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第1部
第一章 前途多難
しおりを挟む「土方さーん」
沖田が土方の部屋に現れたのは、夕餉を終えて小半刻もした頃だった。
スッと障子戸を開けると、机に向かう土方の姿があった。
「いるんなら返事くらいしたらどうです」
ずかずかと副長室に入り、依然として卓上に目線を落としている土方の傍に座り込む。
「実は今日、変なものを拾ったんですよね」
今度はやや声を潜めて言った沖田に、土方は漸く顔を上げた。
「変なもの?」
「そうなんです。これは土方さんもびっくりすると思いますよ。私が保証します」
そう囁く沖田の表情は悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
「何なんだ、その変なものって?」
「ふふふ。見たいですか?」
「見せたくないなら見なくても構わんぞ」
妙に勿体をつける沖田に、ほんの少し憮然としてみせる土方。
「女子を拾ったんです」
沖田の意外な言葉に、土方は一旦卓に戻しかけた視線を再び沖田に向ける。
「はあ?」
日頃、浮ついた話の欠片もないこの男が、女子を拾ったというのは土方にとって予想外だった。
そんな土方の反応が嬉しかったのか、沖田は満足げに言葉を継ぐ。
「女子といっても、ただの女子じゃありませんよ。――聞きたいですか?」
「だからいちいち勿体ぶるな! 言いてぇなら言え! 言いたくねぇならとっとと出ていけ! 俺ァ、おめぇと違って暇じゃねえんだ!」
「嫌だな、土方さん。大きな声を出さないでくださいよ、大人気ない」
大きめの口を窄めて、膨れっ面になる沖田。
「今日、清水にお餅を食べに行ったんですけどね、その帰り道で、突然目の前に女子が降ってきたんです。どうです、びっくりでしょう!?」
眉を顰めて聞いていた土方の顔から、急に力が抜ける。
「はーぁ? そりゃあびっくりだなあ?」
多少馬鹿にした土方の返答が、今度は気に入らなかったらしく、沖田はますます仏頂面になる。
「もうっ! 信じていませんね? それだけじゃないんですよ、私がびっくりした事は! その女子、うちの隊服を着ていたんです」
「――何だと?」
不意に、土方の目が厳しくなる。
それに釣られて、沖田も真剣な面持ちになり、
「これです」
と、携えていた羽織を差し出した。
土方は羽織を手に取ると、徐に広げて眺め始める。
浅葱地に、袖口を白い山型が縁取っている。
家紋は入っていなかったが、実際に隊士たちが着用しているものよりも、ずっとしっかりした出来だ。
「うちの隊士の隊服じゃねえな。こんな上出来なものを配った覚えはねえからな」
「そんなことは私にだって分かりますよ。わざわざ似せた物を拵えたんでしょう」
土方は羽織を睨んだまま、低く呟いた。
「新手の間者か?」
「さあ? とりあえず、こっそり蔵に監禁してあります。もしかすると、もう目覚めているかもしれないな」
***
伊織は、永遠に続くはずだった深い闇から、漸く抜け出した。
鉛のように重い瞼を、ゆっくりと持ち上げる。
死の淵から立ち戻ったはずの伊織が見たのは、また闇であった。
死なずに済んだ、と思ったのは錯覚で、今も死の淵を彷徨っているのかと落胆したが、やたらと身体のあちこちが痛む。
(ああ、やっぱり助かったんだ!)
確信を持つと、意識は急に鮮明になってくる。
「――んっ!?」
声が出なかった。
加えて、手と足も動かせないことに気が付いた。
じわり、と嫌な汗が滲む。
猿轡を噛まされ、手足は縄できつく拘束されているらしい。
(なんだ、これ!?)
落下途中で気を失ってしまったせいで、これまでの経緯がさっぱり分からない。
ただ、一つだけ理解できるのは、助かったと安堵するのはまだ早かったらしいことだけである。
何とか縄を解こうと一頻り身を捩ってみる。
落下時に強く打ち付けたのか、動く度に鈍痛が走るが、そうも言ってはいられない。
人が来ないうちに逃げなければ、今度こそ命が危うい気がする。
一度は死んだと思った身でも、助かってしまえばやはり命は惜しかった。
(……ッ、駄目だ! 少しも弛まない!)
