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おまけ アーロンが出来るまで
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僕の記憶は教会と共にある。物心ついた時、僕はすでに教会で寝起きをしていた。
毎朝鐘の音と共に目を覚まし、灯されたキャンドルの向こうに祈りをささげた。
周りには僕よりも大きな人ばかりがいて、子供の姿は他になかった。大人たちは皆黒や白の服を着て、神に生涯を捧げ、満足そうに暮らしていた。
時折やってくる拝礼者の中には両親に連れられた子供もいた。子供を見つめる母や父の視線。
親と言う名の大人たちは、僕の周りにいる黒や白の人たちとはなんだか少し違って見えた。
祈りに明け暮れる日々。繰り返される毎日。何の代わり映えもない、神のことだけを考える日々。
窓の外に居る商家の子供は片方の手を母親と繋ぎ嬉しそうに笑っている。そして反対の手には木彫りの馬を持っている。
だけど僕の手が持つのはいつも聖書だけ。
それを問いかけると司祭様は、「お前の父は神であり、お前の母もまた神であるのだよ」そうおっしゃった。僕は理解した。僕は神の子で、僕の親は木彫りの馬をくださらないのだと。
そして太陽のようにオレンジの髪を持った商家の親子はいつの間にか来なくなった。
そんな教会がおこなう慈善の一つに炊き出しがある。慈善に向かう先は平民街でも運河を超えた、もっとうらびれた下町とよばれるところだ。
下町には親を持たぬ貧しい孤児院があり、それどころか最奥には酷く薄汚れ、すえた臭いの地区もある。
僕が住む教会は衣食住に困ることはない清潔な場所。小さいが自室も与えられている。僕はなんと恵まれているのだろう。
彼らに施しを与えることで僕は言葉に出来ぬ愉悦を得た。そうだ。僕は与える者。持たざる者に歓びを与える側の者だ…
そんなある日慈善の見学にこの国の王子様がやって来た。騎士に囲まれた豪奢な馬車。彼は馬車を降りたりしない。車窓からその施しを眺めるだけ。
同じ年頃の、この国で一番恵まれたはずの子供。窓から見える王子は子供のお付きを従えおしゃべりに夢中だ。なのに不思議と「満たされない」そんな顔をしていた。
王子の燃えるような真っ赤な髪色だけが僕の中に強く残った。
文字を覚えた頃、僕は教会の奥にある、今は誰も立ち入らない古い書庫の中で一冊の本を見つけた。それはいつか見た王子の髪色のように、真っ赤な紙で厳重にくるまれ、誰の目にも触れないように古い書庫の古い書棚に隠されるように差し込まれていた。
これは多分禁書と呼ばれる本だ。
娯楽に飢えた僕は迷わずその本を抜き出し、狭い自室へと持ち帰った。
真っ赤な紙を破いて読んだその禁書は、子供の僕には何が面白いのかあまり分からなかった。だけどいつか分かる日が来るだろう…、そう思ってその禁書を、僕は大切に隠し持った。
そして案外早く、その禁書の意味を知る日はおとずれる…。
ある日、慈善の施しに訪れた孤児院の裏で、洗い物をする僕に話しかけてくる一人の女性がいたのだ。僕と同じ、深いマルベリーの髪色を持った女性が…
「あなたは誰ですか」
「私はあなたのお母さんよ」
「ではお父さんはどこですか」
「さあねえ…、たくさん居すぎて分からないわ」
「あなたは何をしている人なのですか」
「そうねえ…、春を売っている、と言ったら分かるかしら?」
「春を…」
出会いの日に話せたのはたったそれだけ。けれど、それ以来彼女は、孤児院へ施しに訪れると時々姿を現すようになった。
そして僕は彼女と話すうち、春を売る、の意味を知った。たくさんのお父さん…の意味も。
彼女は言う。
「私は彼らを幸せにしているの。彼らは辛く苦しい時ほどやって来ては、私と楽しんで、そして見違えるほど晴れやかに帰って行くのよ」
愛の伝道者だという彼女。彼女の口から語られる行為は、あの禁書に描かれた図解と同じに思えた。
カマ神による、人々を解放へ導く教え。
国教は欲望を捨てよという。カマ神は欲望に身を委ねよという。
僕は祈りに明け暮れる毎日の中で気付いたことがある。
人は死ぬまで欲望を捨てることなど出来ない。この国で一番偉い王様でさえ、もっと国土を、と戦いに明け暮れている。
そしてなにより、…これほど神に全てを捧げても、未だ僕はあの木彫りの馬を欲している。
「やはり対価をいただくのはいけません。施しとは見返りを期待しないものです」
「あら。あれは対価ではないわ。一つになった時から彼らのお金は私のお金。共有したのよ」
その言葉を聞いた時、僕には禁書の教えが分かった気がした。
欲望を解放し、愛を以て共有する。そのとき彼らの持つ全ては僕の物になり、満ち足りぬ彼らもまた全てを与えられる。
欲を禁忌するから欲を捨てきれず人は苦悩するのだ。ならば初めから欲望ごと受け入れればいい。
彼女と有意義な時間を過ごしはじめて一年後、…ついに彼女は運河を超え、教会へとやってきた。
身寄りの無い…弔いを待つ骸として…
「気の毒に。客の金子に手を付け刺されたのだとか…」
人々を幸せにし続け、そして自分自身は幸せを掴めなかった憐れな女性…
