその子は「そうだね」と言った。

 「私、一人で死ぬのは怖い。けど誰かと一緒に死ぬ勇気もない。だから誰かが先に命を絶ってこの世界が無価値であることを証明してくれたら、私もやっと世界と見切りをつけられるかも知れない」

 その子がそれから自殺めいた呟きをして以来、私とも全く連絡が取れなくなった。

『あの世で先に待ってるね』

 きっと私に対するメッセージだったのだろう。

 私はその投稿を見た瞬間、人生で味わったことの無い程の多幸感に身体全体が包まれた。人が私のために散らす命の煌めきはあまりにも美しいと思った。

 もっとその煌めきを、刹那を追い求めていきたい。

 私がようやく私になれた気がした。

 インターネット上だけではなく、現実で、よりダイレクトに私のために命を燃やして欲しいと思って付き合ったのが達央だった。

 達央は私の我儘を何処までも聞いてくれる人だった。毎日のように死にたいとか生きるのが辛いと言っても、自分ごとのようにどうすればいいのかを考えては慰め、時には改善策を出してくれる素晴らしい彼氏だった。

 いっそう私が彼を本当に好きになって、平穏な幸せを手に入れることができればそれはそれで良かったのかも知れない。

 けれどもそんなことは出来なかった。

 だって私が本当に好きなのは、達央の近くにいつもいた綾人くんだったから。それに私知っていたよ、綾人くんが達央のことが好きだってことも。綾人くんが達央を見る目は、私が君を見る目とそっくりだったから。だから私は達央と付き合ったんだよ。達央の命を散らせば私は自身の欲求を満たせる、そしてその先で君と繋がることが出来ると思っていたから。

 綾人くん、私ね。
 どんなに抗えない欲求があっても、本当に好きな人は殺せないよ。



 為すべきことを為したとき、僕の心にかかったモヤは無くなってくれると思っていた。けれども全く無くなってはくれない。

 ベッドには力尽きた女性の遺体がある。その遺体が視界に入るたびに僕の心は騒ついた。人の命を奪ってしまった罪悪感はとてつもないものであるということなのだろうか。彼女の死に際の苦悶の表情が脳内でリピートさえ、静止することが出来ない。

 呼吸が乱れている。


 心臓の音がうるさい。

 彼女は瑠璃色の瞳から涙を流しながら死んでいった。苦しみもがきながら生にしがみ付こうと最後まで抗っていた。

 あまりにも身体が熱い。
 これが人を殺めるということなのだろうか。

 気付くの僕の中の何かが肥大化していた。

 「これじゃあ僕も彼女と同じじゃないか」

 End
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