半ばやけくそ気味にじたばたともがくが、縄には僅かの隙も出来ない。
それどころか、動けば動くほど縄は皮膚に食い込んで、ギリギリと締め付けてくる。
(どうしよう、逃げられない! 何か、縄を切れるものはないの!?)
刃物でなくとも、それに代わる物があればいい。
懸命に首を動かし、辺りを見回してみて初めて、そこがどこかの物置部屋らしいことに気付いた。
目が大分闇に慣れてはきているものの、不運なことに、あまり役に立ちそうな代物は見当たらなかった。
(まずい。これは本当に生きて帰れないかも……)
焦りが全身に渦巻いた時、外に足音と話し声が聞こえた。
ガタン。と、重い錠を外す音がして、木戸が開けられる。
その光景を、伊織はただ凝視する以外に、成す術もなかった。
開いた戸口から入る僅かな光で、監禁場所が土蔵であったことを知る。
そこに入ってきた、二人の影。
「このコですよ、土方さん」
一方の男が、言いながら蔵内に明かりを燈す。
薄暗い灯が照らし出したのは、羽織袴姿の二人の男。
二人とも、長く伸ばした髪を一つに括り上げ、各々が腰に二本の刀を差している。
伊織は我が目を疑った。
「やっぱり目を覚ましてたんですねぇ、手首に血が滲んでる。無理にとこうとしましたね? 痛いでしょう」
灯を燈した男が、後ろ手に縛られたままの伊織の腕に触れる。
背が高く凛とした風貌に似合わず、やたら優しい声を出す。
歳はまだ若く、伊織よりも四、五歳は上だろうと思われた。
「おい、まだ縄は解くな。轡もだ」
ひどく冷たく低い声の主は、まだ戸口の前に立っていた。
(――あれ、あの人、何処かで……)
何処かで見た顔だ、と思うのだが、明るさが充分でないために、思い出すまでに至らない。
「ガキ。大声を出さねえと約束するなら、轡を外してやる。いいか、騒げば斬るぞ」
横倒しになった姿勢のまま、伊織は深く頷く。
腰の刀が本物であれ贋物であれ、ここはおとなしく従うのが良策である。
男が表情も変えぬまま、伊織の口の戒めを解こうと近付いた時、伊織はハッとした。
漸く、その顔が誰なのかを思い出したのだ。
「――っ!!?」
轡が外されると同時に、伊織はその名を呼んだ。
「土方歳三!!」
「あぁ?」
目の前の男は、新選組副長土方歳三、その人であった。
断髪洋装の写真しか見たことがなかったせいか、確信までに時間を要したが、顔は見紛う事無く土方のそれであった。
「騒ぐなと言っただろうが。斬られてえのか」
「あっ、いえ、そんな……」
慌てて首を横に振る。
いくら憧れの土方とはいえ、斬られたいとは思わない。
「土方さんのお知り合いですか?」
「んなわきゃねえだろ。それより総司、こいつのことは他に誰も知らねえんだな?」
「ええ。見つからないように運びましたからね」
二人の会話で、伊織はもう一人の人物を確信する。
「それじゃあ、あなたが沖田総司……」
「あらら。私のことも知ってるんですか?」
一瞬、伊織は頭の中が真っ白になった。
名を呼ばれて否定しないということは、つまりそういうことではないか。
(――ってことは、幕末?)
やはり自分は死んでいるんじゃなかろうか。
有り得ない話だ。
清水の舞台から転落したら、幕末にタイムスリップしちゃいました。なんて話を、一体誰が信じるだろうか。
少なくとも、ここにいる二人は信じるまい。
「――で? おめえは何者なんだ」
土方が、じろりと伊織を睨む。
現代でも充分美男で通じる顔でも、そこはやはり鬼の副長。凄味がある。
「高宮、伊織。……です」
ぎこちなく答えると、土方と沖田は目を見合わせた。
「それ、本名ではないでしょう? あなたはどう見ても女子ですよ?」
「……はあ? 本名ですけど」
憮然として言い返すと、沖田は何やら首を傾げている。
(ははあ、なるほど)
二人の様子から、伊織は一つ悟った。
(間者だと思われてるんだ、私)
これでは、下手をすれば本当に斬られてしまう。
身元を証明しようにも、幕末にあってはどうしようもない。
家族はおろか、友人の一人もいないのだから。
まいったな、と意気消沈する伊織に、土方は容赦なく尋問する。
「生国は」
「日本ですけど」
「故郷は何処かと訊いている」
「あ? あぁ、会津です」
土方と沖田が、不意に驚いた表情になる。
「身分は」
「身分、ですか。……と、言われても」
身分制度のない時代に育った伊織には、どうとも答えようのないことである。
土方の視線が、沖田に流れた。
「総司、局長呼んでこい。くれぐれも内密にな」
沖田はどういうわけか、にっこりと笑って土方に従う。
「わかりました。すぐ連れてきますから、変な気起こさないでくださいよ?」
「馬鹿野郎、さっさと行け!」
「はいはい、邪魔者は消えますよ」
「おちょくってんのか、てめえは!!」
思いがけず展開されたやり取りと、からかわれる土方の様子が、伊織には可笑しくてならなかった。
つい、噴き出してしまう。
「おめえも笑うんじゃねえ! ぶった斬るぞ!」
沖田の作り出した空気に、さっきまでの緊張感は何処へやら。
この時にして、伊織の意識にあった警戒心はすっかり解けてしまった。
***
土方と二人きりになったところで、伊織は持ち前の好奇心を、この土方に向けてみたくなった。
と、この体勢では、あまりからかい甲斐がない。
「あの、いい加減にこの縄、解いてもらえませんか」
「うるせえ。吊るされねえだけマシと思え」
土方は既に憮然として、その眉根にはかなり力が込められている。
沖田にからかわれ伊織に笑われ、機嫌が悪いらしいのだが、それすら面白いと思ってしまう。
それに、ここで恐れを為しては、新選組ファンの名折れというもの。
「奉公先の女中に手を出してクビになったのって、確か土方さんが十七の時でしたっけ?」
土方の表情が、明らかに強ばる。
(お? 焦ってる)
さらに伊織は追い打ちをかけた。
「鬼副長が何だか可愛い句を詠んでるって、みんなに言い触らしてみましょうか」
何はともあれ、土方といえばやはり豊玉発句集である。
収録されている句のすべてを覚えているわけではないが、特に印象的なものはしっかり頭に入っている。
それを本人の前で挙げ連ねてみようというのだ。
「豊玉宗匠の句で私が一番好きなのは、『さしむかう 心は清き 水鏡』なんですけど……。『春の草 五色までは 覚えけり』とか『梅の花 一輪咲くも 梅は梅』あたりも、くだらなくって好きですね。それからー……」
「もういい! 黙れっ! 足の縄だけ解いてやるから、それ以上言うんじゃねぇ!!」
驚きと照れとが相まって、土方は実に愉快な顔をする。
思っていたよりも、この男、かなりの照れ屋である。
顔を赤くして、伊織の足縄を解きにかかる。
「なんでおめぇがそんなこと知ってやがんだ!」
伊織の身体を起こしてやりながら、少々怒気を抑え込んだ調子で、土方は問う。
「俺の発句のことは、そうそう他人が知ってることじゃねぇ。どうやって調べた!?」
「どう…って言われても、ねぇ」
