アイツは可愛い毛むくじゃら

KUZUME

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物理的に縮まる距離と心理的に縮まらない距離

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 「いやはや、ご迷惑をおかけしました。ララさん」
 「そんな、頭を上げてくださいトーマスさん!困った時はおたがい…」
 「私の代わりに…は、なってなかったみたいですが、まぁ、一応助かりました」
 「…お礼言う気あります?」

 トーマスのギックリいってしまった腰の調子も良くなり、二人は久しぶりに一緒に台所に立っていた。
 トーマスからのお礼のようなお礼ではないような一言を受け取り、話題は自然とトーマスがギックリ腰で休んでいた間の事になる。

 「そういえば、ご主人様から聞きましたよ。ララさん、ご主人様の前でぶっ倒れてご主人様のベッドで一晩爆睡されたとか」
 「あれは!っその、ちょっと…あれです。緊張で逆に寝ちゃう、みたいな…」
 「いやはや、流石は魔女クローディアの娘ですな。肝っ玉がすわってらっしゃる。まさか伯爵閣下のベッドで!一晩!お過ごしになるとは!」
 「言い方!!」

 料理をするトーマスの傍ら、下拵えとして野菜をひたすら切っていたララは思わずダンッ!と大きな音をたててまな板に包丁を振り下ろす。
 揶揄われているだけだと分かっていても苦い自身の失態を思い出してララは苦虫を噛み潰したような顔でトーマスを睨みつける。

 「ふふ。これは揶揄いが過ぎましたかね」
 「…トーマスさんは意外と意地が悪いですね」
 「そこはお茶目と言い表すのが処世術の一つですよ。お嬢さん」
 「それはどうも、有意義な情報をありがとうございます、おじいさん」
 「ふふふ」

 ララの嫌味など全く意に介さず、トーマスはにこにこと笑ったままスープをかき混ぜる。
 キッチンにはふわりと良い匂いが立ち込め、きゅるるとララのお腹を鳴かせにかかる。

 「それにしても、ララさんは本当に動物の類が苦手でいらっしゃるんですね。まさか触れただけで気絶されるほどとは…」
 「…だから最初に言ったじゃないですか」
 「貴族であるご主人様だからではなく、全ての動物が苦手なのですか?」
 「そうです。別に閣下だから特別怖いわけじゃなくて…いや、あのすがたで怒鳴られると更に怖いけど…。昔まだ小さい頃に近所の犬に吠えられ追いかけられ頭に咬みつかれ…それから毛むくじゃらの四足歩行の動物全般が苦手なんです」
 「気絶するほど?」
 「気絶するほど」

 話しながらも作業する手は止めていなかった二人はちゃきちゃきと出来上がった料理を皿に盛り付けあっという間に美味しそうな朝食の準備が出来上がる。
 エプロンを外したトーマスが朝食を乗せた台車の取手部分を掴むと一度振り返りララへと悪戯な笑みを浮かべる。

 「ご主人様の朝食の配膳、ララさんがやられますか?」

 それに対してララは箒を持って答える。

 「冗談でしょ」



♦︎



 「…完璧に冗談だと思ったのに~!」

 シリウスの待つ部屋へと向かう廊下を、温かい朝食の乗った台車を押してのろのろと歩くのは結局ララだった。

 「腰がまだ痛むって、絶対嘘だああぁ」

 そうは思っても腰をさする老人を前に否、とは言えずにララは渋々箒をトーマスに手渡したのだった。
 ぶつぶつと恨み言を言いながら、辿り着いてしまったシリウスが待つ部屋の扉の前で、ララは悪あがきだと知りつつも気が変わったトーマスがやって来ないかと無駄にたっぷりと間を置いてノックをする。
 果たしてトーマスは当然現れず、部屋の中から入室を許可するシリウスの声だけが広い廊下に響いた。

 「…はぁ」

 再度ため息をついてから、ララは意を決して扉を開ける。

 「…朝食の配膳をさせていただきます~」
 「…トーマスは」
 「あ~、なんかまだ腰が痛むらしくて…今日は、今日は変わりに私が」
 「…ふん」

 今日だけ、あくまで臨時です!という気持ちを前面に押し出しララはなるべくシリウスと距離を保ちつつ温かい朝食を並べていく。

 「で、では私はこれで、」
 「おい」
 「は、はい!」

 そそくさと部屋から出て行こうとしたララだったが、唐突にシリウスから掛けられた声により引き留められ振り返る。

 「…お前もう調子は良いのか」
 「え?」
 「この前ぶっ倒れただろうが。もう良いのかっつってんだよ」
 「あ、ああ、はい!もう元気です凄く!」
 「…」
 「し、仕事はしっかりやれます!大丈夫です!」

 シリウスの無言を、仕事をサボるなという無言の圧力だと感じ取ったララは無駄に元気良く答えながらそろそろと片足ずつ部屋の出口へと向けていく。

 「閣下の気を煩わせることはないんで!もう本当に元気です!凄く!!今なら1週間分の洗濯まとめてだろうがバリバリに出来ます!!!」
 「…そうか。そんなに力が有り余ってんならこれからもお前が飯の配膳しろ」
 「……は!?!?」

 シリウスの口から飛び出た思わぬ発言にララはそろそろと動かしていた足を止めて大声を出す。

 「正直、俺がなってるせいで仕事が溜まってんだよ。トーマスの奴にはそっちを片付けてもらう」
 「え、え?あの、それがなんで私が閣下の食事の配膳をすることに…!?」
 「お前がすげえ元気だっつったからだろうが。お前に回せるトーマスの仕事は全部回す」
 「はあ!?ちょっと待ってよ!私だって今凄く忙しいのに…!」
 「あ゛!?」

 ギラリ。
 シリウスの大きな大きな口の隙間から白く鋭い牙が光る。

 「喜んでトーマスさんの分の仕事もこなしますっ!」
 「嫌ならとっととお前の母親を連れて来い」
 「……!…はい」

 ぐうの音も出ない正論に、ララは言い返したい気持ちをぐっと堪えて返事をすると今度こそ部屋を出て行った。
 パタリ、と閉まった扉の外側。暫く進んでからララは呻き声を発する。

 「……うう~~~!!!」

 絶妙なタイミングで仕事を押し付けてくれたトーマスへか、それとも自らのしでかした失敗の尻拭いに実の娘を巻き込んでくれている母親へか、はたまた単純にシリウスの理不尽さにか。
 一体どれに怒りをぶつければいいのか分からずただ唸るしかないララだった。
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