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斗真side

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 姫香が立ち去った後、暫し動けなかった。彼女の身に何が起こったのか、さっぱり理解できない。ただ今にも泣き出しそうなのを無理やり引き戻せず、結果、見送る他なかったのだ。

「はい」

 しつこく震え続ける携帯を耳に当てる。

「お忙しい中、度々申し訳ありません。確認ですが婚約者をお連れになるのですよね? パーティーなどは如何しますか? せっかくですし皆様にお披露目しては?」

「……あぁ、その話だが無しにしてくれ」

「と、おっしゃりますと? こちらへお出で頂けないのでしょうか?」

 長年、秘書として側に置いている男は露骨に不満げな声を上げた。溜息に続き、小言が続くのを察知して先手を打つ。

「俺だって訳が分からないんだ。俺も姫香を紹介したかったさ」

「目に入れても痛くない程のお姫様でしたよね? 私に仕事を押し付けて帰国したというのに何をやってるんですか?」

「そう言うなよ」

「言うに決まってます。あなたはこれまで姫香さん一筋、どんな好条件の縁談も断ってしまいました。あなた程の立場の方がいつまでもパートナー不在とはいきませんよ?」

 毎度、毎度同じ話をされ、通話を切りたくなる。

「結婚……相手は姫香以外に考えられない」

「ならばそう伝えるべきでは?」

「伝えた」

「で、振られたんですか?」

「振られてなどいない! 振られてないよな?」

「ーー私に聞かれましても。今、お隣にいらっしゃらないのなら、それが答えなのでは? あなたは昔から詰めが甘い。これは秘書ではなく友人としての忠告ですが、女性の言葉を額面通り受け取ってはいけません。例えば女性が気にしていない、怒ってないと言っても内心は気にしているし怒ってます」

「姫香はイタリアへはすぐに行けないと言った。つまり?」

「そもそも行く気がない、とか?」

 秘書の導く結論に目眩がした。悪い方へ悪い方へと思考が引っ張られてしまう。新鮮な空気を求め、庭先へ出る。

 そういえばジャストタイミングで姫香の家の者がやってきたが、あれはどういうカラクリだろう。姫香の携帯電話はボストンバッグに入れられたままで、事前に迎えを手配する手段は無かった。浅田が嫌で別荘を飛び出す時に連絡していたとしたら、もっと早く到着している。

 姫香をお姫様扱いして、大事に大事に育む家人等が彼女のSOSを無視する訳がない。即座に車を出すはず。

 花の香りだろうか。甘さが鼻孔をくすぐり、薔薇を見やる。

 名は体を表す。姫香はお姫様みたいで、優しい香りがする。メールのやりとりで姫香が庭の花の様子を楽しく語る姿が浮かび、日々仕事に追われ、潤いのない生活をしていた自分がどれほど癒やされていたか。

 胸が痛む。姫香の笑顔がみたい。

「もしもーし、もしもーし、悲劇のヒーロー気取りのところ申し訳ございませんが、まだお話の途中ですよー」

「……聞こえている。大体、君が次から次へと仕事を入れてくるからいけないんだぞ」

「私は秘書です。あなたのこなせる仕事量を把握し、無駄なくスケジュールへ落とし込むだけですよ。あぁ、愚問でしょうがーー」

「ここまで来て諦める訳ないだろ!」

 俺は遮り、こう続けた。

「優秀な秘書なら先程の商談日程をコントロールして貰えるよな?」

「それは商談相手がどなたかお分かりになった上で仰ってますよね? 社運を左右する大きな取引より色恋を選ばれるのですか?」

 と言いつつ、キーボードを叩く音が聞こえる。苦楽を共にしてきた相棒は口が悪いが、最良の選択をする俺のサポートを惜しまない。

 仕事は大事、そして姫香も大事。どちらか一方だけじゃ俺の世界は成り立たない、ガラスの靴は両足あってこそ。

 俺は薔薇を失敬し、姫香の後を追った。
 彼女を乗せたかぼちゃの馬車はとっくに見えなくなっており、それでも必ず探し当ててみせるから。

 ーー待っていろよ、シンデレラ。
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