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妖編

8.藍狐の発情期

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さて、たおが勝負に負けて1、2週間。

妖達の目の前で、台所で、風呂で。嫋は朱鷹しゅようが望めばどんな場所でも体を差し出し、揺さぶられながら嬌声をあげていた。

もちろん屋敷を出ることなど許されず、嫋は養父のことを考える暇もないくらい体を求められていた。

そんな日々が続き、嫋が疲れ果てていたとき。

朱鷹はある薬を求め、屋敷を3日ほど離れることになった。
詳しいことは聞いていないが、なんでも遠いところにある仙薬だとか。

朱鷹の不在時、番を頼まれたのは藍狐らんこである。
もし人間が入り込んだ時のことを考え朱鷹に呼ばれたのだが、もちろん2人で外に出ることは許されない。

屋敷には妖術をかけられ、嫋は1歩たりとも屋敷の外に出ることができない。
また、藍狐が立ち入ることを許されたのは庭と縁側だけだった。

藍狐は話すのが好きなようで、昼間はずっと嫋と縁側で茶を飲みながら話していた。

嫋はやっと体を休めることに安堵し、にこにこと相槌をうつ。

「僕はね、人間が大好きで、小さい頃から人間に化けては何回も山をおりたんだよ」
「えっ! 人里に降りる妖など聞いたことがありません」
「そうだよね。僕は妖狐の中でも変わったヤツだったから。でも……僕は根本的に人間とは違うからね。何回も傷つけてしまって、何回も自分のことが嫌いになったよ」

力なく藍狐が笑う。さらり、と長い白髪が藍狐の頬をくすぐった。
細められた目は、まるで南国の海のような色をしている。

手に乗せた妖鳥の額を撫でながら、藍狐が嫋の様子を窺った。
抜け殻のようにぼうっとしているのを見て、朱鷹の執着にため息をつく。

「嫋ちゃん、僕が外に出してあげようか?」

気遣わしげに藍狐が嫋を見る。嫋は肩を震わせ、戸惑った様子で藍狐を見つめ返した。

「で、でも……嫋は屋敷の外に出ることも、朱鷹様に逆らうことも出来ません……」
「ふん、夫婦とはいえ、あいつが嫋ちゃんの自由を縛るのはおかしいでしょ。二人の間でなにがあったのか知らないけどさ」

煮え切らない嫋に、ムッと口を尖らせて言葉を重ねる。

「あいつが怖いなら、僕の家で匿ってあげる。大丈夫、僕の家は結構頻繁に変わるから、あいつもどこにいるかわかんないよ」

あいつは嫋ちゃんに必死なんだ。だから、冷静になるまでしばらく家においで───。

藍狐の言葉に、嫋がキョロキョロと辺りを見回す。

「じゃあ……落ち着いて話せるまで、お邪魔させてもらっていいですか?」
「もちろん! あー、でも、1番奥の部屋には入らないでね。この時期、誰も入らせないようにしてるんだ」

藍狐は決まりが悪そうに微笑んだ。

「……? お客様がいらっしゃるのですか?」
「いや、そんなんじゃないんだけどさ。さ、必要な荷物をまとめたらおいで。あいつがかけた妖術も消すから、すぐここを出ないと」

嫋は急いで荷物をまとめ、首を傾げながらこちらを見つめる妖たちに別れを告げる。

別れと言っても一時的なものだ。

(きっと、もうお義父さんはいない。朱鷹様がなぜお義父さんを殺害したのか聞くためには、もっとお互いが冷静じゃないと……)

