36 / 98
本編
第八章 獄中からの上書(1)
しおりを挟む「本当にそんな素っ気ないことで宜しいんですか」
奥御殿から堂々と表へ向かう瑠璃に付き添い、澪が畳廊下をやや早足で足袋を擦りながら後を追う。
瑠璃は普段通り木綿の小袖に袴姿、瑠璃付き女中の澪のほうがまだ姫君に近い格好だ。
「義弟君とお話すらなさらないなんて……、砲術なんてあとで幾らでもお出来になるじゃないですか」
藩主とその養嗣子が国入りしてから三日。
流石の澪もなんとか引き留めようとあれこれ説得して食らい付いてくる。
が、瑠璃は構わず表御殿へ繋がる廊下をずかずかと渡って行く。
「挨拶なら済んでおる。何なら澪も一緒に砲術習うか? 楽しいぞ、色々と」
「だからそうじゃなくてですね、殿もご病状が優れず臥しておられますし、お見舞いなさるとか! それでなくとも若様に不審がられますよ……!」
「別に構わんじゃろ、父上だとて既に見舞ったし、私のやり様は御承知のことじゃ。こーんな義姉であることは五郎殿とて覚悟の上であろう」
引き留めようとする澪と、構わず突き進む瑠璃に、廊下の端から声を掛けた者があった。老齢の男だ。
「恐れながら姫様」
顔を伏したままではあったが、見覚えがある。
その皺深い手を流し見てから、瑠璃は男の正面に屈んだ。
「顔上げて良いぞ? 何か用か?」
「ちょっと姫様! 貴方も何です、姫様に直にお話になるなど!」
澪が賺さず牽制し、瑠璃にもそばを離れるよう促した。
「無礼は承知の上なれど、是非にも姫様に御願い申し上げたき儀がございます。何卒お聞き入れ下さいますよう」
嗄れた声が告げ、男がその顔を上げた時、瑠璃は漸く気が付いた。
「……和左衛門じゃったか、久しいの」
これ程早く動いてくるとは思わず、油断していた節も否めない。
内心でしまったとは思ったが、足を止めた以上は話だけでも聞いてやらねばなるまい。
「そなたの御願いとやらを聞いてやれるかは別として、話があるなら聞くぞ」
世子五郎君の傅役である男は、老いて肉の削げ落ちた顔でも尚、眼光鋭く瑠璃の目を射抜く。
質素倹約を旨とする家中でも、就中、節制に厳しい男である。
「姫様はいずれ若様の御正室となられる御方。若様も姫様に大層ご興味を抱いておられます故、何卒──」
「瑠璃様! まだこんなところにおられましたか。最早皆集まっております、お早く広間へ御出まし下さい」
和左衛門の口上を遮り、一際明朗な声が響く。
声に釣られて顔を上げると、悠然と歩み寄る新十郎の姿があった。
今も正に道を違える父子の間に身を置き、瑠璃は背筋に緊張が走る。
「おや、これは養父上。お話し中のところ恐縮ですが、瑠璃様はこれから執政会議に御出ましです。如何に若君のお召とて、この緊急時においてはこちらをご優先頂かねばなりません。何卒ご容赦頂けますよう」
新十郎の面持ちは平素と何ら変わりなく、しれっと流れるように並べ立てる。
「か、会議……?」
そんな予定は元々無かった。
緊急に召集をかけたのだとすれば別だが、新十郎の意図するところは明白である。
恭順派の一切の接近を許さぬ心積もりなのだろう。
瑠璃を立たせて自らの背後に引き込むと、新十郎はちらりとこちらに目配せる。
話を合わせろということだろう。
「しかしだな、私はこれから道場へ──」
「ハハハ、左様でしたか。それでも広間へ御出まし下さい。座上もお待ちですのでな」
「ああ、丹波殿もおるのか……面倒じゃの……」
腹の中はどうあれ終始にこやかに話を進める新十郎だったが、和左衛門も易くは退かない。
両者同様に用人の立場でありながら、一方は藩主左京大夫の意向を推し、また一方は世子を担ぎ上げ異論を唱える。
「新十郎、それは本来殿の御役目であろう」
「殿には元よりの御病躯を押しての長旅、今は臥しておられますれば」
「ならばその役目、若様にこそ御出まし頂くのが道理ではないか」
双方淡々と、しかしどちらも譲らぬ問答を経て、新十郎の声が僅かに剣を含んだ。
「養父上も既にご承知でしょうが、今や瑠璃様は殿に並んで家中の拠り所となられている御方。宿老方も常より瑠璃様と談義を重ねておられます」
談義を重ねるのくだりは当たらずも遠からずといったところだが、内実は丹波の愚痴を聞かされているだけである。
家中の皆の拠り所だなどという事実も特にないだろう。
だが新十郎はさもそれが今の城内の実情であるかのように、流暢に言ってのけた。
(よう回る口じゃの)
半ば呆れて新十郎の口上を聞いたが、妙に口を挟むとあとが怖い。
家老座上丹羽丹波の要請であると言い切られ、和左衛門もそれ以上の問答は差し控えたのである。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
晩夏の蝉
紫乃森統子
歴史・時代
当たり前の日々が崩れた、その日があった──。
まだほんの14歳の少年たちの日常を変えたのは、戊辰の戦火であった。
後に二本松少年隊と呼ばれた二本松藩の幼年兵、堀良輔と成田才次郎、木村丈太郎の三人の終着点。
※本作品は昭和16年発行の「二本松少年隊秘話」を主な参考にした史実ベースの創作作品です。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
赤い鞘
紫乃森統子
歴史・時代
時は幕末。奥州二本松藩に朱鞘を佩いた青年がいた。名を青山泰四郎。小野派一刀流免許皆伝の、自他共に認める厳格者。
そんな泰四郎を幼少から慕う同門の和田悦蔵は柔和で人当たりも良く、泰四郎とは真逆の性格。泰四郎を自らの目標と定め、何かとひっついてくる悦蔵を、泰四郎は疎ましく思いつつも突き放せずにいた。
やがて二本松藩の領土は戊辰戦争の一舞台となり、泰四郎と悦蔵は戦乱の中へと身を投じることとなる…。
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
直違の紋に誓って
篠川翠
歴史・時代
かつて、二本松には藩のために戦った少年たちがいた。
故郷を守らんと十四で戦いに臨み、生き延びた少年は、長じて何を学んだのか。
二本松少年隊最後の生き残りである武谷剛介。彼が子孫に残された話を元に、二本松少年隊の実像に迫ります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる