新選組秘録―水鏡―

紫乃森統子

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第1部

第七章 速戦即決

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 元治元年六月五日。
 壬生村の新選組屯所は、物々しい空気に取り巻かれていた。
 今朝方、桝屋から押収された武器弾薬が庭に積まれ、検分が行われている。
 その時分には、伊織も山崎や尾形とともに、押収された文の検閲に当たっていた。
 桝屋に出動していた隊士らによれば、やはり大部分は既に焼失されてしまっていたのだという。
「結局、押収できたのは全部で四十五通か」
 整然と積まれた文を前に、尾形が総数を述べる。
 文の宛名はどれも『ふるたか』と読める物ばかりであり、それが桝屋喜右衛門の本名であることは明白だ。
 用いてある字こそは多岐に渡るが。
 『経鷹』ともあれば『婦留高』と記された物もある。
 その中で、伊織は一通の書簡を手にした。
 剛健な筆跡で『古高俊太郎様』と宛てられている。
「古高俊太郎。これが桝屋喜右衛門の本当の名ですよ。字も、この表記が一番多いですし」
「で、それの差出人は誰や?」
 山崎に問われると、伊織は文の裏を返す。
「ええと、石川清之助……」
「石川? ……誰だ?」
 尾形も山崎も首を傾げた。
「これ、偽名ですよ。この人の本名は確か、中岡慎太郎。土佐の脱藩浪人です。こっちの文の河野っていうのは、長州の久坂義助の変名です」
 伊織は次々と書簡の差出人を読み説く。
 勿論、知っている限りのことでしか言えないが、幸い幾つかは伊織の記憶にある名が存在していた。
 四十五通のすべてが別人から寄せられた物ではなく、中には何度も古高に文を出している人物もある。
「なんや、字ィ読めとるやないか?」
「人の名前くらいは読めますよ。中の文面はさっぱりですけどねー!」
「威張れたことか。しかし、これだけ多様な浪士の書が送られているということは、この男、余程重要な位置にあるらしいな」
 一通一通に目を通しながら、尾形は冷静に口を挟んだ。
 山崎と尾形とがせっせと文面を読破していくのを、伊織は傍らで見守る。
 桝屋喜右衛門こと古高俊太郎を中継点として、これだけ多くの志士が連絡を取り合っている。
 焼失してしまった分を考えれば、京に出入りする不逞浪士の数は想像を容易に越えているであろう。
 入京を禁じられているはずの長州藩士たち。
 そしてそれを援護する諸藩の尊攘派志士たち。
 彼らは京に潜伏し、何を成そうとしているのか。
 問題はそこであった。
 暫く二人の様子を窺っていた伊織だったが、やがて立ち上がると、一時部屋を離れることにした。
「少し庭に出てきます」
「あ? ……せやな。文も読まれへんオマエがおってもしゃあないわな」
「不用意に屯所の外へ出ていくなよ?」
「わかってますよ……」
 まるで子供扱いをする二人を不満げに一睨してから、伊織は退室していった。

     ***

 庭に出る、とは言ったが、伊織が向かうのは正確には屯所内にある土蔵。
 伊織がこの時代に目を覚ました場所である。
 そこに、今は古高が取り調べを受けている。
 今朝の話によれば、土方も近藤もその蔵にいるはずだった。
「あれ? あんたは確か……」
 庭に降りてすぐに、伊織に声をかける者があった。
 監察方の島田魁だ。
 伊織は足を止め、島田を見上げた。
「尾形の弟子の、高宮だったな。話は聞いてるよ」
「ああ、はい。よろしくお願いします」
「よろしくなぁ」
 島田は鷹揚に笑いかけ、ふと伊織の向かっていた方を見た。
 すぐそこに、土蔵が堅く戸を閉ざしている。
 見張り役の隊士の姿も、二、三見られた。
「今は近付かんほうがいいぞ?」
「取り調べ、進んでないんでしょうね」
「ああ。副長もさすがに手を灼いてるみたいだな」
 島田も辟易した風に溜め息をついた。
 伊織は島田から土蔵へと視線を移し、あっと思い立ったように踵を返すと、たった今やってきた方向へ引き返し始めた。
「おい、高宮?」
 気付いてすぐに呼び止めたものの、島田はそれ以上引き留めなかった。
 蔵の中への出入りは許されないだろうから、今は結局戻らせるしかないのだ。
 蔵内から鞭を打つ音と苦悶する呻き声が聞こえ始めたのは、それから程なくしてのことだった。

     ***

「ちっ。何一つ喋ろうとしねえ」
 唸るように土方が呟いた。
 閉め切った土蔵の中は、昼でも灯りがなければ暗い。
 近藤、土方の前には、両腕を後ろに括られた志士、古高俊太郎。
 代わる代わる隊士によって鞭打たれ、着物は破れ、肌の裂け目からは赤々と血が滲み出ている。
 傷は無数に及んでいるにも関わらず、古高はこれまでに己の本名以外は全く口を割っていなかった。
 風の流れの稀少な蔵は暑く、鞭を打つ隊士も噴き出す汗を頻りに拭っては、また古高の背に鞭を入れる。
「既に死を覚悟しているのだろうな」
 近藤が感心とも思える調子で呟くと、土方はその横でぎりりと歯噛みした。
 蒸し暑さと古高に対する苛立ちで、土方の額からも汗が滲む。
「おい。そこまでだ。そいつを逆さ吊りにしたら、釘と蝋燭を持ってこい」
「どうするつもりだ、トシ」
 苛立ちを募らせているのは近藤も同様だが、土方よりもまだ泰然とした構えである。
「決まってるじゃねえか。連中が何を謀ってやがるのか、口を割らせるんだよ」
 冷徹な笑いを浮かべて近藤に言った後、土方は隊士の誰にともなく指示を出した。
「釘は五寸、蝋燭は百目だ」

     ***

 伊織は副長室に駆け込むなり、直ちに着込みをはじめた。
 不慣れながらに防具を着け、浅葱の羽織に袖を通す。
 皆と同じに支度を始めたのでは、必ず遅れを取ってしまう。
 もたもたしていては、出動に間に合わなくなってしまうであろうことは分かりきっていたのだ。
 手を煩わせながらも、やっとで着込みを済ませると、次に伊織は紙と筆を手に取った。
 防具を着けているせいで相当に書きにくいが、伊織はひたすら筆を走らせた。
 書き出すものは、隊士の振り分け。
 記憶にある限り、隊士の名を書き付けていく。
(平隊士の配置までは正確に思い出せないな……)
 つらつらと書き並べた名前の列を幾度も見直してみるが、やはり何名かの配置がわからない。
 これからすぐに目まぐるしく動かねばならない土方の、少しでも役に立てればと思ってのことであったが、こうも不完全では致し方ない。
 今度はゆっくりと筆を動かし始めた。
 何とかして隊士の配置を認めると、伊織は全四書の配置案を懐に忍ばせ、副長室から出た。
 その足で向かった先は、山南のいる部屋。
「山南さん、失礼します」
「高宮君じゃないか。尾形君たちと文の検分をしていたんじゃ……?」
 本人は普段通りに話しているらしいのだが、やはりどことなく落ち着かない様子である。
 また、伊織の装いが物々しいことに気づき、山南の表情は明らかに堅くなった。
「その格好は?」
「今にみんな準備を始めるでしょう。山南さん、これを」
 山南の問いにはおざなりに答えて、伊織は懐中から一通の覚え書きを取り出す。
「ここにある隊士だけで、屯所の守りをお願いします」
「何だって?」
 差し出された名簿にざっと目を通し、山南は訝しげに伊織の目線に視野を上げる。
 まだ古高の取り調べは終わっていないはずなのに、一人先に何かに備えている伊織が妙に山南の気にかかった。
「君は何か掴んでいるのか?」
「それは後で土方さんに聞いてください。古高もそろそろ自白するでしょうから」
 早口に言いおくと、伊織は一つに結い上げた髪を大きく振って身を翻し、山南の前から去った。
 どこへ行くのか、と尋ねようとした時には、部屋にはもう山南一人であった。
 渡された物に再度目を通すと、山南はそれを携え、土方のいる土蔵へと急いだ。