幾度となく朱鷹に殺害した理由を聞こうとした。しかし、その度に口を塞がれなし崩しに行為に及んでしまえば、嫋は何も聞くことが出来ない。

嫋は藍狐の後ろについて行き、屋敷を後にした。



同時刻。バチ、と朱鷹の脳に衝撃が走る。

「ぐっ、ぅう……!」

呻き、黒髪をぐしゃぐしゃと乱した。妖術を破られたのを知り、舌打ちをする。

藍狐しかいないだろう。あの男、ヘラヘラと嫋に興味なさげな顔をして、俺の妻を連れ出そうとしているのか───。

「いや、それより………嫋っ」

たらり、とこめかみに汗が流れる。

藍狐は狐としての発情期が近い。
朱鷹は過去の藍狐を知っている。あれは、発情期の度に愛した人間と交尾しては食い殺していた。

どうしても食人の衝動が抑えられないと泣いていたのだ。ここ100年、全くそんな様子を見せずにいたから、気にかけてすらいなかった。

嫋に対して気はない筈だが、妖術を破るほどの強硬手段に出るなら、すぐに帰らなければ嫋の身が危ない。



一方の2人は朱鷹の心配もつゆ知らず、楽しげに夕飯の準備を進めていた。

「わ、藍狐様の御自宅は人間のための調理器具がたくさんありますね」
「そうでしょ? 僕、人間の食べ物が大好きなんだ。お菓子も作れるよ」
「すごい……!」

嫋がキラキラと目を輝かせて藍狐の手元をのぞき込む。手際よく煮物が作られていくのが見えた。

「……」

藍狐は思わず嫋の胸元をじっと見つめていた。瞳孔が開き、唾液が次々に分泌される。

「わ、季節のお野菜がこんなに沢山! 藍狐様はとてもお料理が上手なのですね。……藍狐様?」
「あ……」

嫋の声に引き戻され、かぶりを振って邪な思考を追い払った。

(あんなに痕をつけるかなぁ、フツー!)

袍の隙間からほんの少し、朱鷹に愛された痕が見えただけだ。おぞましいほどの噛み痕や鬱血痕にゾッとして、藍狐は目をそらす。

(いや……こんな動揺するなんて。もう篭ったほうがいいかな……)

なんでもない風を装い、嫋とともに夕飯をすませる。
他の妖狐たちに後片付けを任せ、嫋を客室へと案内する。

「僕は奥の部屋で休むから、入ってきちゃダメだよ。裏に温泉があるから、好きな時に入って。なにかあったら適当な妖狐を呼んでね。また明日、嫋ちゃん」

畳み掛けるように告げ、奥の私室へと戻る。嫋は戸惑っていたようだが、気を利かせるほどの余裕がなかった。

ジリジリと熱が上がり続け、汗がじっとりと袍の中衣を濡らす。

(体が熱い……ああ、いつもはもっと遅いし、恋人以外には興味無いのに。もうずっと誰とも付き合ってないからかなぁ……人様の奥さんに欲情するなんて)

中から開けられないように妖術を施し、寝台の中で胎児のように丸まる。
目をつぶって何も考えないようにしたが、思い出すのは嫋の唇の柔らかさと情事の痕を残す胸元のみ。

(発情期以外後尾に興味のなかったあいつがあんなに夢中になるくらいだから、すごい名器なんだろうな……)

グルル、と低いうめき声が漏れた。それは人のものではなく、狐のそれによく似ている。

(ダメだ……僕は嫋ちゃんのことを食べたりなんか、絶対……)

はぁ、と吐息を漏らす。
藍狐の発情期は朝になればマシになるし、日常生活も送れるようになる。早く朝になってくれ、と願いながら扉の方を睨んだ。



「藍狐様、体調が悪いのかな……着いてきたの、もしかして本当は良くなかったのかも」

息が苦しそうになっていたし、夕飯も一口しか食べていなかった。ウンウンと考えながら部屋の中を歩き回り、ふと1つの結論に至る。

(よし、看病しに行こう!)

もし体調が悪くなければ、ただの杞憂に終わるだけだ。
台所を借りて病人でも食べれるような粥を作り、屋敷の中を歩きまわる。

「あの、藍狐様のお部屋はどちらでしょうか」
「キュウ?」

通りがかった1匹の狐に聞いてみると、首を傾げ嫋を見上げる。
なるほど主人の新しい番かと理解した狐は、嫋を藍狐の私室へと案内した。

「こ、ここが……。すごい数の符が貼られているのですが……」
「クルル?」

嫋はやたらと重々しい雰囲気の扉に怖気付きながらも、トントンと扉を叩く。
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