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本編

第八章 獄中からの上書(4)

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   ***
 
 家老同士の高尚な愚痴に付き合うつもりもなく、瑠璃は新十郎と共に広間を出た。
 というよりも、席を立ってすぐに新十郎が後に続いただけである。
「新十郎殿は、和左衛門と道を違えてやり難くはないのか? 忠義は大事だが、家族仲も大事じゃぞ?」
「ははは、私が養父を軽んじるようなことはございませんよ。物事の捉え方が少々相容れぬだけで、対立を望んでいるわけで無し。養父は養父の、私は私の義を尽くすのみです」
 上目に覗き見た新十郎の目は、瑠璃を見返して穏やかに細められる。
 瑠璃に気を遣わせまいとしている様子は微塵も窺えない。
 だが、この男はいつもこうだ。
 その胸中に如何に激しいものを秘めていようと、その片鱗さえ見せようとはしない。
 そうしたところは、一学や丹波と大きく異なっていた。
「そなたは分かりづらい男じゃな」
「それはお褒めの言葉と受け止めても?」
「無論じゃ」
 日はすっかり沖天に昇り、射撃場に顔を出す間もなかった。
 こうしている間にも銃太郎の門下は日毎に増え、同日に入門した篤次郎もきっと腕を上げているのに違いない。
 後に入った弟子に先を越されるのは、やはり口惜しいものだ。そんな微かな焦りを胸に、瑠璃は大廊下を玄関へ向けて踵を返した。
「瑠璃様、奥御殿はそちらではありませんが」
「もはや用は済んだじゃろ? 気晴らしにミテ殿のお料理道場に参るぞ、私は。止めても無駄じゃ」
「は、お料理……とは?」
「そなたらが降嫁せよと申すから、どこへ嫁しても困らぬように銃太郎殿の母君に仕込んで頂くのじゃ」
 凝った肩を解そうと、瑠璃は両の腕をぐっと上へ突き上げて伸びをする。
 と、新十郎は面喰ったように目を瞬いた。
「瑠璃様が料理、ですか」
「そうじゃ、腹も減ったし、台番所を借りて新十郎殿に仕込みの成果を披露──」
「いえ!! 私は弁当を持参しておりますので結構です!」
 拒絶が瞬速かつ力強い。
「えぇ? そうなのか? じゃあ参考までにその弁当、一口味見させてくれんかの」
「それもなりません。きみ・・の拵えた弁当は如何に瑠璃様でもお譲り出来ません。全部私のです」
「うわ、けちじゃのー」
「何とでも仰って下さって結構です。我が愛妻はどなたにもお譲り出来ませんので」
 びしりと掌を突き出し、新十郎は首を横に振る。
「そなたもう四十じゃろ、その惚気は些かきっついものがあるぞ……」
 先に分かりにくい男と評したことを撤回せねばなるまい。
 その顔は常に凪いでいるが、発する言葉は時に直情的であったりもする。
 が、この様子を見れば、家庭内は円満なのだろう。少なくとも、夫婦仲は。
 涼しい顔のまま年甲斐もなく惚気ける様を滑稽に感じつつも、新十郎の情の深さが窺えて微笑ましくもあった。
 余計な懸念を抱いたか、と瑠璃は自嘲のうちにふと自らの今後に重ね合わせる。
「そなたらのような微笑ましい夫婦めおとになれる相手を、私も探さねばな」
 すると、新十郎はやおら眉を曇らせた。
「お待ちください、何も本当に降嫁なさることは──」
「ああ、そう性急に嫁ぐつもりはまったく、これっぽっちもないぞ。ひとまずは銃太郎殿の門下で砲術に明け暮れておれば、恭順派の者も私に対して慎重な目を向けることじゃろ」
 それならば良いのですが、と、新十郎は胸を撫で下ろしたように露骨な安堵の表情を浮かべる。
