上 下
73 / 98
本編

第十六章 波乱の幕開け(3)

しおりを挟む
 
 
 先日度肝を抜く発言でこっそり物議を醸した才次郎も、その輪の中でいつも通りに過ごしているようだったし、瑠璃に対しても特段いつもと変わった様子はない。
 使用後の銃の手入れを終え、身支度を整えると、瑠璃は冠木門で弟子たちを見送る銃太郎を待っていた。
 はずだった。
 しかし今、師弟の微笑ましい姿は見えず、代わりに瑠璃の視界に入るのは、間近に迫った直人の生真面目そうな顔である。
 銃太郎を待つ間、直人が声を掛けてきたまでは良かった。
 内密に渡したいものがあると言われ、手を引かれて付いて行った先は道場の陰だったのだ。
 良く見てみれば、直人は落ち着きなく周囲を気にしているようだった。
 物陰で他の耳目を遮ってもまだ警戒しているのか、壁際に瑠璃の姿を覆い隠すように立ち塞がっているのだ。
「そんなに人目を憚るようなものなのか?」
「引き留めてすまん。ある人から姫様宛てに預かったものがあってな」
 言いながら、直人は懐を弄り一本の書状を取り出すと、直人は有無を言わさず押し付けた。
「だ、誰からじゃ?」
「それは言えない」
「言えない? それはまた、なんで」
「とにかく、文を渡して欲しいと言われただけで、俺も詳しい事情は知らんのだ」
 直人はいやに至近距離で、物陰にいて尚も人目を遮ろうとするように瑠璃の眼前に迫っていた。
 その息がかかるほどの近さに、さすがの瑠璃もぎょっと身を強張らせてしまう。
「中身も見えぬ文を渡すだけなら、そんなにコソコソすることもあるまい……」
 それとも文の内容を知っているのか。と、そう問えば、直人は静かに頷く。
「言っておくが、俺には全く関わり合いのないことだからな」
「………」
 正直なところ、文という時点であまり良い予感はしなかった。
 何らかの要望や嘆願の類だろう。
 城の中にいるとは言っても、直接的に政に関与出来るわけではない。
 それでも、日頃の行い故かこうして瑠璃を介して要望を届けようとする者はたまにいる。
 それに応えられるかどうかはさて置き、上げられたものは民の声として要路に繋ぐようにしているのだが、丹波の呆れ顔がまたぞろ目に浮かぶようである。
「誰にも見つからないように、姫様一人で読んでくれ。頼む」
「直人殿がそこまで言うなら……」
 橋渡しなどという面倒なことをする理由はいまいち思い当たらないが、瑠璃は胸元に押し付けられた文を仕方なくその手に取った──その時だった。
「直人! そこで何をしている」
 やや怒りの滲んだ声音が割り込んだ。
 瑠璃を城へ送ろうと、その姿を探し回ったのだろう。
「ああ、銃太郎か。すまん、少し話し込んでいてな。引き留めてしまっていた」
 何でもない風を装いながら、直人は咄嗟に瑠璃の手許を文ごとその手で覆い隠す。
 瞬時に仕舞えという意味なのだと悟り、慌てて袂に文を入れると、瑠璃もまた直人に倣って話を合わせることにした。
「じ、銃太郎殿は皆の見送りは済んだのか? ならば私もそろそろ城へ戻るかの」
「帰り際に悪かったな。姫様も気を付けて帰れよ」
 するりと銃太郎の脇をすり抜け、直人はあっさりとその場を去る。
 銃太郎の怪訝な面持ちは和らぐ事なく、直人にも、そして瑠璃にも咎めるような視線を向け続けていたのだった。
 
   ***
 
 まだ日も高く、日没までは余裕がある。
 そういう時、瑠璃は決まって城下のどこかへ寄り道をしたいと言い出すのだが、この日に限ってそれもなく、無言のまま城門の手前まで来てしまっていた。
 気まずい上に気分はひどく陰鬱で、瑠璃もまたいつもの軽口の一つもない。
 このまま城へ戻ってしまったら、見た光景について二度と言及出来なくなってしまう気がした。
 姫君としては勿論、単純に武家のおなごとしてあるまじき振舞いを、咎めたくもある。
 だが、それだけのことならば、以前の自分ならとっくに瑠璃を窘める言葉を投げていただろう。
 それが出来ないのは、訊きたくても訊けない蟠りがあるからだということは解っている。
 そこに微かな悋気が含まれていることも、自身で薄々気が付いていた。
 人目を忍んで、直人とは一体何を話していたのか。
 よもやあの直人が間違いを起こすとも思えなかったが、嫁入り前のうら若いおなごが、物陰で男と密談など言語道断である。
 それも触れ合うほどに近く──、否、実際に手と手を触れていたのもしっかり目撃してしまった。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

晩夏の蝉

紫乃森統子
歴史・時代
当たり前の日々が崩れた、その日があった──。 まだほんの14歳の少年たちの日常を変えたのは、戊辰の戦火であった。 後に二本松少年隊と呼ばれた二本松藩の幼年兵、堀良輔と成田才次郎、木村丈太郎の三人の終着点。 ※本作品は昭和16年発行の「二本松少年隊秘話」を主な参考にした史実ベースの創作作品です。  

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

体育座りでスカートを汚してしまったあの日々

yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

処理中です...