上 下
82 / 98
本編

第十八章 邂逅と牽制(2)

しおりを挟む
 
 
 一番熱心な篤次郎などは一層熱心で、銃太郎の指導過程においてその補佐を担えるまでになりつつある。
 手順を浚い、その後実際に弟子たちの手で弾丸の装填や着火の演習を行う。
 弟子の成長は素直に嬉しく思っていたし、この分ならきっと大調練でも充分通用する部隊になるだろう。
 次月に予定された演習に向けて、銃太郎の指南もより熱の入ったものとなっていたし、それは他の砲術師範たちも同様だろう。
「若先生、雲が厚くなってきたようです」
 篤次郎が撞薬杖を抱えたまま空を仰ぎ、雨の匂いがするという。
 西の山々にはどんよりと暗い雲がかかり、そこにあるはずの山脈の姿は見えなかった。
「今年はどうも雨が多いな」
 弾薬を雨に濡らすわけにもゆかず、急いで撤収作業に移らせると、銃太郎は射撃場の隅に女物の着物の柄がひらりと揺れるのを見た。
「あれは……」
 一瞬、瑠璃がやって来たのかとも思ったが、瑠璃が柄の入った女物を身に着けて外を歩くことはない。
 即ち瑠璃であるはずはないのだが、どうにも不審な気配を感じて目を凝らすと、木陰に隠れて二人、子供の姿があるようだった。
 銃太郎が見ていることに気付いたのか、二人の人影はさっと下生えに潜ってしまった。
 見物か弟子入り志願か、大概はその辺りだろうと考えたが、それにしては些か様子がおかしい。
「おい、そこにいるのは誰だ。二人とも出て来なさい」
 相手は子供と思い、努めて優しく言ったつもりだが、二人は一向に姿を現そうとしない。
 愈々訝り、銃太郎は門弟たちに片付を続けるよう指示すると、隅の木陰へ足を向けたのであった。
「どーするんですか、見つかっちゃったじゃないですか!」
「私のせいではないぞ! そもそも義姉上がおらんじゃないか! 話が違う!」
「姫様は今日、助左衛門様のお屋敷にお出掛けですもの、いるわけありませんよ。そもそも若様、銃太郎様をご覧になりたいって言ってませんでしたっけ!?」
「なんだと!? 聞いてないぞ! 義姉上の凛々しい御姿も見たかったのにっ!」
「そんなことより、銃太郎様こっち来ちゃいますよ、早く逃げましょう!」
 射撃場の隅まで近寄ると、こそこそ言い合う声が下生えから漏れ聞こえてくる。
 見学は見学のようだが、彼らが見ていたのはどうも砲術ではなさそうだ。
「もう遅いぞ、出て来なさい」
 間近から声を浴びせると、声はしんと静まった。
「やい、貴様! 怖そうなくせにあんなに皆に囲まれて、どうせ普段はあの中に義姉上も侍らせておるのだろう!」
 がさっと音を立てて勢い良く姿を見せたのは、門弟の少年たちと変わらぬ齢の少年である。
 大層ご立腹で、下から睨みつけ、渾身で凄みを利かせようとしているのが伝わる。
 のっけから敵意を剥き出しに食って掛かるこの少年に、面識はなかった。
 だが、その傍らで青褪めた様子のおなごには見覚えがある。
「あなたは、確か瑠璃の──」
 瑠璃を迎えに登城すると、いつも見かけていた顔だ。瑠璃の傍らに控える姿を幾度か見たことがあるし、いつぞやは瑠璃だけでなく大谷鳴海をも遠慮なく叱り飛ばしていたのを目の当たりにしたこともある。
 おなごもまた観念したのか、すっと少年を庇うように前へ出た。
「見られてしまっては仕方がありません……。ご推察の通り、姫様付きの女中で、澪と申します」
 続いて澪は調練を盗み見た不調法を詫びる。
 しかしその間も、少年はこちらを白眼視したままであった。
 
