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笑顔

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貴方の笑顔が、ただ見たかった。












お父様に必死に縋り、お母様の手を握りながら貴方の事だけを想って、会いたくて、
家を飛び出した。

魔術師塔お父様の執務室で待つように言われたのに。

まるで聞き分けのない子どものように、隙を見てそこすら抜け出した。



今日は学園に行っていると聞いた。ちょうど戻られる時間だから、
はやる気持ちをそのままに門まで向かう。
一月近くも寝込んでいたとは思えないほど身体は軽く、回復魔法は循環してゆく。
潜在量は問題ないとお父様が言っていた。そのせいかもしれない。

抜け出した事を咎められるだろうけれど。

今は誰にも見つかりたくなくて、
幼い時分のかくれんぼをするように正門近くの庭園までたどり着いた時、馬車が入ってきた。


ーーその時には騎士や色々な人に見られていて、もしその事に気づけていたら私はお父様が言った、『邸で待っていなさい。殿下が迎えに来てくれるから』その言葉を思い出し、道を戻ったのかもしれない。




太陽のような、髪色が映った。
足取りはわずかに遅く、緩慢に動く。

降り立ったと同時に私も動いて、前へ進む。
ニール様、



ーーは。



馬車を振り返り、長い腕を伸ばした。


燃えるような赤、が、さらりと流れた。


何度もくり返しているかのように、二人の動作は自然だった。


こく、と喉が鳴り、思わず押さえた。
駆け出していた足が地面に貼り付く。


ニール様は。

はっきりとは見えないけれど微笑んでいる。控えめに、優しく。



ーー大丈夫。
移動は一緒にされていた。前から。
行動も共にしていた。
どうして忘れていたの。馬鹿ね。
声をかけて。挨拶をして。お詫びをしてーー






何を、やっているんだろう。


ほんとうに幼い子どもみたいにはしゃいで、みっともない。
自分がしでかした事も忘れて、
迷惑をかけて、私は、
臣下としての務めも怠って、我儘を言って、
礼儀も弁えないで、


何てことを、しているんだろう。


ぐらぐらと思考が揺れて、動けなくなる。



このままどうか、気づかないでと。

どうか気づいて、と。


心がせめぎ合う。



ひとり佇む私と、寄り添うふたり。





ニール様がふと、顔を上げた。




待ち侘びて、夢で願い、希ったひと。


どう見えているだろうか。
私を、
見てくれているだろうか。


私は上手に、笑えているだろうか。




空色の瞳が大きく開き、遅れてくちびるが何かをつぶやく。

どうして、と。私には聞こえた。




ごめんなさい。
ニール様。


叱咤したけれど、動いてくれない足が情けなく、申し訳なく、私はその場でこうべを垂れる。






「ーーどうして、ここに、」


草を踏む音と、戸惑っているような声が落ちる。
喜びでも怒りでも驚きでもないただ戸惑うだけの声色が胸に痛いほど響いた。


「王太子殿下と第三皇女殿下にご挨拶申し上げます。回復しました故ご挨拶をと伺いましたが訪いもせずあまつさえ足を運ばせてしまうなど臣下としてあるまじき事を誠に申し訳ございません」

「、何を言、「お見苦しいところをお見せいたしました。どうぞこのままお捨て置き下さいませ。後日改めてご挨拶とお詫びに伺います」


息を呑む音に、また間違えてしまったかとくちびるが震えてしまう。




「…ティアリア?…顔を上げて?」


空気を割ったのはうっそりとした音。
逡巡したのは瞬きのあいだ。


「もう大丈夫なのね?心配したのよ。…とーっても…」


幼く間延びした物言いでも視線は鋭い。
隣へ移せる余裕はなく、それがよっぽどありがたかった。


「御身を傷つけた事心よりお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。どのような咎も粛とお受けする所存でございます。何なりとお言い付けくださいませ」

「咎なんて!…ふふっまったくティアリアはお堅いのね。良いのよちっとも気にしてないわ。わたくしも反省したの…だからそうね…仲直りしましょう?これからうんと仲良くできたら嬉しいわ。!そうだこれから三人でお茶しましょうよ!…ねぇニール様…いいでしょう?」


ニール様、と。甘く甘く、その名を呼ぶ。


「ーー「……っ殿下!!」




「……アシュトン、」

「何をしてるんです。正門ですよ衆目を浴びるような真似はお止めください。……ティアリア嬢、師団長がお探しだ。お戻りください」

「ーー御前、失礼いたします」





「っ、ティア…っ」




張り裂けそうな思いを隠して、微笑む。
目が合う。瞬きを堪えて焼き付ける。


「ーー…ニール様」


すこし、お痩せになりましたね。
お顔が窶れてらっしゃるのは、無駄な心労をおかけしたせいでしょうか。


ごめんなさい。


ごめんなさい。


名前を呼ぶだけで、精一杯です。


ニール様


そんな辛そうなお顔、どうかなさらないで。


私は貴方の笑顔が、いちばん好きなんです。











どうやって戻ったのか、よく覚えていない。

ぼんやりと意識は霞がかり、けれどお兄様の話は私を打ちのめした。
私が上手くやれなかったばっかりに、ニール様は魔石を外す羽目になった。
後遺症はないという。でも先の事はわからない。
起こり得るかもしれない事を微塵も考慮せず守るべきお方を危険に晒し、自分の感情を優先させた。


けれど私には、
恋心はたいせつで、愛は、尊いもので、


私にはどうしても、捨てられなくて。


けれど。
でも。



迷路のような思考回路で彷徨っていた私に、皇女殿下のお呼び出しがかかる。
家族は断れと言った。
私は笑顔が見たかった。
私のためにと行動してくれているのに、
私はまた、自分を優先させた。


そうして気づいたことは、


憐んでいるような、かすかな視線。
すれ違った瞬間に落とされる嘲笑。
扉を閉めるわずかな隙の、ため息。


時にそれらは言葉より雄弁に語り出す。


私という存在が王宮此処では異なものになりつつある。




傲慢でも浅はかでも、

瑕疵のない人生を、貴方に捧げたかった。


途方もない荷を背負うのだ。
国という、巨船の舵を担う。


私はとなりで、背負わなければいけないのに
私自身が、その荷になっている。


婚姻目前のこの醜聞。
万事事が進んだとして。
終息はするかもしれない。下火になるかもしれない。
けれど私自身が、燻る火種になっている。


一方で私の心はとっくに悲鳴を上げていた。
大丈夫だと言い聞かせて。
平気なふりを続けて。
胸のうちは醜い嫉妬に塗れていた。

たった数日でも耐えられず脆くなってしまうほどに。


どうして、と、理不尽をぶつけている。




国の母たらんと教育を受け、個など二の次、己の感情など瑣末なものだと、
民のため、国のために生きろと学びながら、




好きだと。
愛していると。



ただそれだけで、貴方と生きてゆけると信じていた少女を今でも夢に見てしまう。



もう自分では、どうしようもないと、わかっていた。







「ーーーー宰相閣下」

「……リルムンド公爵令嬢。いかがした?」





「国王陛下に、……謁見を」



資格など初めから、無かった。
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