新選組ファンなら、必ず知っていると言っていいほど、有名なことだ。
「……神様、だから?」
説明に困って、ぼそりと言ってみた。
もちろん、神様であるわけはない。普通の人間だ。
言った後に、神様というのもあながち間違ってはいないのかもしれないな、と思う。
ここが幕末だというなら、これから起こるであろう事件の大部分を、伊織だけは知っているのだから。
「はっ! バカじゃねぇのか。そんなくだらねぇ……」
「トシっ! お前、女子を入隊させるというのは本気なのかっ!?」
土方が嘲ろうとしたその時、大慌てで蔵に駆け込んできたのは、局長、近藤勇であった。
これまた、伊織には見覚えのある顔だ。
やや頬骨の目立つ、角張った顔。
「誰がそんなたわけたことを言ったんだよ」
心底嫌そうな顔の土方に、近藤は少し安堵したように肩の力を抜く。
「なんだ、やはり冗談か」
「まぁた総司の奴が面白がってからかったんだろう」
つい先刻にからかわれたばかりの土方が言う。
その総司は、何故か未だに戻らない。
「大体のことは総司から聞いた。会津の娘さんだそうじゃないか」
「あぁ、本人の話によるとな。だがよ、このナリを見てみな。どうも胡散臭ぇ」
ナリ、とは伊織の制服姿を指す。
伊織は、何となく雲行きが怪しくなるのを感じ取った。
「あぁーあの、これは…学校の制服なんですけどね。私は結構気に入ってます! てゆーか着る物これしかなくって……」
しどろもどろである。
説明しようにも、理解を得られるような言葉が浮かばない。
「うぅーむ。確かに妙な着物だが……。会津の出というのは本当だろう。語尾に会津の訛りがある」
眉を八の字にして、近藤は伊織の姿をまじまじと見つめた。
(やっぱり小袖袴にすればよかった……)
クラス担任の言うことなど、無視すればよかったと、本気で後悔する。
「伊織殿、といったか。会津藩と我々新選組とは、深い関わりがござる。どんな事情で入洛したかは知らんが、早々に帰られるがいいぞ。京は昨今、あまり住みよいところでもないのでな」
近藤は穏やかに、子供を宥める口調で語りかけたが、土方がそれに割り込んだ。
「そうもいかねぇぜ、近藤さん。どういうわけか、こいつはやけに俺に詳しい。俺の雅号まで知ってる奴ァ限られてるはずだ。なのに、それを知ってるどころか、俺が過去に詠んだ句まで暗唱してやがる」
「雅号って、あれか? ……ぷっ」
「……ぷぷっ」
思い出し笑いをする近藤につられて、伊織も吹き出す。
加えて土方は、またしても照れ始めた。
冷静だった声が、転じて上擦った調子になる。
「あんたまで笑うことないだろう! そういう個人的な秘密を知ってるってことはだなぁっ、他に何を掴まれててもおかしくねぇってことだ!!」
要するに、隊の機密の何を掴んでいるか知れない以上は、おいそれと放してやるわけにはいかないのだと、土方は怒鳴る。
近藤がその肩を抑えて、人差し指で大声をとがめた。
「まぁまぁ、それは分かった。笑って悪かった」
近藤が詫びるのも、伊織には何だかおかしい。
今度は笑うのを堪えたが、土方は横目でじろりと伊織をねめつけた。
「だがなぁ、会津と聞いては、我々が独断で処遇を決めるわけにもいかんだろう?」
会津藩主、松平容保といえば京都守護職の任にあり、いわば新選組の直属の上司にあたる。
(……でも、万が一会津藩に引き渡されたら、どうなるんだろう)
探せば先祖くらいいるかもしれないが、それでどうなるわけでもない。
何代も後の子孫である伊織の存在など、彼らが知るはずもないのだ。
「あ、あの、局長!」
呼ばれて近藤が振り返る。
「私、家族とか親戚とか、……いないんです。だから、会津藩に届け出ても、その……」
途切れ途切れに述べると、近藤の目が段々と同情的になった。
「──そうか、では、いわゆる天涯孤独の身の上だと……」
「はい、そのようなものです」