     ***

 逆さ吊りにされた古高の両足の甲から裏へと、五寸釘がぷつりと貫通している。
 釘の先には百目蝋燭が立てられ、古高が苦痛に身を捩る度に、大きな炎の輪郭がゆらゆらと撓む。
 流れ落ちる蝋は膝の辺りまで滴り、じりじりと肌を灼きながら、やがて白く凝固していく。
 執拗なまでのその苦痛に、古高はようやく策謀を吐露し始めていた。
 強風の夜に御所に火を放ち、その混乱に乗じて孝明天皇を長州へと奪い去る。
 加えて、参内する中川宮朝彦親王、松平容保などの斬殺。
 その計画進行のため、今夜もどこかで密議が持たれるという。
 さすがの近藤も、蒼白になった。
 土方が躍起になって会合場所を吐かせようとしても、古高はそこまでは知らぬと通した。
「本当に知らねぇらしいな……」
 土方が口惜しげに舌打ちした。
「急ぎ会津公にお知らせせねば」
「ああ。援兵の要請もしなきゃならねえ」
 山南が土蔵に踏み込んだのは、その時であった。
 熱気で淀んだ蔵内部に、新しい空気が流れ込むよりも早く、山南は土方に駆け寄った。
「土方君、高宮君がこれを私に。この隊士だけで屯所を守れと言われたが、どういうことだね?」
「伊織が?」
 土方は件の書に目通し、ぴんと眉を跳ね上げた。
 山南敬助を筆頭に、六名の名が記されている。
「あいつ、また何か知ってやがるな……」
 近藤も横から覗き込み、一覧した。そうして、ほう、と感嘆する。
「留守を預かってもらうには最良の案じゃないか」
「そりゃあ確かにそうかもしれねえが、よく見てみな。伊織の名がねえ」
「さっき会った時には、既に着込みをしていたよ。土方君が指示をしたんじゃないのか?」
「ねぇよ。……山崎君や尾形君を留守隊に入れて、何で自分は出動する気になってんだ、あいつは!」
 監察方はあまり表舞台に出したくないと言った土方の意向を、極力取り入れた留守部隊編成は、近藤の言うとおり最良と思われる。
 だが、その中に含まれるべき伊織が、誰よりも先に出動体勢に入っているらしい。
 それが土方には合点がいかなかった。
「それで? 伊織はどこに?」
 土方が尋ねても、山南はさて、と首を横に振るだけ。
 引き留める間もなく、どこかへ行ってしまったという。
 伊織の行動は気がかりだが、今はそればかりに捕らわれている場合ではないことを思い出し、土方は即座に思考を切り替えた。
「とりあえず、会津藩へ連絡だ。それから全隊士を一ヶ所に集めて対策を練る!」

     ***

 近藤、土方の指示により、隊士は昼過ぎ頃からぱらぱらと時間を置いて、壬生の屯所を出始めた。
 出動と悟られないように、敵の目を欺くためだ。
 結局、屯所に残る部隊は、伊織の書き置いた案をそのまま反映した編成を取った。
 隊士たちがそれぞれに道順を変えて向かう場所は、祇園会所。
 そこで会津藩兵と合流する手筈になっていた。
 土方は会津藩本陣、金戒光明寺へと使いを出した後、副長室に山崎と尾形の両名を呼び出していた。
「君たち二人にも、屯所に残ってもらう。勿論、伊織も留守隊だ。……と、言いたいところだが、肝心の伊織が姿を眩ましやがった」
 土方がここまで言うと、山崎も尾形も、互いに顔を見合わせた。
「どこに行ったか知らねえか」
「どこに……って、庭に出てくるとしか聞いていませんでしたが……」
「副長のとこに行ったのと違いまんのか?」
「一人で先にどこかへ出動したらしい。留守隊の編成案だけ残してな」
 二人とも行方を知らぬと見ると、土方はやおら立ち上がり、大小を腰に差し直した。
「わかった、知らないならいい。俺はもう屯所を出るが、もし伊織が戻ったら、そのまま引き留めておいてくれ」
 それだけで部屋を出ようとする土方を、尾形が呼び止めた。
「副長!」
「何だ?」
「密書の検分の時も思ったのですが……」
 尾形の妙に怪訝そうな話し方に、土方は立ち止まり、振り返った。
「高宮は我々ですら知り得ない何かを、知っているのでは?」
 尾形の詰め寄るような視線を受け止め、土方は少しばかり思案する風をした。
「そうだな。知ってるんだよ、あいつは」
 だから役に立つかと思えばとんでもない、こんな余計な気苦労を被られるとは、と土方は嘆息する。
「高宮は何を知っとんのやろか?」
「これから起こること、だろ」
 山崎が何気なく声に出した疑問に対し、土方は簡潔にそれだけを述べると、自らも祇園会所へと出かけていった。
「これから起こること? 何のこっちゃ?」
「俺にもさっぱり意味が掴めません……」
 山崎も尾形も、暫し首を捻った。
「そういえばあいつ、偽名もやけに詳しく知っとったな」
「単独で諜報に動いた気配は少しもなかったのに、桝屋のこともいやに良く知っていた……」
「ほんまに何者なんや、あいつは」
 どうにも釈然としない思いを抱え、二人はそれぞれに屯所の警備に就くのであった。