きっと教えを説く力が薄かったのだ。伝道とはもっと崇高なる志しをもって行うべきだ。
彼女にもっと早く、カマ神の教義を教えて差上げれば良かった…。
僕は僕に課せられた使命をその時ハッキリ理解した。
毎朝鐘の音と共に目を覚まし、灯されたキャンドルの向こうに祈りをささげた。
周りには僕よりも大きな人ばかりがいて、子供の姿は他になかった。大人たちは皆黒や白の服を着て、神に生涯を捧げ、満足そうに暮らしていた。
時折やってくる拝礼者の中には両親に連れられた子供もいた。子供を見つめる母や父の視線。
親と言う名の大人たちは、僕の周りにいる黒や白の人たちとはなんだか少し違って見えた。
祈りに明け暮れる日々。繰り返される毎日。何の代わり映えもない、神のことだけを考える日々。
窓の外に居る商家の子供は片方の手を母親と繋ぎ嬉しそうに笑っている。そして反対の手には木彫りの馬を持っている。
だけど僕の手が持つのはいつも聖書だけ。
それを問いかけると司祭様は、「お前の父は神であり、お前の母もまた神であるのだよ」そうおっしゃった。僕は理解した。僕は神の子で、僕の親は木彫りの馬をくださらないのだと。
そして太陽のようにオレンジの髪を持った商家の親子はいつの間にか来なくなった。
そんな教会がおこなう慈善の一つに炊き出しがある。慈善に向かう先は平民街でも運河を超えた、もっとうらびれた下町とよばれるところだ。
下町には親を持たぬ貧しい孤児院があり、それどころか最奥には酷く薄汚れ、すえた臭いの地区もある。
僕が住む教会は衣食住に困ることはない清潔な場所。小さいが自室も与えられている。僕はなんと恵まれているのだろう。
彼らに施しを与えることで僕は言葉に出来ぬ愉悦を得た。そうだ。僕は与える者。持たざる者に歓びを与える側の者だ…
そんなある日慈善の見学にこの国の王子様がやって来た。騎士に囲まれた豪奢な馬車。彼は馬車を降りたりしない。車窓からその施しを眺めるだけ。
同じ年頃の、この国で一番恵まれたはずの子供。窓から見える王子は子供のお付きを従えおしゃべりに夢中だ。なのに不思議と「満たされない」そんな顔をしていた。
王子の燃えるような真っ赤な髪色だけが僕の中に強く残った。
文字を覚えた頃、僕は教会の奥にある、今は誰も立ち入らない古い書庫の中で一冊の本を見つけた。それはいつか見た王子の髪色のように、真っ赤な紙で厳重にくるまれ、誰の目にも触れないように古い書庫の古い書棚に隠されるように差し込まれていた。
これは多分禁書と呼ばれる本だ。
娯楽に飢えた僕は迷わずその本を抜き出し、狭い自室へと持ち帰った。
真っ赤な紙を破いて読んだその禁書は、子供の僕には何が面白いのかあまり分からなかった。だけどいつか分かる日が来るだろう…、そう思ってその禁書を、僕は大切に隠し持った。
そして案外早く、その禁書の意味を知る日はおとずれる…。
ある日、慈善の施しに訪れた孤児院の裏で、洗い物をする僕に話しかけてくる一人の女性がいたのだ。僕と同じ、深いマルベリーの髪色を持った女性が…
「あなたは誰ですか」
「私はあなたのお母さんよ」
「ではお父さんはどこですか」
「さあねえ…、たくさん居すぎて分からないわ」
「あなたは何をしている人なのですか」
「そうねえ…、春を売っている、と言ったら分かるかしら?」
「春を…」
出会いの日に話せたのはたったそれだけ。けれど、それ以来彼女は、孤児院へ施しに訪れると時々姿を現すようになった。
そして僕は彼女と話すうち、春を売る、の意味を知った。たくさんのお父さん…の意味も。
彼女は言う。
「私は彼らを幸せにしているの。彼らは辛く苦しい時ほどやって来ては、私と楽しんで、そして見違えるほど晴れやかに帰って行くのよ」
愛の伝道者だという彼女。彼女の口から語られる行為は、あの禁書に描かれた図解と同じに思えた。
カマ神による、人々を解放へ導く教え。
国教は欲望を捨てよという。カマ神は欲望に身を委ねよという。
僕は祈りに明け暮れる毎日の中で気付いたことがある。
人は死ぬまで欲望を捨てることなど出来ない。この国で一番偉い王様でさえ、もっと国土を、と戦いに明け暮れている。
そしてなにより、…これほど神に全てを捧げても、未だ僕はあの木彫りの馬を欲している。
「やはり対価をいただくのはいけません。施しとは見返りを期待しないものです」
「あら。あれは対価ではないわ。一つになった時から彼らのお金は私のお金。共有したのよ」
その言葉を聞いた時、僕には禁書の教えが分かった気がした。
欲望を解放し、愛を以て共有する。そのとき彼らの持つ全ては僕の物になり、満ち足りぬ彼らもまた全てを与えられる。
欲を禁忌するから欲を捨てきれず人は苦悩するのだ。ならば初めから欲望ごと受け入れればいい。
彼女と有意義な時間を過ごしはじめて一年後、…ついに彼女は運河を超え、教会へとやってきた。
身寄りの無い…弔いを待つ骸として…
「気の毒に。客の金子に手を付け刺されたのだとか…」
人々を幸せにし続け、そして自分自身は幸せを掴めなかった憐れな女性…
きっと教えを説く力が薄かったのだ。伝道とはもっと崇高なる志しをもって行うべきだ。
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