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第四章
第四十九話 嵐の箱庭
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そこは、ただただ温かく優しい世界だった。
ジェームズ殿下と共に切磋琢磨し、時に支え合い生活する学び舎。気心知れた友人達と一時貴族としての重責を忘れて笑い合い、私を脅かすものは何も無い世界──
「ビアンカ?どうしたんだい?」
私だけを視界に収めて、ジェームズ殿下は私だけに微笑んで下さる。
涙が出るくらい優しくて、でも何かがおかしい世界。
「…」
ぐるりと周囲を見回す。微笑みかけてくれる学友達、私を愛してくれるジェームズ殿下。それだけでとても満ち足りている筈なのに、心のどこかがざわざわと騒ぐ。これでいいの?と。
その時ふと、ゆるい風が髪を一房さらっていった。なんとはなしに髪が流れていく先に目を遣って、ジェームズ殿下とお茶をしていた学園中庭の広い空を見る。
「…っ、な、なんですの…あれは…!?」
広く青い空が一面に広がっている筈のそこは、どうして轟音が届かないのか不思議なほどのドス黒い暴風雨に覆われている。時折光る稲妻が、嵐の酷さを物語っている。
「で、殿下…!大変ですわ、空が…!」
「うん?どうしたんだい、ビアンカ?空がどうかした?」
「え?どうって…空が大変な天気に…!」
「あはは、何を慌てているんだい?空が嵐に覆われているのは普通のことじゃないか」
「え…!?」
にこにこと普段と変わらず微笑むジェームズ殿下と学友達に、違和感を抱く。
たまらなくなってお茶をしていた席を立つと、慣れ親しんだ声が足元から這い上がる。
『…俺のビアンカ』
「っ!?」
足に絡まるように佇むのは、自身の半身、灰色の毛を纏った獣。
その獣が底の見えない暗い瞳でじっと見つめてくると頭が痺れる気がする。
『ここはお前の為のお前の世界だよ。お前を傷つける者は居ないし、お前に都合の悪い事は決して起こらない』
「…」
『お前が望んだ世界だよ』
「…そうね。私が望んだ世界だわ」
そっと腰をまた椅子に下ろす。
気づいていたけれど、気づかないふりをした。これは嵐の精霊がやったことであって、私のしたことじゃないと何度も言い訳をして。
私の願望が作り出した私の箱庭に、閉じ籠った。
♦︎
「…嵐の外で何が起こっているのか、精霊を介して見ていました。ずっと。ずっと、何が起きているのか、知っていたんです」
「ビアンカ…」
ベッドの上で上半身を起こして淡々と語るビアンカの震える手を、ジェームズがそっと握る。
「…精霊の暴走と、王弟殿下は仰いましたね」
「ああ」
「…確かに、徐々に彼は私のコントロール下から抜け出していきました。けれど、数々の問題行動の根底にあったのは、私の自分勝手な我が儘ですわ」
部屋に居る誰もが黙ってビアンカの言葉の続きを待つ。
「ジェームズ殿下に愛されたい。カサブランカ伯爵令嬢なんか居なくなればいい…邪魔するものは全部、消えればいいのにと」
「…」
自嘲のような笑みを浮かべたビアンカは、ジェームズに向き直る。
「ジェームズ殿下、心からお慕いしております。ですから…殿下の婚約者を慎んで辞退させて頂きたいと存じます」
ビアンカの真っ直ぐな瞳はゆらゆらと揺れ、縁には涙のしずくが溜まる。それでも彼女は目を逸らさずにしっかりとジェームズを見据える。
「殿下は…大変お優しい方ですから…きっと私のしでかした事も、お許しになってしまうでしょう…?けれど、こんな問題を起こした女に、隣をお許しになっては、殿下の立場と評判に、関わります…」
「…君の気持ちは分かった。正式な手続きはまた陛下やワイルドリリー公爵を含めて後日になるけれど、君の心遣いを、僕は受け入れる」
「ありがとうございます…あの、ジェームズ殿下」
「うん?」
「最後に、ジェームズ殿下の優しさに、一度だけ甘えてもよろしいでしょうか?」
最後に、とわざわざ口に出したビアンカの言外に含む何かを感じ取ったのかジェームズは眉根を寄せつつも一言「許す」と告げる。
「…ジェームズ殿下と、殿下の想う方との祝福を申し上げることが出来ない私を、どうかお許し下さい」