何となく後ろめたさを感じたが、この時代で天涯孤独は嘘ではない。
だが、それも土方には通じなかった。先刻の揶揄が災いしたらしい。
「んなこたぁどうだっていい。問題なのは、どうやって俺の身辺を探ったのかってぇことだ。他に何を掴んでやがる」
土方に睨まれて、伊織は少しの間口を噤んだ。
正直に本で読んだ、などと言っても、信じてもらえるわけはない。
結局、答えにならぬ答えを返した。
「だいたいのことは知ってると思いますよ。新選組のことはもちろん、敵方のことについても多少はわかりますね」
敵方、つまりは後に維新を起こす勢力のことである。
近藤も土方も、顔を見合わせた。
「でも、一つ判らないことがあって……」
「何だね?」
「いえ、その……今日って、何年の何月何日なんでしょう?」
***
その後、沖田が調達してきた男物の着物に着替えさせられ、伊織は局長室に通された。
もちろん手首の縄は真っ先に解いてもらったのだが、肌が擦り切れて血が滲み、ひりひりと痛む。
そればかりか、落下時に傷つけていたらしく、手足の切り傷や擦り傷が疼く。
沖田が自ら手当をしてくれている間も、近藤による尋問が続いた。
「驚いたな。本当に良く調べたものだ」
伊織が近藤の生い立ちや、江戸の試衛館時代のことなどをかいつまんで話してみせると、近藤は素直に驚いた。
「なぁトシ。すごいと思わんか、この情報収集力は」
「……あぁ、そうだな」
蔵を出てから、土方は口数も少なく、何かを思案している様子であった。
その代わりに沖田が間を取り持ってくれ、気まずい雰囲気にはならずに済んだのが幸いだった。
沖田は自分が伊織を蔵まで運んだこと、清水で伊織を拾った時の驚きなど、面白おかしく語る。
「でもねぇ、近藤先生。突然空から降ってくるんですから、そりゃあ私もびっくりしたんですよー!」
沖田の話しぶりに、近藤も呵々と笑う。
「これはもう、絶対に天女様か何かだと思いましたね!」
天女様だと思ったなら、何故手足を縛って蔵に監禁するのだ、と伊織は頬を引き吊らせる。
その様子にも近藤は楽しげに笑い、ふと笑いがおさまると、ところで、と問いかけた。
「なぜ会津からはるばる京まで来られた?」
「あぁ、それは──」
修学旅行で、と言いかけて、言葉に詰まった。
理解してもらえるような言葉が出てこない。
ややあって、ようやく、
「新選組が、好きだから、会ってみたいな……って」
という理由を挙げた。
言ってみて、すごく怪しい言い訳だと後悔したが、予想に反して近藤はこれに喜んでくれた。
「そうか、それは光栄だなぁ! しかし、折角頼ってくれても、女子を隊に入れるわけにはいかんのでなぁ」
そう言って近藤は顎をさすりながら、何事か考えついたらしい。
「そうだ。行く宛がないのなら、どこか良い奉公先でも紹介しようか」
普通なら格別の好意であるものの、伊織にとってはどこか愕然となる提案だった。
(私は、どうなっていくんだろう)
元の時代に帰るには、どうすれば良いのか。
帰れなかったら、この時代でどうやって生きていけば良いのか。
未来の日本に生きる自分が、幕末の世に馴染めるのだろうか。
それに、自分がここにいることで、未来を変えてしまったりはしていないだろうか。
どうせ信じてはもらえまいと思って、未来から来たとは言わずにいたが、話した方が良いのではないか。
不安が一気に胸中になだれ込んだ。
「──どうかしたかね? 顔色が良くないが……」
下を向く伊織の顔をのぞき込むようにして、近藤が気遣う。
伊織は恐る恐る顔を上げ、近藤を見た。
「あのう──。本当のことを、お話しします」
自分のものとは思えないほど、声が悄然としていた。
「私は、確かに会津の者ですが、正確には『会津藩』の者ではありません」
三人は、一様に理解に苦しんでいる風を見せた。
「どういう意味だね?」