「だからまあ、銃太郎殿のところへは出来れば毎日通っ──」
「瑠璃様ァア!!」
 割れんばかりの野太い声がして、瑠璃も、そして新十郎もぎょっと肩を震わせる。
 袴をたくし上げ肩をいからせながら、畳廊下を足音荒くやって来たのは、鳴海であった。
 相変わらず声がでかい。
 加えて、挙動も。
「騒々しいのー、もっと静かに出来んのかそなたは」
「私までちょっとびっくりしたぞ、大谷」
「………」
 隣の新十郎には目もくれず、鳴海はずかずかと瑠璃の目前にまで迫ると、一層顔を歪めた。
 眉は吊り上がり、口元は苦々しく歪んでいる。
「鳴海、顔が怖い」
 瑠璃が頬を引き攣らせても鳴海の面持ちは緩まず、暫し瑠璃の双眸を直視してから瞑目し、がくりと無念そうに項垂れる。
「くぅっ……!」
「……何なのじゃ、喋らんか。わけがわからん」
 鳴海はあらぬ方に目を向けたまま顔を上げ、唸りながら廊下の端から端を行ったり来たりし始める。
「何かの儀式でも始める気かの……」
「さあ、何とも。何しろ大谷ですからな……」
 腕組みし、時に顳顬こめかみを掻き、苛々と右往左往してから漸く鳴海はその足を止める。
 そして瑠璃に向かって眼をひん剥いた。
「今! 私は! 大ッ変迷うており申す!!」
「見りゃわかるわ! わざわざ人の目の前で迷うでないわ、阿呆か!」
「瑠璃様に宛てた書を預かったものの、もう燃やすか捨てるか切り刻むか、いっそ食べるか! 大変に! 迷うており申す!」
「渡す選択肢が一つもないな!?」
 ここまで露骨に迷われては、余計に気になるのが人の性。
 瑠璃はひらりと片手を差し出し、その掌を天へ返す。
「出してみよ。気になるじゃろ」
「うぐぐ……瑠璃様のご意向とあらば致し方なし……!」
 鳴海はその胸元より書状と思しき物を取り出す。
 至極薄く弱々しい「上」の字が覗けたが、それは瑠璃の手に渡る寸前で新十郎の手が奪取した。
「あっこれははい! 大谷は何という物を差し出すのか、そんなに大谷家の禄減らしたいのかな!?」
「ぐああ……! やはりお渡しするべきではなかったか!!」
「な、何じゃそれは。新十郎殿はそれが何か知っておるのか」
「存じません存じません! 脛毛が伸びてどうしようもなく手わすらしたくなったのでしょうなぁ!」
「………」
 豪快に笑いながら、新十郎はその手の書状をびりびりと容赦も躊躇もなく破り捨てた。
 その中身について読むこと適わず、瞬く間に塵芥となり果てた書状は、呆然と眺める瑠璃の視界一杯にちらちらと雪の如く舞い踊った。
「これが、家老らの申しておった脛毛か……」
「瑠璃様、お気を確かに。これは紙です、脛毛ではございません」
 またしても紛糾の種を撒かれるところであった、と新十郎は吐息と共に吐き出す。
「しかし、中身も読まずに良かったのか」
「この時期における奴の上書など、我が藩も早晩帰順し帝に与すべしとの勧告以外ございませぬ」
「まあ話だけなら聞いてやっても……」
「なりません」
 俄に眼光鋭く瑠璃を見た新十郎に、ぎくりと身が竦んだ。
「仙台の方針に同調しておきながら、今更その是非を問うわけには参りませぬ。このような時に我先に早々帰順すればそれが遺恨となり、報復もあり得る。もはや後戻りは出来ぬと御心得下さいますよう」
 やや気色ばんだような、それでも淡々と冷静な新十郎の声音。
 その後も暫らく、その声が瑠璃の耳に纏わり付いて離れなかった。
 
 
 【第九章へ続く】
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