後日ジェームズとビアンカの婚約は正式に白紙となった。王家とワイルドリリー公爵家との間にどのような取り決めがあったのかは公になることは無かったが、ビアンカが引き起こした一連の騒動は元より、第一王子を巡る学園でのビアンカとハリエットの諍いも一般の知る所にはならず、両者共にお咎めは無し。あくまで精霊の暴走によって引き起こされた事故として処理された。
精霊の暴走による後遺症で体調を崩したとされたビアンカは学園を休学し、静養の為に領地へと越して行った。
そして第一王子ジェームズの婚約者の欄には──
ジェームズ殿下と共に切磋琢磨し、時に支え合い生活する学び舎。気心知れた友人達と一時貴族としての重責を忘れて笑い合い、私を脅かすものは何も無い世界──
「ビアンカ?どうしたんだい?」
私だけを視界に収めて、ジェームズ殿下は私だけに微笑んで下さる。
涙が出るくらい優しくて、でも何かがおかしい世界。
「…」
ぐるりと周囲を見回す。微笑みかけてくれる学友達、私を愛してくれるジェームズ殿下。それだけでとても満ち足りている筈なのに、心のどこかがざわざわと騒ぐ。これでいいの?と。
その時ふと、ゆるい風が髪を一房さらっていった。なんとはなしに髪が流れていく先に目を遣って、ジェームズ殿下とお茶をしていた学園中庭の広い空を見る。
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「え?どうって…空が大変な天気に…!」
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「え…!?」
にこにこと普段と変わらず微笑むジェームズ殿下と学友達に、違和感を抱く。
たまらなくなってお茶をしていた席を立つと、慣れ親しんだ声が足元から這い上がる。
『…俺のビアンカ』
「っ!?」
足に絡まるように佇むのは、自身の半身、灰色の毛を纏った獣。
その獣が底の見えない暗い瞳でじっと見つめてくると頭が痺れる気がする。
『ここはお前の為のお前の世界だよ。お前を傷つける者は居ないし、お前に都合の悪い事は決して起こらない』
「…」
『お前が望んだ世界だよ』
「…そうね。私が望んだ世界だわ」
そっと腰をまた椅子に下ろす。
気づいていたけれど、気づかないふりをした。これは嵐の精霊がやったことであって、私のしたことじゃないと何度も言い訳をして。
私の願望が作り出した私の箱庭に、閉じ籠った。
♦︎
「…嵐の外で何が起こっているのか、精霊を介して見ていました。ずっと。ずっと、何が起きているのか、知っていたんです」
「ビアンカ…」
ベッドの上で上半身を起こして淡々と語るビアンカの震える手を、ジェームズがそっと握る。
「…精霊の暴走と、王弟殿下は仰いましたね」
「ああ」
「…確かに、徐々に彼は私のコントロール下から抜け出していきました。けれど、数々の問題行動の根底にあったのは、私の自分勝手な我が儘ですわ」
部屋に居る誰もが黙ってビアンカの言葉の続きを待つ。
「ジェームズ殿下に愛されたい。カサブランカ伯爵令嬢なんか居なくなればいい…邪魔するものは全部、消えればいいのにと」
「…」
自嘲のような笑みを浮かべたビアンカは、ジェームズに向き直る。
「ジェームズ殿下、心からお慕いしております。ですから…殿下の婚約者を慎んで辞退させて頂きたいと存じます」
ビアンカの真っ直ぐな瞳はゆらゆらと揺れ、縁には涙のしずくが溜まる。それでも彼女は目を逸らさずにしっかりとジェームズを見据える。
「殿下は…大変お優しい方ですから…きっと私のしでかした事も、お許しになってしまうでしょう…?けれど、こんな問題を起こした女に、隣をお許しになっては、殿下の立場と評判に、関わります…」
「…君の気持ちは分かった。正式な手続きはまた陛下やワイルドリリー公爵を含めて後日になるけれど、君の心遣いを、僕は受け入れる」
「ありがとうございます…あの、ジェームズ殿下」
「うん?」
「最後に、ジェームズ殿下の優しさに、一度だけ甘えてもよろしいでしょうか?」
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