     ***

 夕刻。
 折しもこの日、祇園祭り当日であった。
 日の入りが迫るとともに街もいよいよ活気づき、人出は格段に多くなり始めている。
 そんな賑わいの中、伊織は次々と集まってくる隊士たちに紛れて、会所に入った。
「高宮さん!? 今までどこに行っていたんですか!」
 入ってすぐに伊織に掴みかかったのは、沖田だった。
「あっ!! おい、高宮じゃねえか! 土方さん、すっっげぇ怒ってんぞ!?」
 続けざまに原田も駆け寄ってくる。
 しかし、二人に対しても、伊織はにこりともせずにその顔を交互に見た。
「少し遠回りをしてしまったみたいで、遅くなりました。土方さんはもう来てますか?」
「今、奥で近藤先生と話し合ってますよ」
「そうですか、ありがとうございます」
 伊織は軽く頭を下げると、前に立ちふさがる沖田と原田を避け、奥へと進んだ。
 土方が怒るだろうことくらいは、伊織も最初から予測していた。
 だから原田が慌てていようと、特に気にはならない。
 多分、勝手な行動を取るなと怒鳴られるのだろう。
 けれども、こうでもしなければ討ち入りの隊に参加することは叶わないと思ったのだ。
「局長、失礼します」
 そう断って目の前に現れた伊織を、近藤も土方も驚きにさえ近い目で見た。
 それと同時に、土方はすっと立ち上がる。
「その格好はどういうつもりだ」
「私もこちらに加わります」
「認めねえ。すぐに屯所に戻れ。尾形も留守役にしてあるんだ。おめぇの手を借りなくとも、こっちの人手は足りてんだ」
「嘘をつかないでください」
「……あぁ?」
「人手なんか足りてるはずない」
 今、新選組の隊士は全員で四十数名。
 そのうち六名を屯所に残してあるのだから、出動できる隊士は三十数名にしかならない。
 何十人いるかもわからない尊攘派志士の会合に踏み込むとなれば、普通に考えても足りているとは言い難かった。
 組織としての水準を満たしているかさえ、危うい数だろう。
 以前はもっと多くいたであろう隊士がここまで減ってしまったのは、脱走者が相次ぎ、隊規に触れて処罰される者があり、さらには長州の間者とされて処断される者が多くいたためだ。
「実際の隊士の数を誤魔化すために、会津藩へは病欠者が多数だと報告したんでしたっけ?」
 さらりと言ってのけた伊織を前に、土方は苦渋の表情をする。
 それもそのはず。
 伊織は知らぬはずの報告内容を、ずばり言い当てられたのだから。
 新選組隊士だけでは不十分と判断し、土方は会津藩へ援護要請をしていた。
「私も出ます。許可してください」
 至って真剣に願い出た伊織を睥睨し、土方はその頬を平手で打った。
 ぱん、と高い音が響いた。
「俺たちゃあ、これから人を斬りに行くんだよ! 俺が何のためにおめぇを監察にしたか、まだわからねえのか!? おめぇが人を斬らなくても済むようにだろうが!!」
 怒鳴った土方の声が、わずかに上擦っていた。
 伊織は平手打ちされた左の頬を押さえ、目を見張る。
 手加減はあったらしいのだが、頬はひりひりと熱くなる。
 一瞬、何が起こったかわからなくなるくらいに、驚いた。
 近藤も驚いて、ぽかんと口を開けている。
 伊織は顔を伏せたまま、土方に訴えた。
「私のことも、他の隊士と同様に扱うと言ったじゃないですか」
「同じに扱ってんだろ。副長の命に背けば、おめぇも処断する」
 土方の冷たい声が、伊織の耳を突く。
「お、おい、何もそこまで……」
 土方と伊織の間に張り詰める緊迫感には、近藤も当惑した様子である。
 いつになく激昂した土方を宥めようとかけた声も、その意には介さないらしい。
 すると、伊織が姿勢を取り直して土方に詰め寄った。
「私は土方さんについていくと決めたんです。その意志を全うするためには、守られるばかりでいたらいけない。ここにいれば、必ずいつかは人を斬る時が来るんじゃないでしょうか」
「まるで、そういう覚悟が出来てるような口振りじゃねえか」
「もう、出来てますよ」
 伊織は仁王立ちになる土方の前に膝を折った。
「お願いします」
 生まれて初めての土下座だった。
 土方が厳しいのは、偏に伊織の身の安全を考えてのこと。
 それは伊織も理解しているつもりだったし、その気持ちは素直に嬉しいと思う。
 沖田が以前教えてくれたように、土方は守ろうとしてくれている。
 しかし、それに甘えるのは嫌だと思った。
ついていくのなら、守られるよりも同じ道行きを望む。
 それにやはり、守られている以上は、他の隊士と同等だとは言えないと思った。
 暫時、三人は指の一本たりとも動かさぬまま沈黙した。
 伊織も叩頭したまま、土方の返事を待った。
 そして。
「──出せよ」
 と、土方の右手が差し出され、伊織は顔を上げた。
「出す?」
「留守部隊の編成をしたんなら、出動隊の割り振りも考えてあるんだろ!」
「! あっ、はい。これです」
 慌てて懐から残りの三通を取り出すと、土方に手渡した。
「出動隊は、全部で三隊に分けました」
 会合が開かれる可能性の高い場所は、池田屋と丹虎が挙げられる。
 この二ヶ所は、かねてより監察方の報告から怪しいと践んでいた場所である。
 伊織の編成案は、局長近藤、副長土方、副長助勤井上源三郎をそれぞれ隊長とする、三隊に分ける案だった。
「近藤隊十名は鴨川西の木屋町通りを北上して池田屋へ。土方隊十二名は東側の縄手通りを北上して丹虎へ。残り井上隊は祇園周辺を担当します。浪士たちの居所が掴めれば、すぐに駆けつけられるように、各隊に連絡係を一人置くと良いかと……」
 伊織の簡単な説明を聞きながら、土方と近藤はその編成案を確認する。
 各隊に割り振られた隊士名をざっと見比べて、近藤は意気揚々と笑った。
「均衡の取れた良い案じゃないか。これで各隊に会津藩兵が加われば、体勢は万全だな」
 褒める近藤の言葉は有り難いと思ったが、それで伊織が得意気になることはない。
 幹部隊士の割り振り以外はすべて伊織の独断によるものだが、本来知っていたことを思い出して当てはめただけのことである。
 土方の手間を、少しでも軽減してやろうと思っただけのことなのだから。
 伊織が土方の反応を待っていると、ふとその目がこちらに向いた。
「で。高宮伊織の名が見当たらねえが、おめぇはどの隊に加わるつもりなんだ」
 手にした名簿をぱさりと伊織に突きつけ、土方は無表情に尋ねた。
 その言葉に、伊織はぱっと顔を輝かせる。
 直接的ではないものの、今の土方の言葉は伊織の参加を許可するものだ。
 その問いに対する伊織の答えは、勿論
「土方隊」
 であった。

     ***

 やがて会所にほぼ全員が揃うと、早速隊割りが行われる運びとなった。
 土方と沖田との間に挟まれる形で腰をおろしていた伊織は、ぐるりと集合した面々を見渡した。
(やっぱり、馬詰さん父子は来てないか……)
 平隊士、馬詰神威斎、信十郎の父子の姿が、未だ見えなかった。
 この父子、緊急出動のこの日に、脱走を試みる。
 予めそのことを知っていた伊織は、一応までに二人の名を井上隊に記していたが、元より頭数には考えていない。
 実際、現時点でその二人だけが会所に到着していないのだ。
 これはまず、間違いなく脱走したのであろう。
「編成を発表する!」
 土方が声を張り上げた。
 ざわめいていた隊士たちが、瞬時にシンと静まり、土方に注目した。
「まずは近藤隊! 局長以下、沖田総司、永倉新八、藤堂平助、武田観柳斎、浅野薫、安藤早太郎、新田革左衛門、谷万太郎、奥沢栄助」
 名を呼ばれた隊士は、それぞれ短く返事をする。
「次に土方隊。原田左之助、斎藤一、島田魁、林信太郎、川島勝司、谷三十郎、伊木八郎、尾関弥四郎、松原忠司、酒井兵庫、近藤周平、そして高宮伊織」
 土方隊として名を呼ばれた伊織も、皆に倣って返事をした。
「これ以外の者は皆、井上隊に配属する」
 土方の声が一括りしたとき、伊織はふと、隣の沖田の様子を伺った。
「沖田さん?」
「! あ、はい? 何です?」
 声をかけると、沖田は少し慌てたように伊織に顔を向けた。
 心なしか、いつもよりぼうっとしている気がする。
「沖田さん、何かちょっといつもと違いません?」
 気遣って尋ねると、沖田はすぐに普段の表情に戻った。
「何言ってるんですか、高宮さん。別に変わらないですよ? 高宮さんこそ、今日は様子がおかしかったじゃないですか。左頬も腫れてるし」
 逆に沖田から指摘され、伊織は反射的に頬を押さえた。
「土方さんに怒られましたね? まったくー、一人で暴走するからですよ?」
「……すみません」
「あはは。いいですよ。土方隊で頑張ってくださいね」
 沖田は以後も変わった様子は見せず、伊織はそれ以上の詮索はしないことにした。
 会津藩の兵を待って、新選組は会所に留まる。
 祇園祭りの囃子も、徐々に盛大さを増してきていた。


【第八章へ続く】
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