   ***
 
 妙なことになってしまった。
 まさか若君が自ら足を運んで来るなどと、そんなことが起ころうとは考えもしなかった。
 それも、様子を見る限りでは完全なるお忍びで、今頃城では大騒動になっているのではなかろうか。
 そう考えるだけで、銃太郎は眩暈がするようだった。
「瑠璃のことでしたら、若君がご案じ召されることはありませんよ。指導中は危険のないよう、私が傍についております」
 澪に聞けば、どうやら義姉の身を憂慮するあまりに飛び出してきたという。
 仕方なく二人を道場へ連れ戻り、門弟たちの好奇の目を往なして解散させると、すぐに城へ送り届けると申し出た。
 だが、五郎はそれを撥ね付けて、話がしたいと道場の中へ入ってしまったのである。
 折しも、ぽつぽつと雨粒が落ち始め、やがて本降りの雨となっていた。
 五郎は姿勢よく銃太郎の正面に座して、不機嫌そうに口を開く。
「おまえには、まさか射撃勝負に出よとの下知はないだろうな?」
「? どういうことでしょう。調練のお話であれば、先日承りましたが……」

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

晩夏の蝉

紫乃森統子
歴史・時代
当たり前の日々が崩れた、その日があった──。 まだほんの14歳の少年たちの日常を変えたのは、戊辰の戦火であった。 後に二本松少年隊と呼ばれた二本松藩の幼年兵、堀良輔と成田才次郎、木村丈太郎の三人の終着点。 ※本作品は昭和16年発行の「二本松少年隊秘話」を主な参考にした史実ベースの創作作品です。  

戊辰の里・時を越えた想い

Kazu Nagasawa
歴史・時代
 人は偶然の出逢いによって結ばれる。その出逢いを縁と呼び、ときに偶然の出逢いを必然と思うことがある。特に時代の節目にあたるような出来事にかかわると運命に翻弄されたと感じることがある。しかし、その縁は偶然によってもたらされたものであり運命ではない。運命だと思いたいのは現実を受け入れようとするためではないだろうか。  この作品が取り上げた新潟県長岡市の周辺では大規模な地震や洪水による被害を幾度となく受けている。また江戸時代末期の戊辰戦争(ぼしんせんそう)と第二次大戦の空襲によって市街地のほとんどが消失している。それでも人々は優しく毎年の厳しい冬をのりこえ自然と向き合いながら暮らしている。その長岡のシンボルは毎年信濃川の河川敷で行われる大花火大会であることは広く知られている。そして長岡の山間部に位置する山古志地区は世界的に需要が高まる錦鯉の発祥地でもある。  この作品は戊辰戦争のおおよそ10年前から一人の長岡藩士が激動の時代を生きぬいて妻とともに医師の道に進む物語である。そして、その家族と山古志の人たちのことを地元の気候風土とともに著したものである。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

第一機動部隊

桑名 裕輝
歴史・時代
突如アメリカ軍陸上攻撃機によって帝都が壊滅的損害を受けた後に宣戦布告を受けた大日本帝国。 祖国のため、そして愛する者のため大日本帝国の精鋭である第一機動部隊が米国太平洋艦隊重要拠点グアムを叩く。

魔斬

夢酔藤山
歴史・時代
深淵なる江戸の闇には、怨霊や妖魔の類が巣食い、昼と対なす穢土があった。 その魔を斬り払う闇の稼業、魔斬。 坊主や神主の手に負えぬ退魔を金銭で請け負う江戸の元締は関東長吏頭・浅草弾左衛門。忌むべき身分を統べる弾左衛門が最後に頼るのが、武家で唯一の魔斬人・山田浅右衛門である。昼は罪人の首を斬り、夜は怨霊を斬る因果の男。 幕末。 深い闇の奥に、今日もあやかしを斬る男がいる。 2023年オール讀物中間発表止まりの作品。その先の連作を含めて、いよいよ御開帳。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...