「笑わないで聞いてください。今この時が本当に幕末、いや徳川幕府の時代なら、私は──。今から百年以上も先の会津に生まれ育った人間です」
三人からの返答はない。
「解りやすく言えば、私は未来から、時を遡ってここへ来た……ということになるんです」
そこまで言って、三人を順に見た。
近藤と土方は理解できぬといった面もちである。
が、沖田に至っては、一人必死に吹き出すのを堪えていた。
「空から降ってきた、と沖田さんは言ってましたけど。正しくは、私、清水寺の舞台から転落したんです。きっとその拍子にこの時代に入り込んでしまったんじゃないかと思うんです」
「は……」
沖田も、これを聞いて笑いがおさまった。
「そりゃあ本気で言ってやがんのか」
土方が胡散臭そうに尋ねたが、伊織は臆せず、本当のことなのだと断言した。
「未来から来たからこそ、皆さんのことも良く知ってるんですよ」
ここまで聞くと流石に唸るところもあるのか、三人は漸くまともに話を受け止めて始めたようだった。
「それが本当の話だとして、だ。元の時代に帰るには、どうすればいいんだ?」
眉を八の字にして、近藤が言う。
「さぁ?」
「さぁ、って、おめぇ……」
それがわかっていたら苦労はないだろう、という思いで、伊織はなんとも絶望的になる。
元の時代に戻る方法に、心当たりがないわけではないが、だからといってそれを実行する勇気は持てない。
「もう一度、舞台から落ちたら……あるいは戻れる、かもしれませんが」
「で、舞台から飛び降りるのか?」
土方の尤もな質問に、伊織は絶句した。
帰れるものならそれも考えなくはないが、もし帰れなかったら、ただの身投げになってしまう。
沖田も今はなにも言わなかった。
非常に重苦しい空気が満ちる中、土方がそれを振り払うように、ポンと膝を叩いた。
「ま、何はともあれ、ひとまず新選組の管理下にいてもらおう。立派な隊服まで持参してるんだ、ちょうどいいじゃねぇか」
これには伊織をはじめ近藤、沖田も驚いた。
「トシ!? それは伊織さんを入隊させるということではあるまいな」
女子を入隊させるのには反対姿勢の近藤を一瞥して、土方は腕組みをした。
「何も入隊させるとは言ってねぇさ。ただ、この先こいつが長州の手に握られないとも限らねぇだろう? 素性がどうあれ、実際にこんだけ俺たちについて詳しいんだ、敵に回せば厄介だ。それならいっそ、手元に置くほうが利口ってもんだぜ」
「うーむ。それは、そうだが……」
近藤も異論は唱えられなかった。
「こいつぁとりあえず、俺の小姓として、俺が雇い入れる。個人的な雇用だからな、隊士じゃあねぇ。しかし、女子ってぇのはまずいから、このまま男装させておこう。それでどうだい、近藤さん?」
口元だけで笑う土方に対して、近藤は難しい顔になる。
「身の回りの世話をさせるなら、休息所のひとつでも任せればいいじゃないか?」
「俺ァ忙しいんでな、そうそう隊を空けられねぇ。近くに置かなきゃ小者を雇った意味がねぇだろう」
近藤も、もはやそれ以上は反対出来なかった。
正式な隊士でなく、個人で雇い入れ、なおかつ男装までさせると言うのだから、さすがに否とは言えない。
「おめぇもそれでいいな?」
ぎろりと横目で見られ、伊織も反射的に承諾してしまった。
「は、はぁ。よろしくお願いします」
鬼の土方が、一体どういうつもりなのかと、妙に勘ぐってしまう。
「ふぅん。じゃあ高宮さんは、ここで一緒に暮らすことになるんですね!」
「まぁそうなるな」
「ふふふ、楽しくなりそうですね~! ねっ、高宮さん!」
約一名、やたら盛り上がっているが、楽しくなりそうな予感はあまりしない。
少なくとも、伊織は。
けれども、他に頼るもののない今、土方には感謝の念を禁じ得なかった。
【第二章へ続く】
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