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本編
第八章 獄中からの上書(3)
しおりを挟む話は先日の使者を受けての今後の動向のようで、仙台藩へ向かわせる使者の人選が議題だ。
「仙台は会津松平家に対し降伏を勧告するということだ。お上のご意向により、我が藩もそれに倣う姿勢を取ることとするが、各々方、ご異存はなかろうな」
丹波の話どおり、二本松藩の姿勢は決している。
会津へ降伏勧告し、総督府の側にもその受け入れを周旋する。
仙台藩は逸早く会津藩追悼の朝命が下され、より焦眉に迫る状況であろうと考えられたが、その窮状においても会津を討つつもりはない様子である。
「幕府への忠義を貫く意志は無論のことであるが、我が藩は帝に仇なす者にもござらぬ」
「会津に降伏を促し、総督府がこれを容れるならば平和理に事は収まろう。いや、異存はない」
使者を家老の日野源太左衛門、用人服部久左衛門らに定め、話はそこで一旦の区切りを付ける。
だが、ここで新十郎が先の顛末を切り出したのである。
この場の面々には既知のことと前置きし、新十郎は視線を一身に集める。
「畏れ多くも帝に対し叛意ある者はここには一人もおりませぬが、勤王の志を掲げ、我が殿のご意向に異を唱える者も僅かながらおり申す」
誰もが、丹羽和左衛門のことかと考えただろう。
当然、今し方遭遇したばかりの瑠璃も即座に和左衛門を思い浮かべる。
「お上のご帰国より間もなく、中屋の中島黄山と申す者が目通りを願い出、殿へ帰順を迫ったという例もござる。ご身辺に不審な挙動あらば何卒、皆様方にも注意を払われたい」
「なんじゃ、和左衛門のことではないのか?」
予想と異なる名が出たために、瑠璃は思わず口を挟んだ。
「私はてっきり……」
「もちろん、我が養父丹羽和左衛門についても同様です。黄山は予てより和左衛門と交友がございましたゆえ、この後にも何らかの動きがあろうかと」
中島黄山。
生家は城下亀谷町の商家だが、学に秀で勤王の志篤き儒学者である。
諸国を巡り歩き、尊王を志す者との交流も盛んであったという。
全ては人伝に聞こえてくる話であり、瑠璃自身が真偽を確かめたわけではなかった。
しかしいつの頃であったか、和左衛門が郊外の荒れた山野を植林し整備した功績は聞き及んでいる。
その折に関わったのが、中島黄山であった。
「和左衛門にしろ黄山にしろ、これまでの功は私も知るところじゃ。だが、今は家中で争いごとを起こしている場合ではない。更なる混乱を生むような過激な真似は慎ませねばの」
瑠璃が言えば、新十郎も深々と頷く。
和左衛門とて真に民を思う心が根底にあればこその行いである。
解せぬわけでも、その義を疑うわけでもなかった。
しかし丹波は賺さずぱしぱしと扇で膝を打ち、笑声を上げた。
「流石は瑠璃様! どぉーも奴らは過激でいかん。私はもう予てより懸念しておったのです」
折角綺麗に纏まりかけたのに、座上自ら要らぬことを言い出す。
「丹波殿、私は別に人を指して過激だと申したわけでは──」
「いや何、今も獄に繋ぐ三浦権太夫なる男なぞは──、ああ、やはり勤王を声高に叫ぶ者なのですが、それこそ逐一お上や執政に対しけちを付けてきおりましてな! 獄中でも尚、脛毛で楯突いてきおる」
俄に声も大きくなり、困り笑いとでも言うのだろうか。丹波のそれは形容し難い笑いであった。
「ああ、ございましたな。三浦の申し分も分からぬではないのだが、彼奴の要求はやはり少々度を越しておる。ゆえに反発する者も多うての」
「何しろお上にまで幾度となく諫言申し上げる始末……、それがしも彼奴のために随分と肝を冷やしたものよ」
「まあ獄中なれば、今はそれ以上の事も起こせますまい」
家老の中では有名な話のようで、急に話が逸れ始める。
「……脛毛で楯突くとはどういうことじゃ」
「あー、それはですな──」
丹波の発言の中にあった一言が気に掛かって零すと、新十郎が傍らに寄りひそりと耳打ちをする。
「脛毛を抜いて束ねたものを筆とし、着物の染料を水に溶いて上書を認めた、ということです」
凄いでしょ、と新十郎は苦笑した。
「す、脛毛か……」
「脛毛です」
それはそれで大変な根性の持ち主だろう事は理解出来た。
「……せめて髪の毛では駄目だったのかの」
「髪では長過ぎたのでしょうな。脛毛くらいの長さが丁度具合が宜しい」
「そうか……」
「当家の和左衛門もまさか瑠璃様に脛毛を押し付けはしませんが、くれぐれもご油断召されますな」
妙な念押しを受け、瑠璃は乾いた笑いを浮かべるのみであった。
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